2019-11-04

[読書メモ]インタフェースデザインのお約束

先日ここでも取り上げた「インタフェースデザインの心理学」と同シリーズの新刊「インタフェースデザインのお約束 -優れたUXを実現するための101のルール」を、縁あって頂戴することに。

これまた良書だった。副題にあるとおり「優れたUXを実現するための101のルール」が詰まっている本なのだけど、UXデザインといって「ユーザーに驚きや感動を与えようとする前に、ユーザーのストレスを一掃せよ。話はそれからだ!」というような。んなこと書いてないけど…。

「フォーム」の章に40ページ近くの紙面を割いていたりして、サイトやアプリを使い勝手よく提供するのに欠かせない視点、実装願いたいものの具体的な指摘が勢ぞろい(実装方法がこと細かに書いてある本ではない)なので、ぜひご興味ある方はお手にとってみてください。

「インタフェースデザインの心理学」とは著者は違うのだけど、体裁は共通していて、101のルールが1〜3ページごと紙面を割いて、簡潔明瞭に解説されるテンポの良い一冊。

事例も多く含まれ、「見せて納得を得る」ことに心を砕いているし、最後にポイントが3〜4コ、箇条書きされているのもシリーズ共通のよう。

101各項のポイントが、本当によくポイントをついた箇条書きになっているので、時間のない玄人層はポイントだけ読んでいって、ん?と思うものだけ本文に目を移す読み方でも良さそう。

あと、「〜の心理学」著者のSusan Weinschenk氏以上に、今回の「〜お約束」著者、デザインにかけては純粋主義者(ピュリスト)を自認するWill Grant 氏は、単純明快で単刀直入な物言いをする印象。

まえがきで、

「これには賛成できない」と思えるルールもあるかもしれないが、それはそれでかまわない。なにしろこれは私が自説を披露する本なのだ。

と断りを入れたうえで、中身はばっさり、ぐっさり、小気味よく展開していく。「は、やめろ」「は、やめておけ」「なんて禁物だ」「なんて言語道断だ」「など作るな」「など使うな」が、あちらこちらに。べらんめえ口調?だが、頼れる兄貴的なテンションで読むと、気持ちよく読める。

ご指摘は実にまっとうなベスト・プラクティスのオンパレード感がある。1ユーザーとしては、指摘されるアンチパターンのどれも納得感がある。

作る側として読む立場にあっては、私のように頷いて読んでいるだけではなく、一通りを自分の作るプロダクト・サービスに埋め込んでいかなきゃいけないので大変だろうけど、101のうち、できていることはささっと読んで、できていないことをピックアップして自分の品質チェックリストに取り込んでいくように読めば、ぐっとアウトプットの精度をあげられるのではないか。

知れば簡単に実装できるものも、知ったところで実装するには一手間二手間かかりそうなものも含まれているけれども、知らないでは済まされない観点という意味では、一通りなめておきたい知識だ。

エピローグの章に、「ブランド」になど振り回されるな、という項がある。10億人規模の顧客を擁するグローバル企業のメガブランドと違って、多くのUXデザイナーが手がける「ブランド」なんて、誰も気にも留めないものだと言いはなった後、

ユーザーが着目するのは、あなたの製品あるいはサービスを利用すると何がやれるのか、あなたの製品が暮らしをどう改善し、生産性をどう上げるのか、といった点だ。つまり、あなたの製品(サービス)を利用する際のUXそのものがブランドとなる。そんなUXのデザインを担当するのは、だからマーケティング担当チームなどではなくUXのプロでなければならない。

と、落とすかにみえて、UXデザイナーを鼓舞している一節が印象に残った。

翻訳も安定のクオリティ。図版まで丁寧に翻訳してくれている。「金科玉条」(きんかぎょくじょう)とか、「苦心惨憺」(くしんさんたん)とか出てきて、手練の業を感じた…。感想や誤植もご報告してお役目も果たせた感。今回は、シリーズにして初だと思うけれど、大型本ではなく単行本サイズ。この週末、気楽に持ち歩いて読めました。

2019-10-20

「内容より、まずデザインをどうにかしましょうよ」と推したいときの説得材料

自社のウェブサイトをテコ入れしたいとき、「コンテンツが先か、デザインが先か」という問題が浮上したとする。一気に両方をどうにかすることはできない。優先順位をつけて、「今期はこっちをやって、そっちは来期予算でやりましょう」と、時期を分けて取り組まなきゃいけない、としよう。

そのとき、コンテンツを見直したい勢と、デザインを見直したい勢が出てくる。話し合いは平行線、互いに引かず、根性比べの様相。

とまでややこしい状況じゃなくても、一人の頭の中で、どっち先行で手をつけるべきかを根拠づけなきゃいけないシーンはあるかもしれない。ないかもしれない。よくわからない…。が、もしあったとしたら、次の研究結果は、話し合いを建設的に進める役に立つかもしれない。

エリザベス・シレンスの研究チームが、高血圧症の患者を被験者に、高血圧に関する情報をウェブで探してもらったところ、こんな研究成果が得られた。(*1)

人はまず、信用できないサイトを「デザイン」でみて排除してから、残ったサイトについて信用に値するかどうかを「内容」をみて判断するという。

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確かに、自分のウェブ検索行動を振り返ってみても、何か調べものをするときは、Google検索で上位にあがってくるページの数々をざざざーっとタブで開いていった後、まずは「信用できない」第一印象を受けるところを削って、絞り込み作業をしていたりする。フォントやレイアウトや色といったデザインから受ける漠とした印象から、まともそうで読む気がするところを厳選してから、内容を読み込んでいくステップを踏んでいる気がする。

とすれば、「デザインのテコ入れが先行」ということになる。

コンテンツの充実を先行したところで、デザインに問題があれば、まず見てもらえず意味がない。デザイン上の問題を先行して解決するのが賢明でしょう、という話。

とはいえ、「デザインの問題」が致命的なものでないかぎり、そう話は単純じゃないんだろう。デザインもそこそこ、コンテンツもそこそこというときに、この話がどれくらい使えるものかという現実問題は頭に浮かぶけれど、まぁ何かに使えることもあろうかなと、ちょっとスライドにしてみた次第。

これを踏み台にして、定量調査として「アクセス解析すると、〜から来訪したうち○%の人が1ページ目で離脱しているんですよ。見た目の第一印象で「信用できない」と判断されていることが懸念されます」というのとか。

