2021-07-28

「もしかして灰田が消えたのは1995年3月!?」という迷走の一部始終

これはもう、村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を再読するしかなかろうという気分に追い込まれて、週末に読みふけった。主人公つくるの自己像は、自分のそれと重なるところが多いのだ。つくるの描写を通して自分をとらえ直せるところが多分にあって、私にはとっておきの小説である。

さて一気読みした後、せっかく再読したのだからと、泳いだり走ったりちょっとした時間に、この本の未解決事項に思いめぐらせてみた。この小説は、「結局どうなったの?」「で、どういうことだったの?」という事柄を多く含んだまま終わる。読者によっては「粗い」「完成度が低い」と評する声もあるけれど、その一方「推理小説じゃあるまいし、なんでもかんでも回収される、解明されると思うなよっ」という気もする。

彼の意識のキャビネットの「未決」の抽斗に深くしまい込まれている問題のひとつだ。

なんて、あえて「未決」という言葉を刻み込んでもいるし。再読してみて思うに、意図的な未決も、意図せぬ粗も、どっちも含んでいるってことなのかもなって個人的感想をもった。

が、とすると、だ。完成度が低いんじゃなくて、作者があえて曖昧なままに終わらせただろうところに関心が向くのが、しがない1読者として健全である。

じゃあ村上春樹が「それは皆さんのご想像にお任せします」と、意図的に書かなかった事の顛末があるとして、いちばん私が気になるのはなんだろうな。なんて思い巡らしていると、あれとこれがばさっと頭の中で関連づいて、身も心もばさっとベッドから飛び起きた。

私が気になる一番は、大学時代に主人公つくるの前から忽然と姿を消してしまった大学1年生の「灰田がその後どうなったか」だ。それと、改めて読んでみて違和感を覚えた、物語の終盤も終盤で、1995年3月に起きた地下鉄サリン事件のことを、唐突に持ち出してきたのは、どんな意味があるんだろう問題がリンクした。

もしそんな極端に混雑した駅や列車が、狂信的な組織的テロリストたちの攻撃の的にされたら、致命的な事態がもたらされることに疑いの余地はない。(中略)そしてその悪夢は一九九五年の春に東京で実際に起こったことなのだ。

確かに、主人公は駅を作る職業だし、物語を通して「駅」や「電車」は大事な存在として位置づけられている。けれど、あれほど物語の終盤になって、東京の混雑した駅の異常さについて行数を割いて語り、1995年春の事件に言及するのには、ちょっと唐突感を覚えた。相応のワケがないとおかしい。この一節は、つくるの物語世界と読者の現実世界をつなげるように、村上春樹が大事な意味をもってそこに置いたように読めた。

それが灰田の行方とつながって、仮説がひらめいた。もしかして、灰田がつくるの前から消えてしまったのは、この1995年3月の事件に巻き込まれたってことなのでは!?と。いや、巻き込まれたって断定はしない。しないけれども、あるいはそういうことが背景にあったかもしれない、なかったかもしれないという話なのでは?と。

そう思い立つと、いても立ってもいられず、関連するページを再びわわわーっとめくり直して確認した。

まず、大前提を置く。地下鉄サリン事件は1995年3月20日に起きた。

村上春樹はこの事件について、被害者など62人の関係者を訪ね、丹念なインタビュー取材をして、事件2年後の1997年3月に「アンダーグラウンド」というノンフィクション作品を出している。事件への思い入れは相当である。

では、物語のほうの時間軸と照合してみよう。

つくるが灰田と出会って親しくなったのは、つくるが大学3年生、灰田が大学1年生のとき。つくるが最後に灰田と会ったのは、その学年末の「2月末」とある。灰田は「2週間ばかり秋田に帰ってきます」と言い残して、そこから一切つくるの前に姿を見せなくなった。

これを、灰田が3月20日の事件に巻き込まれたという仮説に照らすと、2月末からは2週間というより3週間経っていて、ちょっとずれている感もありつつ、誤差の範囲とも言える。なにせ長い春休みだし、本文にあるように実家の雪かきが大変だったのかもしれない。では、一旦これを1995年2月末のことと置いてみよう。

つくるは留年も就職浪人もせず、1995年4月に大学4年生になって、1996年4月に「今」も勤務する鉄道会社に新卒入社している(とみるのが自然だ)。「今の会社に入社して14年経つ」と言っているので、この小説で描かれている「今」は、仮説に基づけば2010年ということになる。

「主人公つくるが灰田と出会って別れた大学3年生の年」と「今」の間は15年間あいている必要があり、この小説が出たのが2013年4月、この話を構想だてたのが2010年〜2012年頃とすれば、今を2010年と置き、灰田が消えた当時を1995年2月とみるのは、そう違和感ないのでは。

と、あーだこーだノートに書きつけながら一人で興奮していたのだけど、もういくらか読み足したところ急ブレーキ。

灰田は、「学年末の試験が終わった直後に自らの手で、捺印した休学届と退寮届の書類を出している」とある。学年末の試験が終わって、行方をくらますまでの間に、灰田はつくると会っているが、「休学のことをつくるには伏せていた」。もともと灰田は1〜2月のうちから学校を休学する気があって、つくるにはそれを言っていなかった。その理由は、この仮説では解けない…。

