2022-09-28

そろそろ下山なるか

ここ数年にわたって、ずいぶんと山籠もりな気分で過ごしてきた。「足るを知る」をスローガンに低空飛行で心身の健康を維持しながらやってきたのだけど、最近になってなんだか少し、足取り軽くして、そろそろ下山なるかという、そんな時季なり気配なりを感じ出している(まだ弱腰)。

このところの秋晴れと、さわやかな秋風のおかげであって、ごく一時的な気分にすぎないかもしれない。コロナ禍がようやく、そろそろ、落ち着きだしてくるのかも?という希望的観測をもってのことかもしれない。いま読んでいる長編小説があまりにすさまじく読んでいるとへとへとになるので、それと比べて自分の生きている空間が軽やかに感じられる作用をもたらしているのかも、とも思う。ふさいだ気持ちで漂っているのに、いいかげん生き物として飽きてきたということもあるかもしれないなぁ。

まぁ複合的な要因を背景にしてってことなのだろうけれども。私としてはぜひこの流れで気分が進むといいなぁと思いつつ、静かに自分の動向を見守っている。無理やり浮上させるには心意気が足らず、自然の成り行きを静観している。

低空飛行ながら心身とも健康を維持してやっていくタフさはわりと鍛えられたので、別のところの筋トレもしてみてはどうかと、そういうふうに自分が流されていくのを見守っている。なにせ人生一度きりにして、あきらかに後半のどこかを歩いているのだし。

そういや、この間友人のところに赤ちゃんが生まれたとき考えたのだけども、その子は自分と46歳差ってことでしょ。それを自分が生まれたときにスライドさせて考えると、1930年生まれの人と私の関係性になるわけで、昭和5年生まれってこと。あぁ今年誕生した子からみて自分というのは、自分からみたら昭和5年生まれに相当する年の離れた人になるわけかーと思ったら、うぇってなった(声にならない声)。時としてドン引きするようなインパクトをもつ計算ってあるよな。この子らは22世紀の世界を目撃するのだろうなぁ。私も、置いてもらえるかぎりの、ここでの時間を大事にしないと。

翌日の追記:これを読んでくださった方とやりとりしていて思い深まったこと。最後の「自分が生まれたときにスライドさせて考えると」アプローチの魅力って、自分の生きた年数の分だけ、自分が生まれるより前の出来事、その時代を生きていた人たちのことを身近に引き寄せられて考え直せること。昭和5年の人たちのことを、子どもの頃よりずっと身近に引き寄せて考えられる自分がいる。縮尺が変わっていくんだな。

2022-09-18

パンチにパンチを返すのはよせ

「サンセット・パーク」に続けて「ブルックリン・フォリーズ」を読んだ。ポール・オースターならでは、知性なくしては成しえない人のおおらかさ、人の温かみが沁みわたった滋養の書。

そうだ、そうだよ、人は、こういう可能性をもった生き物なのだ。「パンチにパンチを返す」世界に、うずもれてしまってはいけない。そんなつまらないところに、自分をとどめておいてはもったいない。

彼女に「あたしどうしたらいい、ネイサン?」と問われた主人公は、まずこう返す。

「何も知らないふりして、放っておけばいい。じゃなけりゃ二人を祝福してやるか。二人の関係を好きになる義務はないけど、選択肢となるとその二つだけじゃないかな」

彼女は「二人を家から叩き出すことだってできるでしょ?」と返す。そこでネイサンは一息にこう返すのだ(イメージは映画「恋愛小説家」のジャック・ニコルソン)。

「うん、まぁできるだろうね。でもそうしたら、君は生涯ずっと、毎日後悔することになると思うね。やめておけよ、ジョイス。パンチにパンチを返すのはよせ。あごをしっかり引けよ。気楽に行けって。選挙は毎回民主党に入れろよ。公園で自転車に乗れよ。私の完璧な、黄金の肉体を夢に見ろよ。ビタミン剤を飲めよ。一日コップ八杯水を飲めよ。メッツを応援しろよ。映画をたっぷり観ろよ。仕事、無理するなよ。私と二人でパリに旅行しよう。レイチェルの子供が生まれたら病院に行って私の孫を抱いてやってくれ。毎食後かならず歯を磨けよ。赤信号の道を渡るなよ。弱い者に味方しろよ。自分の権利を守れよ。自分がどれだけ美しいかを忘れるなよ。私がどれだけ君を愛してるかを忘れるなよ。毎日スコッチをオンザロックで一杯飲めよ。大きく息を吸えよ。目を開いていろよ。脂っこい食べ物は避けろよ。正しき者の眠りを眠れよ。私がどれだけ君を愛してるかを忘れるなよ」

なんだ、このカトチャンの「歯みがけよ。風呂はいれよ。宿題やれよ。風邪ひくなよ。また来週」みたいな長ゼリフは。この愛情にじみ出る、ジョイスのためだけに紡がれた唯一無二のメッセージは。

これだけの言葉を繰り出せることが他に、いつ誰にあるだろうか。ネイサンは、この時この場面でのジョイスへのメッセージでしか生涯このセリフを吐かないし、人類の歴史を振り返っても、この先の地球の未来においても、この全部を、この順で、この言い回しで誰かに伝える人など誰ひとりとして現れないだろう。今ここでしか現出しない、ぐちゃぐちゃの、ごった煮の、ネイサンがジョイスその人にしか、その人のためにしか吐かない唯一のメッセージだ。

この一節を読んだとき私の脳内には、汎用的で中身からっぽの容れ物を、さもありがたい叡智のように取り扱ってやりとりしている薄っぺらな世の中の一面が対比的にせりだしてきて、このメッセージの固有性に胸を熱くした。今ここでしか通用しない、けれど今ここで何よりも意味をもって温もりをもって伝わってくるネイサンのメッセージ。それはそのまま、オースターが読者に届けるメッセージ、そう受け取った。細部は、中身は、いつだって自分がその都度作ってその人に届けるのだ。

