2021-07-28

「もしかして灰田が消えたのは1995年3月!?」という迷走の一部始終

これはもう、村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を再読するしかなかろうという気分に追い込まれて、週末に読みふけった。主人公つくるの自己像は、自分のそれと重なるところが多いのだ。つくるの描写を通して自分をとらえ直せるところが多分にあって、私にはとっておきの小説である。

さて一気読みした後、せっかく再読したのだからと、泳いだり走ったりちょっとした時間に、この本の未解決事項に思いめぐらせてみた。この小説は、「結局どうなったの?」「で、どういうことだったの?」という事柄を多く含んだまま終わる。読者によっては「粗い」「完成度が低い」と評する声もあるけれど、その一方「推理小説じゃあるまいし、なんでもかんでも回収される、解明されると思うなよっ」という気もする。

彼の意識のキャビネットの「未決」の抽斗に深くしまい込まれている問題のひとつだ。

なんて、あえて「未決」という言葉を刻み込んでもいるし。再読してみて思うに、意図的な未決も、意図せぬ粗も、どっちも含んでいるってことなのかもなって個人的感想をもった。

が、とすると、だ。完成度が低いんじゃなくて、作者があえて曖昧なままに終わらせただろうところに関心が向くのが、しがない1読者として健全である。

じゃあ村上春樹が「それは皆さんのご想像にお任せします」と、意図的に書かなかった事の顛末があるとして、いちばん私が気になるのはなんだろうな。なんて思い巡らしていると、あれとこれがばさっと頭の中で関連づいて、身も心もばさっとベッドから飛び起きた。

私が気になる一番は、大学時代に主人公つくるの前から忽然と姿を消してしまった大学1年生の「灰田がその後どうなったか」だ。それと、改めて読んでみて違和感を覚えた、物語の終盤も終盤で、1995年3月に起きた地下鉄サリン事件のことを、唐突に持ち出してきたのは、どんな意味があるんだろう問題がリンクした。

もしそんな極端に混雑した駅や列車が、狂信的な組織的テロリストたちの攻撃の的にされたら、致命的な事態がもたらされることに疑いの余地はない。(中略)そしてその悪夢は一九九五年の春に東京で実際に起こったことなのだ。

確かに、主人公は駅を作る職業だし、物語を通して「駅」や「電車」は大事な存在として位置づけられている。けれど、あれほど物語の終盤になって、東京の混雑した駅の異常さについて行数を割いて語り、1995年春の事件に言及するのには、ちょっと唐突感を覚えた。相応のワケがないとおかしい。この一節は、つくるの物語世界と読者の現実世界をつなげるように、村上春樹が大事な意味をもってそこに置いたように読めた。

それが灰田の行方とつながって、仮説がひらめいた。もしかして、灰田がつくるの前から消えてしまったのは、この1995年3月の事件に巻き込まれたってことなのでは!?と。いや、巻き込まれたって断定はしない。しないけれども、あるいはそういうことが背景にあったかもしれない、なかったかもしれないという話なのでは?と。

そう思い立つと、いても立ってもいられず、関連するページを再びわわわーっとめくり直して確認した。

まず、大前提を置く。地下鉄サリン事件は1995年3月20日に起きた。

村上春樹はこの事件について、被害者など62人の関係者を訪ね、丹念なインタビュー取材をして、事件2年後の1997年3月に「アンダーグラウンド」というノンフィクション作品を出している。事件への思い入れは相当である。

では、物語のほうの時間軸と照合してみよう。

つくるが灰田と出会って親しくなったのは、つくるが大学3年生、灰田が大学1年生のとき。つくるが最後に灰田と会ったのは、その学年末の「2月末」とある。灰田は「2週間ばかり秋田に帰ってきます」と言い残して、そこから一切つくるの前に姿を見せなくなった。

これを、灰田が3月20日の事件に巻き込まれたという仮説に照らすと、2月末からは2週間というより3週間経っていて、ちょっとずれている感もありつつ、誤差の範囲とも言える。なにせ長い春休みだし、本文にあるように実家の雪かきが大変だったのかもしれない。では、一旦これを1995年2月末のことと置いてみよう。

つくるは留年も就職浪人もせず、1995年4月に大学4年生になって、1996年4月に「今」も勤務する鉄道会社に新卒入社している(とみるのが自然だ)。「今の会社に入社して14年経つ」と言っているので、この小説で描かれている「今」は、仮説に基づけば2010年ということになる。

「主人公つくるが灰田と出会って別れた大学3年生の年」と「今」の間は15年間あいている必要があり、この小説が出たのが2013年4月、この話を構想だてたのが2010年〜2012年頃とすれば、今を2010年と置き、灰田が消えた当時を1995年2月とみるのは、そう違和感ないのでは。

と、あーだこーだノートに書きつけながら一人で興奮していたのだけど、もういくらか読み足したところ急ブレーキ。

灰田は、「学年末の試験が終わった直後に自らの手で、捺印した休学届と退寮届の書類を出している」とある。学年末の試験が終わって、行方をくらますまでの間に、灰田はつくると会っているが、「休学のことをつくるには伏せていた」。もともと灰田は1〜2月のうちから学校を休学する気があって、つくるにはそれを言っていなかった。その理由は、この仮説では解けない…。

また、灰田が消えたのは「たまたまのことではない」「そうしなくてはならない明確な理由が彼にはあったのだ」と明記している。「灰田は自分の父親と同じ運命を繰り返している」「20歳前後で大学を休学し、行方をくらましている」とも意味ありげに書いてある。うーむ、そうするとやはり私の仮説は、浅はかな文学素人の思い込みにすぎないということになるか…。再び「未決」の抽斗ゆき、とほほ。

