2023-01-21

恥ずかしくても今言わなきゃダメなこと

父が年始早々に出先の階段で転んで、しばらく緊迫した状態が続いた。頭を打ったといったことはなさそうで、CT検査もしたが異常は見つからず、その点はまず安心したのだが、とにかく心のショックが今回はとても大きなものとなり、気丈な父が、発覚時には衰弱といってもいいくらいの容態だった。

父のことを、ここであーだこーだとやみくもに書くわけにもなかなかいかないが、ともかく「これは家族総出で気合いを入れて助けるぞ!」という認識が、われら兄妹間で言外に共有され、いつもにない活発なやりとりがしばらく続いている。

兄は早々にしばらく実家に住み込むこととし、私はその一件が発覚した後、実家に駆けつけてベッドに横たわる父のおでこをすりすり、ほっぺをなでなでして、穏やかな声で言葉をかけて心をさすった。

大人になってからの私たち家族は普段、体にふれるコミュニケーションを文化や習慣としてもっていないが、今回ばかりは極めて原始的なコミュニケーションが大事に思われてならなかった。

だから私は家に帰るやいなや、ベッドに横になっている父のところに行って声をかけ、おでことほっぺに手をあてた。娘にそんなことをされては、むっとするかもしれないと少し構えたが、そのときの父は反発する様子もなく、それで、これは相当に堪えているなと思った。

しばらくして起き上がる気になった父が、ベッドすぐ脇の椅子に腰かけるのを手伝って、私はそのすぐそばに腰をおろし、じゅうたんにあぐらをかくような格好で座りこんで父の話を聴いた。どんなことが起きて、どんな気持ちがして、どんなことを考えて、どんなふうに気がふさいでいったのか、父が記憶をたどりながら率直に話していく。

父が見た光景をイメージしながら、私は脳内でシーンをたどった。転んだときに聞いただろう大きな音、物の散乱、体がぶつかる衝撃、視界に広がる冬空のあっけらかんさ、肌に触れる地面の冷たさ、現実問題どうやって家に帰ろうかと迫る不安、立ち上がってもふらふらして何度か続けて転んだことで負った心の傷、動揺と緊張、悔しさやふがいなさ、さまざまな感情が湧いては絡み合って、諦観なのか自暴自棄なのかわからない無気力に飲み込まれていく夜、朝、昼、夜、朝、昼、夜の繰り返し。

というのは私が話を聴きながら再生した半分妄想であって、実際がどういうものかは本人にしかわからない(あるいは本人にも精細には把握ならない)わけだが、すごく心細かったし、すごくショックを受けただろうことを察して気持ちを汲んだ。

しかし、会って直接話を聴いたことで、私はずいぶんと落ち着いた。会いに行くまで、兄などと連絡をとりながら、できるかぎり事前に正しい事実情報を集めて状況把握に努める一方で、会ったときに自分がショックを受けてたじろがないように最悪の容態を想定範囲内に入れていた。どんな様子であっても、とにかく落ち着いた心持ちで父を温かく包みこもうと心に決めて出かけた。だから会って、父があれこれと話をするのを聴いて、とにかくほっとした。

その日、仕事から帰ってきた兄と入れ替わりに、私はいったん東京に戻るねと父に声をかけた。私を駅まで車で送ってくれる準備で兄が部屋を出ている間に、横になっている父のところに行って手を握った。父は目を閉じていたが、私の声を聞いているのがわかり静かに続けた。

◯子(妹)も心配してたよ。私たちみんなにとって、お父さんは大事な人なんだよ。お母さんとおんなじだけ、大事な人なの。だからお父さんも大事にしてね。

正直、たいへん恥ずかしい。私はそういうことを言う柄じゃないし、恥ずかしさとも別のなんだかよくわからない感情もわいてきて涙がこみ上げてくる。だけど、今、父に、このことを言葉にして伝えなきゃ、いつ言うの、今でしょ!なのだった。それが父にどんな意味をもつかはわからないけれど、これがそのとき私がやれることで、思いつくかぎり一番のことだった。

父は体を動かさず、とくに返事もせず、目をつぶったままだった。兄が部屋に戻ってきて、私は家を出た。

しかし、その翌朝から父は明らかに変わった。転んだ日から数日寝たきり状態でふさぎこんでいたのが、声がけした翌日から自分で起き上がるようになり、食事をとる気になり、寝たきりと意識的に決別したのがわかった。兄が作るご飯を食べ、数歩、数十歩、室内から屋外、車移動だけから徒歩移動を取り入れるというようにして、日ごと段階的に運動量を増し、活動範囲を広げている。

父の歳では、数日間寝たきりにした体の筋力や体力を取り戻すのに、そこそこ期間を要するだろう。けれど、ベッドに横たわる父に声をかけたあの日とは全然違う顔つきで、気力を取り戻していっている。それが本当に嬉しい。