次の引用は、このジョイスとのやりとりとはまったく別場面、主人公ネイサンが娘レイチェルに向けて言葉を尽くした後の述懐だが、ジョイス、レイチェルともに注がれるネイサンの知的でおおらかな温もりが感じられる。

何を言っているのか、自分でもさっぱりわからなかった。言葉が私のなかから狂おしくほとばしり出てきたのだ。ナンセンスと、煮えすぎの感情のとめどない洪水。馬鹿馬鹿しい演説の終わりにたどり着くと、レイチェルが笑みを浮かべているのが見えた。レストランに入ってきて以来初めて見せた笑顔である。たぶん私としても、ここまでやれれば上出来なのだろう。私が彼女の味方であって、彼女という人間を信じていて、おそらく状況は彼女が思うほど暗くはないと納得させること。少なくともその笑顔は、彼女が落着きを取り戻してきたしるしである。べらべら喋りつづけながら、私は徐々に、眼前の話題から彼女の気をそらしていった。私にはわかっていた。最良の薬はテレンスのことをしばらく忘れさせること、何週間も前から取り憑かれてきた問題について考えるのをやめさせることなのだ。このあいだ会って以来私の身に起きた出来事を、一章一章私はレイチェルに物語った。

理路整然と正しいことを明晰な言葉で端的に言えば、それが最も望ましいか、それで伝わるかというと、人のコミュニケーションてそんな薄っぺらなものじゃない。

何かためこんでいる相手には、傾聴するのがいいんですねと、自分の話をせず相手の話を聴いてあげればそれで正解って、人間そんな単純な生き物じゃない。そんなんで傾聴する自分に酔いしれている人間など、傾聴されている側からすれば薄気味悪く見えるだけだ。

相手本人を前にして、SNSごしでもなくスマホカメラごしでもなく、その人の目の前で言葉を尽くして尽くして、重ねて重ねて、どうにかどうにかと、もがいた末に届く思いというのがあって、それが言葉としてはぐちゃぐちゃなんだけど、伝わる、届くということがある。それこそ人間の営みだよなと、そういうことを思った。

私はさいごまで、この人間像で生きていきたいなぁ。大方、何を力んで何か言いたがってるんだと意味不明な文章だろうけれども、そういうことを思った読書の記録。

*ポール・オースター「ブルックリン・フォリーズ」(新潮社)

2022-09-06

単純化できないものを単純化する愚行

日々自分の中になだれこんでくる情報が、あきらかに偏狭で暴力的で浅はかでおかしくなっていることを自覚し、処方箋を考えた。文学だ、例えばポール・オースターではないかと思い立った。

積ん読になっていた「サンセット・パーク」を手にとり、読み終えた今は「ブルックリン・フォリーズ」を読んでいる。この後は「インヴィジブル」を読もう。そういえば十数年前に「幽霊たち」やら「ムーン・パレス」やら十冊くらい立て続けに読んだ後、長らく彼の作品を手にしていなかった。

ポール・オースターを読む喜びとは、何なんだろう。読みながらも、そんなことを考えた。「ニューヨークを舞台にした物語がお洒落」とか「ポール・オースター作品を読む私って素敵」論を通り抜けた先に、真正の価値を見出している体感はあるのだが、それを言葉に表すことはままならない。私の中のポール・オースターが「言えないうちは、言葉にするな」と諭す。

それでもポール・オースターの作品は、文学の意味なり価値なりを、読みながら読者に考えさせるようなところがある。それ自体が、彼の作品の魅力なのかもしれない。読者を思索に誘うような風情がある。

物語がハッピーに終わろうと終わらなかろうと、さしたる問題ではない。結末の問題ではなく、プロセスの問題。否、なんなら昔読んだ本など、話の筋も主人公のキャラクターすら私は覚えていない。けれど、読んだときの充実感、作品の面白さ、文学の可能性に感応した経験は、長く余韻を残している。

あーとも、こーとも捉えられる世の中の一つひとつの解釈の幅と深みを、物理的な体感をもって残してくれる。それはずっと、何十年と、私を育みつづける。私が直面する世界の現実に、示唆を与え続けてくれている。だといいなぁ…という期待も、いくらか混じっているような気はするけれど。

なぜ彼の作品を、いま処方箋として私は直観したのか。彼の文章を読んでいると、思い当たるところが次々出てくる。

「サンセット・パーク」では、戦争を生き抜いて老年期を迎えた世代が口をつぐみ、当時のことを黙して語らないのと対比的に、こんな若者像を描写する。

ちょっとでも水を向ければ自分のことを喋りまくり、あらゆる事柄について意見を持ち、朝から晩まで言葉を垂れ流す

「まだ話すことなんかろくにない彼女自身の世代が、えんえん喋るのをやめない男たちを生み出した」ことを、壮大な矛盾として突く。

「ブルックリン・フォリーズ」は、まだ読み始めなのだが、

とにかく陳腐な決まり文句を連発する。現代的叡智という名のゴミ捨て場を埋め尽くしている、言い古されたフレーズやら出来合いの理念やらを年じゅう口にしているのだ

そうして二十九歳の一人娘を痛烈に批判し、気の毒に思う主人公の姿がある。

ただの一度も独創的な言葉を口にしたことがない。これだけは絶対に間違いなく自分自身のものだという思いを、一回たりとも生み出したことがないのだ。

私が最近の、自分の中になだれこんでくる何に拒否反応を示しているのかが、読書中あちこちで浮き彫りにされていく感じがした。

「サンセット・パーク」に戻って、これに遭遇する。

単純化すべきでないことを単純化すること

「言葉にする」ことを急いてしまうと、自分の吐く言葉はいくらでも浅薄になり、それで満足して次にいけてしまう薄っぺらい人間をせっせと構築していってしまう。

大事なことは、そんなに簡単に言葉に表せない、単純化して済ませてしまうなよ、と。これはつまり「外から入ってくる情報」に対してではなく、私は「私自身」に対して痛烈に批判を与えたくて、注意を喚起したくて、何かそういう思いが十数年越しにポール・オースター作品を手にとらせたということか。そんな気がした。