また、灰田が消えたのは「たまたまのことではない」「そうしなくてはならない明確な理由が彼にはあったのだ」と明記している。「灰田は自分の父親と同じ運命を繰り返している」「20歳前後で大学を休学し、行方をくらましている」とも意味ありげに書いてある。うーむ、そうするとやはり私の仮説は、浅はかな文学素人の思い込みにすぎないということになるか…。再び「未決」の抽斗ゆき、とほほ。

でも、この読後の迷走は、私がこの小説をみる奥行きを、より豊かなものに変えた。村上春樹がノンフィクション「アンダーグラウンド」の丹念なインタビュー取材を通じて、あの事件によってその後の人生を大きく狂わされた、その日たまたまその電車のその車両に乗ってしまった人たちの話を深く刻み込んで生きていることは、時系列的にみても間違いない。また「アンダーグラウンド」の中で村上春樹は、あの事件の被害者は「誰でもありえた」ということを強調していた。

それが私の中では、「灰田だったかもしれないし、そうではなかったかもしれない」と言いたいように読めたのだった。こんなふうに読後にもあれこれ思い巡らして、もしかして!といろいろ仮説立てて読み返したりして、読者が勝手に読みごたえを増幅させていけるのも小説の愉しみだよな。「未決」を含む小説も悪くないし、再読も独特の愉しさ。だからまぁ、この迷走も無駄じゃなかったってことでいいのだ、うんうん。

2021-07-27

部外者の仕事

1年半続くコロナ禍、いよいよ東京オリンピック開幕の東京ど真ん中にいる。日に日に息苦しさが増していく中で、自分というものの空っぽさが際立って見えて青息吐息。

水泳とジョギングで、心身の健康を維持している。夏の夕景はすばらしく美しい。汗を流すと体が励ましてくれる。まぁまぁなんとか、走って泳げる健康があるんだもの、「足るを知る」ですよ、頑張りましょうと。

そして本とラジオに、救われている。なんだ、いつも通りじゃないかって感じだけれど。

出口治明さんの著した「哲学と宗教全史」は、締めも良かった。レヴィ=ストロースの

社会の構造が人間の意識をつくる。完全に自由な人間なんていない

という一節は、何ものにも代えがたい。このわさわさとしたときに与えてくれた心の森閑、思考の開放。

問題の原因を「一人の人間のせい」にして早期に事態を収拾させようとする人のさがに途方に暮れそうになるとき、この一節もまた人が遺してくれたものなのだと、ありがたく読む。

別に、誰かの行いに対して問題視するなと言っているわけじゃない。自分だって問題だと思っている。だけど「その人のせい」だけで済ませようとするのは問題の矮小化に思えるんだ。当事者じゃない人間こそ、その問題を引いてみて、その人個人のせいじゃないところにどういう間接要因があったかに思いをはせたいんだ。そちらからも問題解消の道筋を企てたいんだよ。そう叫んでいる人が、糾弾されているのを見て、自分は糾弾される立場なのかと言葉をなくす。

問題が起きた要因が、ひとつ、ひとり以外にまったく考えられないなんてことは、ちょっと想像できない。問題の要因はたいてい複数挙げられるものだ。その問題発生に影響を及ぼした、当事者を取り巻く環境、時代背景にも目を向けてみる。できるだけ複眼的に、できるだけ多層的に、さまざまな複合的要因をとらえてみようとしたい。

その問題に直接巻き込まれた人間がそれをするのは大変だからこそ、直接関わっていない部外者が、この役割をかってでるべきなんじゃないかと思う。そこから問題に対する合理的なアプローチをとって問題の解消にあたりたい、知恵をしぼりたい。

その活動は小さく、小さく、とても小さい。それまた途方にくれるネタだ。だけど、そのスタンスを手放すこともできない。静かに、大事に、その道を模索していくしかない。

それぞれの時代の、それぞれの社会構造が、人間の意識を形づくる。それは少なからずあって、私はこれを無視できない。もちろん、そこで生きる一人ひとりの個性が形作る意識も、ある。人も世の中も、バランスの中にある。ものごとの成り立ちを一つの要因に決め込んで単純化してみては、負けなのだ。私の勝負は、そこにある気がした。

いろんな影響を受けて人は成り、複合的な要因をもって事は起こる。そう見るからこそ解決アプローチも数を挙げられるし、あの手この手を企てられる。問題の責任も、人ひとりが請け負いきれるとみるのは人のことを頑丈に見立てすぎているように思う。人はもっと、もろいものだ。部外者の仕事、支援者の仕事を、自分なりに担っていきたい。

2021-07-10

母の一声は何倍にも膨らむ

プールで泳いでいると、私がちょうど25メートルを泳ぎきって向き直り、折り返し始めるのとほぼ同時に、今プールにつかったばかりの人が泳ぎだすという場面に遭遇することがある。いや、そこ、ふつう待つでしょ!と思うんだけど、そういう常識で生きていない人もいるんだなぁと、わりとびっくりする。

じゃあ私はいつ、それを常識だと思うようになったのか?と、泳ぎながら原体験を探っていったところ、小学生の低学年の頃か、家族で初めてボウリングに行ったときの母の言葉に行き当たった。