これは年齢問わずだが、人間ひとりの中にはいつだってたくさんの気持ちがあって揺れている。父もまた今その全部がポジティブなものではないだろう。私たち子どもらの気持ちも、励みとする面もあれば、いくらかは重たく感じている面があるかもしれない。老いとどう向き合っていくかだって、父が自分の人生をどう生き抜いていくかだって、私たち子どもらには想像及ばぬところがたぶんにあるのが当然だ。

それはそれとして、本人にはできないことが、家族にできるってこともある。気持ちというのはどうにも、自分ひとりでは立て直せないときがある。そういうときは身近な人間、私たち家族が力づくでそこから引っ張りあげて、こっちだ、こっちだよって声をかけ、その耳に直接届けることが意味をもつんじゃないか。

それがどれくらいの実効性をもって変化を生むかはわからない。けれど、外から引っ張り上げようという力が自分に働いていることは感じ取れる。それが本人の気力を引き出して、ぐいっとこちら世界に戻ってくるエネルギーを作り出す、そういうことがあるんじゃないかと信じたいし、私にできることはそれしかない。

そのとき、「今ここ」を逃しちゃいけないんだと強く思うのだ。今ここで伝えなきゃダメなことってのがある。言葉にして伝えなきゃ伝わらないことがある。本人には、どうしようもならないときがある。私はそれを見逃さず、取り逃がさないでいきたい。それが年始から掲げている洞察力と機動力なのだった。そんなこんな奮闘しているうち、私はどんどん柔らかくなっている気がする。どこに到達するのかは皆目よくわからないんだけど。

2023-01-18

クラフツマンシップの伝承は、いかに成せるか

テキスト:分けられないものを明確に分けた途端に消えるものを魂という

昨年の夏頃だったか、「クラフツマンシップ」という言葉を知った。生物学者の福岡伸一さんが著したエッセイ(*1)に出てきたのだが、日本語でいうと職人魂(しょくにんだましい)みたいなもんだろうか。「魂」だけだと精神的なものによった印象なのが「職人」と付くと、なんだか心技体をしたがえた感じ。肌合いが良くて、以来なんとなく脳裏にずっと引っかかっていた。

それから数か月を経て、あぁそうか、私は「クラフツマンシップの伝承」をサポートしたいのかもな、と思い当たった。

私は長くクリエイティブ職向けの研修サービスを仕事にしてきたが、「クリエイティブ職向け」というのが割りと肝で、これを取り去って全業種対応のリーダーシップ開発とか仕事基礎力とか汎用的な研修テーマを扱う仕事には、まるで食指が動かなかった。そちらに軸足を置いたほうが市場は大きいし、人材開発を専門的に指導してもらえる諸先輩がたとの出会いも多くあろうが、そういうのを扱う研修会社に転職したいという気はどうにもわいてこなかった。

より正確に言うと「職種」には何のこだわりもないのだが、「作り手」「作る会社」「作る仕事」を人材開発面から支援する道を大事にしたいという思いが強い(そこが原点なので、その理由は?と問われても困るのだが)。そこに「クラフツマンシップ」というコンセプトをみることができるのかもしれない、そんなことを年末に思ったのだった。

ひとまとまりの「何か作る」という職人的な技能を教えようというときに、まず思いつくアプローチは、作る過程をいくつかの工程に分割して(例えば調査・分析に始まり、企画・設計、制作・開発とたどるような)、工程ごとの具体的な仕事、役割、必要な能力など洗い出し、それを身につけるにはどうしたらいいかを考案して、それを学習プランに展開すると、そういうところかと思う。

が、この職務分析の過程で、できるだけ小さい単位に、網羅的に、その職業を成り立たせる構成要素を解体できればできただけ、その学びは成功確率を高め、学習は能率化されるのか。解体した要素を段階的に、全部身につけ終えたら、その人はいっぱしの専門家になれるのか。その道筋は学習プランとして、職業的な育成プロセスとして、本当に最適で健全で現実解と胸張って言えるのか。

そういうことを考えると、どうも机上の空論のような浅はかさを感じてしまうのだ。なんというかな、「人間なめてんのか?」みたいな気がどうしても、むくむくわいてきてしまう。

これを、まだ全然、明晰な言葉でしゅばっと人に伝えられるレベルに整理できていない。ただ、このむくむくの背後でどっしり構えて、じっと静かにこちらを見据えているのが、河合隼雄さんの遺した、この言葉だ(*2)。

分けられないものを明確に分けた途端に消えるものを魂という

ビジネス場面でいう「調査・分析」工程では、できるだけ精緻に網羅的に、それを把握して言語化するということを目指しがち。けれど、そうした解体作業の途中で、うまく言葉にはできない、工程と工程と間をつないでいる不可視のもの、背景にあって像を結び統合しているものを言葉にし損ね、認識し損ねて、取りこぼしてしまうものがあるんじゃないか。そのことに対して、もう少し慎重にあたらなくてはならないんじゃないかと思う。

人材育成のやり方も、ある職務の「能力開発」で枠組みせず、人の人生に通じる「キャリア開発」の文脈も併せ持ってみると、ちょっとアプローチが変わって見えてくるかもしれない。パーツパーツの作業なり専門能力は習得させられても、クラフツマンシップの継承がうまく成せるかは、また別の視点が必要になりそう。

