2019-05-01

サポートの原型にふれつつ令和時代へ

平成最後の日は、キャリアカウンセリングを引き受けていた。カウンセリングというか、キャリアカウンセラーとして、MBTIという性格検査のフィードバック・セッションを行っていた。

とある喫茶店の個室を借りて、お昼どきから夕方までの4時間、1対1で話しこんだ。前半はMBTIがどんなふうに性格をとらえるかといった解説が中心、後半はワークを取り入れながらその人の自己洞察をサポートする。

複雑な概念をわかりやすく解説するという難題がまず立ちはだかるのだけど、そこが決してゴールではなく、あくまで、その後その人にとっての発見なり整理なり、自己洞察の深まりがなくては意味がない。

なので、だいぶ知力、体力、精神力を使うのだけど、こうした時間をもつことは自分にとっても、とても豊かに感じられる。ご本人もいろいろ有益なところがあったようで、快い疲労感を覚えつつ、安堵して帰途についた。

自分が解説なりなんなりを提示した後、相手がそれを聞いて考えたこととか、思い出したこととか、これはどういうふうに解釈したらいいんだろうとか、思うところを自由に話してくれて、その受け取り方を一緒にひも解いていくやりとり、そうした時間が、すごく好きだ。

深淵な海に、ゆっくり安全確認しながら一緒に潜っていく感じ。そこに同行して、本人が自分の心の風景を見渡したり仔細に検証したりするさまを、そばでサポートする感じ。

あくまで、本人が見つける、探っていく、その力を信じて、邪魔しないように、勝手な決めつけで誘導しないように、分をわきまえながら丁寧にそばで関わり続ける、なんだかサポートの原型のように感じられる。

平成最後の日とは意図せず、こういう一日になったのだけど、なかなか良い時代の超え方だったなぁと振り返る。

その後、友人とごはんを食べ、おうちに帰ってから少し体(とくに腰)を休めていたら(つまり寝ていた…)、気づいたときには0時をまわっていて、時代が令和に移っていた。

NHKのニュースサイトで、天皇陛下の最後のおことばを拝聴して、街の声なども動画で観た。若者が渋谷や新宿に繰り出し、大きな声でカウントダウンしている。いい時代にしたいですと20代の女性が笑顔で取材に応じている。

そうした映像をみて、あぁこういう国民の笑顔をもって一つの時代の幕を下ろし、新たな時代を迎えられているのは、明仁天皇の大きな、大きなご決断(というか訴えというか)あってのことだなぁと、目頭が熱くなってしまった。最後の最後まで、国民の平和に尽くされた天皇だったなぁと、感謝の念をもって令和を迎えた。平和で、寛容で、多様性豊かな時代となりますように。

2019-03-04

性格診断をやりすぎない理由

私は「MBTI」という性格検査/メソッドを取り扱うMBTI認定ユーザーという資格を持っていて、ときどき知り合いから声がかかると、「MBTIを用いたキャリアカウンセリング」に対応している。

あと最近、企業の方から「MBTIを会社に導入したい(任意で社員が受けられるようにしたい)」との相談があり、それを機に法人向けの「MBTIを用いた自己理解ワークショップ」も用意したので、ご参考まで(ご興味ある方は、お声がけくださいませ)。

MBTIに限らず性格検査のたぐいって、一方に「そんな胡散くさいもの」という反応があり、その対極に「診断ものとあらば、とりあえずやってみる」という層がある。ライトなものだと、Facebookなどには、よくこうした診断ツールのリンクが流れてきて、一時的に流行る。すると、両者の反応が見られる。

私はどっちつかず主義で、両極のどちらにも属さない。極力偏見はもたずに、時と場合に応じて「その人にとって益があり害がない手段」を選べる状態を大事にしたい。なので性格診断とあらば、はなから百害あって一利なしとも思っていないし、手当たり次第やってみるということもしていない。

前者の「そんな胡散くさいもの」という見方に対する自分なりの考えは、前にここで「人の性格をタイプで語るうさんくささ」という話を書いたことがある(これは妥当性や信頼性が検証された心理検査を前提にしたものだけど)。

そこで今回は、対極の「診断ものとあらば手当たり次第やってみる」について、自分がなぜそれをしないのかを書きながら整理してみたい。ちなみに、だいぶだらだらと書いた。最後は全然関係ない吐露になっている気も…。

「自分を理解したい」という気持ちは誰しももっているもので、こうしたものに関心が向くのは、人のごく自然な反応だとは思っている。

そういうものを専門に手がけるなら、とにかくいろんなツールに触れて目を肥やしたほうがいいんじゃないの?そういう探究心って大事じゃない?っていうのもごもっともで、そういう見方もあるとは承知している。ストレングス・ファインダーやCPS-Jなど、過去にやったことがあるものも、いくらかある。

ただ、あまりやらないように、あれもこれも浴びるようにやらないように、というのは肝に銘じている。私が回避したいリスクは、自己概念の肥大化だ。

性格診断ツールの類いは、結果の解釈に危うさがある。数十問の設問に答えてチェックを入れていくだけで気楽にできるわりに、結果として受け取る言葉の影響力は無意識下で強大だったりする。その影響に、ちょっとした遊び気分であればこそ気づきにくくあるのも厄介だ。