定性調査として「同様の調査を、当社の事業領域をテーマにユーザーテスト形式でやってみたところ、○%の人が当社のサイトを「信用できない」と判断して1ページ目で離脱してしまったのです」とかいうのを入れて、肉づけていく感じなのか。

世の中そんな単純に話は運ばないのかもしれないけど、何かの検討の一助になればということで。

*1: Susan Weinschenk(著)、武舎広幸+武舎るみ+阿部和也(訳)「インタフェースデザインの心理学 ウェブやアプリに新たな視点をもたらす100の指針」(オライリー・ジャパン)

2019-10-09

[読書メモ]インタフェースデザインの心理学

スーザン・ワインチェンク著「インタフェースデザインの心理学 ウェブやアプリに新たな視点をもたらす100の指針」(*1)を読んでいる。翻訳本が出たのが7年前になるのだけど、今でも増刷を重ねている名著として知られる(のに今はじめて読んでいる)。けど、これは本当に名著だ!(遅)

おもしろく、わかりやすく、しっかりした根拠をもって、インタフェースデザイン実務に役立つ100の指針を丁寧に解説しているところが素晴らしい。

一言で言えば、そういうことなのだけど、この本のすごいところを個人的にもう少しくどくど書き連ねるなら、書いてあることを、この本づくりの中で体現して、手本として成立させているのがすごい。

この本の読書体験をもって、読者はその実践例を目の当たりにし、その指針を取り入れることの効果を十二分に体感できる仕立てになっている。つまり、この本のインタフェースが素晴らしい。

副題に「ウェブやアプリに新たな視点をもたらす100の指針」とある通り、この本は心理学の知見を「ウェブやアプリ」を作るのに役立つエッセンスに落とし込んだものなので、全部が全部、「本」という体裁に持ち込めるわけじゃない。けれども、本にも共通するエッセンスを多く含んでいて、それが余すところなく、この紙面で体現されている。

あらゆる標題や見出しが洗練された言葉で付けられているし、各項目のポイントは4つ以内に整理されて簡潔明瞭に示されているし、具体的な言葉や絵を見せてわかりやすく&記憶に残りやすく例示する工夫も随所にあるし…。

読者である私は、書かれている指針そのものに理解を深められるのはもちろんのこと、この紙面でもそれが実践されているからこそ、私の中に今この深い理解が成立しているのだという重層性に思いを馳せ、インタフェースデザインの心理学に基づく指針に倣うことの価値を実感させられる作りになっている。

10章100項目にわたる指針は、1項目2〜3ページくらいで小気味よく語られていくのだけど、私がこれまで読んだ中で最も心打たれた項目が、「人は物語を使って情報をうまく処理する」である。この項目は、こんな書き出しで始まる。

何年か前のある日、筆者はユーザーインタフェース関連のデザイナーが集まるセミナーの講師を務めました。部屋は満杯でしたが、参加したくもないのに上司の指示で参加している人がほとんどでした。

こんなふうに、「いきなり理屈」ではなく「著者の物語り」から、新たな項目が書き起こされている。

物語は、この項目の中で示されている通りに、「場面設定、登場人物、状況や(主人公が立ち向かう)障害を聞き手に説明」していく流れをたどっている。読者の私は、これを読んで「筆者はこの後、やる気もない参加者にどう立ち向かっていくのか」と、物語の次の展開が気になる。

それで自然と、その先を読み進めていく。すると、筆者が「物語」の力を使って、参加者の注意を引きつけ、このセミナーを成功におさめる着地をみる。その様子を、私たち読者に物語った後、こう続ける。

さて、ここまでの話も立派な「物語」であることに気がつきましたか?物語には説得力があります。相手の注意を引き、その後も気をそらさせません。しかし、それ以上の力もあります。物語は、人が情報を処理するのを助け、物事の関係を伝えてもくれるのです。

ここまで読み終えたとき、私は今しがた筆者の物語を読んだ体験をもって、物語には説得力があること、相手の注意を引き、その後も気をそらさせない力があること、人が情報を処理するのを助け、物事の関係を伝える力ももつことに、疑いの余地なく腹落ちした状態になっている。

しかも、こうした物語の挿入は、この「物語」の項目のところだけにとどまらない。100の指針のいろんなところで、著者の物語は書き起こされ、挿入されている。そんな書き出しに出会うたび、厚ぼったい本だけど、読み物を楽しむようにページをめくっていける物語の力を、読者として体感する。

自身の読書体験を通じて、「あぁほんとだ、筆者がいうとおりだ」と思う。「物語は人が情報を処理するのに適した自然な形式」であり、「物語を使えばわかりやすく、興味深く、記憶しやすいものになる」という物語の効果を、ひしひしと感じるのだった。

いちいちそれぞれの指針に自分の物語をこしらえるなんて、実に大変な仕事である。この重層的で、丁寧な本づくりに感服する。

そんなわけで、この本は私にとって、一冊で三重においしい本だった。まず、自分がサポートする対象の人たちが学ぶべきサイトやアプリのインタフェースデザインについて学べる(支援対象の学習テーマ)。

次に、私こそが学ぶべきインストラクショナルデザイン(私自身の学習テーマ)とも領域がかなりかぶるので、そこの指針としてもおさらいや知識補完ができる。

さらに先に述べた通り、この本自体の読者に対するインストラクションが見事で、事例として素晴らしい。何を具体例に示して納得を得るか素材選びもドンピシャだし、説明にどんな言葉を用いるかもシャープで、教え方や伝え方の手際も良く、素晴らしい学習体験だった。

ちなみに、まだ少し先が残っているけれど、今のところ(ラジオリスナー的に)この本の中で一番テンションが上がったのは、「人はどう見るのか」という章の中にあった一節。

あるものを実際に知覚しているときよりも、それを想像しているときのほうが視覚野の活性度は高くなります[Solso 2005]。活性化する領域は同じなのですが、想像しているときのほうが活性度が高いのです。ロバート・ソルソの説によると、刺激となる物体が実在しないため、その分、視覚野が奮闘しなければならないとのことです。

「実際にものを見ているときより、目の前にものがない状態で想像しているときのほうが、脳の視覚野は活性化している」というのだ。全ラジオリスナーにシェアしたい!と思った。