品を失うな、品を手放すな、と。自分が思考すること、言葉にすることしないこと、それをどういう言葉に表すのか、何は言葉で表して何は行動で表すのか。そういう一つひとつのことに対して、自分の意志をもって品を保ちなさい、と。私にとってポール・オースターの本は、そういう戒めの働きをする。

ノウハウやらナレッジやらを扱う仕事がら、「現代的叡智という名のゴミ捨て場」とは背中合わせ、すぐそこにある気がする。そこに堕してしまわないためには常に細心の注意が必要で、そこに不気味さを感じて拒絶できるかどうかは、結局のところ自分の体の反応に頼るほかない気がしている。直観の働きを感知できるかどうか、それに従って行動をとれるかどうか、時に処方箋を求められるかどうか。

言い表せないなら、言い表せるまで待つ。そんな態度は、たぶん今の時代には流行らないのだろうが、流行らない生き方をする自由は各々にある。何を愚とし、何を品とするかも、結局は各々の美意識だ。それぞれに自分の美意識に従うのが、自分の健康を保つ上では賢明なんだろう。なんというか、いろいろと、やれやれなのだが。

ポール・オースター「サンセット・パーク」(新潮社)
ポール・オースター「ブルックリン・フォリーズ」(新潮社)

2022-08-22

「先々不透明な時代」に覚える恥ずかしさ

「羊は安らかに草を食み」(*1)を読んだ。バッハのそれではなく、宇佐美まことさんの文学作品。満洲で終戦を迎え、一年がかりで満洲から引き揚げてくる11歳の少女の壮絶な体験記を埋め込んだ、今は86歳の認知症を患ったまあさんの人生を辿り、仲良し3人組の老女が旅する小説だ。

残り2〜3割というあたりから急にミステリー小説らしく物語が畳まれていく感があって、なんでやねん、なんでやねん、みたいな展開もあったりなかったりするのだけど。逆にいうと、そこまでに織り込まれる満洲引き揚げの凄惨さがあまりに見事な筆致でえがかれているがために、ミステリーを食ってしまったと言えるのかも。別にミステリーにしなくてよかったのにって思ってしまうくらい自分にとっては、少女が満州から引き揚げてくるまでの「戦後の地獄」が強烈に印象づけられた。

満洲引き揚げのエピソードは、多く事実に基づくという。(*2)

執筆にあたって旧満州からの引き揚げ者の手記に目を通した。集団自決や幼子の置き去りなどのエピソードはほとんどが事実に基づいたもの。

「集団自決や幼子の置き去り」があったと言ってしまえば、あっけにとられるほど短い一言で、起きた出来事を言い表せてしまう。知ってる、わかってる、そうやって正しい事実を記述し、それを引き継いでいっても、それが次の時代に有効に作用するわけではない。

長嶋有さんが、正しさだけではダメだと言っていた一節が脳裏に浮かぶ。(*3)

どんなに正しい言葉でも、正しいだけでは駄目だ。誰かの心に刻みつけるには、あわよくば有効に作用させたければ、言葉そのものに、それをつかみ取るための形が与えられなければならない。

他の人がそれをつかみ取るために、形を与える。それが、もの語りの力だ。「こういうことがありました」という事実の記述と受け渡しだけでは、私たちはそれを心に刻みつけ、うまくつかみ取って活かせないことばかり。

少女期の身のすくむような体験というのは、私もないわけではなく。この小説を読んでいたとき、記憶の底に仕舞い込んでいたそれが、ぐわっと襲いかかるように身体的に思い出されて肝を冷やした。この読者の心底をえぐる採掘力こそ、作家の手腕だろうと恐れ入った。有効に作用させるために、形を与える仕事を成功させたということだ。

この読後、私が読み深めたいのは、満洲開拓団引き揚げの実話ではなかろうかと思い、この小説の参考文献が8冊並ぶ中(うち2冊は認知症関連で、6冊が満洲引き揚げの関連書)、稲毛幸子さんの満洲開拓団一家引き揚げ記(*4)を読み継いだ。これが実話、なのが戦争なのだと途方にくれる。

自分が過去、今を「先々不透明な時代」と一度ならず口にしたことへの恥ずかしさが募った。今が「先々不透明」じゃないとは思わない。けれど、文字どおり「明日をもしれない」日々を生き抜いてきた人たちのことに少しでも意識が向けば、今を切り取って「先々不透明な時代」を生きていると口にする気にはなれない。

ブチャの虐殺があったのは、たかだか5ヶ月前のこと。「先々不透明な世の中」を生きていくことは、いつの時代も人の常で、いつ、どう、地べたが転覆するかわからない。余裕がゼロの環境に陥れば、人はいつだって、獣の性を剥き出しにして生きることを強いられうる。

そう(とりあえず頭でだけでも)理解するとき、明日をもしれない世の中を生き抜いた数十年ほど先輩の体験記と肝っ玉には、学ぶところ多く、叱咤激励される思いで、敬意を抱かざるをえない。「歴史」として遠く客観視するには生々しく、心に刻みつけるもの語りの力は、この上なく。