まず、こうしたツールの診断結果は、受けた人の可能性やポジティブな機会を提示することに言葉を尽くす。つまり、本人が読んでいて気持ちいい言葉がつまっているのが常だ。自分の興味に寄りそい、自分の価値観にフィットし、自分が受け取って気持ちいい言葉が出力され、自分を価値ある素敵な人として描き出す。

例えば、

あなたは人に教えたり人助けをする活動を好みます。言葉によるコミュニケーション力に長け、人と一緒に仕事をする環境で能力を発揮します。教育や保育、カウンセリングなどの職業に向くでしょう。友好的で、外向的な性格です。

だとか、

あなたは他の人を導いたり、他人に影響を与えられる活動を好みます。人と友好的なコミュニケーションを図ることを得意とし、リーダーシップや説得力を備えています。チームを統率して事業推進する立場で力を発揮します。野心的で外向的、精力的な自信家です。

だとか。

数十問の設問に回答することで、もやんとした自分像を、明快で魅力的な輪郭をもつ人物像に変換して言い当てるように提示してくれることの価値は高い。そこに自分の可能性や機会を見出して、次の一手を検討しやすくなったりする。それは単独でやろうとしても、なかなか難しい。人の性格や能力を表すボキャブラリーって誰もがそんな流暢に出せるものじゃないし、自分の性格となれば尚さらだ。

ただ、こうした診断結果のコメントは、興味や能力や性格がごちゃっと混ざっていたりする。

あなたは教えたり、人助けをするような活動を好むんでしょう。ということは、子ども時代からそういう活動によく参加してきたのでしょう。ということは、きっとその能力も他の人に比べて伸ばす機会を多くもち、実際に人より秀でたものがあるでしょう。さらに伸びるポテンシャルもきっと高いでしょう。

というように「ということは」「きっと」という推測のもとに、本人の興味や価値観が「能力」に発展して「実績」をあげるところまで導かれていて、本人が受け取って気持ちいい人物像に熟していたりする。

けれども、能力の獲得や実績は、その適性を活かして、実際に経験を重ねて、洗練させていった先の話だ。実際に自分がどれくらい、興味を能力に展開できているか、実用的な知識・スキルとして養えているか、実社会で発揮して人に貢献できているかというと、それはまた別の話である。

けれども、こういう言葉を気の抜けた昼下がり、疲れた夕暮れどきなんかに遊び感覚でやって受け取ってしまうと、あるいはあれもこれも浴びすぎてしまうと、興味とか能力とか可能性とか一緒くたに脳内に入ってきてしまう。結果、自己概念(自分に対するイメージ)が実際以上に肥大化してしまう恐れが私にはある。

言葉の力は強い。人から自分に与えられた言葉は、想像以上に自分にまとわりついてくる。「あなたは、そういう人である」と、良いものも悪いものも、言葉は規定してくる。

また、こうした診断は「自己評定の質問紙」をもとに出力しているのが常で、自分が回答した結果を、洗練された言葉で言い直しているに過ぎない、とも言える。診断結果の情報源は、あくまでも本人の自己認識だ。実際は「私は、こういう人だと思うんです」という表明である。

リーダーシップの力量や、コミュニケーション力の高さを測定するテスト問題が出て、その回答結果から能力の高い低いが判定された結果ではないし、上司や部下・同僚、取引先からの他者評価をもとに判定したわけでもない。

その回答には「そうありたい自分」が混入している可能性も十分にある。「そうありたい自分」と「実際の自分」をごちゃまぜにした自己評定をすれば、結果も「そうありたい自分」を含んだ2割増し3割増しの自分像が出力されうる。その結果は「私は、こういう人だと思われたいんです」の表明であるかもしれない。

そんな解釈の余地も頭におきながら読めば、それはそれで自己洞察も深まるかもしれない。そういう意味では、本当に使い方次第ではある。けれども、自分的にはけっこう危ういなぁと思い、ものは試し的に自己評定の診断ツールに手を出して、自分を説明するふうの言葉を不用意に入手しないようにしている。

性格診断ツールは手当たり次第やったり、数多くやればそれだけ自己洞察が図れるというふうに考えず、一つをよく咀嚼して丁寧に解釈するのが良いように思う。企業でも、あれこれの診断ツールを数多く完備するというアプローチは悪手だろう。

種類を増やすなら、「自己評定の質問紙」以外の「面接法」「観察法」「投影法」などと組み合わせて充実を図るのが良い。「自分情報」を大量に外から取り寄せて情報過多になると、人から受け取った言葉におぼれて、自分の言葉を見失ってしまうリスクのほうが高いと危惧する。

もやもやしたものを本人が心のうちにもっているなら、「とりあえずツール」に手を出すより、対面で本人の言葉を引き出してみて、そこから探っていくのが先決、そちらのほうが自然なアプローチだし、核心に迫る上でも有効なアプローチだろうと思う。