Susan Weinschenk(著)、武舎広幸+武舎るみ+阿部和也(訳)「インタフェースデザインの心理学 ウェブやアプリに新たな視点をもたらす100の指針」(オライリー・ジャパン)

2019-09-08

元どおりになるものなんてないのよ

新宿にある、ビル丸ごとが本屋さんの紀伊国屋書店は、文庫本コーナーだけでも大家族がゆったり暮らせる広さを有する。そんな中にあって、POP広告が目を引き、お薦め本として平積みされていた新刊の1冊を、ほとんどジャケ買いでレジに持っていった。

本を差し出したとき、レジの店員さんが少しばかり顔をほころばせたような気がしたのは、気のせいだったのかどうなのか。ふと、もしかして、この人があのPOP広告を書いた人では?と思ったりした。

POP広告の端っこに、作った人の苗字だけでもカッコ書きで添えておいてもらったら、客もレジで書店員さんの名札を見て、にやりとできるのに。その人の薦めるものにヒットが多ければ、POP広告を目当てに本屋を訪れる習慣をもつかもしれないし、書店員への情なりファン心理が育てば、Amazonではなく、その本屋で買って帰る愛着も醸成されるのでは…などと、ぶつぶつ考えながら本屋を後にした。

というわけで、少し前から「戦場のコックたち」という長編小説を読んでいる。文章を読むのが遅いのに短編小説が苦手という、都合の悪い性質…。500ページ強あるのを、のそのそ読み進めている。

いちおうミステリー小説という位置づけのようだけど、舞台は1944年、主人公はアメリカ合衆国のコック兵、海外文学と思いきや作家名は深緑野分(ふかみどり のわき)、ペンネームだろうが1983年の神奈川県生まれとある。

主人公のティムは、ノルマンディー降下作戦で戦地に立ち、戦闘に参加しながら炊事をこなす。戦場暮らしの中で遭遇する"日常の謎"を解き明かしていく推理小説であり、戦争小説でもあり、人間ドラマもあり、人種差別の問題にも丁寧に踏み込んでいる。

次の一節は、主人公の子供時代の回想シーンだが、ここを読めただけで、この本を読んでよかったと思う。

やっと掃除を終えた僕は、泣きながら祖母に「全部元どおりになったよ」と訴えた。けれど祖母はしゃがみ、僕の目線に高さを合わせると、「元どおりになるものなんてないのよ」と言った。

元どおりになるものなんてない。なんて、一言で“本当のこと”を言い得たセリフだろうか。小説にはこうした、この一言を伝えるがために、この物語が背景として存在するのではないかと思うような言葉のひとかたまりが、さりげなく話のド真ん中に埋め込まれている。

物語の中に出てくる「おばあさん」というのは、たいてい名ゼリフをはく。ずいぶん前に読んだ伊坂幸太郎の「モダンタイムス」で、

あなたはまだ実感ないだろうけど、人に会えるのはね、生きている間だけだよ

というセリフを決めたのも、わりとお年を召した女性だった気がする。わりと物語のド真ん中にあった気もする。

不可逆な時間軸にそって生きるほかない私たちにとって、すっかり元どおりになるものなんてないのだけど、ここにつながるのは決して絶望ではない。元どおりに戻せない前提は、それはそれとして腹くくって受け入れて、それを糧なり肥やしにして、新しいもの・こと・関係を作り出していく未来的な広がりを暗に指し示す。そうやって伝わるように、物語が下支えをしている。

ポール・オースターの「幻影の書」の中に、

危機的な瞬間は人間のなかにいつにない活力を生み出す。あるいは、もっと簡潔に訳すなら-人は追いつめられて初めて本当に生きはじめる。

というくだりがある。人って何かの前提条件を正面から受けとめて、それに向き合ったときに豊かな発想力を発揮する。元どおりにはならない現実を受け入れることで、元どおりに戻そうとするのではなく新しいものを作り出せばいいと、過去を割り切り、未来に目線を移して、より豊かに、より楽しく面白くなるように思考を巡らせることができる。

考えることは、今地点からあらゆる方向に解釈を広げ、可能性を広げる潜在能力をもつ。そうやって生きていくのが、人の営みの魅力の一つだ。

中村文則「何もかも憂鬱な夜に」には、

考えることで、人間はどのようにでもなることができる。……世界に何の意味もなかったとしても、人間はその意味を、自分でつくりだすことができる

とある。「考える」ということの尊さに思い巡らす中、ポール・オースター「幻影の書」の一節に。

結局のところ世界とは、我々の周りにあるのと同程度に、我々のなかにもあるのだ。

この一節を読んだことはすっかり忘れていたのだけど、何冊かの本を通じてこの感覚に触れた憶えはあり、私はもう何年も、宇宙と同じ広がりをもって、人間一人ひとりも内側に小宇宙をもっているという感覚をもって生きてきた。

読んだ本の中身は恐ろしいほど短期間に忘れちゃうんだけど…、自分の中にこういう一節一節の意味するところはしっかり刻み込まれていて、私の価値観を豊かにしてくれている気がする。気がするだけかもしれないけど。やっぱりなぁ、小説はちょこちょこ読まないともったいないなって思った。

2019-08-30

[読書メモ]伝わるデザインの基本 増補改訂版 よい資料を作るためのレイアウトのルール

新刊ではないのだけど、高橋佑磨氏と片山なつ氏の共著「伝わるデザインの基本 増補改訂版 よい資料を作るためのレイアウトのルール」(*1)が素晴らしく良書だったので、ちょいメモ。

非デザイナーなんだけど、スライドとか企画書とか、チラシとかポスターとか自分で作らなきゃいけないビジネスパーソンや学生向けに、デザインの基本ルールを教える本。

こうしたビジュアルデザインの入門書というのは、ここ数年のうちに出たものでも私が知るだけで、いくつかある。謳い文句は、だいたい「あなたはセンスがないからできないんじゃない。デザインのルールを知らないからできないだけ。デザインにはルールがある。その基本ルールを使えば、見違えるほどうまく作れるようになる!」というアプローチ。これは実際、間違っていない。デザインセンスのカケラもない私が責任もって保証する。

じゃあ、そんな類書の中で、この本に特徴的なところは何かというと、「著者がデザイナーじゃない」ことかと思う。お二人とも理学博士で、大学院で助教をされていたり、進化生態学とか植物とかがご専門の研究者。