戦争を直接体験した人たちが、深い深い傷跡に爪をたてて引っ掻くようにして、その傷跡を生々しく語り継いでくださることに、思いを馳せる。

戦争を直接体験していない人間に、直接体験した人のような事実の記述はできない。けれど、自分たちがそれをきちんと心に刻みつけて、つかみ取って、次の世代に引き継いでいくための形を与えることはできる。少なくとも、きちんと刻みつけて自分の心のうちに受け止め、その機会には間違った形を与えず両手で引き渡していくことを肝に銘じたい。

*1:宇佐美まこと「羊は安らかに草を食み」(祥伝社)
*2:老いと死 重厚ミステリー 宇佐美まことさん(松山)新作「羊は安らかに草を食み」|愛媛新聞ONLINE
*3:長嶋有「いろんな気持ちが本当の気持ち」(筑摩書房)
*4:稲毛幸子「かみかぜよ、何処に 私の遺言 満洲開拓団一家引き揚げ記」(ハート出版)

2022-08-13

タイの鍾乳洞からの救出劇「13人の命」を観て

8月9日にTBSラジオ「たまむすび」で、映画評論家の町山智浩さんが紹介していた「13人の命」。これは観たいなぁ!ということで、早々に観てみた鑑賞録。Facebookに書いたこと、ほぼそのままの簡単なメモなのだけど、いつかの自分が掘り起こせるように、こちらにも残しておく。

2018年6月、世界中でニュースにもなったタイの鍾乳洞の奥地に閉じ込められた少年サッカーチームの男の子12人とコーチ1人の救出劇。この実話をもとにした作品で、監督は「アポロ13」とか「バックドラフト」とか手がけたロン・ハワード、出演者もセットもハリウッド映画なみとのこと。Amazonプライム独占配信。

少年たちがいるのは、洞窟の入り口から4km近く先。豪雨と長雨によって中は水没、救出経路の途中も何箇所も崩落しているため、幅60cmしかないところも。そういうところはスキューバ用タンクがあっては通れず、素潜りするしかない。水は濁っているし、光もささない。

でも中には食料もないし、本格的な雨季が迫っているから、雨水が引くのを待ってはいられない。絶体絶命とは、まさにこのこと。

タイの海軍では太刀打ちできず、洞窟専門のダイバーがイギリスから呼ばれる。水が引いてきた9日目にして、ついに突入、プロでも片道で6時間、水の中を這って進む。

少年たちを発見し、パニックにならず瞑想して生命維持していたのを確認するも、洞窟の外に脱出するのが、これまた至難の業。一人ずつ、人数ぶん片道6時間かけて往復していくしかない。具体的なアプローチを公表しては洞窟の外の世界中がパニックになるため、ニュースでは報道規制をしていたとか。

って町山さんの紹介を聴いて、これは観たいーと思って早々観てみた。評判どおり、すごい映画だった。観て良かった。

町山さんも、実際は作品のそれよりずっと水は濁っていたはずと言っていたけれど、ほんと暗闇の中を触覚とかを頼りに進んでいく途方の無さだったと思うと恐怖が増す。

また観る側は13人が助かったことを知った上で観ているけれど、それを成した人たちには、そんな確たる未来はなく、いくらかの可能性にかけて大リスクを冒した状態なわけで、実話っていうのが本当にものすごいなと観終わった後に改めて感服。

それに今時点からみると、コロナ前夜とも言える2018年の出来事というのも、2022年の自分に訴えかけるところが多分にあった。世界中から人が集まって、体ごとひとところに結集して、13人の命の救出に集中して骨を折る。否が応でも今の自分、今の世界情勢と対比して見えて、たった4年前なのにものすごく断絶感を覚えた。一方で、そこに一筋の光を見出すこともできる作品だなと思った。あのときと同じ地平に立って、連綿と続く時間の流れの中に生きているのだから。

2022-08-09

言葉の檻

町田そのこさんの「宙ごはん」を読んでいるときに、ふと脳裏に浮かんだのは、長嶋有さんの「いろんな気持ちが本当の気持ち」だった。

「宙ごはん」は章を進むごとに主人公が成長していくが、とくに主人公が小さい頃の章は、子ども自身がこんな雄弁に、自分の心境や自分が直面している状況を語れるものだろうかという違和感を覚えながら読んだ。こんなふうに言葉に言い表せないからこそ苦悩するのではないかと。

いや、本を多く読む子などは私よりずっと早熟で、子どもの頃からこれくらいの表現力を持ち合わせて自分の内外を語れるものなのかもしれない。そうとも思いつつ、私のような子ども時代を過ごした者からすると、たじろぐほどの明晰さで小学生が自分の家庭環境など語る描写に面喰ってしまう。

私は子どもの頃(に限らず、今もだけど)自分が受け止めるものに対して自分の言葉が圧倒的に足りなくて、何にも展開されない思念を、たぶんに抱えこんで生きてきた。

読み進めるうち、これは、そのままこの本の魅力かもしれないと思い至る。これほど雄弁に言葉にすることは叶わない、一方で表現はできないものの「これくらいのこと」を人は子どものうちから感じとっている。受け取っているものは、これほどまでに深く複雑なんだけど、それが言葉にまで昇華ならない。そうした苦悩を言葉にして、子どもたちの心の代弁をしている、言葉にすることで解きほぐそうとしている作家の仕事をみることもできる。

そして、これは子どもに限らない。人間て(主語がでかいか)、そういうもんだよなと思うのだった。自分が意識できているもの、言葉にできるものよりも、自分が無意識含めて感じ取っているもののほうが圧倒的に多くて、深く複雑で、多面的なもの。