そういう奥行きをもって、何を継承すべきなのか、何は安易に継承しようなどと考えず個々のものとして独立・断絶すべきなのか、継承したいことを伝授するのにそのままパーツパーツを教え込むことが本当に最適解なのかどうか、そういうことに高解像度で取り組んでいく仕事ができたらいいのかもしれないなぁと思うのだが。ともかく、もう少し人に伝わるレベルで頭の中を整理しないといけない。

*1: 福岡伸一「ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで」(文春文庫)
*2: 小川洋子・河合隼雄「生きるとは、自分の物語をつくること」(新潮文庫)

2023-01-16

激流に揉まれてこそ得られる成長もある

年始からこのかた、それどころではない!ことが次々に立ちはだかり続けている。それ2コ前の話にも同じこと書いてなかった?という感じなんだけど、書いた後にもまた別のところから別のことが立ち上がってきて、こっちのほうが先決だ!という事案が割り込んでくるのだ。諸行無常の響きが鳴りまくっている。おかげさまで、寝ぼけていた機動力も洞察力も使いまくり、寝た子らも完全に覚醒しました、もう大丈夫です!みたいなイベントラッシュである。

おもしろいのは、そういう激流に揉まれる中で交わされる人とのコミュニケーションが実に温かく、その熱を直接に肌で感じている自分に出会うこと。直面する事柄についても、これまでは少し距離をとって観察していたようなのが、今は現場に出ていって自分が直接に素手で物事に触れそれを動かしてみようと試みている。

変わるかどうかはわからない、私にはどうしようもないこともたくさんあるわけだが、私は変える気があると働きかけてみることはできるし、どう働きかけるか知恵をしぼり言行を試行錯誤することはできる。その試みに意味はあるだろう、少なくとも自分に後悔は残らないだろうと。

ここひと月ほどの奮闘で、私は自然児としての心もちをずいぶん取り戻したように思う。極まった人のそれと比べれば、ごく常識人としての小さな変化にちがいないが、私としては、これが自分のニュートラルというところに戻ってきた気もする。自分が思ったことを大事にする、こうだ!こうしよう!と思ったら、その自分が思ったことをきちんとやりに行く。そういうことを取り戻してきている気がする(道半ばと思うが)。

これって、激流に揉まれてこそって気がしていて、自分でそんな変容ってなかなか遂げられないんだけど、そういう環境に取り囲まれてこそ本来の自分を取り戻すとか、成長していく機会を得るって、おうおうにしてあるのが人間のおもしろいところだと思うんだよな。

だからできるだけポジティブに、この激流を経験してみたいと思う。肥やしにしたり、また人と深く関わっていったり、人への思慮深さや優しさをはぐくむ機会にしていきたいなって思う。健康に、身軽に、一番大事なものから一つずつ、着実に果たしていこう。

2023-01-12

オウンドメディアで記事を書く第4弾、からの実務トレーニング課題に必須の「文脈」情報について

最近、勤め先の自社メディア「ToCreator」で読み切りの記事を書いているという話を以前ここにも公開録として残したが、その第4弾が新年早々にアップされた。

ゲーム業界の転職、応募先企業選びの落とし穴!選考がとおらない理由は、その一歩手前にあるのかも!?(2023/01/06)

求人サイトで検索して、出てきた結果から「気になる企業」「ピンと来た求人」に応募するも、選考がうまく通らず転職活動が行き詰まってしまったという方に、一つでも「おっ」という気づきがあればという思いで、応募先を選ぶときにはまりがちな落とし穴を掘り下げてみた記事。ゲーム業界に限らぬベーシックなポイントですが、ご関心ありましたらお目通しください。

それはそれとして、これら4つの記事を作成する仕事時間で、私が何をやってきたかをざっくり書き起こしてみると。


  1. 下ごしらえ:オウンドメディアの役割や編集方針を踏まえつつ、記事ネタを個人ブレスト。現場メンバーに具体的な聞き込み調査をできるようヒアリング項目や質問の仕方を整理
  2. 聞き込み調査:社内の現場の人たちに話を聴く会を設け、自分のネタ案を話の枕に(あくまで皆が案出ししやすくなる刺激として提示)、何が有効な記事ネタになりそうかヒアリング&相談
  3. 起案と合意形成:その場でオウンドメディアの役割や編集方針に照らし合わせつつ記事ネタを発掘し、「こういうネタで、こういう構成はどうか」と提案、テーマと構成を現場と合意形成
  4. 構成・執筆・図案作成:「オウンドメディアの役割や編集方針」「現場から得られたエッセンス」「想定読者に役立つ視点やノウハウ」を踏まえ、単発で成り立つ記事執筆&図案作成
  5. 制作依頼:テキスト原稿と図案を提出し、現場メンバーと、メディア制作側のメンバーに共有。意見をもらって手を加え、Webページ制作を依頼
  6. 校正・仕上げ:Webページ化されたものを確認して校正を入れて修正依頼をかけ、仕上げて公開してもらう