何度かレーンにボールを転がして、とりあえずのやり方と面白さを覚えたところで、再び私の番。重たいボールをもってレーンのほうへ向かっていこうとすると、母が私を静かに呼びとめ、右のレーンの人が投げるところだから、それを待ってから行くのよと言葉をかけた。

確か右側のレーンの人を優先するのがマナーみたいな話だったと思うけれど、まぁ左であれ右であれ、隣りのレーンで今まさに投げようとしている人がいたら、その視界に後から入って集中を欠くのは野暮だという話である。

レーンにのって競技をするということでは、ボウリングも水泳も似たような光景であり、あの子どもの頃の学習からつながっているんではないか?と思い当たった。周囲を確認してから動く、周りの人に配慮して動く、そういうこと。

子どもの頃の、母のそういうさりげない教えについて、さらに思いめぐらしながら泳いでいると、電話の受け方に思い当たった。家の電話を最初に受けたときのことは憶えていないのだけど、物心ついたときには「はい、林です」と電話を受けていた。たぶん、これも小学生の低学年の頃に覚えたのだろう。

記憶にあるのは、中学にあがったときのこと。中学1年生になった春に母が、これからは「はい、林でございます」で受けるよう勧めてきたのだ。それは母のいつもの電話の受け方であり、つまりこれからは大人とまったく一緒のふるまいにアップデートするという話である。

兄はずっと「林です」で受けていたから、たぶん母は、私と妹には、中学にあがったらそういうふうに変えるように話そうって思っていたんだろう。

私はそこから「でございます」で家電を受けるようになった。それとあわせて、おそらくだけれど、言葉遣いというものに対して、わりと注意を払うというか、自分の言葉遣いを大事に選ぶという姿勢をもつようにもなった感がある。大人になってから振り返ってみて気づいたことだけど。

年相応のふるまいを覚えていくこと、自分のふるまいをアップデートして変えていくことの素地を養ったのは、たぶん母なんだろうなと思い至る。毎日、毎日を一緒に過ごす中でじわじわじわじわと、あるときは意識的に、あるときは無意識に私に注ぎこんでいってくれたものを私は大事にしている。彼女が私に遺していったもの。

私が「野郎言葉」のような表現を使わないのは母の影響としかいいようがなく、ほとんどプリインストールのような感覚で、自分の言葉遣いの中には母の言葉遣いが息づいている。母が、そういう言葉は使うんじゃありませんと私をとがめた記憶はなく、私はたぶん、母の丁寧な言葉遣いが好きだったんだろう、自然とそれにならって生きてきた。この先も大事に、大事にしていくだろう。

まぁ最近の、社内打ち合わせでのまくしたてるようにしゃべる話し方には自分で本当に辟易としていて、どうにかしたい、品がないと、打ち合わせが終わるたびに落ち込んでばかりなのだけど…。品のある生き方を心得るには、まだまだ先が長い。

2021-07-03

「研修で学んだことを仕事で活かす受講者は1〜2割」からの

研修で学んだことを仕事現場で活かす受講者は何%くらいいるのか?という疑問は、過去に多くの人たちが疑問を抱き、数々の研究結果が残されている。で、ざっくりまとめると10〜20%と言われている。

研修内容の職場実践度合いに関する先行研究をまとめると、従業員は研修で学んだ内容の10~20%程度しか職場で実践できていない(*1)

一例に、研修実施の1年後までを追ったカナダの企業258社を対象にした調査結果(Hugues, P. D. & Grant, M. 2007)とか。

研修直後には、受講者の47%が、研修で学んだ内容を職場で実践すると考えているが、半年後には12%、1年後には9%には減少していた(*2)

研修で学んだことが、ただ受講者が満足する(1.反応)にとどまらず、受講直後の段で学習目標に掲げた知識やスキルを学び取っている(2.学習)、仕事現場で定着し一般化され役立てられている(3.行動)、さらにはそれによる成果が出ている(4.成果)ことまでを射程に入れて研修を評価すべしというカークパトリックの4レベル研修評価モデルにのせてみると、次のグラフの通り(*3)。

「2.学習」から「3.行動」の間で急降下しているのが見て取れるが、この間の移行が最も難しい。

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人材育成の解決策なり、業績向上の介入策と見れば、研修は単発で効果を期待するものではなく、あくまで施策の1つとみて、研修の外側、現場とどう連携させて効果をあげるか考えるのが大事だという話。

ふつうに、冷静に考えると当たり前の話なのだけど、現実問題としてわりと研修だけに閉じて話をまとめちゃうケースは少なくない。とにかく何か策は講じねばならない。これこれはスタッフの能力不足に問題がある。能力不足への解決策は研修だ。研修受けるお膳立てしたら、あとは現場のメンバー次第だ。一つの施策で済ませたい。ありもので済ませたい。この研修パッケージでいいじゃないか。とりあえず現場の責任者として策を講じたことにはなる。他にもやらなきゃいけない課題は山積みなんである。これだけに関わっているわけにはいかない。