自分で舵を握れていればなんら問題はないので、エンタメコンテンツとしてうまくつきあえている人の楽しみや活用法を否定するものではまったくない。うまくつきあえる人は、ごまんといるとも思う。多くの人は、特にSNSを賑わすものなど遊びとして気楽にやっているだろうし、私のように悪い意味で「マジメ」な言葉の受け止め方はしていないだろうと思う。ただ私はわりと、人から受け取る言葉に弱いので慎重だ。マジメ…なのだ。

なんてことを書きながら思うところ、私は自分の発する言葉にも、だいぶやられている。何かを偉そうに発言したり、批判的な弁を述べた後、じゃあ自分に何ができているか振り返ると、何もできていないじゃないかと自己ツッコミせざるをえず、ときどき本当にげんなりする。自分の不甲斐なさと尊大な態度に恥ずかしくなり、うんざりすることもある。

でも、そもそも自分ができることはちっぽけなもので、自分の実態を意識しだすと、もう何も発言できなくなってしまうかもしれないとも思う。自分を自分で許せなくなったら立ち行かないしな。どうにか自分を卑下せず、慢心も過信もせず、自分のできることを淡々とやっていく精神をもとうと、もがく。

自分が人の役に立っていないという感覚は、歳を追うごと高まっていって、何者でもないことを受け入れていくのが、現実をみられていて健全な気もするし、ときにすごく不健全な気もして手を焼く。

ひとまず、検査結果をあくまできっかけとして使い、ワークショップを通じて本人が自己洞察を深めていく構造を前提とするMBTIのカウンセリング活動は、自分が果たせるいくばくかの機能の一つ。静かな気持ちでコツコツ役目を果たしていきたいもの。

はぁ、まぁ、ちょっとすっきりした。結局、最後の4段落を吐露したくて書いた気がする…。

2016-01-15

人の性格をタイプで語るうさんくささ

先日、人の依頼を受けて久しぶりにMBTIのフィードバック・カウンセリングを行った。MBTIについては以前こちらに概要をまとめているけれども、一言でいえば「ユングが提唱した心理学的タイプ論に基づく性格検査」ということになる(いかつい)。

性格検査といっても、検査単体ではMBTIとしての体をなさず、検査結果をきっかけにして自己洞察を深めるセッション(有資格者のサポートをFace to Faceで受けながら、自分でタイプ検証を行う)まで行って、はじめてMBTIの構造が成り立つ。Web上で検査だけ受けて「当たってる/当たってない」で終わってしまうと、それはMBTIの中核部分が抜け落ちた状態と言える。MBTIは性格検査というより、人の理解を深めるためのメソッドといったほうが適切なものだ。

…なんてくどくど語ると、“たかがツール”に心酔した有資格者の盲目的発言に聞こえて、うさんくささを覚えるかもしれない。

私ももともと「MBTIがいつでも誰にでも役立つからみんなやるべき!」とは思っていないので(まともな有資格者は、そんなこと言わないが)、先述したページに概要・案内をまとめて以降は、依頼があった際にお引き受けするにとどめている(まともな有資格者なら、そこまで控えめにすべきと考えているわけじゃない)。安易に方々でしゃべっても、有用性よりはうさんくささのほうが先に立つだろうなぁという思いがあって、話題をふられないかぎり人に話すことはしていない(臆病ともいう)。

かといって、全然使えないメソッドだと思っているわけでももちろんなくて、非常に有意義なものだと内々には思っている。そんな立場から、この「うさんくささ」について、ちょっと考えてみたい。

人の性格や資質からタイプ(類型)を見出そうという試みは古くからあるらしいのだけど、こうしたものにふれて、まず人の頭に思い浮かぶ一般的な抵抗は、「世の中いろんな人がいて、それこそが素晴らしいのに、多種多様な個別の人間をたかだか何個か何十個かに分類するなんて無理だし、不毛だ。専門づらして、人間を物のように扱うな」という反応じゃないかと思う。

その一方で、こうした性格タイプ論なりメソッドなり診断ツールなりを前にすると、これに関心を示す気持ちも生じるのが人の常だ。自分のことをより深く知りたいという気持ちはたいていの人にあり、SNSで自己診断ツールの類がよく流行るのは、その表れである。

つまりは、一人の人間のうちには「不毛だ」と「興味あり」のアンビバレントな(相反する)感情が生じていて、そのどちらを本人が意識するか、表に出すかが人によって違うだけなのかもしれない。

ここでは、そのうち前者の「不毛だ、馬鹿馬鹿しい」という気持ちにフォーカスして考えてみたい。というのは、そこには一つ、性格タイプ論に対する誤解があると思うからだ。

人の性格タイプ(類型)論を説く人も馬鹿じゃない、というか、その道の専門家だ。一般の人がぱっと思いつく疑念などは、最初のうちに検討済みである。つまり、個々人がそれぞれにユニークな存在であるということは当たり前とした上での、タイプ論なのだ。少なくともMBTIはそういう前提に立っている。

しかし、受け手側が受け取り方をまちがってしまっては、使えるものも使えない、有益なものも不毛に映るのは当然。「あなたのタイプはこれ」というのをそのまま受けとって、自分をそういう人格に固定化する診断のように受け止めてしまう。