「デザイナーではない人が、デザイナーではない人たち向けに、デザインを教える本」というと眉唾もの?と懐疑心をもってしまうかもしれないが、これがまぁ見事にうまいこと仕上がっている。マイナスにふれるどころか、確実にプラスに働いていると私は感じた。

デザイナーじゃないからこその、いい塩梅で、非デザイナー向けにちょうどいい範囲、内容量、語り口で解説をしている。

ビジネスシーンや学会発表などの場で、非デザイナーにどういう失敗が多いか。それがなぜわかりにくく恰好悪いか。わかりにくいとか恰好悪いって、実際問題どういう不都合があるのか。読みやすい可読性と、目立ちやすい視認性、読み間違えしづらい判読性をどう確保するか。どう改善して、例えば具体的にどう表現すると、どれくらい良くなるか。一言でスパっと根拠を示しながら、絶妙な加減で具体的な解決方法を記して、例えばこんな感じと作例で実証していく様がこぎみ良い。

例えば、デザイナー著作の本なら必ず出てきそうな「黄金比」という言葉は、この本の中に一度も出てこない。でも、「グリッド」について、「段組」については十分な説明がある。10ポイントくらいの文字サイズで長文を書く場合、ページ幅いっぱいにレイアウトすると、一行がすごく長くなる。すごく長くなると、読者が次の行に読み進めるときの視線移動が大変になる。つまり可読性が落ちるので、2段組み、3段組みでこうやって見せるのが良いとか。すごく実用的。

研究者だけあって、言葉の選び方がいちいち的確だし、根拠がいちいち簡潔明瞭だし、説明内容がいちいちちょうどいい塩梅。やり過ぎ感もなく、不足感もない。言葉による表現力に長けていて、さすが鍛錬されているなぁと感じた。

ビフォア/アフター、悪い例/良い例もふんだんに掲載されていて、並べて見比べてみると一目瞭然でポイントがわかるように、作例も丁寧に作られている。

デザイナーじゃないから、作例の仕上がりは「そこそこ」なんでしょう、「洗練されている」には遠く及ばずのクオリティ?いやいや、そんなことない。といって、センスの塊すぎて、自分には到底真似できないというのでもない。

デザイナーさんの著作だと、作例を見ていて、確かに書いてあるポイントも素敵さを実現している1要素なんだけど、説明していないあれこれのセンスやらノウハウやらも総動員されて全体が仕上がっている感のする作例もあったりする。これ1つやったからって、このすごいのができるわけじゃないんだよなっていう。だけど、この本の作例は「書いてあることをそのままやったら、このクオリティにできる」感があって、その点易しい。

使っているツールも、たいていはPowerPointとWordで、たまにIllustratorでどうやるか補足が入るくらい。なので、MS Officeさえパソコンに入っていれば、「具体的にどうやるの?」をすぐに一つファイルを作って試してみられる。「すぐおいしい、すごくおいしい」感がすごい。

プロのデザイナーに発注するレベルじゃない(=非デザイナーが自分でやらなきゃな)作り物であれば、これはもう十分なクオリティでは。と言っている私はデザインセンスがゼロなので、そこの評価は他所に委ねるが。

あと、デザイナーが教えるスタイルの本だと、「デザイン制作の流れ」を理解してもらおうという章立てになるのが一般的かなと思う。いきなり作り出さないで、まずは読み手が誰で、何の目的でこれを作るのかを明確にして、そのためにどういう情報が必要で、それをどうレイアウトして、配色はどうするか、文字・書体選びは?図解はどのようにというふうに、「全体から入って各パーツ」のデザイン作法に展開していく、本の構成。

正しい。正しいんだけど、それだとどうしても頭でっかちになるので、ちょっと試してみて、おぉこれは確かに!っていう体験を得るまで道のりが長くなってしまう。その途中で読み止まってしまうことも。

その点、この本は「各パーツから入って全体」へ、逆の流れで構成立てている。「書体と文字」「文章と箇条書き」「図とグラフ・表」といった要素を章立てて説明した後に、これらをどう「レイアウトと配色」してまとめあげるかを説く流れ。

門外漢だと、とにかくパーツレベルでちょっと気を付けると見違えるように良くなる一手から学んでいけたほうが、敷居が低く、手を出しやすかったりする。

ヘタに個性的なポップ体とか選ぶと読みづらいのかとか、和文をイタリックにしちゃダメなのかとか、じゃあ文字はシンプルなフォントを選んでとか、行間、字間、段落間隔をきちんと設定したり、全体を左に揃えるだけで、ずいぶんと洗練された雰囲気に変わるものだなとか。

ここを変えるだけでも、確かに良くなった!って体験が初っ端からあちこちでできると、その先も読んで試してみようというふうに動機づけられる。読んでは試す、読んでは試すと、頭でっかちにならずに読み進めて試せる構成が、非デザイナー向けとして、すごくうまい具合だと思った。

あと、アドバイスや指針が具体的。洗練されたフォントを使おうとか、格好悪いものはやめようとか言われても、それが何なのかわからないセンスない私たちには適用のしようがない問題というのがあって…。

そこんとこ、このフォントは洗練されているけど、これは美しくないとか。このフォントと、このフォントは相性が悪いとか。このくらいの線の太さは不恰好だとか、ここは余白を一文字分あけるといいとか、中に入る文字数が少ない場合は一文字分も余白をあけると不恰好だからこれくらいねとか、そういうのを視覚的に例示しながら丁寧に書いてあるのも良い。

あと、誤脱字レベルの校正ポイントを見つけたので、出版社に報告しておいたのだけど、数えたら17個。この手の本では、私の感覚だと少ないほう&ちょっとした間違いばかりだった。これらは次の改訂時とかに直してくれるっぽい。

まとめると、基本的なデザイン作法を身につけたい非デザイナーにすごくいい本。デザイナー入門書だと、デザイナーさんが書いた入門書のほうがいいかなとも思うんだけど、ビジネスパーソンという立ち位置の人であれば、これがまさしくフィットするんじゃないかしらと思う。

デザイナーさんとかだと、非デザイナーさんにお薦め書籍とか質問されることがあるかもしれないけど、私がこれを読んだ感覚だと、「デザイナー入門者」が読むべきデザイン入門書と、「非デザイナー」が読むべきデザイン入門書は、最適なものって違うよなぁという感覚。後者には、これ、いいと思います。という個人の感想メモでした。

