2021-04-16

つまみとレバー、ひもの昭和

今40代の私の幼少期というと、昭和50年代。この頃は、まだ暮らしの中にボタンが少なかった。物心ついたくらいの私の家では、家電の調節ごとは大方つまみとレバーによってなされていた。

テレビのチャンネルまわしが代表例だ。テレビ本体の所まで歩いていって、画面の右上についたつまみをつかみ、がちゃがちゃ大きな音を立ててつまみを回していた。子どもがまわすには、親指と人差し指だけで事を成すのは困難で、いつも中指も参加させて3本指で握って回していた。

千葉では、1、3、4、6、8、10、12チャンがイキで、2、5、7、9、11チャンは映らなかった。9チャンとかでつまみを止めると、ジーっという音がして、ザーッという黒い画面が表示された。1チャンから8チャンにしたいときは、6チャンくらいで一休み入れて、つかみ直して8に合わせていた気がする。

洗濯機も、ガスコンロも、電子レンジも、全部つまみをまわして、加減やら時間やらをセットしていた。炊飯器は、たぶんレバーだったような。天井の電気は、ひもをひっぱって点灯→豆電球→消灯を切り替えていた。エレクトーンは、ストリングスの音を入れるのか入れないのか、フルートの音を入れるのか入れないのか、ONとOFFをレバーの上げ下げで切り替えていた。私はもっとボタンを押したかった。ボタンを求めていた。

そんな我が家にインターホンが導入されたときは、たいそう興奮した。家の建て替えに伴ってインターホンもついてきた次第なので、家が新築されたことがビッグな話なのだけど、私が新しいおうちに入って興奮した思い出と言えば初インターホンだ。

「インターホン押してくる!」と言って、いったん入ったおうちから表に出ていって、外の門のところからインターホンのボタンを押したときの快感。おー、もう、これで、ボタンを押したいときには心置きなく押す場所があるという充足感というか、すごいものを手に入れてしまったと気分が高揚したのを今でも覚えている。

もともとの家には確か、インターホンがついていなかった。昔は大人でも「ごめんくださーい」と門の手前から叫んだり、玄関の扉をノックして呼び出していた。私も小学1、2年くらいの頃は、友だちの家に遊びに行くと玄関の前に立って「○○ちゃーん、あそぼー」と大声はりあげて呼び出していた。昭和だ。

この頃に、おそらくラジカセやらゲームウォッチやらファミコンやらどんどこ家に入ってきて、私のボタン生活は一気に華やいだ。そこに突入する前までは、お菓子の缶についてくる梱包材のプチプチつぶしが極上の喜びだった。(私が触れる)世界にはボタンが本当に全然なかったのだ。

「ボタン押すのが好き」という感覚は、その後もけっこう長いこと、色濃く自分の中に残っていたように思う。平成も一桁くらいまでは「パソコンを使う仕事がしたい」「コンピューターを使う仕事に就きたい」という言い回しが、わりとよく聞かれたと思うけれど、私の中にいくらかあったそれは全く高尚さを欠いていて、「ボタンを押す仕事がしたい」ではなかったかと今にして思う。プログラミング楽しいとか、デジタル社会が到来するとか、工学的なり概念的なり社会的なりの意図をもっていたわけではなく、もっとフィジカルなものだったような。

なんで唐突にこんな話を?というのは、疲れた平日の晩につまみ読みしていた春風亭一之輔さんのエッセイまくらが来りて笛を吹くで、サザエさんて昔、日曜の晩だけじゃなくて火曜の晩もやってたよねって話を読んでのこと。

そうだった!そうだった!と興奮を覚えた勢いついで。オープニングは「まーどを開けーましょ、ルルール、呼んでみましょー、サザエさーん」、エンディングは「たらちゃん、ちょっとそれとってー、母さん、この味どうかしらー」。どうしても節を思い出せなくて、結局YouTubeで調べて聴いてみたら、ほんと押入れの奥のほうから記憶がずるずるずるーっと引っ張り出されて、そーだったーと心ふるえた。ちなみに、日曜のお隣りさんは小説家の伊佐坂さんだけど、火曜のお隣りさんは画家の浜さん。お隣さんのペットの犬はハチじゃなくてジュリー、三河屋さんは三郎さんじゃなくて三平さん。いやぁ、なんとなく違うよなぁってくらいの認識で、ずーっと見てたなぁ。懐かしい。ずいぶん遠くまで来たもんだ。

2021-04-13

日常生活に変更を加える

4月に入って水泳を再開し、足元はニューバランスのスニーカーを常用しだし、食事は自炊を中心にし、ラジオは若干控えめ、ポッドキャスト番組を若干増し、本は仕事もの・エッセイ・自伝・小説と雑食して半月ほど過ぎた。あれこれ日常生活に変更を加えて歩みだした新年度。