でも、この読後の迷走は、私がこの小説をみる奥行きを、より豊かなものに変えた。村上春樹がノンフィクション「アンダーグラウンド」の丹念なインタビュー取材を通じて、あの事件によってその後の人生を大きく狂わされた、その日たまたまその電車のその車両に乗ってしまった人たちの話を深く刻み込んで生きていることは、時系列的にみても間違いない。また「アンダーグラウンド」の中で村上春樹は、あの事件の被害者は「誰でもありえた」ということを強調していた。

それが私の中では、「灰田だったかもしれないし、そうではなかったかもしれない」と言いたいように読めたのだった。こんなふうに読後にもあれこれ思い巡らして、もしかして!といろいろ仮説立てて読み返したりして、読者が勝手に読みごたえを増幅させていけるのも小説の愉しみだよな。「未決」を含む小説も悪くないし、再読も独特の愉しさ。だからまぁ、この迷走も無駄じゃなかったってことでいいのだ、うんうん。

2021-05-27

地球の温暖化と、哲学の起こり

いま読んでいる出口治明さんの「哲学と宗教全史」が、実におもしろい。出口さんはライフネット生命保険の創業者、現在は立命館アジア太平洋大学の学長。「哲学史の研究者」然とした文章ではなく、哲学にも造詣が深い実業家の長老が語り聞かせてくれる物語のように読めて、ずっと哲学入門者な普通の企業人である私には、たいそう読みやすく意味深い一冊。

450ページくらいある分厚い本で、まだ4分の1しか読んでいないのだけど、哲学史の中でもとりわけ「紀元前」が好きな私は、今ちょうど楽しい真っただ中にいる。

この本は、西洋も東洋もひっくるめて書いてあるのが、ありがたい。「全史」といったって西洋哲学と東洋思想は分けて扱われたりするものだけど、この本は「ソクラテスよりも孔子のほうが80歳ちょい上の年長」みたいな話もあって、洋の東西を横断して哲学がどう起こってきたのか語り聞かせてくれるところが魅力的だ。

また哲学、宗教、当時の政治情勢もくみながら、どういう時代背景にあって、それがどう当時の哲学者や思想家に影響を与えたかに思いをはせ、想像を巡らせながら、読み解いていく文章も楽しい。

紀元前5世紀の前後というのは、著者いわく「草木が一斉に芽吹くように」知が爆誕した時期。それまでは長く、神話や伝説でとらえていた世界の成り立ちを、んなことあるかいな!と言ったかどうかはしらないが、この世界ってなんなんだろう、世界は何でできているのだろう?と、当時の人が論理的に考え出した。

それも洋の東西を問わず、ギリシャに始まって、ほぼ同じ時期にインドでも、中国でも、この動きがみられる。

アフリカから人類が世界各地に散らばって何万年も経ったところで、いっせいのせい!って声かけたみたいに、古代ギリシャでタレスが、インドでブッダが、中国で孔子が同時代に生まれて、紀元前5世紀あたりに集中して知を爆誕させる。

それがなんでかって、地球の温暖化に関係するという。紀元前5世紀の頃、地球の温暖化が始まる。あわせて、この頃までにちょうど鉄器が、世界中に普及していたのだという。鉄器というのは、つまり鉄製の農機具を手にしたということ。

この鉄製の農機具と、地球温暖化による太陽の恵みを受けて、このころ一気に

1. 農業の生産性が高まる
2. 人口が増える
3. 階級分化が激しくなって、貧富の差が拡がる
4. 金持ちは、使用人に農作業をやらせるようになる
5. 金持ちの家は、学者や芸術家のような人たちに食事を与えて遊ばせておくようになる
6. 知識人や芸術家が登場する

こうした流れが、紀元前5世紀の頃に、ギリシャでも中国でも「知の爆発」を起こしたという話だ。一大スペクタクル!

で実際、この紀元前5世紀のあたりにいろんな哲学者、思想家が確認されるので、気になる人たちをざっくり一覧にしてみた。以前から西洋と東洋を丸ごと並べて、生没年をグラフで見られる一覧が欲しかったのだ。没年齢もざっくり出してみた。

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この表、せっせと数字を埋めて作っていくと、「デモクリトス、90歳ってあなた、いくらなんでも長生きしすぎじゃない?」とか、「っていうか、紀元前にして、この人たちの平均年齢71歳っていったい…」とか、いろいろ楽しい。

ちなみに、この表では一列10年単位でざっくり区切っちゃっているのだけど、同著によればプラトンはソクラテスが42歳のときに生まれ、アリストテレスはプラトンの43歳年下、こういう感覚をもてると、「ちょい上」の先輩って感じじゃないんだなぁとか、よりリアルに2者間の人間関係をイメージできて、これまた楽しい。

ヘーゲルが「弁証法」と名づけるよりずっと前、万物の根源は何だ?水か、火か、と言っている古代ギリシャで、エンペドクレスが「万物の根源は1つじゃなくて、火、空気、水、土の4元素からなる」とか弁証法やってのけているくだりとか、もう最高である。

シチリア島の彼が、「この4元素を愛が結合させ、憎が分離させる働きによって4元素は集合と離散を繰り返す」と言うのと、ほとんど時を同じくして、インドでアジタ・ケーサカンバリンが「地、水、火、風の4要素の離合集散によって説明する四元素還元説」を説き、中国でも「陰陽の交わりによって木・火・土・金・水の5元素が生まれ、この構成要素が同調・反撥しながら世界を循環させていく」とする陰陽五行説が台頭する。 一大スペクタクル!