という感じなのだけど、これって1本書き上げるまでに、けっこういろんな種類の仕事力を組み合わせてやるものだった。仕事規模としてはコンパクトなのだけど、それだけに一連の工程に全部メインで入って動かしていくので、用いる仕事力のバラエティは豊か。

というのを通して、全部を「通し」でやるのでも、「部分」を取り出してやるのでも、実務トレーニング課題として使いやすそうだなぁって、あさって方向から感じ入ってしまった。

扱うオウンドメディアを自社で運用するそれに入れ替えれば、いろんな会社で、このトレーニング課題キットは使えそうである。ライターは外部委託して書いてもらっているというところでも、メディア運用のさまざまな能力開発の実務トレーニング課題を、このプロセスをシーン別なりスキル別なりで要素分解した素材から引き出せそう。

なぜ、そんなあさって方向に気がなびいたかと言えば、Off-JTの“実務トレーニング課題の出し方”でありがちな不備に「背景情報なさすぎ」問題があるからだろう。

例えばライティング能力を伸ばしたいというので「○○のWebメディアに載せる単発記事を一本書いてください」みたいなトレーニング課題を、ほとんど何の文脈情報も提示せずにやらせてしまう。

しかし、実務力を鍛えたいなら、どういうメディアで、どういう仕事現場でという「特定の文脈」というのがセットで情報提示される必要がある。文脈によって、より良いパフォーマンスも、気をつけるべきことも変わるからだ。仕事は高い文脈依存性を前提にしていて、固定ではないところにその特徴がある。

そのWebメディアは誰を読者として想定していて、アクセスしてくれた読者にどうなってもらう自社の目論見があり、その効果をみるのにどんなKPIを立てていて、年間いくらの予算で運用していて、どういうところに発信経路があって、広告予算はどうなっていて、どういう人員体制でやっていて。そういう特定の文脈・環境の中で意味ある試行錯誤は高密度に行われ、その過程で仕事能力というのは磨かれるわけなので、そこの文脈が「その辺は各々で自由に考えてやってみてください」というのでは、どうしてもおままごとになってしまう。

後で「若手の作ったアウトプットを評価してください」と言われたエキスパート陣だって、そういう特定の文脈なしにアウトプットを評価することはできない。だから実務エキスパートを評価者に召喚しても、ならではの評価フィードバックを得られずじまいである。

学習者本人にも、それを指導・評価する側にも、それを練り上げるための足場が整っていない。こういう実務トレーニング課題の出し方段階の手落ちは、わりと巷にある気がしている。

が、それでは「実務力」を鍛えるにあたって使い物にならないと思う一方で、その「背景情報」だとか「特定文脈」だとかいうのを、課題で使えるレベルまで言語化して提示するのは難しい。外部の何かを課題ネタに使おうとすると「内情」はよくわからないとなるし、それをリアリティをもって詳細に創作しようとすると、「記事を一本書いてください」というのの何十倍も、課題を出すまでの準備に手間がかかる。それをやるまでの工数は割けない、となる。

そういう意味で、上記のオウンドメディアをネタにしたトレーニング課題キットというのは、その辺の背景情報(思惑とか内情とか)がすでに社内資料として作られていたり、明文化されていなくても口頭で赤裸々に説明はできたりするから、背景文脈をセットでできる実務トレーニング課題のネタとして使えるんじゃないかなぁ、相性良さそうだなぁと思った次第だ。

話が長くなってしまった。が、実はこれに関して、あーだこーだ書いていたら手元で1万文字になってしまったので、それをバサバサと切って短くして、こうなった次第なのだった。後味として残るのは、あぁ私、書いても書いても全然文章がうまくならないなぁってことだった。

2023-01-09

SNSに書いていないことを労わりあう

今年は初っぱなから、身辺にいろんなことが起こりすぎている。いや、年明けてからというのじゃないか。あれもか、これもか…と過去を辿っていくと、昨年の秋くらいから何やら、思いがけないことが立て続けに起きている気もする。まぁ集めようとすると、どれも関連あるように見えて寄せ集めてしまうものでもあろうけれど。

それにしたって、それまでの数年はけっこう分かりやすく、私の身辺は凪いでいた気がするのだ。それが、ここに来て一気に、なにやら向こうのほうから変化を突きつけてきて、決断を迫ってくるというか。

その「向こう」というのも一つではなくて、まったく関連しないあっちからもこっちからも時期を合わせるようにして、私の眼前に変化を持ち込んできている。

しかも、そのどれも、その場しのぎで済ませられる類いではなく、今自分がどう向き合って、どう自分を方向づけて、どう行動するかが、自分はどういう人間で、自分はどう生きていくのかを結論していくような課題に感じられる。って、そう感じるのは、自分がそう捉えるように受け止めているだけのことかもしれないが。

いずれにせよ新年から、安易に扱えない事柄に、一つひとつ不器用に向き合って頭も体も心も汗をかいている。2023年は気を抜けないぞって感じがすごくしている。とかいって春にはあっけらかんとしているかもしれないけれど、どうも昨年までとは気持ちを切り替えて、ここからしばらくは超戦闘モードでかからないと溺れてしまうような。そういう気がして自分に発破をかけている。