キョンキョンが最近始めたポッドキャスト番組*で、ポール・ギャリコの「雪のひとひら」という小説の名を挙げているのを聴いて、興味をもって読んでみた。

擬人化された雪の誕生は、人が生まれる神秘と重なり合う。上空で雪が生まれて、ひとひらが地上へと一方向に向かって降りていく様子は、人が死に向かって直進しているのと重なる。でも、それが物語の始まりでもある。

そういえば人間は、こういう世界もイマジネーションを働かせて創作することができたんだったと、久しぶりに思い出させてもらったというかな。なんだかんだいって自分の想像領域、ずいぶんせせこましいことになっていたかもなぁと頭の中の境界線を融かしてもらった感じ。

この間、友人とのおしゃべりで、まりこさんは生きる意味をどうとらえているか聞いてみたいと言われて、マクロとミクロで率直に思っていることを話す機会があったんだけど、なんかシンクロニシティを感じたりもしたな。豊かなおしゃべりだった。さぁ新年度を歩もう。

*ホントのコイズミさん「#1本にわくわくした⻘春時代、時を経て今思うこと。」

2021-03-31

期をまたぐ前に

この4月から、いちおう部署が変わることになっている。といっても事業部は同じだし、最小単位のグループも変わらない。「事業部」と「グループ」の間に挟まっている「部」というのが、この春に新設される事業推進部に変わるという次第で、体感する震度は1に満たない。

なんて書くと、組織改編しているのに自分の役割を見直そうとしない意識低い系社員に思われるかもしれないが、ちがうのだ。すでにこの一年でやってきた仕事の体感7〜8割が、所属グループの枠をはみ出した事業推進としかくくりようがない仕事領域で占められていたのだ。なので感覚的にはこれまでと地続きの期初を、明日迎えることになる。気がつけば、また春到来だ。

私はこの一年、会社の人と新たな仕事を始める入り口でよく、自分が役立てる能力は「国語力」だと冗談まじりに伝えていたのだが、この何か言っているようで何も言えていないワードが、わりとうまく働いてくれたかもなぁと振り返る。

しょっぱな相手が「ふはっ?」という顔をするのだけど、「とりあえず、この辺相談してみっかな」と相手がイメージする領域をわりと広くとれる。曖昧だけど間口の広い言葉を採用するのも、ときには有効なのだなぁと思い新たにする今日このごろだ。

言葉選びひとつで、相手のうちで引き出される考えや感情は多いに変わってくる。無意識に「これは違うな」と思われて、想起されない領域も作り出してしまう。言葉は人を規定する力をもっているし、潜在的な何かを人のうちから引き出す力ももっているので、よい加減の言葉を選ぶことには慎重を期したい。

そうして、相手が何かやりたいことなり解決したい問題を抱えていて、私がもたない専門性や考え・思いをもっているのを、対面して話を聴いて、引き出す。それを読み解いて構造だててシナリオだてて、前に推し進めたり、形に起こして皆で共有できるようにしたり、価値ある実体に変える。

そういう推進力ひっくるめて、私は国語力というか「編集力」を主力に働いている感覚があり、これの動力となっているのが気合いと献身。編集力と気合いと献身、これで自分が働いている感覚を覚えることが多い一年だった。

そうやって来るボール、来るボール、とにかく自分なりに知恵をしぼって丁寧に打ち返していると、人づてに仕事の依頼主が広がっていって、依頼主が広がると、扱うテーマも広がっていく。アウトプットとしてどういう形に落とし込むのか、スライド、提案書、記事原稿、スピーチ原稿、動画、ナレーション、デリバリーの方法もバラエティに富んでいく。

社内仕事をするようになってから、扱うテーマもずいぶんと広域になった。クライアント仕事をしていると、ある程度先方が依頼してくるテーマも特定分野に絞られるのが常だけど、会社であれこれの依頼に応えていくと、依頼主も上司の上司、隣りの部署、経営企画、経営者、親会社と広がっていくし、あわせて扱うテーマもマーケティング、事業戦略、会社のビジョン、SDGsなど、いろんなテーマに広がりを帯びていく。この広がっていく幅とスピードが、社内仕事ならではという気がする。

お客さん仕事で私にそんなことを頼んでくる人はいないし、私もお客さんの仕事でそんな専門外は預かれない。しかし社内のこととなると、とにかくやれるところまでやってみるということになる。いろんな領域がいい意味で見境なく、タッチャブルである。いちいち営業しなくても、いちいち契約しなくても、自分の仕事領域が広がる機会にありつけるというのは、ありがたい環境だ。

なんといっても、これまで触れていなかった領域の人の想いとか考えとか、見ている景色とか、こういう視点でものを見ているんだなぁとかいうのに、一人ひとり直接触れられるのがいい。いろんな人の頭の中、心の中にふれて、理解を深められたり、気持ちを寄せられるのが味わいぶかい。