科学はここから現代にいたるまでに目覚ましい発展をしてきているわけだけど、人が生きる上で大事な心のもちようについては、紀元前のうちに彼ら賢者が言葉を作って言い尽くしてくれていると思われてならない私には、実に味わい深い物語が詰まっている本。久しぶりにとっぷりとつかって読みたい。

*出口治明「哲学と宗教全史」(ダイヤモンド社)

2021-05-18

元号、西暦より、その人の年齢で歴史を読む

昨日は、ひさびさに会社に出勤した。だだっ広い部屋をとって5人で2時間ミーティング。べらべらしゃべって話し合って、直接コミュニケーションとれるこぎみよさを満喫しつつ、声がかすれず最後までもったことにほっとしつつ。

その後も、あれこれの打合せやら、お久しぶりですーやら、べらべらしゃべって4時間くらいしゃべり続けていたが、夕刻まで声がもったことに感動すら覚えて帰途についた。

ここしばらく出勤もしていなかったし、私はオンラインミーティングも少ないので、発声する機会がほとんどなく、声帯がだいぶ弱っている感じ。店のレジとかで、ちょっと「ありがとうございます」と言おうとしても声がかすれてしまうとか、ラジオを聞いていて思わず声立てて笑いそうになるも声にならず、みたいな…。

それで、このままだとまずいなぁと思い、手元の本を声に出して読んでみることに。たまたま今読んでいるのが堀田善衞の「方丈記私記」*で、鴨長明の「方丈記」の引用も多いので、現代文と古文を行ったり来たりするのが変化に富んで好ましい。が、文庫本1ページも読むと声がかすれてくるのだった…。

この本、作家の堀田善衞が1971年に出した初エッセイで、著者が四半世紀前に体験した1945年3月10日の東京大空襲の日のことを、「方丈記」と重ね味わうように書いているもの。

鴨長明は、25歳で京都の大火災、28歳で大風、福原遷都、29~30歳のときに養和の大飢饉・悪疫流行、33歳で3か月にわたる連続大地震を経験し、この様子を58歳のときに「方丈記」としてまとめている。60歳目前というところで、自分がアラサーの頃に立て続けに体験した大事件の数々を思い起こし、ていねいに描写しているわけだ。

安元3年、治承4年、養和元年などと言われても、なかなかイメージが定まらず漠としてしまうんだけれど(歴史に弱いので…)、私のような「人」に関心が向く人間はとりわけ、元号や西暦ではなく、この人が何歳のときに、こういう事件を起きたのを、何歳のときどうとらえてそれを描写したのか、何を見出したのかという目線で書物を読むと、おもしろみが変わってくるものだなと思う。

もっと若い時分に気づいていればよかったのだけど、私はいい大人になってから、これに思い至った。紀元前の人物となると、なかなか年齢まではわからないところがあるけれど(実在した人物かどうかすら…)、年齢がわかっているかぎりは、この人はこれを言っているとき何歳なんだ?うぉー、私よりずっと年下じゃないか、とか、年齢を目盛りにして読むと、親近感が増して味わい深くなるのだった。

著者も、そのようなことを述べている。

おそらく私は鴨長明という人を、別して歴史的人物、歴史上の人物ーに違いもないのだがーと思っていない、あるいは歴史的人物として扱っていないということを意味するであろう。彼は、要するにいまも私に近く存在している作家である。私はそう思っている。

“歴史上の人物”とひとくくりにする紐をほどいて、現代にもごく身近に似たような人がいるかもしれないなどと思いめぐらせながら、その人を一人の人間として性格やら志しやら眼差しやら想像していくと、とても豊かに読める。

著者は、“歴史上の書物”めいた「方丈記」も、ルポルタージュのようだと言っている。

意外に精確にして徹底的な観察に基づいた、事実認識においてもプラグマティクなまでに卓抜な文章、ルポルタージュとしてもきわめて傑出したものであることに、思いあたった

また鴨長明を、こう評している。

この人は、何かがあると、ともあれ自分で見に出掛けて行く人である。いわば、きわめてプラクティカルな、観念性とは縁遠い人であり

京の大火事も、ある書物には数万人、「平家物語」には数千人の死者が出たと書いてあるが、鴨長明は数十人と書いていて、こちらのほうがきちんと現地取材をして冷静に述べている感がある、などと言っている。どの時代にも物語をつくる人もいれば、ルポルタージュをつくる人もいるとみたほうが自然である。

と、まだ読み途中なのに、なんとなくここまで走り書いてしまった。しばらくの間、これを読みながら5つの時代を行ったり来たりして、自分をほぐしたい。声帯も筋トレしたい…。

▼12世紀:鴨長明が「方丈記」に書く立て続けの災禍
1177年4月28日:京都の大火災[鴨長明25歳]
1180年4月:大風、6月の福原遷都[鴨長明28歳]
1181-1182年:養和の大飢饉・悪疫流行[鴨長明29-30歳]
1185年:3ヶ月にわたる連続大地震[鴨長明33歳]

▼1210年頃:鴨長明が「方丈記」を書く
1212年:四半世紀前を振り返り「方丈記」を書く[鴨長明58歳]

▼1945年:堀田善衞が「方丈記私記」に書く戦時下
1945年3月10日東京大空襲[堀田善衞27歳]

▼1970年頃:堀田善衞が「方丈記私記」を書く
1971年:四半世紀前を振り返り「方丈記私記」を書く[堀田善衞53歳?]

▼2021年:私が「方丈記私記」を読んでいるコロナ禍
2021年5月:「方丈記私記」を手にして読んでいる[私45歳]

*堀田善衞「方丈記私記」(ちくま文庫)

2021-05-07

尾身さんが何を考えているか

思慮ぶかく事に当たり続けている尾身さんが、何を思い、何を考えているのかを垣間見られる、ノンフィクション作家の河合香織さんが著した「分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議」*を読んだ。

いまだコロナまっただ中だけど、昨年(2020年)2月3日から7月3日まで5か月の激動が、(尾身茂さんに限らず)専門家や行政側の視点を中心にして描かれている。丁寧な取材、巧緻な筆致からは、立場を異にする登場人物らの葛藤、誰もがそれぞれの立場で必死に事に当たっていることを伝えんとする著者の思いが、しんしんと伝わってきた。