MITのピーター・センゲが、私たちは「問題に対して見慣れた解決策を当てはめることで対処しがち」といったようなことを「学習する組織」(*3)の中で書いていたが、組織の人材育成まわりを活動エリアにしていると、そういう場面に遭遇して、ふがふがすることは少なくない。それが社内であれ、社外であれ。

その場で瞬時に問題の構造から解決策まで枠組みだてて表現力豊かに相手と合意形成をはかっていくには、まだまだ力量不足を感じることばかりだけど、ぐぬぬっと引っかかって、根本どういう問題なんだ、これは…と立ち止まり、問題構造を整理して、解決策を自分できちんと考えて、相手と共有できるように形作って提案していこうという気概は自分にありそうなので、たとえ瞬時にはうまく立ち回れなくても、きちんと自分の時間を使って、現場の人間として働いていきたいと思う今日このごろ。現場責任者が預かる「他にもやらなきゃいけない山積みの課題」との相互関係を捉えながら、どう包括的にみて人材育成や組織作りからの有効策を打ち出せるかが肝だ。

*1と3: 中原淳(編)、関根雅泰・齊藤光弘(第13章著)「人材開発研究大全」(東京大学出版会)
*2: 中原淳「研修開発入門――会社で教える、競争優位をつくる」(ダイヤモンド社)
*4: ピーター M センゲ「学習する組織――システム思考で未来を創造する」(英治出版)

2021-06-30

面接官がしちゃいけない質問例を読考

厚生労働省 大阪労働局の「面接で訊いちゃいけない質問例」を確認すると、ほぅ、それもかぁと思うのが少なからず見つかる。面接で「座右の銘」を訊いちゃいけないというのは、以前そこそこ耳目を集めたが、「尊敬する人物」「愛読書」「将来どんな人になりたいと思うか」あたりもNG例に挙がっている。

「ご出身は?」と、別に採否の判断に使うつもりは毛頭なく、なんとなく場を和ませようと世間話的に使っちゃいそうな質問もNGだったりするから、面接官をやることになったんだけど、その辺の認識があいまいという方は一度目を通しておくと良いかもしれない。

自分が就活の面接で訊かれたことある質問だと、うっかり使っちゃいそうだけど、実はそれって20年前の話だったとか、20世紀にはオーソドックスな質問だったけど今はちょっとないなっていうのは少なくない。

リンク先のNG例を眺めつつ、けっこう線引きが難しいかもなぁとグラデーションに感じたのは「思想・信条・人生観」。

もちろん初対面の人相手に、信仰している宗教とか支持政党を訊くのは、ルールとかそれ以前のモラルというか、そういう項目もあるのだけど、ものによっては相当意識しないと、うっかり境界線を越えてしまいかねない危うさを感じる。

というのは、仕事で大事にしていることを「仕事観」とすると、それと「キャリア観」とか「人生観」って地続きというか、ぐにゃっとひと連なりな感じの人も少なくないんじゃないかなぁと思うのだ。それは法人格の価値観でも、そういうところあるかなぁと。その「ぐにゃっとひと連なり」か「割とぱっきり分かれている」か含めて、個人と勤め先の相性ってあるかもなぁとも思ったりした。

求人企業がよく使う言葉に「スキルマッチとカルチャーフィット」の両方をみて選考したいみたいな話があるけれど、「カルチャーフィット」の度合いを探りつつ、でも「思想・信条・人生観」には踏み込まない面接時の質問の仕方、分別のつけ方、境界線の引き方みたいなのは、なかなか繊細な話かもなぁと。

とりあえず現実的な選考場面で考えてみて、面接官の立場とすると、あくまで仕事の枠組みをはみ出さないように意識して、「~業務、~技術、~デザインを習得するのに、誰に学んだとか、こういう本を読んだとかってありますか?」みたい訊き方にしたらいいかな。きちんとテーマを設定して、絞り込んで訊く。NGなのは「尊敬する人物」「愛読書」じゃあ、仕事の枠をはみ出してるでしょ!って話だろうから。

応募者の立場からすると、面接官からは、就職差別につながりかねない質問ができない背景事情を知っておいて、自分がアピールしたい、その会社と自分との「カルチャーフィット」があるなら、そこは自ら話題にあげて表明していくのがいいってことになろうかな。「親が商売やっているのを子どもの頃から見ていて」とか、「出身が~でして」とか、そこを話の切り口に使いたい人もそれはそれでいるだろうし、自ら話す分には問題ないだろう。

もちろん、自分が言いたくないことは言わなくていいし、訊かれても答えなくていいの前提で。

じゃあ、そういうことを訊かれちゃったときの現実的な切り返し方としては、どんなのが考えられるだろう。「就職差別につながりかねない質問のやりとりは控えるよう、学校 or 前職で指導を受けまして」的に返すか、「今ぱっと思いつきません」的に返すか。

あるいは、その質問を「自分で仕事の枠組みに読み替えて」答えることができれば一番ではないかしら。例えば「尊敬する人物を言ってください」と言われたら、「~デザインの仕事の向き合い方として尊敬しているのは~さんで、~という著作の中にこういう一節があって」と話を展開するとか。