それで思うのは、やっぱり健康第一ということだ。健康状態は、自分の結論を変えてしまう。だから、まず健康維持。それから機動力と洞察力を活かすこと。今年はこの2つを意識的に最大出力で発揮するよう心がけて、自分を動かしていきたい。これを、凪いでいた時期にちょっとどころでなく弱らせてしまった気がするので、ゆさゆさ起こしていかないといけない。あとは実際問題、そういう力を使って一つひとつのことにどう舵をきっていくかだが、素の自分がどうしたい人間かというシンプルな答えを判断軸にして方向づけていくこと。まぁ、こう書き連ねているのは一人で勝手におやんなさいという話でしかないのだが。

それとあわせて思ったのが、もうほんと、みんな声かけあって、助け合って、労りあって生きていこう!っていうことだ。そんなこたぁ、私が今さら言うまでもなく、みんな知っているし、やっているし、おまえは今頃気づいたのか!と思われること請け合いなんだけど。なんだか、すごくしみじみと最近思ってしまったのだから仕方がない。

みんな、いろーんなことを、それぞれ抱えて生きているんだよなって。そういうことこそ、SNSになんて書かないし。一筋縄ではいかないこと、誰かに任せられず自分で腹くくって自分の結論出して取り組まなきゃいけないこと、日々やり続けなきゃいけないこととか、向き合い続けなきゃいけないこととか、そういうのがすごくたくさん実はあって、それと向き合って、みんな自分の人生をこつこつ、時に心細く生きているのだ。

そういうのをさ、やっぱり労りあって、思いやって、時に助け合って、つかず離れずやっていけるのがいいよねって、思ったんだなぁ。これも今年、とても大事にしたいことなのだった。知ってはいたんだ、若い人らに説明したことだってある、だけど何度だってハッとして、何度だってしみじみ思い直すことこそ、大事なことなのだ。

2023-01-06

生まれて初めての寝正月を抜けて

年が明けた。年越しそばもおせち料理もお雑煮も食べていない、初詣にも出かけずに三が日が終わってしまった。家族にも会っていない。こんなお正月は生まれて初めてだ。

今年は文字どおり寝正月だった。体調を崩して、ずっと床に臥していた。妹に実家のあれこれの支度を全部引き継いで、私は東京にこもって昼夜を問わず8割がた横になって丸まっていた。三が日の記憶はほとんどない。ずっと夢をみていた。総勢数十人の登場人物が出演してくれたが、夢の内容も何一つ憶えていない。何が初夢かもわからない。

かろうじて現実世界の記憶としてあるのは、家族から送られてきた年始挨拶の集合写真、おせち料理や初詣の写真を見届けたこと。あぁ無事に滞りなく…と、ほっとして妹に感謝した。

お守りも昨年のものを持ったままだ、これは1月下旬までにはいつものお寺へ挨拶に行くかな。甥っ子にもお年玉をあげずじまい、2月に渡せばかえって喜んでもらえるかな。そうやって三が日にできなかったことを近いうちに取り戻す気になったのも今日のこと。もう1月に入って1週間も経過してしまった。

さて、じゃあ昨年末はうまく締められたのか。と、もう一回り時計の針を戻して振り返ろうとすると、これがずいぶん遠い記憶に感じられる。

コロナ禍に突入する前のことを思い出そうとするとたかだか4〜5年前のことでも、前世紀のことか?と思うくらい遠い昔に感じられるのは私にかぎらないと思うけれど、それと似た実際以上の距離感なり断絶感を、私は今たかだか1週間前の「昨年末」との間に覚えている。

陸の孤島で数日目をつぶっている間に、世の中がずいぶん遠く離れてしまったようだ。とにかく今は、2022年にけじめをつけ、2023年になったことを受け入れて、「発声、歩く、柔軟」という超基本的な所作を取り戻しにかかっている。

まず、ずっと声を出していなかったので、声が全然出ないのだ。美声で歌えぬまでも(もとからか)、普通に声を出して話せるレベルまでの発声力を取り戻す必要がある。これは少しずつまともになってきている。

あと歩くのと柔軟だ。体調が戻ってきて動き出せるようになったと思ったら、今朝がた腰がぎくりと来てしまった。先生いわく、ずっと寝ていたから筋力が衰えているのだろうということで、それならば安静にしていては一層ダメになってしまうだろうから、柔軟したり歩いたりして筋力を取り戻す必要があるということ。泳いだりジョギングしたりは、もう少し先になろうかな。

とにかく着実に健康を、そして元気をものにして、2023年を本腰入れてスタートしないと。

今年こそはいろんな人と会ってしゃべって、本からも出来事からもたくさん吸収して、しっかり考えたいことはしっかり時間とって考えて肥やしにして、自分を変えていきたい。本当に自分がやりたいことにきちんと向き合って、きちんと時間をとって活動して、たくさんにこにこしたいなぁ。そのためには、何はともあれ足腰だ。