なかでも尾身さんの、鋼の精神力、多様なプロフェッショナルを率いて関係者との協調を図るリーダーシップ、脱帽するしかない剣士の人格には恐れ入った。会社でリーダーを務めている人、まずまずうまくやれているかなと思っている人は、ぜひともこれを読むと、さらなる高みがどんなものなのか、自分の伸びしろ、さらなる上の目指し方を具体的にイメージできるんじゃないかと思ったりした。

尾身さんの信念は固い、窮地でもぶれない。

「なぜこのことをやっているかといえば、自分の正しさを証明するためじゃない。弁論大会でも学会でもないんだ。人の命が関わっていることだから、結果を出すべきだ」

結果を出すためには、専門家として正しいことを分析して提言すればいいだけじゃない。「公衆衛生のマネジメントとして」は、医学、サイエンスの問題を超えて、わからないことがある中でも判断していく必要がある。政府、厚労省、専門家、知事、自治体、そして国民、全員の声が一致をみない前提で、実効性のある策、メッセージを作り出して、人を動かし、結果を出していく必要がある。

「100パーセント完璧だったら、会見は必要ないかもしれない。しかし、感染症ではエビデンスが出揃う前の状態から対策を打たなければ間に合わない。だから、ここはわかっていない、ここは悩んでいます、ここは間違いかもしれないけれど確かそうだから、という部分を説明する必要があります。複雑でも、率直なリアリティを伝えることが重要です。政府は感染者数を発表していたが、その数にどんな意味があるのかを伝えなければいけない。この数は心配するようなものなのか、どんどん上がるのか、下方に向かうのか。信用できる数字なのか。他の指標がないのか。これだけで全体を評価できるのか。そういった説明をすることが信頼につながっていく」

尾身さんの中には、専門家としての責任感とともに、きちんと伝えればきっとわかってくれるという国民への信頼・期待がある。だから、首相の記者会見への同席・発言を、今なお続けているんだろう。批判を浴び、殺害脅迫を受けても、「家族が強い恐怖心や不安を抱いたのは間違いない。私自身は今の社会全体が抱える不安感を考えれば、これを事実として受け入れるしかないと思った」と腹をくくって、これを引き受け続けている。

私がこの本を読んで得られた収穫の一つは、尾身さんはこの先も絶対に嘘は言わないだろうという信頼の気持ちだ。最終的に得たい結果を踏まえて、会見などの場で「言わない」ことや「表現を丸める」ことはあるかもしれない。けれど、決して嘘は言わないし、言うべきだと信念をもって思うことはどうにかして国民に伝えようとしてくれるだろう。それを私は私で、進んで汲み取りたいと思う。

実効性ある策を講じる上で、尾身さんの都度都度の判断は難解をきわめる。政府とケンカしてしまっては専門的見地からの提案すら、ままならなくなってしまう。現場の声を無視して強行突破すれば、自治体と専門家の信頼関係が崩れてしまう。国民の納得感が得られなければ、やはり実効性ある対策は実現ならない。もちろん専門家として重要な提言は譲れない。身の危険にもさらされながら関わる専門家らが矜持をもって健全に力を発揮し続けられる環境づくり、メンタルケアも欠かせない。

「事実を伝えるには責任をとることまで考えるべきだという役所の論理と、事実はありのまま伝えるべきだという研究者の信念との間には大きな乖離が存在」する中で、首相官邸や厚労省、知事や自治体と協調して、結果を目指す苦悩も細やかに描かれている。

「サイエンスというのは失敗が前提。新しい知見が出てくれば、前のものは間違っていたということになる。そういう積み重ねが科学であり、さらに公衆衛生はエビデンスが出揃う前に経験や直感、論理で動かざるをえない部分がある。一方で役所は間違わない、間違いたくないという気持ちが強かった」

また一方で、専門家と政府の板挟みにもなる。政府は、分析結果を早く出せとせっつく。専門家は、検証が済んでいない分析結果は出せないと言う。そんな中、尾身さんは「市民にわかってもらうためにはデータが必要だ」と専門家に働きかけ、政府の要望に応えようとする。その背景を、尾身さんはこう述べる。

「それは政府の要望ということよりは、私自身の考えの表れだった。専門家会議の役割は、科学的根拠をもって政府に対しとるべき対策を提案することだ。その際、100パーセントの正確なエビデンスがない場合も当然ある。しかし、そうした場合でも今までの経験、感染症の常識、直感である程度方向性については示さなければならない。エビデンスが全部そろったものしか言えないとなると、国は何も判断できなくなる。そうなると困るのは市民だ」

「何も判断できなくなる」というのには、政府が判断の機を逸するだけでなく、誤った判断をして暴走するリスクも含んでのことだろう。市民のための最適解を出すという軸は、尾身さんの中で一切ぶれることがない。

尾身さんは、ことば通り「命をかけて」闘い続けている。2020年3月のこと、専門家会議のメンバーは全員、諮問委員会にも入ってほしいと要請があったが、メンバーの一人が「少数意見が記録に記載されないのであれば諮問委員会に入らない」と内閣官房に断りの返信をした。これを受けて、尾身さんは専門家会議の勉強会の時に皆の前で強く、こう言った。

「国にも意見があるのは当然で、我々にも意見はある。この違いをどうマネージするかが極めて重要なんだ。国と何かをやるとあちらの方向に誘導されるのではないかと言うけれど、でも抜けてしまえば何もできなくなる。諮問委員会は国からの諮問に意見を言う立場だけれど、絶対に言わなければいけないこと、どうしても譲れないことがあれば、脇田さんも私も命をかけて闘うから、一緒にやりましょう」尾身は言葉を続けた。「専門家会議内部の人間関係だって同じだ。激論になるのはいいけれど、人間関係がぎすぎすするのだけはやめてくれ。これからチームでウイルスに対峙しようとしているのに、そういうことは本末転倒だろう。我々は何のためにやっているのかをよく考えてほしい」

「尾身さんの気迫に圧倒され、誰一人として専門家会議や諮問委員会を抜けることはなかった」と著者は、この章をしめくくっている。自分は、私たちは、尾身さんに命がけで守られているのだなと思った。