理解が深まると、その人のためにどう自分が動けるか具体的に考えられる。気持ちを寄せられると、その人のために自分が動けるかぎり動きたいという動力を得る。考えたことを「こう考えてみたんですけど、どう思いますか」「そういうことじゃなくて、こういうことが求められていると私は思うんですが、どう思いますか」と、社内だとかなり率直に訊きやすいし、こっちが率直だと、向こうも率直になってくれて、そういうやりとりから信頼関係も、話の濃度も深まっていく。そうやって、その人の中にあるものを汲んで何かに展開していくのは、とても創造的な仕事だ。

一方で、それがやはり一つの小さな村の中の依頼主に限定しているという意識も、欠いてはならないなぁと思う。扱うテーマは多方面に広がれど、社外に目を向けてみれば、どの領域にもすごいレベルというのがあって、その外のレベルを自分のモノサシとしてもって、自分のパフォーマンスを絶対評価していかないと、実はなんでもない無価値な仕事をして自己満足している状態に陥りかねない。そこのところの基準をしっかり自分で洗練させながら、今はここでいろんなバッターボックスに立ってバットをふらせてもらえる機会を大事にして、楽しみながら、この一年もしっかり役立てるといいなと思う。

2021-03-29

足が1cm小さかった

3月頭くらいからか体にガタがきて、ジョギングができていない。その一方で仕事のほうはかなり忙しくなり、頭と心の疲れぐあいに比して体の稼働があまりにも少ないアンバランスな日々を送っていた。

回復のきざしもないし、これはいいかげん先生に診てもらったほうがいいかもしれない。というわけで、週末の隙間時間を使って近所のクリニック的なところに行ってきた。この道中でやっと桜が観られた。

私は体の部位とか感覚を表す語彙力がかなり乏しく、どう困っているのかを医師に説明するのが、たいそう苦手だ。初診の「痛みのプレゼンタイム」には、いつも手を焼く。

名前を呼ばれて診察室に入ると、医師が「どうしました?」と尋ねてくる。自分の説明の至らなさは重々承知しているので、「説明がなかなか難しいんですけれど…」と切り出す。そして立ち上がる。

私、説明下手ですよ!でも一所懸命に伝える気はあるんです。だから先生も心して聴いてください!という関係づくりを頑張るのだ。相手にも頑張ってもらわないと、ここの情報交換が成り立たない。

さて、まず部位だ。部位の説明は、異文化コミュニケーションする意気込みで、立ち上がってやるのがよかろう。そう、クリニックまでの道中で心に決めてきた。とにかく全身を使って、お伝えするのだ。「ここからここら辺に痛みを感じるんですよね」。医師にも、私のから回った意気込みは伝わっているようだ。ふむふむという表情で、こちらの話を聴いてくださる。

次はなんだ、痛みの種類か。これは、難しい。痛みの種類を説明する語彙が全然浮かんでこない。ちくちくでもないし、ずきずきとも違う。0.5秒で断念する。脳内に「スキップ」という指示がとぶ。誰の声だか知らないが、次いってみよう。

痛いときは、どんな時か。これはどうだ?いけそうだ。えーと「じっとしている時には痛くないんです。でもジョギングするとなると、それはないなというくらいに痛む。歩いていても、数分歩き続けたり、小走りしたりすると痛みを感じる感じでして」。こんなんでいいんだろうか。よくわからないけれど、まぁ頑張って伝えているふうではある。脳内で及第点がつく。

とりあえず初手としては、これくらいの情報量でいいのではないだろうか。あまりべらべらしゃべりすぎるのもなんだし。あとは黙って、先生の質問に応じていくコミュニケーションに切り替える頃合いではないか。脳内の誰かから、また指令がとぶので、ここで黙ることにする。

そこから先生とのいくつかのやりとりがあって、先生のプレゼンタイムが始まった。つまるところ、そもそも歩くときに、足元のここがこうなっているから、それのバランスをとろうとして体のほうがこういう体勢になってだな、そういう歩き方のまずいところに、コロナで日々の運動を水泳からジョギングに切り替えて体にこれまで以上の負担をかけるようになって痛みだしたということだろうという説明を聴き、ふんふんなるほどと。授業を受けるように解説を受けた。

これをまた、理解はしたのだけど、うまくここに書けないくらいには体の部位や感覚に関する説明力が乏しい…。とにかく結論、

1.「かかと寄り&内寄り」な重心を「つま先寄り&外寄り」に直す意識で、「つま先と土踏まずで体重を分け合って支える」歩き方を意識すること

2.靴を変えること(平らな楽な靴を履いてりゃいいってわけではなく、前方しめるところをしめてかからないとダメ)