大衆的なタイプ分けとして血液型を例にとるなら、たとえばO型が全員おおらか、A型が全員神経質なんてことないだろうことは、ちょいと考えればわかる。そんなの当たり前という人もいれば、「A型の割りに細かくないのよ」という人もいるけれども、とにかく現実として、血液のタイプによって性格が決定づけられたり、血液のタイプによって行動が一様に固定されるなどということはない(ちなみに、血液型と性格の相関関係は今のところ証明されていないと6~7年前に聞いた)。

完全に何タイプの行動をとる人間というのは(精神が健常な状態であれば)いないわけで、人が生来的な性格タイプをもつとしても、それだけで行動を選ぶわけじゃない。その人の知能や発達段階(5歳か20歳か50歳か)によっても選択は変わるし、それまでの人生経験によっても、そのとき置かれている状況によっても選択は変わる。誰かのタイプをこれと特定することによって、その人の行動を予測できると考えるのは愚かなことだ。

MBTIのフィードバック・カウンセリングを行うにあたって、年末年始に「ユング心理学入門」を読み返していたのだけど、著者の河合隼雄さんが、この点に言及していて、ふむふむと感じ入った。

まず、タイプを分けることは、ある個人の人格に接近するための方向づけを与える座標軸の設定であり、個人を分類するための分類箱を設定するものではないことを強調したい。類型論の本を初めて読んだようなひとがおかしやすい誤りは、後者のような考えにとらわれてしまって、すぐに人間をA型とかB型とかにきめつけてしまうことである。こうなると個々の人間は分類箱にピンでとめられた昆虫の標本のように動きを失ってしまって、少なくともわれわれ心理療法家にとっては役立たないものとなってしまう。(*1)

人の性格を類型化するタイプ論というのは、個人の人格をより深く理解するための「座標軸」を提供するもので、個人を分類するための「標本箱」ではないのだ。今ここに生きている人の考え方や行動を決めつけるような理論、メソッド、ツールではない。送り手はそういう取り扱いをしてはならないし、受け手もそういう受け取り方をしてはならないのだ。絵にすると、こんな感じかな。

Photo

*1: 河合隼雄「ユング心理学入門」(培風館)

2014-07-25

MBTIを用いたキャリアカウンセリング

●まえがき
ごくごく細々とですが、私とFacebookでつながっているお知り合いの方向けに、個人あるいは6人以内のグループで、MBTIという性格検査(Web受検後のワークショップ含む)を承ります。

MBTIを提供(購入・フィードバック)できる認定ユーザーは国内に900名ほどいるのですが、大手・外資系企業の一部に活用の場が偏っている感があって、私が懇意にしているWeb業界では耳にすることがありません(知らないだけかもしれませんが)。ですから、自分の身近で興味のある方がいたら、受ける機会を提供したいなというのが一つ。

先々の予測がままならない時世・業界では、数年・数十年後の世の中を占う以上に、自分自身のことをより深く理解しておくことが、自分のキャリアを歩むのに有用ではないか、という想いがあります。己を知っていれば、めまぐるしい変化にも都度、自分がどうしたいのか、どうすべきか、柔軟に短期間で見極めて舵取りしやすい。そうであれば、MBTIを受けることが自己理解ひいてはキャリア形成の一助になる方もあるのではという期待が一つ。

いつでも誰にでも有効だから、ぜひ!とは全く思っていません。とりあえずこのページにご案内をおいておきますので、数年先でも何か思うところがあって活用してみたくなったら、気軽にお声がけください。

●MBTIとは
MBTIは世界的に活用されている性格検査の一つです。現在は21言語に翻訳され、50ヶ国以上で利用されています。利用者は米国で年間300万人、世界で年間500万人ほどです。

欧米諸国では学生がキャリアを検討する際の動機分析に使われており、産業界では社員のコミュニケーション力向上、キャリア開発、チームビルディング、多国籍企業における社員間の異文化理解などの研修で活用されています。米国では優良企業番付Fortune100社のうち、7割が研修に利用しているポピュラーなものです。そのほか、コーチングや教育者の訓練、変わり種としてはピッチャーとキャッチャーの相互理解を図る目的でメジャーリーグでも採用されています。

MBTIは、分析心理学の創始者であるカール・グスタフ・ユングが提唱した心理学的タイプ論をベースに開発されており、1956年の初版以来、50年以上の研究開発・活用の歴史があります。

性格検査といっても、MBTIは人の性格を分類するための診断ツールではありません。性格の良し悪し、能力の高い低いを測定するものではなく、選抜や選別、評価の場面で利用することは堅く禁じられています。

MBTIでは検査の結果をあくまできっかけとして使い、ご本人がワークショップを通じて自分のタイプを検証する過程で自己洞察を深めていくことを重視しています。ですから「受検してレポートだけ受け取って終わり」ということはできません。必ずWeb受検の後に、MBTI認定ユーザーと対面でのフィードバックが必要です。
※Web上で簡単に受検できるようになっているものは(アルファベット4文字で分類する性格診断)、この構造が破綻しており、正規のものではありません。