「人間は不完全な存在だ。誰だって自分が他の人より物事をよく理解している、正しいと思ってしまう。私にだってそういうところはある。だけど、100パーセント正しい人もいないのと同様に、100パーセント間違っている人もいない」

そう言って、尾身さんはいろんな人の思いをおおらかに受け止めていく。矢面に立たされ、いろんな人がどかんどかんぶつかってくる中でも、自身の本来の任務に腰をすえて取り組んでいる姿には、首を垂れるほかない。

尾身さんは、著者がこの本の元となる文章(『世界』の連載)を本にまとめたいと打診したとき、こう言葉を寄せてくれたという。

「時の経過に耐える作品が残ることを期待しています」

一読者として、一市民として私は、自分がどう思慮深くおおらかに人と関わっていくかの手本にしたいと思う。

*河合香織「分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議」(岩波書店)

2021-05-06

高慢と正直

ゴールデンウィーク中に、ジェイン・オースティンの「高慢と偏見」を読んだ。200年も前に書かれた作品だけど、読みやすくて、おもしろくて、一気読みだったなぁ。前から読んでみようと思っていたわりに前知識を全然いれていなくて、タイトル名に気圧されて身構えつつ読み始めたのだけど、拍子抜けするほどポップであった。

訳者のおかげも大きいかもしれない。訳者選び(出版社選び)には慎重にあたった。しろうとが気取った選書をしても、ろくなことがないという教訓が体験的にあって、とにかく読みやすさを重視。原著に忠実な訳か?気にしない気にしない。Amazonのレビューを読んだり、Twitterで「翻訳者の読み比べをしてしまうほど熱心」という猛者の声を参考にして、中野康司さん訳のちくま文庫を選んだ。

「ねえ、お姉さま、コリンズさんはうぬぼれ屋で、尊大で、心が狭くて、そのうえひどい馬鹿よ」って身も蓋もないセリフもあれば、その数行あとに「利己主義を思慮分別と思ったり、危険にたいする鈍感さを、幸福の保証だと思ったりしてはいけないわ」なんて本で読まなきゃ流してしまいそうなセリフも。人のこころの一喜一憂も思慮深さも、人間の愚かさもおかしみも尊さも詰まっていて起伏が豊か。

ダーシーは、下巻では「ぼくは自己中心的な高慢な人間」だったというふうに過去の自分を振り返るんだけど、上巻では自分のことをそうは見ていない。高慢なのではなく、正しいこと、理にかなったことを大事に価値判断してきた、言動や行動を取捨選択してきた。自分が価値をおかないこと、そうだと思っていないことを、へんに人に気を遣って謙遜したり、むやみやたらと相手に調子をあわせることを選んでこなかった。

それは、自分に対して正直に生きているってことじゃないかなぁと思う。また自分が正直に向き合いたい人に対して、率直にもの言って自分のことを伝えようとする姿勢でもある。相手にそれを受け取る度量がないと、高慢ちきと思われることもあるわけだけど、そういうふうに生きる上巻のダーシーを、私はそれはそれで筋が通っていると思うし、その魅力を正面から受け止めたいんだよな。そういう意味では、私はけっこう上巻の(改まる前の)ダーシーの発言が好きだ。

「謙遜ほど欺瞞的なものはないね」と言う。「人の意見を無視しているか、間接的な自慢か、どちらかだ」とダーシー。いやいや、そんなそんなーと言って、相手の言葉をスルーする。あるいは、いやぁ、ただ~なだけですよ!と返して、実は自慢とか。なるほどなと。全員が全員こういうタイプだと大変な世の中だろうけれど、こういうタイプもあっていいのでは、いろんなタイプが交じり合って認め合っているコミュニティのほうが健全だしタフなのではと。

エリザベスも、上巻のセリフが光っている。

うぬぼれのない人なんてめったにいないわ。ほんとに、人間共通の弱点なのよ。でも、高慢は自尊心が強すぎるということだけど、自尊心と虚栄心は別よ。これはよく混同されるけど、まったく別よ。自尊心が強くても、虚栄心が強いとは限らない。自尊心は、自分で自分のことを偉いと思うことだけど、虚栄心は、他人から偉いと思われたいということよ

健全な自尊心か、不健康な虚栄心かは、それを評価している主体が自分か他人かで考えてみると、わりと判断が出しやすいかもしれない。

もうさ、ほんとさ、人の生き方において大事なことはだいたい紀元前のうちに哲学的に言葉になっていて、それをどう解釈して今の自分に展開するのかって命題も200年前には文学的に物語られていて、現代の命題といったら、じゃあその巨人の肩の上で、今の時代に自分はどう生きるのかってことしかないよなぁって。一般市民として生きる身としては、それが難しいんだけど、それを楽しんでこそなんだろうなぁって改めて思った次第。

ジェイン オースティン (著), Jane Austen (原著), 中野 康司 (翻訳)「高慢と偏見」(ちくま文庫)

2021-04-13

日常生活に変更を加える

4月に入って水泳を再開し、足元はニューバランスのスニーカーを常用しだし、食事は自炊を中心にし、ラジオは若干控えめ、ポッドキャスト番組を若干増し、本は仕事もの・エッセイ・自伝・小説と雑食して半月ほど過ぎた。あれこれ日常生活に変更を加えて歩みだした新年度。

キョンキョンが最近始めたポッドキャスト番組*で、ポール・ギャリコの「雪のひとひら」という小説の名を挙げているのを聴いて、興味をもって読んでみた。

擬人化された雪の誕生は、人が生まれる神秘と重なり合う。上空で雪が生まれて、ひとひらが地上へと一方向に向かって降りていく様子は、人が死に向かって直進しているのと重なる。でも、それが物語の始まりでもある。