長嶋有さんが書いていた「いろんな気持ちが本当の気持ち」って、ほんとそうだなって改めて思った。

長く生きて(恋愛だの仕事だの旅だの日常だのに揉まれて)いると「いろんな気持ちが本当の気持ちだ」と、これはつくづく思うようになる。気持ちは多様なのに態度は一種類しか選べなかったりする。マーブル模様のように多様に入り混じる気持ちをすべて一時に表せるなんて、そんな器用な人間はいない。主人公が「苛々した」とだけいっていても「本当は苛々していない」残りの模様がなんとなくみえる。角田さんはそういう書き方をする。読者の心の多様さを、多様さを解する力を信頼しているのだと思う。

これは、長嶋有さんが角田光代さんの「みどりの月」の解説に寄せた文章だ。

「気持ちは多様なのに態度は一種類しか選べなかったりする」、言葉も、表情も、ふるまいも。

これは、人の誤解も生むし、自分に対する誤解も生む。「私は怒っています」と言えば、人は、あぁこの人は怒っているんだと認識するし、自分自身に向けても「自分は怒っている」といったん思ってしまうと、自分は怒っているという一様な認識の檻に自分を閉じ込めてしまうことがある。言葉は、そういう力をもつ。

だけど、いろんな気持ちが本当の気持ち。ほんとに、そうだなって思うんだ。言葉は、言える範囲に人をくくりつけ、言えたことに人をくくりつけてしまう。でも、本当の気持ちは、もっといろんな気持ちを含んでいて、それまた時間経過で変容していくものでもある。ほんとに、そうだなって思うんだよな。人にも、自分にも、そういう目配りと想像力が大事。

そういうことを文学は、時間をかけて教えてくれる。言葉を尽くして教えてくれる。「宙ごはん」も、それを言葉を尽くして教えてくれたんだなぁって思う。

*1:町田そのこ「宙ごはん」 (小学館)
*2:長嶋有さんの「いろんな気持ちが本当の気持ち」(筑摩書房)

2022-08-04

Smallx CampのYouTube番組ゲスト出演の舞台裏(資料リンク集も)

Smallx Campと称して月1でライブ配信しているYouTube番組にゲスト出演した。知り合ってから15年くらいになろうかという同世代の面々(お三方と、天の声)がやっている番組で、Information Architecture(IA)界隈に通じるお三方がもやもやすることをフリートークする番組。

最初お声がけいただいたときは腰が引けてしまったのだけど、今回は、前回と同テーマで続きがやりたいとのこと。私も1視聴者として観ていた前回テーマ「70年代生まれはいまどう学んでるの?」を受けて、思うところを聴かせてもらえれば的な話だったので、それならばとお受けすることに。

私は皆さんと同世代の70年代生まれ、かつ「学び」をテーマに仕事してきたという別の立ち位置から、自分なりに話せること共有したいこと意見交換したいことが、考え出すとあれこれあるように思われた。

もちろん「えーい、ままよ!」と手ぶらでフリートークに臨んで自分がまともにしゃべれないことは重々承知している。しかし今回は、前回の動画を読み込んで、自分が何を話したらいいか事前に練っておく猶予がある。

それならばと、話をもらってから今一度、前回のアーカイブ動画を見直し、話を聴きながら自分が思ったことや考えたこと、自分が70年代生まれの同世代にシェアしたいことなど書き出してみた。

そのうちSNS上で今回の告知があり、そこには「~を迎えて、キャリアカウンセラーのご経験から同年代における学ぶ機会についてフリートークします」と案内されている。これはキャリアカウンセラーとして話をする必要がありそうだと心得る。

それなら「もしも私が、前回のもやもや話をキャリアカウンセラーとして相談されたら」という趣向で話したら、わりと聴きやすいかなぁと思いつく。「ドリフ大爆笑」のもしもシリーズでいかりや長介が前口上するときのBGMが脳内に流れる(大好きだったのだ)。

私がどういう頭の動かし方をしながら前回の話を聴いたかを再現して示せば、自分なりに考えたもやもや解消ステップをたたき台として提示するのとあわせて、キャリアカウンセラーとはどんなもんなのかの一例も示すことができるのではないかと。日々キャリアカウンセリングをやっている身ではない私がそれをして、キャリアカウンセラーの印象を損ねてはならないが、そう思われないようにと心がけながら準備にいそしんだ。

そんなわけで、前半に話した「前回の所感」はスライド資料を事前に用意して、当日に臨んだのだった。

で、一昨日の晩に「70年代生まれはこう学ぶ」という前回続編として出番を終えたのだけど、やってみてどうだったかというと、やっぱり話し下手が炸裂した…。

準備したところは「やっぱり、準備しておいてよかったー」ということで、「転ばぬ先の杖」という先人の教えを改めてかみしめた次第なのだけど、これがなかったらどうなっていたことやら。

個人的には、いろいろ関心あるテーマで久しぶりの面々とおしゃべりできて楽しかったが、観てくださった方はちょっと論点とっちらかってしまってお聞き苦しかった方もあろうなとお察しします。率直にフィードバックをくれる友人から、話かみ合っていなかったよねって所感をもらうなど…。

そういう声を受け止めて振り返ってみるに、生きがい(前回取り上げたikigaiフレームワーク)の話と、キャリアの話、職業的な生存戦略っぽい話、大・中・小の話題が混在していて、それを一つのテーブルの上で話し合おうとしているところに無理が生じて、もやもやの晴れようがなかったのかも?