性格診断ツールの類いはネット上でもよく話題になります。それらほど手軽ではありませんが、信頼性・妥当性が適正に検証された心理検査を活用し、ワークショップを通じてじっくり自己洞察を深めてみたいという方は、お気軽にお問い合わせください。

●対象
・自分について理解を深めたい(自分の強みや特徴、らしさを知りたい)
・今後の自己成長に向けた課題を知りたい(死角になっている自分の弱点を知りたい)
・人とのコミュニケーションを円滑にしたい(どうしてうまくいかないのか知りたい)

●前提条件(気になることがあれば、お気軽にご相談ください)
・私とFacebookでつながっているお知り合いの方
・都内で4時間程度のフィードバック時間がとれる方
・18歳以上
・母国語が日本語の方

●費用(MBTI実施にかかる実費は、ご負担いただきます)
MBTIタイプ入門(第6版):2,160円
MBTI Form M Profile(Web版):1,940円
合計:4,100円(税込)
※必要に応じて、フィードバック時の会場費が別途実費でかかります。

●ステップ
お申込みは、個人・グループ(6名様まで)のご希望に応じて承ります。グループをご希望の場合、受検はお一人ずつWeb上で行い、フィードバックをグループで行います。

1.申し込み、2.実費振込、3.Web上でMBTI受検、4.フィードバックの順で進めます。まずはメール、SNS等で受検の意向をお知らせください。

●申込み・問合せ方法
日頃私と連絡をとっている手段で、お気軽にご連絡ください。

2012-09-23

MBTI次の一歩

少し前に書いた「MBTI復活」の続編。そこに、

この後もうお一人練習台を買って出てくれた友人がいるので、こんな感じで細々活動を再開していけたらなと思っている。

と書いたけれども、その「もうお一方」のフィードバックを先日、平日の晩に行った。とても面白かったと言ってもらえて、少し自信がついた。心底ありがたい。分かりやすかったし、もっと広く展開していいと思うと言ってもらえて、次の一歩に進んでいいかなという気持ちになれた。次の一歩をこれと決めていないが…。

あと、妄信的にMBTIって素晴らしいって感じではないスタンスがよかったとのこと。こういうメソッドとか手段って、やる側が妄信的になったら受ける側はたまんないなって思うので、それは絶対ない。MBTIやユングのためにやっているんじゃなくて、その人に利があるためにやっているのだ。

というわけで、誰のどんなシーンにも使える万能薬とはまったく思っていないので、会ったときに勧誘するとか、そんなことはないです(笑)。むしろそれを懸念して私からは一切口に出さないと思うので、興味のある方は気軽に声かけてください…。

さて、このフィードバック、まずはMBTIがどんなもので、どんなふうに人の性格をとらえるのかお話しして、事前にWeb上で受けてもらった性格検査のレポートをお返しした後、レポートはあくまで自己洞察のきっかけに留めて、あれこれ演習をやりながら自分で自分のタイプを検証していったり、そこで自分と他者がどんなふうに違うのか具体的に理解していく時間をもつ。

ということで、一通りのフィードバックを終えるのにどうしても4〜5時間かかってしまう。が、前回は朝から始めて10時〜13時、14時半〜16時半の5時間くらい使ったところ、今回は19時半〜23時半の4時間くらいで終えた。個別のフィードバックであれば、平日晩でもやれないことはないか、という感触を得た。個人差もあるので一概には言えないけれど。

あと、グループで行う場合は、やっぱり休日に開いて、朝11時〜13時、14時〜17時の5時間くらいみたほうが良さそうだ。グループセッションでは、6人くらいが上限になる(新米のMBTI認定ユーザーの場合)けれど、実際に同じワークをやってみて、性格タイプの違う人がどんなふうに自分と異なるアウトプットを出してくるかを目の当たりにするのは、自己・他者理解にとても有意義なので、グループセッションもできたらいいなぁと思う。

一旦「MBTIってこんなもの」って話をする場をもって、希望があれば後日Web上で質問紙に回答してもらって、別途フィードバックのセッションをもつというのでもいいか。そういう2回構成だと、平日の晩やるのも個人差なく現実的だ。

と、そんな感じでこつこつ。今回やったフィードバックの経験と反省をもとに改善を加えたので、次の一歩へ進んでいこうと思う。

2012-08-16

MBTI復活

ユングの心理学的タイプ論をベースに開発された「MBTI」という性格検査があって、それの認定ユーザー資格をもっているのだけど、ここ2年ほとんど手をつけずにきてしまった(一般に心理検査の類いは自由な購入ができず、有資格者のみ購入したり受検者にフィードバックできるという規約のもと取り扱われているのです。これも然り)。

のだけど、うーん、そろそろ時期だなぁという風を感じて7月の頭くらいから準備を始め、いろいろ勉強し直したり、ワークショップの資料を整えたりしてきた。それで今日が実践再始動日。事前にWeb上での検査を受けてもらっていた方と時間をもって、久しぶりにフィードバックを行った。