そういえば人間は、こういう世界もイマジネーションを働かせて創作することができたんだったと、久しぶりに思い出させてもらったというかな。なんだかんだいって自分の想像領域、ずいぶんせせこましいことになっていたかもなぁと頭の中の境界線を融かしてもらった感じ。

この間、友人とのおしゃべりで、まりこさんは生きる意味をどうとらえているか聞いてみたいと言われて、マクロとミクロで率直に思っていることを話す機会があったんだけど、なんかシンクロニシティを感じたりもしたな。豊かなおしゃべりだった。さぁ新年度を歩もう。

*ホントのコイズミさん「#1本にわくわくした⻘春時代、時を経て今思うこと。」

2021-03-18

柳家小三治さんの「心の方針」

心をほぐすような一冊を…と、デスクの隅の積ん読本をしり目にジャケ買いしてしまったのは「どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝」*。名前のとおり、噺家の柳家小三治さんの自伝。表紙(Instagram)を見ているだけでも、ほっと一息。ここしばらく猛烈に忙しい日々なので、休日の隙間に一気に読んで、心ほぐしてもらった。

傘寿を迎えた小三治さんだけれど、自伝とあって若い頃のことから今までのことが200ページほどに凝縮して綴られている。なかでも二ツ目の頃の話には励まされた。

小三治さんは前座から二ツ目にあがるとき、ネタの数が少ないのを恥ずかしいと思っていた。二ツ目になるときには百くらい噺を知っている人もいるようだったし、同じ時期に入門した同期生2人も「3日あればひとつの噺をおぼえられる」と豪語していた。一方の自分は、ひと月たってもふた月たってもおぼえられない。稽古して練習してるんだけど、頭に入らない。

先へ行かないんです。これじゃあ違うな、こんな言い方ないなって。こういうときはこういう気分じゃなきゃダメだよなとか。ほんとに三歩進んで二歩下がっちゃう。

その頃から小三治さんは「落語をせりふでおぼえる、言葉でおぼえるっていうより、了見でおぼえていく。中の登場人物の気持ちになって、その人の発言としておぼえていく方法を取るようになった」と言う。

中の人の登場人物の心持ちに、すっかり沿えないと、せりふは出てこない。むなしいせりふは言えない。だから、遅々として進まない。仲間が3日後には全部すっとできるのを、ひと月もかかって半分も行かないと自分自身にいやになっちゃう、愛想が尽きる。「でも、しょうがねえから、また起き上がってムチくれてかけ出そうっていう、そういうジレンマ」を抱えながらやっていた。

時間はかかっても、表層ではなく奥をつかみにいく。形ではなく、中身を作る。中心をはずさず、まっすぐ向いて、まともにやっていく。そういう歩み方に、たいそう共鳴したし、励まされた。

私が普段たどる道のりは、回り道も多く、とろい。物事を咀嚼して、自分の中に編み込んでいって、自分で納得してから、何かに展開して、表に出していくまでにたどる道のりはややこしくて、人にばれれば何をやっとるのかと呆れられること請け合いだ。だから、どこを経由してそこにたどりついたのか、アウトプットまでの道のりを事細かに人に説明することはない。そこそこの時間内に、ほほぉというアウトプットを出せれば、誰も何も文句は言わないし、迷惑はかけない。いくらじたばたしても裏では時間がかかっていても、それはそれでいいことにした。

結局、私はそこをたどる以外の選択肢をもっていないのだ。何かをスキップして済ますのも性に合わなくて無理が出る。いったん割り切ってしまえれば、回り道も楽しめるし、自分の肥やしにもなる。時々自分の思考のとろさにやきもきしても、しゃーないと思って、あっちゃこっちゃ経由しながら丁寧にやっていく。選択肢をもたないなら、それを自分の道として楽しむ。

そうして鍛錬していく中で、小三治さんが目指す方角を切り替える、あるいは「自己を持つ」という舵をきる二ツ目時代の描写がある。

噺家になってこの世界に入ったときは、いつか文楽師匠のように完成された芸になりたいって思ってましたよ。文楽師匠は私の師匠の師匠ですし。でも、やってるうちに心の底から魂を揺さぶられるような芸になりたいって、まぁ、私の欲が出たんでしょうか。

単独での芸の完成形を目指さなくなる。ここには、噺を受け取る相手に対する期待とか信頼があると思うんだよな。自分が送り出したものを受け取った先で、相手が自分の中でそのイメージを立ち上がらせて、感情を揺らし、内容を咀嚼し、意味を作り出してくれるっていう受け手への期待とか信頼が前提にあって成り立つ話だ。

そういう想像のもとに、噺家の表現は、単独での完成を目指さなくなって、相手にどう届けるか、正解のない表現を目指して想像を巡らせ続けるようになる。それはいつでも誰でも完璧に届けられるという自分へのおごり、相手は受け取るだけという思い込みを排することでもある。相手先でどう転じるか、最後はわからない。

そういうところも自分の普段のコミュニケーションや編集業務に通じるところがあって、目指す先に共鳴するところが多分にあったんだよな。身のほど知らずって言われたら、それまでだけどもさ。

芸、芸術、人の生き方でもなんでも、いいんじゃないの、つまずいたって。その人がなにをしようとしているのか、目指していることが素敵だったら、拍手したいよね。また、拍手できる人間になりたいと思う。それにはまず自分の側を取り去ることしかない。

奥をつかみにいくっていうのは、そういうことでもあるんだよな。その人が今つまずいていることに目線をあわせて終わるんじゃなくて、その人が目指していることに目線を向けてみる。それが素敵だったら、拍手したい、応援したい、そこの目線あわせは、自分にかかっている。丁寧に、大事に、その人を見て、奥をつかみにいくのだ。奥っていうのは、先ってことにもなるのだ。

自分の大好き、自分の面白い、自分の良し、自分は何を目指して、何を素晴らしいと思い、何をみっともないと思うのか、小三治さんの心の方針がつづられていた本。

私はこれを受け取って、心の方針をもつって大事だよなって思ったし、自分の心の方針を大切にして生きるって大事だよなって思いを新たにした。私はそうやって生きていくんだ。