2022-12-28

仕事とキャリアと人生と、ぼやけた輪郭を記述する

年の瀬も押し迫ったところで、自分が今後なにを仕事にしていきたいかをシンプルに整理する機会があった。これは、私においては「残りの人生をどう生きたものか」に直結する問いになった。

人生のなかで私は「仕事する」という活動を大事なところに位置づけている。それが「私」の自然だということなら、そういう自分を生かすのが良かろうと思う。

また「今後のこと」を考えようとすると、「残りの人生で」という言葉がおのずと脳内に立ち上がってくる。それも、この歳になった「今の私」の自然ということなら、そういう現象を生かしてもの考えるのが良かろう。

「残りの人生で」を立ち上がらせているのは、おそらく私の中の長老キャラだ。時間の有限性を意識しないことには具体的なプランなど展開しえないぞ、うだうだしている間に終わってしまうぞ!と釘を刺している。

私の中にはいろんな小人が生息していて、頭をかきながら「へぇ、へぇ」と長老の話を聞いている小僧キャラもいるし、そういう脳内劇場を舞台袖からも、客席からも眺めている何某キャラがいる。

果たして何人の小人が生息しているのか、自分にもわかっていない。たぶん生きているうちに小人キャラは増えていくものなんだろう。

そんなことはさておき「残りの人生で何を仕事にしていきたいか」である。それについて思い巡らせていたところ、シンプルに考えてみることが大事だよなと、シンプルに思うに至った。

ふいに橘川幸夫さんがお話ししている動画を観たくなって視聴。それで思ったことなのだけど、私が橘川さんのお話にうんうんと頷いたのを3つ並べると、こういうことだ。


  1. 人の本質は変わらないと思ってるのよ
  2. 人間はそんなに器用じゃない。一生涯の中で自分の本質が入れ替わるほど器用な作りじゃない
  3. だから、その変わらない自分の本質というのを、きちんと大事にしたらいいんじゃないか

一度観て、私が独自解釈でメモったものなので、橘川さんからすると、んなこたぁ言っていないぞ、そんなまとめ方したら誤解されるじゃないかと、やきもきすること請け合いの乱文なのだけど、とりあえずこのまま、私が聴いた話、受け止めた解釈、考えたことを書き続けてしまう。

3つ目の「きちんと大事にする」が一筋縄ではいかない。普通に生きていると、いろんな日常の出来事や人間関係、特定の環境に身を置いて時間を過ごすことになり、そのうち自分が何を求めているかを忘れてしまう。自分が何を欲しくて、自分が何者なのかを忘れてしまう、見えなくなっちゃうという話。

インタビュアが、新しいものに触れ、誰かに影響を受けて、自分の核たるものが変わるということもあるんじゃないか?と問うのに対しては、ものの見方が変わったり行動を起こしたりということはあるかもしれないが、自分の本質が変わるわけじゃないと思うんだよねと返す。

たとえば誰かの話を聴いたとき、自分の変わらぬ本質に共鳴するところがあって、自分が理解して受け止められる範囲にあるからこそ相手の知識に学んだり刺激を受けるわけで、自分が理解できない域で影響を受けたりしないんじゃないかと。

この話に共鳴して納得する自分を、舞台の客席から見て思うに(さっきの脳内小人の一味だ)、いま自分が橘川さんの話を聞いて、自分が理解できるかぎりにおいて、ここに書きとめたように独自解釈して受け止めている、このことこそがこの話を体現しているように思われて、このメタ構造みたいな様に独り合点してしまった。

とにもかくにも、そんなわけで、自分がシンプルに思うところを別のところで手元のメモに書き連ねてみたりして、自分の変わらぬ本質みたいなものを今改めて手探りし、握りなおそうとしている今日この頃。

書き連ねる言葉から「自分って、こういう人間だよなぁ」という輪郭が、なんとなく認められるような、まだ言葉も冗長で、輪郭線がはっきりしていないような。そして何より、その本質をどう社会に接続していいかが、まだ全然はっきりしていないわけだけど。でもそれは、出してみないことにはわからない。市場にさらしてみないことにはどうとも判断つかない。

こういう「仕事とキャリアと人生と」みたいな話題は、酒と泪と男と女のように、うさんくさく見えて遠のけたい時期もあれば、それこそが大事だと思う時期もあり、それこそが健全とも思う事柄だ。

キャリアデザインは一時期のもの。ずっとデザインに時間を当てていても仕方なくて、キャリアドリフト期と称して漂流するがごとく、自分が今いる環境に身をさらして、そこでプレイしている時期こそが、メインの人生時間だと思っている。そういう意味では今は私にとって、いっときのキャリアデザイン期が巡ってきたということかもしれない。うさんくさく遠のけず、大事に思って考えよう。

上に述べたとおり、ここに書いた橘川さんのお話のくだりは、あくまで私の個人的解釈を言葉にしているものなので、きちんと聴きたいなぁという方は、ぜひ動画を直接どうぞ。それこそ橘川さんのお話は解釈多様性に富んだお話なので、人それぞれで私の受け止めとは全然違うことを考えたり受け止めたりするんだろうなと思います。新宿の父「タカミー編」|橘川幸夫さん(株式会社デジタルメディア研究所所長)のnoteにて。