「自分の生き方」について訊かれたら「自分の仕事上の生き方」について答える、「今の社会」について訊かれたら「自分の専門分野の観点からみて、今の社会にどういう課題を感じていて、仕事を通じて自分がどうそれに関わっていきたいか」を答える。そういうふうに自分の仕事領域に自分で引き寄せてしゃべれれば一番良い感じ。緊張のさなかで瞬発的にやるのは難しかったりするけど、その辺は選考前に整理しておいてもよいかも。

2021-06-19

国家資格キャリアコンサルタントの更新講習をせっせと受講中

キャリアコンサルタントの国家資格を取って5年が経ち、資格更新の時期を迎えた。私は17年前に日本キャリア開発協会(JCDA)のキャリアカウンセラー資格(CDA)を取っていて、5年前のキャリコン国家資格化の際は、このCDA資格のおかげでいろいろ免除されて申請すれば登録してもらえる感じだった。どんな手続きをしたのだったか詳細はもはや記憶があいまいだが、とにかく体感的にさほど苦労なく取得したのだった。

が、今回の更新手続きにあたっては一定の更新ポイント獲得の上で申請する必要がある。ポイントを得るには、国が指定する講座群から知識講習(8時間以上)、技能講習(30時間以上)の受講が必要で、それぞれ受講後にレポートを提出して修了証を発行してもらわねばならない。

そんなわけで、8月の更新期限が間近に迫る中、キャリコン関連の講座をバタバタ予約、どたどた受講している今日この頃だ。5年かけてポイントを得ていればこんなせわしないことはないので自業自得としか言いようがないのだが。

さて、この講座群、国が指定すると言っても、自分が籍を置くJCDAという協会が主催する講座ラインナップから選択できるし、このご時勢とあってオンラインで受講できるものばかり。

それは助かるのだけど、やはり6〜7月に仕事の合間をぬって駆け込み受講するとあって、けっこうハードである。土日に入れたり、有休をとって平日受講したりして、自分の関心テーマを選んで受講している。これまでに4講座受けてきて、今週で半分くらい終えたところ。

知識講習(9時間分)は「動画視聴→テスト受験」を一定期間に自分のペースでやっていく感じなんだけど、技能講習のほうは5講座(32時間分)でいいところ、勢いあまって6講座(39時間分)申し込んでしまった…。

私が申し込んだ技能講習はどれも、朝から晩までの1日完結型、定員20名。講義少なめ、個人ワーク、ペアワーク、グループワーク、全体共有を繰り返す感じで、頭がさがさ、心わさわさ、体だけは全然動かさないわりに汗かきかき。今週受講した講座では、毎回お昼休みに着替えをして午後に臨んだ…。

キャリア関連の講座というのは、特有の汗のかき方をする。まず検討素材が自分のこれまでのキャリア体験になることが多く、過去の実体験で最もこれこれだったと思う事例を挙げてくださいという素材だしから始まることがけっこうある。しかも、それを3分くらいで思い出して一つに決めて描写し、次のペアワークなりグループワークで、それを言語化して初対面の相手に簡潔に伝えないといけない。

そこからまた、そのときの検討テーマとどう連関させて意味を見出すか、どう解釈して洞察を深めるか、そういったことを日に何度もやる。さらに、ケーススタディとして個人のキャリア相談、法人の人事系の相談など提示されて、どう対応していくか、何に配慮が必要かなど、3分とかで自分の考えをまとめて、これもグループワークに移して見解や提案を10〜30分でまとめて全体に発表とかするので、講座の間ずっとせっせせっせと思考を巡らせている。夕方には、くたくたなのである。

自分が発表者になったものなど、ちょうどランチ休憩あけに発表という流れだったので、午前中に一通りグループメンバーの意見を聴かせてもらい、ランチ時間にひとりで提案資料を作っていたら休憩が終わってしまって、発表は好評だったがランチは冷蔵庫のミニトマト3個で、夕方5時まで駆け抜けることとなった。

夕方の講座終了の段になっても気が抜けず、受講レポートを書いて提出せねばならない。国のお達しで6月からオンライン講座の修了条件が厳しくなったらしく、レポート内容の要件も、こうであらねばならないという水準を達した内容でないと修了にならない。講座中も、レポート作成中も、ずっと画面上で顔出しを要し、事務局が受講者の顔出し参加をずっとチェックしておく必要があるのだそうだ。ビデオをオフにしての居留守受講は許しませんよということらしい。まぁ、ありがちな流れではある。

一つ、この先どうなっていくだろうなぁと思ったのは、受講者同士の継続的な交流である。リアルで会って受講する講座だと、1日講座ともなると、けっこう最後に名刺交換などして、今後ともよろしくーなんてのが一般的にあったけれど、オンライン講座だと、そういうふるまいに一般的なやり方というのが普及していないので、この人は気が合いそうだなぁと思ったペアワークの相手などでも連絡先の交換などせずにお別れすることになる。

講座中、氏名・顔は出すし、住んでいる都道府県、勤め先の業種や組織規模、社風や人事制度については必要に応じて話すけれど、どこそこに勤めているといった固有名詞は言わないし訊かないのが、暗黙のマナーっぽくなっていて、連絡先を交換するということにはならない。