3.歩き方は意識することで治せるか微妙だし、治せるにしたってすぐに良くなるわけじゃないので、日々の運動はジョギングではなく水泳に戻すこと

持ち帰ってきたのは、この辺のことだ。2月くらいに、すごく気持ちよく泳ぐ夢を見て、あぁやっぱり私は走るより泳ぐのがいいのではないかとは思っていたんだよなー。

痛み止めとか湿布は特にいらないとお断りしたので、先生の儲けが全然でなかったようで申し訳なかった。「授業料でつけといてください」と言ったのだけど、「そういうとり方はできないんですよー」ということだった。800円くらいで、たくさんアドバイスをもらって帰ってきてしまった。

さて、この診察の中でもう一つもらった手土産が、足のサイズ情報である。私はずっと自分の足のサイズを24cmだと思って靴選びしてきたのだけど、実際に目の前で測ってもらったら23.1cmだった。これにはびっくりたまげたなぁ。靴も買いにいかないと。プールも、早く泳ぎたい。

2021-03-18

柳家小三治さんの「心の方針」

心をほぐすような一冊を…と、デスクの隅の積ん読本をしり目にジャケ買いしてしまったのは「どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝」*。名前のとおり、噺家の柳家小三治さんの自伝。表紙(Instagram)を見ているだけでも、ほっと一息。ここしばらく猛烈に忙しい日々なので、休日の隙間に一気に読んで、心ほぐしてもらった。

傘寿を迎えた小三治さんだけれど、自伝とあって若い頃のことから今までのことが200ページほどに凝縮して綴られている。なかでも二ツ目の頃の話には励まされた。

小三治さんは前座から二ツ目にあがるとき、ネタの数が少ないのを恥ずかしいと思っていた。二ツ目になるときには百くらい噺を知っている人もいるようだったし、同じ時期に入門した同期生2人も「3日あればひとつの噺をおぼえられる」と豪語していた。一方の自分は、ひと月たってもふた月たってもおぼえられない。稽古して練習してるんだけど、頭に入らない。

先へ行かないんです。これじゃあ違うな、こんな言い方ないなって。こういうときはこういう気分じゃなきゃダメだよなとか。ほんとに三歩進んで二歩下がっちゃう。

その頃から小三治さんは「落語をせりふでおぼえる、言葉でおぼえるっていうより、了見でおぼえていく。中の登場人物の気持ちになって、その人の発言としておぼえていく方法を取るようになった」と言う。

中の人の登場人物の心持ちに、すっかり沿えないと、せりふは出てこない。むなしいせりふは言えない。だから、遅々として進まない。仲間が3日後には全部すっとできるのを、ひと月もかかって半分も行かないと自分自身にいやになっちゃう、愛想が尽きる。「でも、しょうがねえから、また起き上がってムチくれてかけ出そうっていう、そういうジレンマ」を抱えながらやっていた。

時間はかかっても、表層ではなく奥をつかみにいく。形ではなく、中身を作る。中心をはずさず、まっすぐ向いて、まともにやっていく。そういう歩み方に、たいそう共鳴したし、励まされた。

私が普段たどる道のりは、回り道も多く、とろい。物事を咀嚼して、自分の中に編み込んでいって、自分で納得してから、何かに展開して、表に出していくまでにたどる道のりはややこしくて、人にばれれば何をやっとるのかと呆れられること請け合いだ。だから、どこを経由してそこにたどりついたのか、アウトプットまでの道のりを事細かに人に説明することはない。そこそこの時間内に、ほほぉというアウトプットを出せれば、誰も何も文句は言わないし、迷惑はかけない。いくらじたばたしても裏では時間がかかっていても、それはそれでいいことにした。

結局、私はそこをたどる以外の選択肢をもっていないのだ。何かをスキップして済ますのも性に合わなくて無理が出る。いったん割り切ってしまえれば、回り道も楽しめるし、自分の肥やしにもなる。時々自分の思考のとろさにやきもきしても、しゃーないと思って、あっちゃこっちゃ経由しながら丁寧にやっていく。選択肢をもたないなら、それを自分の道として楽しむ。

そうして鍛錬していく中で、小三治さんが目指す方角を切り替える、あるいは「自己を持つ」という舵をきる二ツ目時代の描写がある。

噺家になってこの世界に入ったときは、いつか文楽師匠のように完成された芸になりたいって思ってましたよ。文楽師匠は私の師匠の師匠ですし。でも、やってるうちに心の底から魂を揺さぶられるような芸になりたいって、まぁ、私の欲が出たんでしょうか。

単独での芸の完成形を目指さなくなる。ここには、噺を受け取る相手に対する期待とか信頼があると思うんだよな。自分が送り出したものを受け取った先で、相手が自分の中でそのイメージを立ち上がらせて、感情を揺らし、内容を咀嚼し、意味を作り出してくれるっていう受け手への期待とか信頼が前提にあって成り立つ話だ。

そういう想像のもとに、噺家の表現は、単独での完成を目指さなくなって、相手にどう届けるか、正解のない表現を目指して想像を巡らせ続けるようになる。それはいつでも誰でも完璧に届けられるという自分へのおごり、相手は受け取るだけという思い込みを排することでもある。相手先でどう転じるか、最後はわからない。