2022-12-24

潮騒に耳すませて砂浜に立つ年暮れ

ふた月ほど前から、わぁ5年ぶりですか!とか、10年ぶりくらいかなぁとか、まさかの20年ぶり⁈とか、その時間の流れっぷりに唖然としてしまうような再会が立て続けにあった。どれも、ひょんなことをきっかけにしていて、私はそのご相伴にあずかっただけなのだが、あちらとこちらを引き合わせる役得で私もちゃっかり元気をもらって大変にありがたかった。

そんなこともあって11月あたりから、なんとなく世の中のみんなが平常の動きを取り戻しつつあるのかも?という肌感覚をもちだした。

これまでも、コロナ陽性者の数が減る傾向をとらえては人が「今のうちに」というよそおいで街に出て人と会う様子は、その都度感じてきた。陽性者数が増加に転じたときであっても、この一年くらいは人と会ったりイベントに出向いたりするのを自粛することなく、できるだけ普通に暮らす方針をとる人が少なくない様子だった。

が、今回の私の肌感覚は、それと趣きを異にする。このあとに陽性者数が増える冬場を迎えようとも逆戻りする気はなく、コロナ禍の「終息」とはいかぬものの「収束」ステージに移行する構えを、巷(ちまた)のみんなが冷静にとりだした、というような空気感。

あくまで東京に住む私の、ごく個人的な肌感覚にすぎないし、多分に「そうあってほしい」という積年の希望がつまっているわけだが。

世の中ほんとうに落ち着くことなく様々な問題が起きているので、コロナ禍が明けたとて「穏やかな日常が戻ってきました」とは言えない状況が続くのだけど、一つでも難しい局面を脱出できるなら、それは良きことだ。

そんな年の暮れなのだが、自分の身辺はたいそうざわざわしていて、足場はがたがたしている。混沌というやつだ。思えばしばらく、凪いだ状態に身を任せすぎたのかもしれない。低空飛行ながら、どうにか健やかに日々を送ることに成功し、それに甘んじていたところがある。

住む家があり、仕事がある。暖を取れて、食に困らず、あたたかい布団で眠れている。自分の足で道を歩き、のたのたながらジョギングもできて、空を見上げ、月を眺め、大木の下を駆ける。のんびり水の中を泳ぎ、本を読み、音楽を聴き、ラジオに笑う。ときおり人と話す機会にも恵まれている。これ以上何を望むことがあろうか、もうそれで十分ではないかというふうに暮らしていた。

しかし、凪いだ状態は続かない。自然というのは、そういうものだ。私もそういう自然界に生きている人間のひとつだった。自然の摂理には従わざるをえない。さて、この潮騒に耳をすませ、砂浜に立ち、足の裏で砂がくずれゆく感覚に、どう打って出るか。「たつ」に当てる漢字は、立つ、経つ、断つ、発つ、いろいろあるんだなぁと眺めながら、自分の来年の活動指針を探っている。

来年は卯(うさぎ)年だが、私は辰(たつ)年なのだ。12年ぶり4回目の辰年がやってくる前に一波乱ありそうな2023年。波打ち際に立って2022年の暮れを迎えている。

2022-12-11

リテラシーは皆に、専門スキルは要所に

編集したり、設計したり、デザインしたりする人というのは、概念世界と現実世界の架け橋のような役割を果たしているイメージをもっている。

もう少し言葉をくだくと、方々に散らばったたくさんの素材を元手にして、考えやアイデアを発散し(あるいは人から発散させて)、多様な論点を束ねて骨太な指針にとりまとめ、これに関わる多様な人々をグリップするコンセプトを明示して、きちんと輪郭をもった形に落とし込むプロセスをリードする役割という感じ。

デザインプロセスモデルでいうと「ダブル・ダイヤモンドを地でいく人」というのか、心臓が心房と心室の膨張と収縮を繰り返すように、日常的に考えやアイデアの発散と収束を繰り返して現場をリードしている人が、その職責を高いレベルで果たしているように思われる。

Doublediamond

大なり小なり、人はこういう頭の動かし方(発散と収束)をしていると思うが、これを自分単体ではなく、バラエティ豊かないろんな人を巻き込んでリードできるかが、職場ではプロフェッショナルな仕事として求められるところだろうと思う。

どの範囲・階層で、何の媒体・道具を取り扱うかで求められる専門性が異なるため、◯◯編集者とか◯◯設計士とか◯◯デザイナーとか、その専門範囲を掲げて(しぼって)名乗る人が多いのではないか。

そういうイメージのもと、少し前から疑問に思っているのは「そういう人って、そんなに頭数(あたまかず)いるのかなぁ」ということだ。ある方針をもって束ねる人がひと所にたくさんいると、かえって話がまとまらなくなって、「船頭多くして船山に上る」ようなことにならないのかしらと思うのだ。