前回の動画で、「ikigaiフレームワークにのっけて話したい議題じゃないのかもね」ってな発言が終盤であがっていたので、今回はそこは(私の中では)スコープからはずして、もう少し実務的な話題にスコープや論点をしぼることで、個別具体的な面と共通話題をいい塩梅で両立したトーク展開が実現できないかと思っていたのだけど、やってみると今回も後半に「生きがい」の話題があがってきたから、やっぱり三者三様に話したいフィールドがあり、それがいくらか共通していて、いくらかずれているというもやりもあるのかもしれない、と思ったり思わなかったり。

だからこそ刺激を交換できるところもあるし、それをどこまで観ている方が許容するかも人それぞれだと思うのだけど。そういうことこみこみでもやもやトークを楽しんでいるというのに、真面目くさった考察をだらだら述べているんじゃないよと叱られそうなので、それはまぁ一人反省会にて。私は私で、そういう性分なのと、そういう企てや構成を生業ともしているので致し方なかったりするのである。

ともかく、おしゃべりに参加させてもらえてありがたかったなぁという心のうちであります。

あと、動画を観てくれて、話がいまいち噛み合ってなかったような…と率直なフィードバックをくれる友よ!おかげで私は地に足つけて健全に生きていけます。本当にありがたい。

やっぱりアウトプットして(そうするために、いろいろ下準備でインプットもして)、アウトプットに対して手厳しかったり温かかったり(こっちもないとやっていけない…)のフィードバックをもらって、それを正面から受け止めて自分で内省して、評価したり教訓を得たり、次に活かしてってすることこそ尊い、経験学習モデルですな。貴重な機会を、ありがとうございました。


画面表示したスライド資料のご案内

Smallx Campさんでご用意くださったスペースに、PDFファイルを置かせてもらっています。

画面で表示したスライド資料(リンク)

話しながら図示したスライドを1ファイルにまとめてあるだけなので、表紙も章区切りもなく、ファイル単体で見ても非常に分かりづらい状態なのですが、動画とあわせて手元で確認したいスライドがありましたら、ご活用ください。

▼1~6ページ目
「もしも私が、前回のもやもや話をキャリアカウンセラーとして相談されたら」私はこんなふうに話を聴いて展開を模索するかなぁという頭の中の動きを、時間の流れにそって並べていった6スライド。
実際のキャリアカウンセリングだと、ご本人を前にリアルタイムでやりとりして1対1で話を聴いては道筋を一緒に探りあっていくと思うので、こんな強引に6ページまで話を進めちゃったりしないだろうけれど、今回はそうしちゃうと展開例が具体的に示せないので割り切って強引に。

▼7~11ページ目
当日、まだ話していないスライドあるんじゃない?と和田さんにふられて後から紹介した5スライド。昔ブログに書いた話とかSlideshareに公開したスライドとかから、今回同世代の皆さんにシェアしたいと思って見繕ったもの。


スライド資料の元となるブログやスライドへのリンク

▼7ページ目:熟達度別の学習アプローチ
ブログ(2019/11/2)「仕事は経験でしか学べない」と言いつつ、教える側にまわると講義に終始しちゃう問題で紹介

▼8ページ目:成人の学びの70%は「直接経験」から得られる
Slideshare改めSpeakerdeck(2015/12/17)効果が出る「仕事の教え方」P9で紹介

▼9ページ目:コルブの経験学習モデル
ブログ(2014/6/30)「学びの後の学びサイクル」で紹介

▼10-11ページ目:加齢に伴って低下しやすい能力、維持されやすい能力/20歳以上を対象にした「知能の加齢変化」研究
ブログ(2020/1/31)中高年になっても衰えない「知能」の話で紹介

2022-07-15

小説が引きずりだしたポニーテールの記憶

毎日あったこと、毎日やっていたこと、とりわけ毎日やってもらっていたこと…というのは、毎日繰り返されていたにも関わらず、意識の中では軽んじられて、記憶の奥のほうにしまわれてしまいがちだ。

でも、自分の頭の中にある押し入れの奥の奥のほうにしまわれている記憶を、小説は、作家は、時おり、ずずずぃーっと引きずり出してくれる。

町田その子さんの「宙ごはん」(そらごはん)を読んでいたら、小学生のころ毎朝、母にポニーテールを結ってもらっていたことを鮮明に思い出した。「ママに髪を結ってもらう」シーンが出てきたからだ。

髪を結うという作業を、当たり前に自分一人でやるようになると、こうやって親の世話になっていたことをすっかり忘れてしまう。

だけど本当に毎朝、毎朝、私は歯みがきと洗顔を終えて、髪をいくらかとかして整えると、母のもとにブラシと髪ゴムをもっていって、ポニーテールにしてもらっていた。

小学6年生ともなると、髪を結うなんて同級生でも一人でこなしている人が多かったのではないかと思うが、私は小学校を卒業するまで、ずっとやってもらっていた。自分には当時から、ひどく手先が不器用な自覚があって、母はたいそう器用な人だとわかっていた。

今よりずっと長いロングヘアだったので、髪を一つに束ねて上のほうにぐいっと持ち上げてきれいにゴムを三重にするというのが、握力的にもけっこう難儀だった。という感じも、なんだか感覚的に覚えている。自分でしばると、夕方までもたずに、ずるずる下のほうへ落ちてきてしまうのだ。

そんなことまで実は記憶していたのか、どこに置いてあったんだろうと、我ながら不思議に思う。

母は自分が何の支度の途中だろうと、それをいったん中断して、私の髪結いをやってくれていたように思う。それを毎朝、毎朝やってくれていたことを、うわっと一気に思い出して、あぁ…と、目線を本の文字からはずし、しばし空(くう)を仰いでしまった。

中学にあがると、さすがに自分でやったほうがいいと思ったのと、入学早々「ポニーテールをやっていると先輩から目をつけられる」という噂が流れたので、あっさり下のほうに一つ結びするようになり、以降は自分でやるようになった。「ポニーテールなんて、一年のくせに生意気」って、どういう理屈やねん…と思うけれども実際に当時そういうお姉さんがいたのだ。

それにしたって、ここまでのことをわっと思い出させてくれる小説、その作り手である作家というのは、ものすごい仕事をしている人だなと思う。読者である私は、そう言われりゃ思い出せるレベルの「再認」で記憶しているわけだけど、これを書く作家はみずから「再生」できるレベルで記憶していることが盛りだくさんあって、それを物語世界の創作に都度活かしているのだと思うと、それだけでもすごいことだと感心してしまう。