そういうところも自分の普段のコミュニケーションや編集業務に通じるところがあって、目指す先に共鳴するところが多分にあったんだよな。身のほど知らずって言われたら、それまでだけどもさ。

芸、芸術、人の生き方でもなんでも、いいんじゃないの、つまずいたって。その人がなにをしようとしているのか、目指していることが素敵だったら、拍手したいよね。また、拍手できる人間になりたいと思う。それにはまず自分の側を取り去ることしかない。

奥をつかみにいくっていうのは、そういうことでもあるんだよな。その人が今つまずいていることに目線をあわせて終わるんじゃなくて、その人が目指していることに目線を向けてみる。それが素敵だったら、拍手したい、応援したい、そこの目線あわせは、自分にかかっている。丁寧に、大事に、その人を見て、奥をつかみにいくのだ。奥っていうのは、先ってことにもなるのだ。

自分の大好き、自分の面白い、自分の良し、自分は何を目指して、何を素晴らしいと思い、何をみっともないと思うのか、小三治さんの心の方針がつづられていた本。

私はこれを受け取って、心の方針をもつって大事だよなって思ったし、自分の心の方針を大切にして生きるって大事だよなって思いを新たにした。私はそうやって生きていくんだ。

*柳家小三治「どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝」(岩波書店)

2021-03-12

Era Web Architects「写真展」という体験

先日こちらでご案内したEra Web Architectsの写真展が始まり、ただいま会期中(3月9日〜14日)。せっかくなので初日の晩のレセプションにあわせて観賞に訪れました。

そもそもポートレートの写真展に足を運んだのが初めてだったのですが、あんな立体的に人物を浮き彫りにする仕上げがなされているとは想像しておらず(感じたことを適切に言い表せている気はしない…)、ギャラリー空間の入り口に立って全景を見渡し、壁にかかるポートレート写真を視界におさめたとき、まずちょっとびっくりしました。

そして入り口付近から遠目にみても、自分が被写体になっているポートレート写真の中の人が明らかにびっくりしていて、それを観た私もびっくりしました。私一人だけ、びっくりしてない?と。

ただ少し遅れて伺ったため、まずは案内に従って静かに着席。(発起人の坂本貴史さん、写真家の坂本貴光さんのお話は聞き逃してしまい…)、ポートレート写真に取り囲まれながらバイオリンとビオラの生演奏を聴きました(旋律がロマンチックすぎて泣いてしまった)。ドイツではよく、個展の初日にこうしたもてなしをするのだそうです。

その後、自由に観てまわっていいタイムが訪れるや、立ち上がってうろうろ。写真家の坂本貴光さんによると、ポートレート写真は「目をデザインする」ものなのだそうで、実際、被写体それぞれの表情豊かな眼差し、潤いに満ちた瞳孔には、大いに惹きつけられました。

それでまぁ自分のポートレート写真にも近寄ってみるわけですが、間近でみると写真というより鉛筆画のよう。彩った黒のつややかなこと(言い表せていない…)。

被写体と私(Instagram)

ギャラリーに足を運んで、実物を観ることでこそ感覚に届くものが確かにあるなぁと私にもわかったし、数十のポートレートに取り囲まれる空間に身をおいてこそ味わえることも確かにあるなぁと思えたし、こうしたものの観賞はまったく素人ながら、たいへん新鮮な体験ができました。

また会期初日がたまたま自分の誕生日だったため、久しぶりの面々にレセプションでお目にかかることができて、とても素敵な誕生日になりました。心から感謝、感謝です。

被写体それぞれの表情の撮り方はもちろん、トリミングの仕方もいろいろで面白いし、紙も普通の人は買えない特別なものを使っているそうで、石灰で表面がコーティングされているのだとか、1年がかりで仕上がっていくのだとか。被写体を知らなくとも、坂本貴光さんの写真展として、写真を観たり撮ったりするのが好きな方から、それを専門とする方まで幅広く楽しんでいただけるかなと思いました。

今週末3月14日(日)まで恵比寿でやっていますので、ご興味ある方&お近くの方はぜひ足をお運びください。詳しくはPeatixのイベントページにご案内があります。被写体(私)の知り合いということで「入場券(関係者招待枠)無料」で事前申し込みいただければ、4千円いらず無料でお楽しみいただけますので、お気軽にどうぞ。

2021-03-11

3月の初詣、出雲がゆかりの地に

今週の月曜日、父を誘って成田山へ初詣に出かけた。3月に初詣なんて遅過ぎるけれど、コロナ禍でお正月恒例の参拝はひかえ、少し落ち着いた頃合いに…と思っていたら3月に。