こういう話は、だいたい「程度の問題」なので、間はグラデーションになっていて、どっち側にも転がしようがある論といってしまえば、それまでなのだが。「ひと所」だってそれぞれの環境やら文脈やらに随分と依存した物言いで、どの範囲をもって「ひと所」をなすのか見解は分かれよう。

なのだが、世の中が「全員が経営者視点をもってだな」とか「全員がデザイン思考でものを考えてだな」とかいうのに傾倒して、流行り病のように蔓延してくると、逆のポジションをとってもの言いたくなるのが天邪鬼というものである(中庸とみてもらえればありがたい)。

そういうわけで、編集したり、設計したり、デザインしたりする仕事は、全員が果たすべき役割だとか、全員がもつべき職能なんだとかいうのがあまり短絡的に強調されると、ちょっと反論を述べたくなってしまう。

これも手先が器用か不器用かと同じで、苦手な人もいれば、適性にそぐわぬ人もいる類いのものだろう。

それを、ものすごい苦手な人に対して度を越して高いレベルで求めたり、その人がそれを高いレベルで身につけた気になって乱暴に方々で使われると、わりと困る現場も多いのではないかと思う。

それよりも、それが得意な人、適性に合う人の専業として、ある程度の分別をもって専門職と割り切って扱ったほうが、組織も社会もうまいこと話がまとまるんじゃないかなぁ、それが現実解というものではないかと、そう思うことが少なくない。

頭数(あたまかず)ということでいうと、むしろ「たくさんの素材を元手にして」という部分にこそ人数とバラエティが必要で、いろんな現場で働く人、いろんなデータ・情報をもつ人がたくさんいる、一方でそれを束ねる人はひと所に1〜2人という構成のほうが、プロジェクトは健全に働くのではないかと。

そのほうが、編集したり、設計したり、デザインしたりする人も要所要所でいい仕事ができるし、組織集団としても洗練されたアウトプットを導けるのではないか。ときどき、そういうことを思うのだ。漠然とした話でしかないのだが。

2022-12-10

父と母の結婚式会場を訪ねる

今年のゴールデンウィークのことだ。妹が久しぶりに帰省したので、レンタカーを借りて父と3人で都内へ出かけた。ドライバーは妹、ペーパードライバーの私は助手席、父は後部座席に陣取った。気持ちよい青空のもと高速道路に乗って久しぶりのドライブを楽しみ、目的地近くで首都高を降りると、都心のビル群に迎えられた。

ここで結婚したんだ。

帝国ホテルを目指して私と妹が、あそこから入るんじゃないか、こっちからは曲がれないんじゃないかとごちゃごちゃ言っていると後ろから、父の声がした。

いま通り過ぎた学士会館で、母と結婚式を挙げたんだという。へぇ!それは初耳だねぇと言って振り返るも、車なのであっという間に通り過ぎてしまった。

それでずっと、なにかのタイミングで父と一緒に学士会館を訪ねよう、館の中に入ってみようと時機をうかがっていたのだが、それが今日叶った。今年の父の誕生日会に、学士会館の中のレストランを手配したのだ。

考えてみると、父と母が結婚してちょうど50年(くらい)の節目でもある。自分が結婚式を挙げた場所に半世紀おいて再び訪れるというのがどんな気分なのか私には到底わかりようもないが、それなりに味わい深いものなのではないか。

そんな期待を胸に先日、父に電話をかけて食事会の場所を伝えると、改めて「俺はそこで結婚したんだ」と父は即答で返した。そうそう、そう言っていたから再訪してみるのもいいかなと思って。そう私が言うと、電話ごしに少しそわそわしたような気配を感じた。

このときは、都内の駅で待ち合わせて一緒に建物まで向かおうと話して電話をきったのだが、前日に父が電話をかけてきて、やっぱり一人で学士会館まで行ってみると言う。

近くを一人で歩いて時間を過ごしたいのかもしれない、亡き母との思い出もいろいろあろうかと思い、そう、じゃあ現地集合で、と応じた。

外で待ち合わせるとき、父はたいてい、だいぶ早くに到着して連絡をよこすのだが、今回は一向に連絡は入らず、待ち合わせ時刻の少し前に建物前で顔をあわせた。

「学士会館」と書かれた建物入り口で、父にひとり立ってもらって記念撮影をした。カメラごしに、母を連れて来られたら、よかったなぁと思った。

レストランの中に入っていくと、兄がすでに着いていて奥の席に腰をおろしていた。室内はとても品のあるしつらえで、おもてなしにも温かみがあり、ごちそうもワインも堪能。3人でゆっくりのんびりとおしゃべりをして、とても豊かな時間を過ごした。

父も、ここを訪れたのは結婚式以来とのことで実に50年ぶり。昨日は、昔のアルバムをめくって結婚式のときの写真を何枚か見てきたと言っていた。

学士会館は、自分が生まれるより、父が生まれるより前、1928年に建てられた歴史ある建造物。なんだろうな、この館の中で、長い歴史に包まれるようにして過ごす特有の安らかさ。こうした建物が大事に残されていることに、ありがたさを感じる。父も兄も終始ごきげんで嬉しかった。

※Instagramの写真

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