久しぶりといっても、そもそも2年前に資格を取った直後にフィードバックを手がけたのが2名だけなので、今回が実践の始まりといっていいくらいなのだけど…。とにかく今日お一人やって、この後もうお一人練習台を買って出てくれた友人がいるので、こんな感じで細々活動を再開していけたらなと思っている。

特に本業に取り入れる具体的な計画を立てているわけでもなく、自分の人生の中のどこかにそういう活動時間を組み込んでいく頃合いだな、という風をどこからともなく感じたので、それに素直に応えて復活させただけなのだけど、まぁたぶん間違っていない。

本業の「研修を作る」って仕事は、対象者が「集団」になるので、分析するときって、その集団にどんな「共通点」があるかが大きなポイントになる。共通で抱える問題点は何で、共通で目指すゴールはどこで、その受講者属性にはどんな類似性が認められるか。それを踏まえて、どういうアプローチで研修プログラムを組んでいくのがよいかを検討して設計する。これはこれで、提案書や設計図を模索する中でずいぶん鍛えられたし、問題解決の大事なアプローチの一つだと思っている。

けれど、対象者が「集団」ではなく「個人」であるという、そこにはまた別のアプローチが必要だし、そこにはそこの意義がある。そのときに必要なのは、とことんその個人の個別性に迫っていくこと。その人個人に深くもぐっていくこと。

そこのサポートに自分の人生の中の時間をいくらかでももちたいという思いが、一定の形をなして浮上してきたということなのか。もともと個人に向き合う仕事をしてきた期間はけっこう長いので、ここしばらく法人の問題解決に集中して時間を割いてきて、ここらで「個人」「法人」双方に目を向けたくなったのかもしれない。

かもしれない、くらいでしかないけれど。それに、5割5割で両立できるほど簡単な仕事じゃないし器用でも有能でもないので、今のところのイメージは本業でこれまでどおり法人のお仕事をしつつ、個人に向き合うところは自分の時間の中でできることを細々やっていけたらなぁというイメージではある。

いずれそのバランスを見直す時期がやってくるかもしれないけれど、そのときにはまたそのときで風が吹くんだろう。とりあえず、自分のなす仕事がきちんと意味あるサポートになるように、そっちの仕事力も磨いていかねば…。

特段MBTIにこだわるわけではなく、キャリアカウンセラーとして個人と向き合うことを大事にしていきたいなという思いなんだと思う。ただMBTIは従来の性格検査とちがって、自分のことや人を深く理解するのにとても有効なメソッドだと思うので、こういう枠組みにも必要に応じて力を借りながら、キャリアカウンセラーとしてできることをしていけたらなと思う。

ちなみに、MBTIが従来の性格検査とちがってユニークなところを2つ挙げると、後天的に身につけた役割性格(パーソナリティ)ではなく、もって生まれた性格(キャラクター)をとらえる点。それから「積極性」とか「協調性」とかいうように、何らかの集団の中の基準と照らし合わせて程度が高いか低いかで相対評価する特性論ではなく、その対象がもつ個別性で類型化するタイプ論であるところ。相対的ではなく、絶対的なものの見方をするところが気にいっている。気になるわーという方、私が成長した暁にはぜひ…。

2010-12-16

純粋な興味

久しぶりにMBTIネタ。11月にMBTI認定ユーザー対象の大研修会というのがあって参加してきた。後日、そこで感じたことをユーザー向けニュースレターに掲載するので原稿を書いてほしいという依頼があってお受けしたのだけど、原稿を書いて、出す前に依頼書を読み返してみたら、大研修会の中でも午後のセッションで得た学びについて原稿を書いてほしいという依頼だったことがわかり、もう1本書いて出した…。

でも、初めに書いた原稿のほうが自分にとっては参加した意義を感じているんだよなぁということで、それはここに残しておく。文章はちょっとラフに変えるけど、気持ちはそのままに。

園田先生が会の締めくくりに話されたことが一番の印象に残っている。技術も方法論も大事。だけど、“目の前にいる人に対する純粋な興味を持ち続けること”が何より大事なのだと。最後にこれをもってくるかぁと感服。というか、はっとさせられた。人格者だなぁと尊敬する人は、こういう押さえをほんと欠かさない。

トレーニングに参加したり、関連する文献を読んだりしていると、専門的知識・スキルを身につけようと頑張った分だけ、その人よりその人のことがわかるような錯覚に陥りやすくなる、その危険性に対して自分が無防備だったことにはっとさせられた。

確かにMBTIの理解は簡単なものではなく、認定ユーザーでない人に比べて、ある面では人間の心に対する理解の深さを持ちえたと言えるかもしれない。けれど、どんなに専門性を磨いても、本人の心は本人にしかわからないのだという前提を忘れてはいけないし、本人より自分のほうがよく見えているといったおごりに振り回されてはいけない。

その当たり前のことを阻む落とし穴が、より高い専門性を身につけていく過程にも潜んでいることを自覚した。そういう意味で、今後経験と学習を積み重ねていく基盤固めができたと思う。