*柳家小三治「どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝」(岩波書店)

2021-03-08

ひとりの中にある「父性と母性」

父性と母性について言葉をくだいて書いてあるのが、臨床心理学者の河合隼雄さんが遺した「母性社会日本の病理」。1976年の著作だ。

ちょっと要点を書き出してみたい。

母性

  • 母性原理が示すのは「包含する」機能
  • すべてのものを(良きにつけ悪しきにつけ)包みこみ、絶対的な平等性をもって扱う
  • 与えられた場に属するものに対しては、個人の能力の差などに注目せずに平等に扱う
  • 肯定的な面では、生み育てるもの
  • 否定的な面では、呑みこみ、しがみつきして、自立を妨げる、死に至らしめるもの
  • 「場の倫理」を重んじる(与えられた場の平衡状態の維持にもっとも高い倫理性を与える)

父性

  • 父性原理が示すのは「切断する」機能
  • すべてのものを切断し分割する(主体と客体、善と悪、上と下、物質と精神などに分類する)
  • 個人の能力や個性に応じて類別する。個人の能力を測定し、評価することを公平さの前提にもつ
  • 肯定的な面では、強いものを建設的につくりあげてゆく
  • 否定的な面では、切断の力が強すぎて破壊に至らしめる
  • 「個の倫理」を重んじる(個人の欲求の充足、個人の成長に高い価値を与える)

改めて記述してみて、やっぱり一人ひとり両方もっているよなぁと思う。男性であれ女性であれ。私という一体の中で、両方の意味や価値を見いだせるし、両方の危うさやリスクを理解できる。

機能として見れば、両方やる。包むことも、切ることも。呑みこむことも、分割することも。平等な価値判断も、公平な価値判断も。私たちは成熟していく過程で、うまく両方の機能を場面場面で使いこなせるようになっていく。他方で、いくら大人になってもストレス下で片方が出過ぎたり、片方が衰弱したりしてコントロールを失う場面もあるのが人の常だ。

性質として見れば、人それぞれ。どちらが優勢で、どちらが劣勢か、それには個体差がある。そこには一体の中である程度統合された現れ方があり、それを性格とよんだりパーソナリティーとよんだりするんだろうけど、性別がこっちだからどっちが優勢と決めてかかるのはあまりにステレオタイプな見方で、個人の捉え方が雑だよね。っていう見解をもつまでに、社会は発展を遂げようとしている、その只中にある。そんな感じだろうか。

父性と母性といえば、まずは「対立関係」にある原理として認めるのが普通だけれど、そこで立ち止まらずに、たとえ自分個人の中で、あるいは自分が生きてきた社会、時代、なじむ文化や宗教において、片方が優勢、もう片方が抑圧された状態だったとしても、そこから切り離れた視点をもって解釈を発展させられるのが、人の知性だ。

両方ないと世の中が成り立たないことを認めて、そこに互いが互いを補い合う「相補関係」を見いだして、自分の中にも、他の人の中にも、社会の中にも、双方の「融合した状態」を認められるようになること。ここに、私が好きな人間の豊かさがある気がする。

「男性と女性」についても、似た解釈ができるのではないか。この2つも対立関係をもつ概念であって、男性性と女性性を一人が同時に現すことはできない二律背反性をもつ。積極的かつ消極的であるとか、自律的かつ従順である状態を同時に出すのは、怒りながら笑う表情をつくるほどに難しい。

けれども、その同時性を排除すれば、性質としては一人の人間の中で、両者は内包しうるものである。その通常時の男女性質バランスには、性差というより個体差を認めるほうが、健全に個人や状況を洞察しやすいのではないか。「~さんは厳しい人だよね」というのは、ごく自然だけど、「~さんは男性だから厳しい人、そうあるべきだ」というのは不自然だ。

一人ひとりの中にも、また社会や時代がもつ文化によっても、一方が優勢、もう一方が抑圧されていることがある中で、そこに補償関係を認めて活かせるのが人間の知性であって、そんな捉え方が健全だろうなぁと思っている。

2021-02-22

Webサイトをつくってきた人々の写真展「Era Web Architects」会期まぢか

3月9日、Webサイトをつくってきた人々の写真展「Era Web Architects」が始まるそうだ。その週末14日までの6日間。以前ここに書いたけれど、恵比寿のギャラリーに自分の写真が飾られるというのだから、それなりに長く生きていると、おかしなことが起こってくれるものだ。偶然にも会期初日は、自分の誕生日でもある。

会期:3月9日(火)〜14日(日)
時間:11:00~19:00(最終日のみ17時まで)
会場:HIROSHIGE GALLERY(弘重ギャラリー)

いまだになんで自分が混じっているのか理由はわかっていないのだけど、写真展の被写体になるなんて今回かぎりだろうから、とにかくありがたく、またプロの写真家の作品展として、私も会場に足を運んで観賞させてもらうつもり。

なのだけど実際問題、自分の写真がどうなっているのかは皆目見当がつかない。とりわけ、この写真が撮影された昨秋など、私が観る私は「色彩を持たない多崎つくる」の彼そのものだった気がして。

人々はみんな彼のもとにやってきて、やがて去っていく。彼らはつくるの中に何かを求めるのだが、それがうまく見つからず、あるいは見つかっても気に入らず、あきらめて(あるいは失望し、腹を立てて)立ち去っていくようだ。彼らはある日、出し抜けに姿を消してしまう。説明もなく、まともな別れの挨拶さえなく。温かい血の通っている、まだ静かに脈を打っている絆を、鋭い無音の大鉈(おおなた)ですっぱり断ち切るみたいに。