再延長の緊急事態宣言下ではあるものの、有休休暇を取って平日の真っ昼間に決行すれば、電車は行きが下りで、帰りが上りだし、おおむね田舎から田舎への移動という感じだから(特に父は)人混みにあわず行き来できるのでは、と企てた。むしろ宣言明けのほうがリスクを感じる…。

この日なら仕事も都合がつくし、世の中的には普通の平日ながら、私の誕生日前日とあって父と私にとってはなかなかめでたいデーなので、ちょうど良かった。

その日を迎えると、天気はあいにく冷たい雨。しかしコロナ禍では絶好のお出かけ日和とも言える。父が朝に電話をかけてきたので、第一声「雨だねぇ」と様子を伺うと、父が「俺のメモには雨天決行と書いてあるよ」と返してきたので、「じゃあ行きましょ!」と応じた。

実際向かってみると、電車がらがら、参道もがらがら、食事処もがらがら、新勝寺もがらがらで、すばらしくゆったりのんびりできた。私は成田山てお正月しか訪れたことがなかったので、ギャップがすごかった。人混みなく歩く参道も境内も初めてで、こんなに大きいのか、こんなに広いのか、こんなに立派なのかーと、あちこちで感心した。同じ場所でも見え方ってこんなに変わるものなのか。

大本堂の中にも少しあがって、祈祷の様子を眺めた。お坊さんのお経を読む声が堂内に響き渡り、お坊さんの前には大きな炎があがっていて、端からは大太鼓を打つ音が鳴り響いていた。自分の心は、時を重ねるごと静寂さを得た。私は太鼓の音が好きだ。

食事処も、お正月だと食べたらすぐ出て行く混み具合なのだけど、今回ばかりはいつまででもゆっくりしていってくださいなーという竜宮城状態だったので、あれやこれや父とおしゃべりして長居した。

そこで、そういえばと思い当たったのが、私は父方の祖母のことをほとんど知らないまま今日までやってきたということだ。祖母は、私が生まれた20日後くらいに亡くなったので一度も会えずじまいで、入れ替わりのようにして私がこの世に生を享けた。彼女が、父とのおしゃべりの中で出雲の人だと知り、えぇ!と内心テンションがあがった。この歳まで知らなかった。

がぜん出雲行きたさが高まり、いや前から行きたいところではあったのだけど、急に「ゆかり」感が高まったのだ。人の認識っておもしろいなと思う。お調子者とも思うが…、いやぁやっぱり生きている間に一度は行かなきゃな、コロナが明けたら行きたいなぁと、「出雲」の地を心に書きとめた。

翌日の誕生日の晩、床について目を閉じた刹那、ふと、この、今生きている私の人生が幕を閉じ、いつか私の意識も無意識もなくなって、体もなくなって、土に帰るのか、天に向かうのか、それとも海に帰すのか、全部がなくなるんだなぁという核心に、触れた。こんな文章をしたためている、もととなっている心のうちが、何もかもなくなるのだ。それくらいちっぽけなものと認めながら、私は大事に、大事に、この人生を生きていく。感謝して、生きていきたい。

2021-03-08

ひとりの中にある「父性と母性」

父性と母性について言葉をくだいて書いてあるのが、臨床心理学者の河合隼雄さんが遺した「母性社会日本の病理」。1976年の著作だ。

ちょっと要点を書き出してみたい。

母性

  • 母性原理が示すのは「包含する」機能
  • すべてのものを(良きにつけ悪しきにつけ)包みこみ、絶対的な平等性をもって扱う
  • 与えられた場に属するものに対しては、個人の能力の差などに注目せずに平等に扱う
  • 肯定的な面では、生み育てるもの
  • 否定的な面では、呑みこみ、しがみつきして、自立を妨げる、死に至らしめるもの
  • 「場の倫理」を重んじる(与えられた場の平衡状態の維持にもっとも高い倫理性を与える)

父性

  • 父性原理が示すのは「切断する」機能
  • すべてのものを切断し分割する(主体と客体、善と悪、上と下、物質と精神などに分類する)
  • 個人の能力や個性に応じて類別する。個人の能力を測定し、評価することを公平さの前提にもつ
  • 肯定的な面では、強いものを建設的につくりあげてゆく
  • 否定的な面では、切断の力が強すぎて破壊に至らしめる
  • 「個の倫理」を重んじる(個人の欲求の充足、個人の成長に高い価値を与える)

改めて記述してみて、やっぱり一人ひとり両方もっているよなぁと思う。男性であれ女性であれ。私という一体の中で、両方の意味や価値を見いだせるし、両方の危うさやリスクを理解できる。

機能として見れば、両方やる。包むことも、切ることも。呑みこむことも、分割することも。平等な価値判断も、公平な価値判断も。私たちは成熟していく過程で、うまく両方の機能を場面場面で使いこなせるようになっていく。他方で、いくら大人になってもストレス下で片方が出過ぎたり、片方が衰弱したりしてコントロールを失う場面もあるのが人の常だ。