河合隼雄さんが、著書「昔話の深層 ユング心理学とグリム童話」に書かれた一節ともリンクした。

われわれは太陽について、雨について、あまりにも多くの知識を得たために、太陽そのもの、雨そのものを体験することができなくなった。

太陽や雨のところを、「人の心」に置きかえて読み返してみる。

最後の「できなくなった」を「困難になった」に読みかえて、困難と知り、なお乗り越えていきたいと心に思う。素の私がもっている「目の前にいる人に対する純粋な興味」、そして「敬意」を大切に持ち続けて、今後も人の心に関わり、人のキャリア支援に仕えていきたいと思う。

2010-08-24

初めてのフィードバック

日曜日の昼下がり、私は待ち合わせに指定された恵比寿のウェスティンホテルを訪れた。と書くと、なんだかオー・シャンゼリーゼーな物語の始まりふうだけれども、1Fのラウンジに腰をおろし、14時から19時過ぎまで半日濃厚にキャリアカウンセラー業をしてきた。

私としては、MBTI認定ユーザーとして初の受検者へのフィードバックだった。事前にWebで受検いただいておいたものから結果報告書を用意していって、MBTIに関する解説に始まり、レポート結果のフィードバックと各種検証のセッション、その後一連の検証を踏まえてのカウンセリング的な話に展開していき、一通り落ち着いて時計に目をやったら5時間強が経過していた。

今回は相手が2人だったけれど、1人でも数人のグループ単位でやってもおそらく同程度の時間に落ち着くと思われ、個人差があるにしても少なく見積もって4時間、休憩を入れつつで考えると6時間のセッションとして事前にお伝えしておくのが良さそうだ。実際、ほかの認定ユーザーの活動をWebで垣間見ても、同程度の時間をつかってセッションをやっている。

次からはしっかり休憩を入れる想定で、6時間コースと事前アナウンスしよう…。あと、まずは私自身の体勢をしっかり整えるのに、知人限定で10人、実費3,990円(受検料2,100円と解説用の冊子代1,890円)のみでやる。その先をどうするかはまたそのときに考えるけど、とりあえず今4人まで決定。って値段も踏まえ、興味出てきた方はお声がけくださいませ(笑)。もちろんまずはどんなものか話して、受ける意味を感じられた場合しか事を進めないのでご安心を。目的によるけどグループでやったほうが人の違いが体感しやすい。

10人経験して基本的な体勢を整えたら、自分がWeb業界を中心に人のキャリアを支援する専門家として、研修稼業とべつに、キャリアカウンセラーとしてのシゴトをしていきたいと思う。まぁ本業のことを考えると、割ける時間は限られるけれど、小さくとも確実に意味のあるシゴトをしていけたらなぁと思う。

で、今回のセッションで、ひとまず「やってよかった」と思ってもらえたことに胸をなでおろしているのだけど、もちろん私自身も学ぶところが多くあった。その最たるは、これがまさしくMBTI認定ユーザーは「二重の専門性」が求められるってやつかと実感したこと。MBTI認定ユーザーという資格は、それだけでどうにかなるもんじゃないとされていて、その人がこれと別にもっている専門性をもってして、この道具をうまく従えさせて人の成長をサポートするのだという思想に立っている。だから、MBTIは人の成長に関わるあらゆる場で活用できるものだけど、各認定ユーザーは自分の専門領域内でしか使ってはならない。

普遍性も汎用性も半端ないメソッド・ツールなので、ただそれを認定ユーザーとして取り扱うというだけでは支援として底が浅くなってしまう。使い手がどれだけこれの本質的な価値を理解しつつ、これに使われず、本来の自分の専門性をもってこれを従えさせられるか、応用できるかが問われていて、そういう意味でも良い刺激をもらった。

自分が人として成長を遂げた分だけ、それとうまくつきあえるようになる、うまく扱えるようになる。小手先のテクニックで上手い下手が出るのでなく、人として本質的なところを磨いていくと、それがより道具として手になじんでくる、私はそういうものが好きだ。そういう道具とつきあいたい。だから、まだまだ手になじむと言えるまでには長い道のりだろうけど、いい道具を見つけたなーと思う。

で、しばしここでの話がこっち系に偏り、こういうのって語り続けているとちょっと怪しい印象がわいてくるので(笑)、これからしばらくは水面下で修行しながら小さなシゴトを積み重ねていきたいと思います。

2010-08-16

MBTIを語る

MBTI認定ユーザーとしてのシゴトがようやっと本格始動した。数ヶ月前に合格通知は受け取っていたものの、本業の立て込み具合がなかなかおさまらず、しばらく手つかず状態できてしまっていた。そこでちょっと一呼吸したタイミングで腰をあげて、受検者のフィードバック用のスライドをまとめながら知識の再構築をした。これが大変に勉強になった。

やっぱり書くでも話すでもアウトプットすると、その試行錯誤過程で濃厚なインプットが得られる。というか、自分の理解がいかにあいまいなものだったかを思い知らされた。何かを理解するなんて、ずっとその繰り返しなんだろうけど。純粋なインプット作業だけでは、自分で使えるものとして実は全然インプットされていないものだなぁと、アウトプットする度に実感する。