一読者として小説を読んでいると、とりわけ子どもの頃に母がしてくれていたことがふいに思い出されることが多くある。当時は受け取り手の視点しかもっていなかったものが、今の時点から振り返って見直せば、彼女が意識的に私に授けていたものなのだろうと思い当たることもしばしば。与える側の母の目線にも、今なら想像力がはたらく。そういうあれこれに思い当たっては何十年ごしに、それを彼女の置きみやげとして味わい直す機会に恵まれる。

今まっただ中で子育てしている友人たちは、小説を読む余裕などなかなかないかもしれないが、子どもの髪を結いながら、子どもの膨大なる世話をしながら、自分の親御さんのあれこれが「あぁ」と思い出されることがふんだんにあるのだろう。

そしてまた何十年か先に、子どもたちにこんなふうに「あぁ」って思われる日もやって来るかもしれない。それは何ものにも代えがたい置きみやげだ。これほど尊いものもない。遠くに過ぎ去ったものであるようでいて、これほど親密な励ましはない。今、毎日のようにやっていることが、いつか手を離れてやらなくなっていくことが、また遠い先に別の意味をもって帰ってくる日が、きっとやってくるのだ。

2022-07-11

父娘ごきげん旅、会津若松と芦ノ牧温泉へ

父を誘って気晴らし旅行、今回は会津若松で観光、宿は芦ノ牧温泉。と、後から振り返れば、そういうことになるのだけど、これという旅程をしっかり組んでいたわけでもなく、ある程度の下調べはしておいて、「いろいろ選択肢はあるが、あとはまぁその時々で判断」というスタイル。

父娘旅行というのは臨機応変さが大事である。気合いの入れすぎは良くない。良かれと思ってとか言って旅程を作りこみ、旅中の相手の動きを制御しようとかかるのは最悪である。両者疲れる。「一緒に旅する相手がごきげんである」というのは、旅を楽しむには欠かせない要素であり、だから私は私で自分もごきげんな旅をする、という(へ)理屈を大事にしている。

それにしたって、自分も父も楽しい旅としたい。まず父を旅に誘うのは、十日ほど前がちょうどいい。それ以上では間延びしてしまうし、それより短いと、旅の日を待つ楽しみ時間が短すぎる気がする。急に言われても、あちらの都合もあろうし、そもそも礼を欠く。親しき仲にも礼儀ありだ。そんなわけで、十日ほど前に起案し、合意をとりつけ、素早く宿をとる。それまでにざっと粗い旅程、どうやって行くかのシミュレーションなどしておく。あくまでざっくりの見通しを立てておくまでだ。

今回は、新幹線で郡山まで行って、そこから磐越西線で会津若松まで西に横断、そこから只見線~会津鉄道(直通運転)に乗って南にくだって芦ノ牧温泉へ、という鉄道の旅。新幹線チケットは当日に駅で手配する。当日手配で間に合いそうなものは当日手配のほうが、時間にがんじがらめにならなくて良い。今回はお盆をはずして7月だし、土日をはずして金曜出発だし。

車でドライブできたら、いいんだろうになぁとは思い浮かぶけれども、まぁ仕方ない。父は免許を返納したし、私はペーパードライバー。宿の無料送迎バスで、最寄り駅から宿まで運んでもらう道中、青空のもと山道をドライブしている車がずいぶん楽しげに見えて、うらやましかったが、直進以外を操作する自信がない…。

電車の旅というのは、どうにも待ち時間が発生しがちで、郡山でデパートうろうろ、会津若松の駅前スーパーでうろうろ、乗り換え電車の出発まで30分とか1時間とか時間をつぶす必要が出てくる。が、「うちの近所の西友のほうが圧倒的に安い」とか、ぶつぶつ言いながら食品売り場をひやかして歩くのも一興である、ということにしておく。

当初、会津若松は周遊バスを使って移動しようと考えていたが、その時刻表にあわせようとすると、どうにも無理が出てくる。なので、2キロ移動とかはタクシーを活用することにする。タクシーの運転手さんは、いろいろ町のことを教えてくれるし、それはそれで旅の楽しみだ。

一方、当初は猪苗代湖にも足を延ばして遊覧船に乗ろうかと思っていたが、そこに行くのにバスは時間が合わず、これを15キロ20数分かけてタクシーに乗るのは無駄遣いだと父が納得しない。なので猪苗代湖は旅程からはずすことにした。

磐越西線の1,170円も高い高いと言っていて、しかし飯盛山を登るのに動くスロープ250円かかるのはOKと言う。どちらも自分の足で移動するのは大変だし、利用客の人数と移動距離や開発工数を考えれば、磐越西線の1,170円も高いとは言えない気がするのだが、父には父の金勘定の価値観がある。それはそれで受け入れるが好し。認知症が口癖のわりに十円単位までよく覚えているなとからかうと、父がわしゃわしゃ笑う。

自分の価値観とかち合うようであれば話し合いも必要だろうが、おおもと立ち返ると私は、山と川と田園風景に大空で十分、湖なくとも満足だ。そういうときに、当初想定では湖も行く予定だったからという仮置きマイプランに喰われてはいけない。「当初の想定」などあっけらかんと手放してしまえばストレスもかからない。どこを訪ねるか、どうやって巡るか、訪問先も交通手段も「当初の想定」を固持しようとしない開放性が、ごきげん旅にはとにかく肝要である。