これはもちろん、なんとなくの流れで全員と名刺交換することにならない点で良い面もあろうけれど、ペアワークなどで気が合うなぁと思った人との交流も一切合切絶たれるというのが、なんだか惜しい気もして、これからニューノーマルなるオンライン講座受講者同士の継続的な関係の結び方が出てくるのかもなぁなんて思ったりした。

この更新講座を受講している人たちの共通点は、国家資格キャリアコンサルタントの有資格者(あと私の場合はJCDA会員)というだけで、老若男女、住んでいる地域も、仕事内容も職場もまったくバラバラ。コンサルタントっぽい人もいれば、カウンセラーっぽい人もいるし、民間企業にお勤めの人もいれば、組織規模も様々、学校・公的機関勤めの人もいれば、独立・起業している人もいる。臨床心理士もいれば、社労士、学校の就職課、企業の人事など専門性も多様。昼夜逆転する時差のある海外から、夜から朝方にかけて参加する方もいた。そういう人たちとの交流機会というのは、私のような暮らしぶりだとなかなかないので、貴重な時間である。

講座の中身は開示しないようにということなので言及しないけれど、しっかり血肉化して自分の身近な人たちのもとで役立てましょう、そうしましょう。

2021-05-27

地球の温暖化と、哲学の起こり

いま読んでいる出口治明さんの「哲学と宗教全史」が、実におもしろい。出口さんはライフネット生命保険の創業者、現在は立命館アジア太平洋大学の学長。「哲学史の研究者」然とした文章ではなく、哲学にも造詣が深い実業家の長老が語り聞かせてくれる物語のように読めて、ずっと哲学入門者な普通の企業人である私には、たいそう読みやすく意味深い一冊。

450ページくらいある分厚い本で、まだ4分の1しか読んでいないのだけど、哲学史の中でもとりわけ「紀元前」が好きな私は、今ちょうど楽しい真っただ中にいる。

この本は、西洋も東洋もひっくるめて書いてあるのが、ありがたい。「全史」といったって西洋哲学と東洋思想は分けて扱われたりするものだけど、この本は「ソクラテスよりも孔子のほうが80歳ちょい上の年長」みたいな話もあって、洋の東西を横断して哲学がどう起こってきたのか語り聞かせてくれるところが魅力的だ。

また哲学、宗教、当時の政治情勢もくみながら、どういう時代背景にあって、それがどう当時の哲学者や思想家に影響を与えたかに思いをはせ、想像を巡らせながら、読み解いていく文章も楽しい。

紀元前5世紀の前後というのは、著者いわく「草木が一斉に芽吹くように」知が爆誕した時期。それまでは長く、神話や伝説でとらえていた世界の成り立ちを、んなことあるかいな!と言ったかどうかはしらないが、この世界ってなんなんだろう、世界は何でできているのだろう?と、当時の人が論理的に考え出した。

それも洋の東西を問わず、ギリシャに始まって、ほぼ同じ時期にインドでも、中国でも、この動きがみられる。

アフリカから人類が世界各地に散らばって何万年も経ったところで、いっせいのせい!って声かけたみたいに、古代ギリシャでタレスが、インドでブッダが、中国で孔子が同時代に生まれて、紀元前5世紀あたりに集中して知を爆誕させる。

それがなんでかって、地球の温暖化に関係するという。紀元前5世紀の頃、地球の温暖化が始まる。あわせて、この頃までにちょうど鉄器が、世界中に普及していたのだという。鉄器というのは、つまり鉄製の農機具を手にしたということ。

この鉄製の農機具と、地球温暖化による太陽の恵みを受けて、このころ一気に

1. 農業の生産性が高まる
2. 人口が増える
3. 階級分化が激しくなって、貧富の差が拡がる
4. 金持ちは、使用人に農作業をやらせるようになる
5. 金持ちの家は、学者や芸術家のような人たちに食事を与えて遊ばせておくようになる
6. 知識人や芸術家が登場する

こうした流れが、紀元前5世紀の頃に、ギリシャでも中国でも「知の爆発」を起こしたという話だ。一大スペクタクル!

で実際、この紀元前5世紀のあたりにいろんな哲学者、思想家が確認されるので、気になる人たちをざっくり一覧にしてみた。以前から西洋と東洋を丸ごと並べて、生没年をグラフで見られる一覧が欲しかったのだ。没年齢もざっくり出してみた。

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この表、せっせと数字を埋めて作っていくと、「デモクリトス、90歳ってあなた、いくらなんでも長生きしすぎじゃない?」とか、「っていうか、紀元前にして、この人たちの平均年齢71歳っていったい…」とか、いろいろ楽しい。

ちなみに、この表では一列10年単位でざっくり区切っちゃっているのだけど、同著によればプラトンはソクラテスが42歳のときに生まれ、アリストテレスはプラトンの43歳年下、こういう感覚をもてると、「ちょい上」の先輩って感じじゃないんだなぁとか、よりリアルに2者間の人間関係をイメージできて、これまた楽しい。

ヘーゲルが「弁証法」と名づけるよりずっと前、万物の根源は何だ?水か、火か、と言っている古代ギリシャで、エンペドクレスが「万物の根源は1つじゃなくて、火、空気、水、土の4元素からなる」とか弁証法やってのけているくだりとか、もう最高である。

シチリア島の彼が、「この4元素を愛が結合させ、憎が分離させる働きによって4元素は集合と離散を繰り返す」と言うのと、ほとんど時を同じくして、インドでアジタ・ケーサカンバリンが「地、水、火、風の4要素の離合集散によって説明する四元素還元説」を説き、中国でも「陰陽の交わりによって木・火・土・金・水の5元素が生まれ、この構成要素が同調・反撥しながら世界を循環させていく」とする陰陽五行説が台頭する。 一大スペクタクル!