性質として見れば、人それぞれ。どちらが優勢で、どちらが劣勢か、それには個体差がある。そこには一体の中である程度統合された現れ方があり、それを性格とよんだりパーソナリティーとよんだりするんだろうけど、性別がこっちだからどっちが優勢と決めてかかるのはあまりにステレオタイプな見方で、個人の捉え方が雑だよね。っていう見解をもつまでに、社会は発展を遂げようとしている、その只中にある。そんな感じだろうか。

父性と母性といえば、まずは「対立関係」にある原理として認めるのが普通だけれど、そこで立ち止まらずに、たとえ自分個人の中で、あるいは自分が生きてきた社会、時代、なじむ文化や宗教において、片方が優勢、もう片方が抑圧された状態だったとしても、そこから切り離れた視点をもって解釈を発展させられるのが、人の知性だ。

両方ないと世の中が成り立たないことを認めて、そこに互いが互いを補い合う「相補関係」を見いだして、自分の中にも、他の人の中にも、社会の中にも、双方の「融合した状態」を認められるようになること。ここに、私が好きな人間の豊かさがある気がする。

「男性と女性」についても、似た解釈ができるのではないか。この2つも対立関係をもつ概念であって、男性性と女性性を一人が同時に現すことはできない二律背反性をもつ。積極的かつ消極的であるとか、自律的かつ従順である状態を同時に出すのは、怒りながら笑う表情をつくるほどに難しい。

けれども、その同時性を排除すれば、性質としては一人の人間の中で、両者は内包しうるものである。その通常時の男女性質バランスには、性差というより個体差を認めるほうが、健全に個人や状況を洞察しやすいのではないか。「~さんは厳しい人だよね」というのは、ごく自然だけど、「~さんは男性だから厳しい人、そうあるべきだ」というのは不自然だ。

一人ひとりの中にも、また社会や時代がもつ文化によっても、一方が優勢、もう一方が抑圧されていることがある中で、そこに補償関係を認めて活かせるのが人間の知性であって、そんな捉え方が健全だろうなぁと思っている。

2021-02-22

Webサイトをつくってきた人々の写真展「Era Web Architects」会期まぢか

3月9日、Webサイトをつくってきた人々の写真展「Era Web Architects」が始まるそうだ。その週末14日までの6日間。以前ここに書いたけれど、恵比寿のギャラリーに自分の写真が飾られるというのだから、それなりに長く生きていると、おかしなことが起こってくれるものだ。偶然にも会期初日は、自分の誕生日でもある。

会期:3月9日(火)〜14日(日)
時間:11:00~19:00(最終日のみ17時まで)
会場:HIROSHIGE GALLERY(弘重ギャラリー)

いまだになんで自分が混じっているのか理由はわかっていないのだけど、写真展の被写体になるなんて今回かぎりだろうから、とにかくありがたく、またプロの写真家の作品展として、私も会場に足を運んで観賞させてもらうつもり。

なのだけど実際問題、自分の写真がどうなっているのかは皆目見当がつかない。とりわけ、この写真が撮影された昨秋など、私が観る私は「色彩を持たない多崎つくる」の彼そのものだった気がして。

人々はみんな彼のもとにやってきて、やがて去っていく。彼らはつくるの中に何かを求めるのだが、それがうまく見つからず、あるいは見つかっても気に入らず、あきらめて(あるいは失望し、腹を立てて)立ち去っていくようだ。彼らはある日、出し抜けに姿を消してしまう。説明もなく、まともな別れの挨拶さえなく。温かい血の通っている、まだ静かに脈を打っている絆を、鋭い無音の大鉈(おおなた)ですっぱり断ち切るみたいに。

腕利きの写真家が、こんな彼を相手に撮影をしなければならなくなった場合、どう写そうとするのだろうかなと。終始おだやかに対応くださって、撮影は早々に終わったのだけど、実のところひどく困らせていたかもしれない。これをどうせぃというのだと。こういう写真展の場合、被写体を2〜3割増しに見せようというよりは、きっと実態をそのまま写しとろうとするんだろうかなぁという気もするし。

とすると、私の写真だけ壁が写っていたりして…などと妄想。それはそれで没個性を通り越して個性的な作品になれるかもしれない。タイトルは「空っぽ」。

まぁおそらく、足を運べばちゃんと自分の姿を認められるのだろう。ただ私は昔から芸術というものを観る眼がないので「自分が写っているな」としか思えず、その意味で自分の空虚を感じ取って帰途につくだろう現実的な予測はある…。ただ他の皆さんの写真は、人物そのもののオーラがものすごいので、私にも何か受け取れるものがありそうで、そこはちょっと期待してしまう。