*1: 高橋佑磨・片山なつ「伝わるデザインの基本 増補改訂版 よい資料を作るためのレイアウトのルール」(技術評論社)

2019-08-25

古い世代が向けるべき、若く優秀な人への眼差し

日経ビジネスの「期待の星」ほど早い決断 辞める理由の大誤解という記事が話題になっていたので読んでみた。

「一般論やステレオタイプから想像される退職理由」といえば、「愛社精神がなく、こらえ性もなく、給与や労働時間に不満で、若気の至りで会社を辞める」と扱われがちだが、「有望株が語る離職理由」は、さにあらず。

ゆえに、優秀な人に残ってもらうための施策として、給与を上げる、残業時間を削る、厳しいノルマやパワハラ的指導をなくす対策だけ講じても、優秀な人ほど、ほんとわかってないんだなと白けて離れていってしまう事案。

じゃあ、有望株は何にウンザリして辞めていくのかというので、記事で挙がっているのは、こんなところだ。

  • 改革せずには沈むこと確実なのに、上の人が改革に非協力的
  • 仕事ができないのに上ばかりみて仕事する人間が評価されて出世頭
  • 会社が本来社会に提供すべき価値とずれた、利益欲しさの経営方針
  • 自分が納得できないもの(相手が求めていない商品)を売らされる、自分なりの正義を感じられない仕事
  • 自分が唯一関心がある業務に異動できるのが20年後と言われた
  • 組織都合の配置転換で、まったく違う部署に異動。一向に専門性獲得できず、社内価値は上がれど、欲しいのは社外価値

まとめとしては、これがまさしく「優秀な若手を組織に定着させるための基本的な考え方」として必要なんだろうなと(青山学院大学経営学部教授の山本寛氏)。

この会社で働き続けても、他の企業で必要とされる能力は十分に身に付く」と社員が思えるようにすることです。仕事を通じて得られる汎用的な能力や専門スキルを押し出し、社員が自分のキャリアを長期的に考えられるようにする。つまり社員の「エンプロイアビリティ」(雇用される能力)を企業が積極的に保証するということが重要なのです。

で、この記事を読みながら思い出したのが、先ごろ読了した小松左京の「日本沈没」の一節だった。

この本、1973年の本だけど、「古い世代が向けるべき、若く優秀な人への眼差し」というのは、戦後と呼ばれた時期からずっと、今も昔もさほど変わっていないのかもなぁと思った。「教養ある原始人」というやつだ。

古い世代の幸長(ゆきなが)は、若い世代の小野寺に対して、ゆたかな時代の「新しいタイプ」の青年というふうに、こんな眼差しを向ける。

(▼は、私が勝手に入れた見出し)

▼一つの職場での実績や、安定したポスト、金銭や地位に執着しない

決して投げやりな仕事ぶりではないにもかかわらず、一つの職場での実績や、安定したポストをいともあっさり投げすて、何の未練もないように次の仕事へうつっていく。金銭や地位についても、また、認められたとか認められないということについても、まるでがつがつしない……。物質や地位に対する執着を持たずにいられるというのは、まさに、「ゆたかな時代」に成長してきたためにちがいない……。

▼「国」「民族」「国家」に宿命的な絆を感じていない(「国」を「組織」と読み替えてみて)

日本人として生まれながら、「国」だの「民族」だの「国家」だのに、暗い、どろどろした、宿命的な絆などまるで感じていない。それでいて、国に対する「貸し借り勘定」はちゃんと意識しており、決して「恩義」を感じていないわけではない。だが、その「恩義」の感情は、民族や国に対して無限責任を感じたり「運命共同体」の逃れられない紐帯を意識したりする形で出てくるものではなく、きわめてドライでクールで、「借り」を返しさえすれば、いつでも自由な関係にはいれるものとしてとらえられているのだ。

ここで注目したいのが、幸長がこの「新しいタイプ」をどう受け止めたのか、つまり肯定的に受け止めたのか、否定的に受け止めたのかという点だ。続きを引用すると…

「強制」や「義務」や「恩義の押しつけ」「忠誠と犠牲の強要」「血縁」など、あのさまざまな紐帯でがんじがらめになっていた戦前までの日本からは、想像もできないような「日本人」が、眼の前にいることをさとって、幸長はちょっとした戸まどいといっしょに、さわやかなものを見たうれしさと、くすぐったい笑いがこみ上げてくるのを感じた。「戦後日本」は、何のかのといわれながら、その民主主義とゆたかさの中から、こういう新しいタイプの青年を生み出してきたのだ。このドライで、クールで、しかも人当たりのいい、人好きのする、おとなの悪魔的な意地悪によってつけられたねじくれた「傷」を負っていない、べたついたところがなく、物質や権力に対する執着もなく、生活に対する欲望も淡白で、さらりとした感じの青年たちは、いわば戦後日本の生み出した傑作といえるだろう。

この新しいタイプを、「さわやかなもの」として「くすぐったい笑い」をこみ上げながら受け止める。「戦後日本の生み出した傑作」とまで評してみせる。私には、これが小松左京が読者に共有せんとする、新しく異質なものを受け止めるときの、あるべき眼差しのように感じられて唸った。

彼らは自分たちを「日本人」であると感ずるより、まず「人間」であると感じており、日本人として生まれたことは、皮膚の色や顔形のちがい、背の高さ、といったような、人間一人一人が持つ、しごく当然な「個体差・群差」としてしか意識していない。彼らは、自分たちを、「日本の中でしか生きていけない」と考えてはいない。地球上、どこへ行っても自分は生きていける、と思っている。生きていくことが、特定社会内における「立身出世」への妄執とつながっていないから、どこでどんな暮らしをしようと、自分の人生を「失敗」したとか、「だめなやつ」だとか考えてみじめな思いをすることもない。──それは、新しいタイプの、いわば「教養のある原始人」ともいうべき人間かもしれない。だが、彼らの闊達さ、寛闊さ、さわやかさを、古い世代の誰が非難できよう。

新しくて異質なものって、まずは抵抗を示し、否定的に見がちなのが人間の性(さが)かもしれない。けれど、一呼吸おいて、意識的に、肯定的な解釈を与えてみようとする試みもまた、私たち人間がもちうる教養・知性というものだよなぁと味わった。小松左京、すごい…。