専門家としてMBTIを解説し、演習をファシリテートする腕力を磨き上げるにはまだまだ経験と訓練が必要だけど、とにかく自分の中で認定ユーザーとしての本当の第一歩が踏み出せたなという感覚を得た、のが今日だった。ここ数週間で下準備をして、今日スタートを切ったという感じ。

以前このブログでMBTIについて書いたとき、それを読んだ友人が詳しく話を聴きたいと連絡をとってきてくれたので、今日その友人の同僚さんも一緒に3人で会って、MBTIというのがどんなもので、どんなふうに他の心理検査と異なり、どういうふうに役立てることができるのかといった話をしてきた。

13時になんだかおしゃれなカフェで落ち合って、ほぼその話に終始してお店を出てきたのが16時過ぎ。3時間くらい話をしていたことになる。普段3人以上が集まったしゃべり場ではメインの話し手になることが少なく(ときどき猛烈にしゃべるけど)、だいたい全体のうち1~3割くらいのしゃべり時間に留まるのだけど、今日は7割くらい自分がしゃべっていた気がする。とにかくよくしゃべった。

扱っているのが「人の心のはたらき」とかいう濃厚なテーマなので、話す側の私もだけど、聴いている側の2人も途中「汗かいてきた」と言っていた。話を聴く側もたぶん、自分の心をすごく使う。私の説明能力の問題もあるだろうけど…、さすがに心のことを話していると心も無関心ではいられないようで、耳をダンボにして聴いているんだろう。

で、やっぱりこれはしっかりシゴトとしてやっていきたいテーマだな、と今日改めて思った。MBTIを通じて、だからできること、これまではなかなか実際的に手をつけられなかった領域のサポートができる気がする。ここ数年は本業に明け暮れていて、最近はほとんど法人向けの仕事をしている。それはそれで有意義だから本業はそこでいいのだけど、それがおろそかにならない範囲で、本業と別に個人のキャリア支援も続けていけたらいいなと思う。1対1で向き合うからこそできるサポートの領域と深さは確実にあるので、それはそれで細々とでも個人ワークとしてやっていけたらなと。

あと、MBTIを機に久しぶりにキャリアカウンセリング領域の対話を人とする機会が増えているのだけど、そういうところに入ると自分の心にものすごいドライブがかかるのがわかる。高揚する感じとも違うんだけど、人の話を聴いていると、自分のなかでいろんな洞察が働いて、いろんな関連づけが行われて、いろいろなストーリー展開が描かれて。でも、それに振り回されずに傍観している自分もいて、決めるのはあなたじゃないよ、本人だよ、と冷静に自分をみて静かに自分の舵をとっている。そのさらに根っこにあるのは、自分でも何によっていつ頃生まれたのかよくわからないけど、こういう形で社会に仕えたいのだという静かで安定した熱っぽいもの。

うまく表現できないのでなにかへんてこな言い回しだけど、これまわりのこと以外は本当に感度が低かったり無関心だったりなので、自分の特質みたいなのを、うまく社会に役立てていけるといいなと思う。資質がありそうなところをきちんと磨いて鍛えて、より高い専門性と志と倫理観をもって仕えていけたらと思う。職場ではたいてい「hysさんは常に淡々と仕事をしている」と言われるのですが、実は静かに熱っぽいのです、えぇ。

2010-04-14

MBTI認定ユーザー資格

合格通知が届いた。なんだか猛烈に忙しいときに届いて、喜びをじーんと堪能できない感があるのだけど、とにもかくにも良かった!資格取得はあくまでスタート地点にすぎないのだけど、スタート地点に立てたことが嬉しい。

以前「頭と心の猛特訓」のなかで、ちょっとわけのわからない猛特訓の話を書いたのだけど、あれはMBTI認定ユーザー資格取得のためのトレーニングを受講していたのでありました。その合格通知を本日受け取って、ほっとしたというわけです。

で、MBTIって何?っていう話なのだけど、これはユングの心理学的理論をもとに開発された性格検査。米国で年間300万人、世界では年間500万人、世界的に最も活用されている性格検査の一つです。人の成長に役立てることを目的に、心理臨床やキャリアカウンセリング、リーダーシップ開発、チームビルディング、エグゼクティブ・コーチングなんかで企業でも多く採用されているもの(と、ひとまず教科書的解説)。これの何が尊いのかとか、その辺りの話はまたいずれ(ってそこ話さないと結局よくわからないままなんだけど…)。

これを扱うには、専門的な訓練を受けて審査に合格することが必要とされていて、それが受かると晴れてMBTI認定ユーザーの仲間入り。日本には900人強の有資格者がいるようなのだけど、Web界隈に根をおろして、そこで活躍する人たちのキャリア支援に仕えたい!と思っている認定ユーザーはそんなにたくさんいないと思うので、本当にそういう力として使えるようにしていきたいと思います。

とにもかくにも、なんだか本業の企業研修の仕事が日に日に増えていって、さらにまだまだ増えること必至な感じなので、その一つひとつを大切にして、着実に一歩ずつ、貢献できることの厚みをましていけたらと思っています。

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