あれから数ヶ月経ち、彼は「巡礼の年」を経て、確かさを確かめながら、前を向いて歩いている。

おれは内容のない空しい人間かもしれない、とつくるは思う。しかしこうして中身を欠いていればこそ、たとえ一時的であれ、そこに居場所を見いだしてくれた人々もいたのだ。夜に活動する孤独な鳥が、どこかの無人の屋根裏に、昼間の安全な休息場所を求めるように。鳥たちはおそらくその空っぽの、薄暗く静まりかえった空間を好ましいものとしたのだ。とすれば、つくるは自分が空虚であることをむしろ喜ぶべきなのかもしれない。

そろそろ45歳。これで生きていくしかないのだし、これとうまいことやっていくのだ。足るを知り、自分とともに過ごしてくれた人たちへの感謝と、あたたかい気持ちはずっと絶えない。この気持ちがここにあれば、こんなにあったかく、ここにあり続けてくれるなら、この先も豊かにやっていけるかなと思う。

どこまでも美しいかたちの入れ物になればいいんだ。誰かが思わず中に何かを入れたくなるような、しっかり好感の持てる容器に。

村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」、きっと読むべくして読んだんだろうな。

2021-02-13

中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円

昨年は4冊か5冊か村上春樹の作品を読んだ。けっこう前に出たもの、最近のもの織り交ぜて。そのときに書き留めたメモが出てきたのを、ちょっとこちらにも残しておきたい。

「一人称単数」は昨年の夏に出た新作、8作からなる短編小説集だ。そうとは言わないけれど、なんとなく全編、主人公のボクは村上春樹本人なんだろうなと思わせる雰囲気が漂う。「一人称単数」とも言っているし。

その中に「クリーム」というタイトルの物語があって、「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円」というのが出てくる。老人がボクに尋ねる。「中心がいくつもあって、ときとして無数にある、しかも外周を持たない円を、きみは思い浮かべられるか?」

これは、難しい問いとして設えられている。そりゃ、そうだ。円とは「中心をひとつだけ持ち、そこから等距離にある点を繋いだ、曲線の外周を持つ図形」なのだから。

だけど数学だか算数おんちの私には、わりと一読した最初から自然に、いけるんじゃない?という感覚があった。原理とか自然法則に対する向きあい方みたいなのが生来テキトーだからだろう。

言い方を変えると、そういう言葉の言い回しをもってして老人が伝えたいことは何なのかを汲み取ることのほうに傾斜した言葉の受け取り方をするというか、数学より国語のほうが(相対的に)得意ですというか。

つまり脳内で作られているメタファー的な円であれば、外周などというのは自分の力でいくらでも融かすことができるということ。と同時に押さえておかなきゃいけないのは、私たちは円を無意識に形づくってしまうし、その外周の枠組みにとらわれてしまいやすい生き物だということだろう。

加えて、一つの中心(つまり自分の視点)からものを見るのを基本としていて、他の視点からものをみるというのは、そのやり方と筋力を鍛えないとうまくできないし、身につけたとしても余裕をなくすとうまくできなくなってしまう、危い生き物でもある。

ただ、私たちには確かに想像力というパワフルな才能があって、他の中心に移動したかのように、いろんな中心からものごとを見られる。これはものすごく尊い能力で、生かさない手はないと折りに触れて思う。

私たちは無意識に円を作ってしまうけれど、円を融かすことだってできるし、今は世の中も融かす時期、私も融かす時期。だからごくごく自然なことに受け取れた。

今日久しぶりに、このメモに目を通しているとき、なんで「円」を持ち出したのだろうなという問いが浮かんだ。円の原理にそぐわないものを円といったら混乱するじゃない?(まぁ混乱させてなんぼなわけだが、それはおいといて)

例えば「点」でいいんじゃないか。点がたくさんあって、それが散らばっているだけなら、点はいくつあってもいいし、外周を持たなくて問題ない、言葉とイメージが矛盾なく成立させられるのでは、と。

そうやって考えてみると、私たちは円ならざるをえない個人なんだなということを表しているのかなと思う。私たちは、一個人が点だとすれば、円という360度の広がりをもって環境と関わらずしては生きられない。矛盾が生じる世の中を生きることを避けられない。それを環境(円)として、切り離れずに人(点)は生きていくのだと、そんなことをイメージした。

この物語の最後のほうで、主人公は「原理とか意図とか、そういうのはそこではさして重要な問題ではなかったような気がするんだ」と言う。

それはおそらく具体的な図形としての円ではなく、人の意識の中にのみ存在する円なのだろう。たとえば心から人を愛したり、何かに深い憐れみを感じたり、この世界のあり方についての理想を抱いたり、信仰(あるいは信仰に似たもの)を見いだしたりするとき、ぼくらはとても当たり前にその円のありようを理解し、受け容れることになるのではないかーそれはあくまでぼくの漠然とした推論に過ぎないわけだけれど。

なんとなく、通じているのかなぁと。あくまで私の漠然と受け取ったイメージに過ぎないわけだけれど。

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