腕利きの写真家が、こんな彼を相手に撮影をしなければならなくなった場合、どう写そうとするのだろうかなと。終始おだやかに対応くださって、撮影は早々に終わったのだけど、実のところひどく困らせていたかもしれない。これをどうせぃというのだと。こういう写真展の場合、被写体を2〜3割増しに見せようというよりは、きっと実態をそのまま写しとろうとするんだろうかなぁという気もするし。

とすると、私の写真だけ壁が写っていたりして…などと妄想。それはそれで没個性を通り越して個性的な作品になれるかもしれない。タイトルは「空っぽ」。

まぁおそらく、足を運べばちゃんと自分の姿を認められるのだろう。ただ私は昔から芸術というものを観る眼がないので「自分が写っているな」としか思えず、その意味で自分の空虚を感じ取って帰途につくだろう現実的な予測はある…。ただ他の皆さんの写真は、人物そのもののオーラがものすごいので、私にも何か受け取れるものがありそうで、そこはちょっと期待してしまう。

あれから数ヶ月経ち、彼は「巡礼の年」を経て、確かさを確かめながら、前を向いて歩いている。

おれは内容のない空しい人間かもしれない、とつくるは思う。しかしこうして中身を欠いていればこそ、たとえ一時的であれ、そこに居場所を見いだしてくれた人々もいたのだ。夜に活動する孤独な鳥が、どこかの無人の屋根裏に、昼間の安全な休息場所を求めるように。鳥たちはおそらくその空っぽの、薄暗く静まりかえった空間を好ましいものとしたのだ。とすれば、つくるは自分が空虚であることをむしろ喜ぶべきなのかもしれない。

そろそろ45歳。これで生きていくしかないのだし、これとうまいことやっていくのだ。足るを知り、自分とともに過ごしてくれた人たちへの感謝と、あたたかい気持ちはずっと絶えない。この気持ちがここにあれば、こんなにあったかく、ここにあり続けてくれるなら、この先も豊かにやっていけるかなと思う。

どこまでも美しいかたちの入れ物になればいいんだ。誰かが思わず中に何かを入れたくなるような、しっかり好感の持てる容器に。

村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」、きっと読むべくして読んだんだろうな。

2021-02-13

中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円

昨年は4冊か5冊か村上春樹の作品を読んだ。けっこう前に出たもの、最近のもの織り交ぜて。そのときに書き留めたメモが出てきたのを、ちょっとこちらにも残しておきたい。

「一人称単数」は昨年の夏に出た新作、8作からなる短編小説集だ。そうとは言わないけれど、なんとなく全編、主人公のボクは村上春樹本人なんだろうなと思わせる雰囲気が漂う。「一人称単数」とも言っているし。

その中に「クリーム」というタイトルの物語があって、「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円」というのが出てくる。老人がボクに尋ねる。「中心がいくつもあって、ときとして無数にある、しかも外周を持たない円を、きみは思い浮かべられるか?」

これは、難しい問いとして設えられている。そりゃ、そうだ。円とは「中心をひとつだけ持ち、そこから等距離にある点を繋いだ、曲線の外周を持つ図形」なのだから。

だけど数学だか算数おんちの私には、わりと一読した最初から自然に、いけるんじゃない?という感覚があった。原理とか自然法則に対する向きあい方みたいなのが生来テキトーだからだろう。

言い方を変えると、そういう言葉の言い回しをもってして老人が伝えたいことは何なのかを汲み取ることのほうに傾斜した言葉の受け取り方をするというか、数学より国語のほうが(相対的に)得意ですというか。

つまり脳内で作られているメタファー的な円であれば、外周などというのは自分の力でいくらでも融かすことができるということ。と同時に押さえておかなきゃいけないのは、私たちは円を無意識に形づくってしまうし、その外周の枠組みにとらわれてしまいやすい生き物だということだろう。

加えて、一つの中心(つまり自分の視点)からものを見るのを基本としていて、他の視点からものをみるというのは、そのやり方と筋力を鍛えないとうまくできないし、身につけたとしても余裕をなくすとうまくできなくなってしまう、危い生き物でもある。

ただ、私たちには確かに想像力というパワフルな才能があって、他の中心に移動したかのように、いろんな中心からものごとを見られる。これはものすごく尊い能力で、生かさない手はないと折りに触れて思う。

私たちは無意識に円を作ってしまうけれど、円を融かすことだってできるし、今は世の中も融かす時期、私も融かす時期。だからごくごく自然なことに受け取れた。

今日久しぶりに、このメモに目を通しているとき、なんで「円」を持ち出したのだろうなという問いが浮かんだ。円の原理にそぐわないものを円といったら混乱するじゃない?(まぁ混乱させてなんぼなわけだが、それはおいといて)

例えば「点」でいいんじゃないか。点がたくさんあって、それが散らばっているだけなら、点はいくつあってもいいし、外周を持たなくて問題ない、言葉とイメージが矛盾なく成立させられるのでは、と。

そうやって考えてみると、私たちは円ならざるをえない個人なんだなということを表しているのかなと思う。私たちは、一個人が点だとすれば、円という360度の広がりをもって環境と関わらずしては生きられない。矛盾が生じる世の中を生きることを避けられない。それを環境(円)として、切り離れずに人(点)は生きていくのだと、そんなことをイメージした。

この物語の最後のほうで、主人公は「原理とか意図とか、そういうのはそこではさして重要な問題ではなかったような気がするんだ」と言う。

それはおそらく具体的な図形としての円ではなく、人の意識の中にのみ存在する円なのだろう。たとえば心から人を愛したり、何かに深い憐れみを感じたり、この世界のあり方についての理想を抱いたり、信仰(あるいは信仰に似たもの)を見いだしたりするとき、ぼくらはとても当たり前にその円のありようを理解し、受け容れることになるのではないかーそれはあくまでぼくの漠然とした推論に過ぎないわけだけれど。

なんとなく、通じているのかなぁと。あくまで私の漠然と受け取ったイメージに過ぎないわけだけれど。

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