科学はここから現代にいたるまでに目覚ましい発展をしてきているわけだけど、人が生きる上で大事な心のもちようについては、紀元前のうちに彼ら賢者が言葉を作って言い尽くしてくれていると思われてならない私には、実に味わい深い物語が詰まっている本。久しぶりにとっぷりとつかって読みたい。

*出口治明「哲学と宗教全史」(ダイヤモンド社)

2021-05-26

カミュの「正義より母の命」、村上春樹の「壁と卵」

Amazonのサイトをうろうろしているとき、なんとなく流れ着いて週末の晩に観た「アルベール・カミュ」の映画。アルジェリア出身、フランスの小説家、劇作家、哲学者とも言われるカミュの生涯をえがいた作品。

窮地に立たされたとき、何に価値をおく人間かがあぶり出される。その価値のために闘うか、手放すか。

言葉の表現者だけに、セリフの一つひとつからカミュの苦悩、意思、志すものが伝わってくる。

分裂じゃなく一致を求めている。道徳は政治を上回る。この世界の破壊を防ぐこと。

ノーベル文学賞を受賞したときの講演会場で、カミュはアルジェリアの記者に非難されたとき、「君がしていることが正義なら、私は正義より母の命を重んじる」という返すシーンには、村上春樹がエルサレム賞の授賞式に出向いて講演した「壁と卵」の話が浮かんで重なった。

もし、硬くて高い壁と、そこに叩きつけられている卵があったなら、私は常に卵の側に立つ。そう、いかに壁が正しく卵が間違っていたとしても、私は卵の側に立ちます。何が正しくて何が間違っているのか、それは他の誰かが決めなければならないことかもしれないし、恐らくは時間とか歴史といったものが決めるものでしょう。しかし、いかなる理由であれ、壁の側に立つような作家の作品にどのような価値があるのでしょうか。*

カミュの作品は、まだ「ペスト」しか読んだことがないのだけど、もういくつか人気のものを読んでみたくなった。作品を通して、彼のえがく「不条理」を読み取ってみたい。不条理について、そろそろ腰をすえて考える年頃なのかもしれない。

彼は、自分を非難して罵声を浴びせたアルジェリアの記者のことを、彼の中にあるのは自分への「憎しみじゃない、絶望だ」と静かに述べていた。

*: 村上春樹エルサレム受賞スピーチ│書き起こし.com より

2021-05-18

元号、西暦より、その人の年齢で歴史を読む

昨日は、ひさびさに会社に出勤した。だだっ広い部屋をとって5人で2時間ミーティング。べらべらしゃべって話し合って、直接コミュニケーションとれるこぎみよさを満喫しつつ、声がかすれず最後までもったことにほっとしつつ。

その後も、あれこれの打合せやら、お久しぶりですーやら、べらべらしゃべって4時間くらいしゃべり続けていたが、夕刻まで声がもったことに感動すら覚えて帰途についた。

ここしばらく出勤もしていなかったし、私はオンラインミーティングも少ないので、発声する機会がほとんどなく、声帯がだいぶ弱っている感じ。店のレジとかで、ちょっと「ありがとうございます」と言おうとしても声がかすれてしまうとか、ラジオを聞いていて思わず声立てて笑いそうになるも声にならず、みたいな…。

それで、このままだとまずいなぁと思い、手元の本を声に出して読んでみることに。たまたま今読んでいるのが堀田善衞の「方丈記私記」*で、鴨長明の「方丈記」の引用も多いので、現代文と古文を行ったり来たりするのが変化に富んで好ましい。が、文庫本1ページも読むと声がかすれてくるのだった…。

この本、作家の堀田善衞が1971年に出した初エッセイで、著者が四半世紀前に体験した1945年3月10日の東京大空襲の日のことを、「方丈記」と重ね味わうように書いているもの。

鴨長明は、25歳で京都の大火災、28歳で大風、福原遷都、29~30歳のときに養和の大飢饉・悪疫流行、33歳で3か月にわたる連続大地震を経験し、この様子を58歳のときに「方丈記」としてまとめている。60歳目前というところで、自分がアラサーの頃に立て続けに体験した大事件の数々を思い起こし、ていねいに描写しているわけだ。

安元3年、治承4年、養和元年などと言われても、なかなかイメージが定まらず漠としてしまうんだけれど(歴史に弱いので…)、私のような「人」に関心が向く人間はとりわけ、元号や西暦ではなく、この人が何歳のときに、こういう事件を起きたのを、何歳のときどうとらえてそれを描写したのか、何を見出したのかという目線で書物を読むと、おもしろみが変わってくるものだなと思う。