2019-07-31

「コミュニケーションは、慣れの問題」と置いてみる

5月に、ここに書いた「寛容になろう」が生みだす不寛容を読んでくださった方から、1冊の本を紹介されて読んでみた。「その島のひとたちは、ひとの話をきかない―精神科医、『自殺希少地域』を行く」(*1)という、精神科医の森川すいめいさんの著書だ。

日本の「自殺希少地域」(自殺で亡くなるひとが少ない地域)を5か所6回にわたって足を運び、それぞれ1週間ほど滞在したときの記録に考察を加えた文章。

現地で出会う人にできるだけ声をかけ、雑談をし、少し関係が深まったと感じたときに、なぜこの地が自殺希少地域なのかを、自然な会話の中で尋ね歩いたという。

岡檀(おかまゆみ)さんの「自殺希少地域」の研究(*2)によれば、自殺が少ない地域では、隣近所とのつきあい方は「立ち話程度」「あいさつ程度」と回答する人たちが8割を超え、「緊密(日常的に生活面で協力)」だと回答する人たちは16%程度にとどまった。一方で、自殺で亡くなる人の多い地域は「緊密」と回答する人が約4割に達したという。

人間関係が緊密だと、つながる人の数は少なくなる。合わない人の排除が始まって、孤立が生まれる。

自殺が少ない地域では、ふだんの人間関係は緊密でないが、コミュニケーションの量は多い。ゆるく多くの人とつながっている状態、たくさんの知り合いがいるから、完全な孤立にはならない。

こうした中で、多様な人とのコミュニケーションに慣れていくし、合わない人を排除せずとも、あいさつ程度のコミュニケーションは成り立つから、困ったときには必要に応じて必要な分だけ手助けしあえる。

コミュニケーションが多いと、その人のことも手助けの方法も、手持ちの情報が豊かになる。困っている人がいると、何に困っているのかだいたい見当がつくようにもなる。車椅子の人だったら、あそこの段差のところを行き来するときだけはサポートが必要だなとか。それで、さっと声をかけて手助けして、段差のところだけ手助けしたら、あとはもうバイバイすればいい。

自殺が少ない地域は、手助けに慣れているという。そこに恩着せがましさがない。自分がただ、黙ってみていられないから、手を貸す。自分が助けたいと思うから助ける。気がかりだから、放っておけないから、声をかける。自分がどうしたいか。原動力がシンプルだ。

自殺が少ない地域の人は相対的に、自分の考えをもっているという。

自分の考えがあるゆえに他人の考えを尊重する。ひとは自分の考えをもつと知っている。違う意見を話せる。だからある人間の側やグループにつくのではなく、どの意見かによって誰と一緒になるかが決まる。ゆえに派閥がない。

また、次の老人のことばを受けた著者の弁は、私にもまったく同じように働いた。

「困っているひとがいたら、今、即、助けなさい」私は島を一周する途中で会った老人のこのことばを聞いて、そうだよなと思うようになった。ひとを助けるにおいて、少し、それまでは動き出す前に考えてしまうことがあった。ここで助けることが本当に本人にとっていいことなのか、ためになることなのかどうか、と。そのつど悩んだ。しかし、このことばを聞いてからそれを実践するようにした。

行動に起こさないこと、足が動かないこと、口が開かないことが、ままある。タイミングを逃してしまい、後でやらなかったことを後悔した経験は数しれない。

自分が直観で「これは、やったらいいよ」と思うことは、たぶん自分がやりたいことなのだ。そういうことに、別の自分が耳を貸さず、真剣にとりあわずに、やらずじまいで済ませてしまったことがたくさんある。

これを躊躇せずにやっていくことが、自分をありたい自分に近づけていくんだろうなと思う。

困っているひとがいたら考える前に助けたらいい。大切なことは自分がどうしたいかだ。

コミュニケーションに慣れている、手助けに慣れている。コミュニケーションも、人助けも、慣れの問題。そう置いてみると、気持ちが楽になった。善い人ができて、そうじゃない人はできないとか、優秀な人、心根のやさしい人、親切な人、よく気のつく人じゃなきゃできないとかじゃない。

慣れの問題なら、慣れればいいだけだ。そして慣れるためには、慣れるまで意識的に自分でそれをしていく働きかけが必要だ。そこを通過して、それをするのが当たり前になったら、もうこっちのものである。今は道半ば、躊躇してしまうこともあるけれど、わりと躊躇なくできるようになったこともある。発展途上である。

せっかく、自分が気づいたこと、思ったこと、考えたことを生かしていかないともったいない。自分が気がかりに思うことに、きちんと私が耳を貸して、立ち止まって、向き合って、それに関わって、声をかけていく、行動に移していくということを大事にしたい。そう、思い直す一冊だった。

*1:森川すいめい「その島のひとたちは、ひとの話をきかない―精神科医、『自殺希少地域』を行く」(青土社)
*2:岡檀さんは和歌山県立医科大学保健看護学部講師。詳しくは著書「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある」(講談社)

2018-12-18

読書メモ:「Design Systems - デジタルプロダクトのためのデザインシステム実践ガイド」

元上司でボーンデジタル編集者のおかもとさんから、新刊「Design Systems - デジタルプロダクトのためのデザインシステム実践ガイド」(*)をご恵贈いただいた。

Webデザイナーは、「モジュール型でパターン主導のデザイン」を取り入れ始めている。というのは肌感でもわかるところ。利用者視点でみても、パターン化されていて使い勝手がいいWebサイトが多くなっていると思うし、Webデザイナーの周辺で働く身としても、デザインガイドライン、パターンランゲージ、パターンライブラリ、スタイルガイドといった言葉はよく見聞きするようになった。

これにはちゃんとした理由があって、近年のWebはユーザーの画面・デバイス・地域の別を問わず、より多くの人々に、さまざまな環境から利用できる提供の仕方を求められているから。

提供する情報・機能だって、日々の連絡、情報収集や意見交換、調べ物や記録、買い物、役所手続き、ラジオや映画など、もはや日常生活に不可欠なインフラだから、「こういう条件を満たさないと使えません」なんて言っている場合ではない。

紙のチラシやパンフレットの置き換えとして“静的なページ”をデザインする移行期は、とうに終わりを告げたのだ。

というわけで、いろんな人・環境・利用シーンにあわせて自在に組みかえられるよう、再利用可能な細かいモジュールに分割して、パターンを利用し、柔軟&迅速にプロダクト・機能・インターフェースを構築する必要が出てきた。