歳をとって大変なのは、やはり宿をとるとか、道中の交通手段を固めて切符を手配するとか、ターミナル駅でてきぱき乗り換えて関所を突破していく手続きだ。それをしても旅に出ようという意志決定と行動力が必要になる。そこだけどうにかすれば、旅をすること自体はいくらでも楽しめるものである。観光地では、山頂まで登れるロープウェイや、動くスロープを作ってくれているし、行く先々の人たちは皆、情があって愛嬌がある。だから父が自分の足で歩けるうちは、さくっと旅に連れ出して関所突破をサポートし、山やら海やら川やら楽しみたいところ。

観光地を歩きながら、鶴ヶ城や飯盛山の歴史に思いを馳せたり、森林浴したり、小川のせせらぎに耳を澄ませたり、荘厳な大木を見上げたり。部屋でくつろぎながら、阿賀川の涼やかな渓流、しんとして青々しい山の静けさを眺めたり。部屋でテレビを見ながら、あるいは食事処で、政治やら社会情勢やら、正しさって何かについて語らったり。大浴場や檜風呂に各々出かけて、ゆっくり湯につかったり。電車に揺られながら、ただ静かに一面に広がる田畑、遠くの山々と大空をぼーっと眺めたり。

目の前にある静寂と、世の動乱の極端が並行する親子旅となったけれど、二人して行けて良かった。ごきげんは作れるものであり、みずから率先して作りだすものだ。

Instagramの写真

2022-07-08

クリエイターEXPOでゼロがイチに見える

6月末、久々に東京ビッグサイトを訪れた。ゆりかもめに乗ったのは何十年ぶりだろうか。朝日を浴びて水面がきらめいている、遠くに観覧車が霞んで見える(葛西のほうの)、大きくまたがる橋梁の曲線が美しい、背景には夏の大空が広がっている。とりわけ新橋を出て竹芝、日の出、芝浦埠頭までの景色(進行方向みて左窓からの眺め)は最高だ。もう、このまま帰ってもいい…。

一つひとつに焦点をあわせたり、ひいて全景を眺めたり、そうやって眺める自分自身に焦点を移して物思いに耽ったりした。

もう何年もやっていないことは、この先の人生でもう一度もやらないで終わるものが多いんだろう。もう何年も会っていない人とは、もうこの人生で会うことなく終わる確率が高いのだろうと、最近よく思う。私はこれを頻度問題と名づけて、ちょいちょい頭に浮かべてしまう。ゼロに何を掛けてもゼロの掛け算はゼロしか導かない。

さて、今回の目当ては「コンテンツ東京」だった。映像・CG制作展、ライセンシングジャパン、先端デジタルテクノロジー展、広告クリエイティブ・マーケティングEXPO、クリエイターEXPOと、勢いある業界を結集して催される見本市の総合展。けっこうな賑わいを予想していったが、もう完全にコロナ前に戻ったであろう人の入り、大盛況だった。

私は会期最終日、会場内で催される朝一番のセミナーを予約していて、それに参加したあと展示会場も少しだけ覗いて帰ろうという魂胆だった。が、あまりにぎゅっと心を鷲づかみされるものがあって、さっとその場を後にすることが叶わなくなってしまった。私を足止めしたのは、クリエイターEXPOだ。

5つの見本市がおさまる大きな展示会場の奥、ど真ん中に「クリエイターEXPO」のスペースがあったのだけど、そこはもう、個性豊かな小料理屋が軒を連ねる神楽坂や荒木町のごとく、クリエイター個々人が最小単位のブースを買って、ずらずらずらーっと通りをなし、作品展示を行っていた。

看板には、屋号名より自分の氏名をそのまま掲げているクリエイターが多く、「私が、これらの作品を作っている本人です」というふうに、展示作品を背景にして、そのすぐ前に椅子をおき本人が座っている。立ちあがって作品集を配って売り込みしている人もたくさん。ジャンルも多様で、イラストが一番多かったけれど、映像、CG、サウンド、ナレーション、写真、画・絵本、漫画、書道などさまざま。とにかく、そのパワーに圧倒され、感動して、しばし立ち尽くしてしまった。

これはもう、とにかく全員のエネルギーを浴びて帰ろうと思い、すべての通りを歩いて作品を観ていった(サウンドは聞けなかったが)。

こんなにたくさんの作り手たちが、スペースを買って、お手製でブースを作り、自分の名前の看板を掲げ、来場者に声をかけ、作品を紹介し、商談を行なっていることに、くらくらするほど感銘を受けた。

そして私は、この人たちのようなクリエイティブ職のキャリアを支援したいという思いをもって生きていることを体で再確認するとともに、残りの時間で自分に何ができるんだろうなぁという思いを募らせた。

そんなことを考えながら歩いていると、会場の雑踏の中で「林さん?」という女性の声が耳に届いた。えっ?と驚いて振り向くと、そこにはもう何年もお会いしていなかった、とある女史が立っていた。マスクをして顔を覆っているし、こんな大きな展示会場の中、こんなたくさんの人が往来する中で、すれ違いざまに見つけてくれて、さらに声をかけてくれるなんて、これはなんという運命の引き合わせだ。

私と同じようなクリエイティブ職を支援する立場で働く人だったので(所属的にいうと競合関係ともいうが)、私はそのときの思いのままを伝えた。近況を交換した後、このクリエイターEXPOを歩きながら今自分が何を思い感じていたかを率直に伝えると、向こうからも呼応する言葉が返ってきて、いやぁ同志だ、同志と引き合わせてくださったーと、おてんとさんに感謝した。長いこと足止めして、立ち話で話し込んでしまった。

やっぱり、人間は、動物は、活動して、運動して、なんぼだなぁ。もうないんだろうなぁとゼロを入れていたところ、ふいに、それがイチに切り替わることが巡ってくる。それによって自分の世界は一気に彩りを与えられる。この世界は、去るにはあまりにも尊いし、この人生で私が出会えた人たちは、あまりに魅力的なのだった。

より以前の記事一覧