もっと若い時分に気づいていればよかったのだけど、私はいい大人になってから、これに思い至った。紀元前の人物となると、なかなか年齢まではわからないところがあるけれど(実在した人物かどうかすら…)、年齢がわかっているかぎりは、この人はこれを言っているとき何歳なんだ?うぉー、私よりずっと年下じゃないか、とか、年齢を目盛りにして読むと、親近感が増して味わい深くなるのだった。

著者も、そのようなことを述べている。

おそらく私は鴨長明という人を、別して歴史的人物、歴史上の人物ーに違いもないのだがーと思っていない、あるいは歴史的人物として扱っていないということを意味するであろう。彼は、要するにいまも私に近く存在している作家である。私はそう思っている。

“歴史上の人物”とひとくくりにする紐をほどいて、現代にもごく身近に似たような人がいるかもしれないなどと思いめぐらせながら、その人を一人の人間として性格やら志しやら眼差しやら想像していくと、とても豊かに読める。

著者は、“歴史上の書物”めいた「方丈記」も、ルポルタージュのようだと言っている。

意外に精確にして徹底的な観察に基づいた、事実認識においてもプラグマティクなまでに卓抜な文章、ルポルタージュとしてもきわめて傑出したものであることに、思いあたった

また鴨長明を、こう評している。

この人は、何かがあると、ともあれ自分で見に出掛けて行く人である。いわば、きわめてプラクティカルな、観念性とは縁遠い人であり

京の大火事も、ある書物には数万人、「平家物語」には数千人の死者が出たと書いてあるが、鴨長明は数十人と書いていて、こちらのほうがきちんと現地取材をして冷静に述べている感がある、などと言っている。どの時代にも物語をつくる人もいれば、ルポルタージュをつくる人もいるとみたほうが自然である。

と、まだ読み途中なのに、なんとなくここまで走り書いてしまった。しばらくの間、これを読みながら5つの時代を行ったり来たりして、自分をほぐしたい。声帯も筋トレしたい…。

▼12世紀:鴨長明が「方丈記」に書く立て続けの災禍
1177年4月28日:京都の大火災[鴨長明25歳]
1180年4月:大風、6月の福原遷都[鴨長明28歳]
1181-1182年:養和の大飢饉・悪疫流行[鴨長明29-30歳]
1185年:3ヶ月にわたる連続大地震[鴨長明33歳]

▼1210年頃:鴨長明が「方丈記」を書く
1212年:四半世紀前を振り返り「方丈記」を書く[鴨長明58歳]

▼1945年:堀田善衞が「方丈記私記」に書く戦時下
1945年3月10日東京大空襲[堀田善衞27歳]

▼1970年頃:堀田善衞が「方丈記私記」を書く
1971年:四半世紀前を振り返り「方丈記私記」を書く[堀田善衞53歳?]

▼2021年:私が「方丈記私記」を読んでいるコロナ禍
2021年5月:「方丈記私記」を手にして読んでいる[私45歳]

*堀田善衞「方丈記私記」(ちくま文庫)

2021-05-12

中学の「日本史」教科書の2020-2040を書く遊び

2050年に使われている中学の「日本史」教科書に書かれている2020年から2040年くらいまでに起きた日本の変化を無責任に書いてみるという遊びを思いついた。

書いた内容を、みんなでシェアしたら面白いかもしれない。参加する人に応じて、【1】のように自由に書いてもらうも良し、【2】のような書き出しガイドをつけるも良し。

【1】自由記述パターン:自由に書いてください。

【2】書き出しガイドパターン:次の書き出しで、文章を続けてください。

2020年から翌年にかけては、世界的に新型コロナウイルスが大流行した。この影響を受けて日本では、~

もう少し書き出しガイドを書きこんで、テーマを絞りこんでシェアするのも楽しいかもな。

【3】テーマ絞るパターン:次の書き出しで、○○をテーマに文章を続けてください。

2020年から翌年にかけては、世界的に新型コロナウイルスが大流行した。この影響を受けて日本でも、人々の暮らしは大きく制限された。自粛期間を経てアフターコロナを迎えた日本では、草食系だった男女が一気に肉食系に転じ、少子高齢化に歯止めがかかった。これを見越した新進気鋭の法律学者兼SF作家の鈴木まるお氏が、ウィズコロナの間に選択的夫婦別姓制度や、シングルでも子育てしやすい法整備・環境づくりを働きかけ、2025年~2040年の間に日本は大改革を成し遂げた。というのは、一つに…云々

って、これじゃ教科書じゃなくて大衆紙か…。上の文章は適当すぎるが(朝に思いつきを書いただけなので容赦願いたい)まぁ教科書じゃなくてもいいのかもしれないし、テーマも真面目なものからくだけたものまで、どこにでも変えていったら良く。

そもそも2050年に教科書という名のものがあるのか、中学というものがあるのかもわからない。何メディアか、誰ターゲットか、何テーマにするか、西暦何年の設定にするか、そのあたりはいかようにもチューニングすればよいことで。いずれにせよ書き出しの文章が下手っぴだと参加者が乗れないけれど、もっと巧く書ける人が書いたら楽しい遊びになるかも。

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