そのパターンには2つあって、この本では「機能パターン」と「認知パターン」に分けて解説している。

●機能パターン
行動に関連するもの。インターフェースを構成する具体的な要素のこと。ボタン、ヘッダー、フォーム要素、メニューなど、実体のあるインターフェースの部品モジュール。これが一貫したデザインで作られていないと、使う側は大変な困難を強いられる。

●認知パターン
ブランドや外観に関連するもの。プロダクトの個性を視覚的に表現するエモーショナルな外観のこと。口調、タイポグラフィ、色の選択、アイコンのスタイル、余白、レイアウト、形状、インタラクション、アニメーション、サウンドなど。こっちはこっちで、抽象的ではあるものの、無意識的にユーザーが大いなる影響を受けているもの。

機能パターンは名詞や動詞に似ていて、認知パターンは形容詞に近い。あるいは、前者は常にHTMLベースで実装し、後者の多くはCSSプロパティで実装するという分け方も、わかりやすい説明だ。

2つのパターンは、連携してプロダクトのインターフェースを作っており、その大元締め「デザインの原則」に基づいて展開されるもの。

この本では前半で、「プロダクトの目的とエートス(価値)の明確化→デザイン原則の定義→原則からパターンへの落とし込み(機能パターンと認知パターンの定義)→チームでの言語の共有」といった流れで、基礎編を構成している。

じゃあ後半は…というと「応用編」は、監訳者の佐藤伸哉さんが前書きで「デザインシステムとは、単にデザインガイドラインを作ることではなく、むしろ組織論や運用論です」と記している、ここかなと。

デザインシステムを組織で確立・維持していく上では、作って納品して終わりでは済まされない。サイトを公開した当初はデザインの一貫性があったが、時間経過とともに崩れていってしまって今や見るにたえない状況…といった話はよく聞くけれど。

一旦公開した後、品質維持できるかどうかは相手次第というのではなく、最初から「長持ちする」ように作るの含めて作り手の手腕ととらえて、「長く一貫性を保てて、それでいて拡張性があるデジタルプロダクトをどう構築するか」という高みを目指すのに良書ではないかと思った。

対象読者は、「デザインシステム思考を組織の文化に組み入れることを目指している、小中規模のプロダクトチーム」、特にお薦めしたいのは「ビジュアルおよびインタラクションデザイナー、UX実務者、フロントエンド開発者」とのこと。ご興味ある方は、ぜひお手にとってみてください。って、まだ読み始めなんだけど…、ご紹介まで。

おかもとさんがnoteに「Design Systems日本語版の作りかけ断片集」を公開しているので、ご興味ある方は、こちらもどうぞ。

*:著者はアラ・コルマトヴァ氏。原著は「Design Sytem - A practical guide to creating design languages for digital products」(Smashing Magazine刊)

2018-10-23

「Webクリエイティブ職の仕事と年収のリアル」を求めて

山口義宏さんの新刊「マーケティングの仕事と年収のリアル」*1が面白そうである。ということで、まだ読んでいない本について堂々と語ってみる。

私が長くキャリア支援の対象として関心を寄せてきたのは、マーケティング職というより、Web系のクリエイティブ職寄りなのだけど、このご時世、これとマーケティング職を分けへだてる厚い壁があるわけでもない。

いわゆるマーケティング職と比べると、Web系のクリエイティブ職にはさほど「華やかで稼げそうなイメージ」はないかもしれないが…、現代の2職種にはいろいろと共通点があるように思い、ゆえにこの本はきっとWeb系クリエイティブ職のキャリアにも役立つ内容が詰まっているに違いないと期待を寄せて、手にとってみた。

手始めに、この本の「はじめに」に書かれているマーケティング職のあれこれから、Web系クリエイティブ職との共通点らしきものを読み取って列挙してみたい(「はじめに」までは読んだ…)。

マーケティング職と、Web系クリエイティブ職の共通点らしきもの(私見)

●働く場を大別すると、事業会社と支援会社がある
●専門領域は細分化され、目につく仕事から地道な業務までさまざまある
●役割とする仕事範囲は、複雑化しながら広がっている
●給与の業界水準は決して高くない。高い稼ぎを得られるのはごく少数で、多くは経済的な処遇が期待に及ばない
●この職でやっていく成長の見通しや年収を高める道筋が見えず、閉塞感を感じている
●キャリアに閉塞感を感じる一因に、デジタル化によってマーケティング施策の専門分化が細分化された結果、自分の関わる仕事や事業、業界を俯瞰して見渡しづらい環境要因がある
●「実力を伸ばせば、年収も自然に高まる」ことを期待したい職人的指向が少なからずある
●汎用的な仕事能力の獲得を軽視し、専門知識・スキルに偏重しがち
●職務の専門知識や施策を解説する本は沢山あるけれど、職として市場価値を高め、稼げるようになるリアルなキャリアづくりの情報は少ない
●雇用する企業側も、業務理解が浅く、採用のミスマッチが頻発。育成も現場任せの徒弟制度を脱しきれず

念押ししておくけれども、ここで挙げたものは、著者の山口さん的にはマーケティング職の話として語っているものであって、「これってWeb系のクリエイティブ職にも通じるのでは?」と列挙しているのは、私の勝手な解釈にすぎない。が、どうでしょうか。なんか、うんうんって感じしませんか。誰となく。

3つ目に挙げた「役割とする仕事範囲は、複雑化しながら広がっている」とかは、そのわりに、大きく括れば1つの職種に役割が集約されつづけていないか、とかも気がかり。

マーケティング職事情は詳しくわからないが、Webの業界でいうと「いっぱしのディレクター(とかデザイナー)なら、これくらい知っておいてほしい、これくらい読んでおいてほしい、これくらいできてほしい」と求められる知識・スキルがどんどん膨らんでいき、一職種・一個人に求められる役割は肥大化していく一方。

中途採用の募集ページにあるジョブスクリプションは見直す度に厚くなり、「できれば尚可」に書き込めるだけ書き込んでいくものの、待遇面は数年前からさしたる変更なしとか…。一般の企業が求めるには、非現実的なスーパーマン像になっていないか、とか。

業界の発展とともに、年数をかけて一つひとつ知識・スキル・経験をモノにしてきた一握りの人を除くと、どうその肥大化した役割を果たせる人間になれるものかには、各方面で大きな課題を抱えているのではないか。

当事者としてのスキルの磨き方や経験の積み方も、組織としての若手の育て方も、組織としてこの職種分類のままでいいのか、もっと現実的な役割の再配分、チーム編成の見直しが必要なんじゃないかとかの課題もあるのでは。

各社によって提示できる年収だって違えば、採用できる人材も違う。社内メンバーの構成だって違ってくるし、扱う案件のタイプだってクライアント特性だってさまざま。やっぱり最終的には「我が社はどうしようか」と、それぞれの最適解を考えざるをえない。

だとしても、業界標準的な職種分類の見直しは、それはそれで意味をもつだろうか。あるいはヘタに体系化しようとせず、いろんな会社が自社のチーム編成や職種分類の考え方と実際を数多く事例共有して、意見交換して、持ち帰って各々活かすことに意味があるのか、とか。

そんなことをもやもや考えつつ、「はじめに」を読んだ。ということで、最近は垣根なくデジタルマーケティング界隈で働く人たちのキャリア支援、組織の人材育成をサポートする自分の役割にひき寄せて頭を働かせつつ、本篇のページをめくっていきたい。ご興味ある方は、ぜひお手にとってみてください&読んでみたら、ぜひ後で語らいましょう(私は読むの遅いですけど…)。

*1: 山口義宏「マーケティングの仕事と年収のリアル」(ダイヤモンド社)

「アタマのやわらかさ」の原理。を読んで

名だたる広告クリエイターの著書を手がけてきた編集者、松永光弘さんが著した「アタマのやわらかさ」の原理。*1を読んだ。

松永光弘さんが編集者として手がけた本は、広告・デザインをつくる仕事に従事する人なら誰でも一冊は手にしたことがあるのでは、というほど。

広告というのは常に、これまでにない新しい何かを求められ、「新しい価値の提示」を役割とする。それを作るトップクリエイターは、どんなアタマのつかい方をしているのか。そこに見られる「アタマのやわらかさ」とは何なのか。どういうふうに成り立っているのか。どういうふうに養っていけばいいのか。

松永さん自身がこれまでに見聞きし、経験し、学んできたことをベースに導きだした「こういう考え方をすると、いろんなことに説明がつくし、思考を進めやすい」という仮説が語られている。

これまで広告会社や学校などでお話ししてきた内容を整理しなおし、加筆、再構成して、4回の講義のかたちにまとめたものということで、平易な話し言葉になっているので読みやすい。例もふんだんに織り込まれているので、面白いし、わかりやすい。さすが本づくりのプロだ…と、それだけで敬服する。

そして書いてあることが、ロジカルで優しい。ときにロジカルな文章はゴツゴツしていて痛かったり、優しい文章は論理性を欠いていたりするけれど、松永さんのお話は両方とも見事にそなわっているので、腑に落ちるし、自分もやってみようって心持ちに自然ともっていかれる。それを、ただ優しい語り口やロジカルな文章展開でやっているんじゃなくて、お話の中身そのものでやってくれている感じ。

話し始めに、優秀なクリエイターがやわらかいアタマで新しい価値を提示するとき、「ひらめく」というより「見つける」という言い方をする、という話がある。

ひらめける人になろうと言われたら途方もなく感じて、んなのできる人はできるし、できない人は一生できませんよってな気分になっちゃうけれど、「優秀なクリエイターはひらめくより、見つけるって言う」ということになると、新しい価値を発見する機会は自分の外に点在していて、それをうまく見つけるコツなりスキルなりを身につければ、自分にも新しい価値を発見できそうな気がしてくる。

松永さんの話の中身には、そういう指摘の鋭さと、人を動機づける優しさが両方ある。

もちろん話はそこにとどまらない。松永さんは、広告クリエイターたちと一緒にブレストしたり、彼らを著者とした本を作ったり、お酒を飲みながら話したり、議論したりする経験からいって、

みずからの発想を体系化してメソッドのようなものを編みだし、日常的に用いている人はあまりいません。本で紹介されているような、いわゆる発想法をつかってなにか考えている人も、ほとんど見かけません。たいていの人は、なんらかの課題を投げかけると、ごくふつうに考え、ごくふつうに悩み、ごくふつうに自分の意見を話します。

読んでいて心地よく、励みになった一節。でも、じゃあ優秀なクリエイターは何を共通項として特徴づけられるかというと、さまざまな視点(切り口、アングルとも)で考えなおしつづけていることが語られる。

大切なのは、最初の反応ではありませんし、発想の瞬発力でもありません。どう考えなおすか。もっといえば、望むような結果にたどり着くまで、どう考えなおしつづけるか。

何かをみたときの最初の反応が優れているかどうか、何をひらめけるかどうかで決まるんだよってことではない。最初の反応は、ごく常識的なもので構わない。むしろ常識的なものの見方でまずは反応してみて、そういう自分の価値観なり世間の常識なりを認識した後、そこに価値を固定せずに、さまざまな視点で別の価値を探しにいって、新しい価値が見つかるまで探しつづけられるか、これだってものを見つけたときに目利き力を働かせられるかどうかってところだ。

とはいえ、この「視点」というのも、物理的なものを見るのに視点を切り替えるんだったら、横からみるとか底からみるとか替えてみるのはわかりやすいけれど、往々にして私たちがみる対象は概念的なものなので、ただ視点を切り替えるといっても、どう切り替えるのってことがわかりづらいですよねってことで、それも具体的に「組み合わせで見る」ということの意義や方法について、なるほど!という話が分かりやすく手ほどきされる。

そもそもモノや人、情報の価値は、組み合わせの中で決まる

という松永さんの解釈も、なるほど!と腑に落ちるし、

編集とは、組み合わせによって価値やメッセージを引き出すこと

という定義づけも、分かりやすく浮き彫りにされていく感じ。

多くのトップクリエイターと仕事し、議論し、おしゃべりし、たくさんの時間を共有してきて、彼らの資質や特性、価値観、共通項やそれぞれの個性を見分けて深い理解を獲得した編集者ならではの実践から編み出した本。「編集者が著した本」という価値が染みわたっているような本だった。

*1: 松永光弘「アタマのやわらかさ」の原理。(インプレス)