学習効果が高いフィードバックの仕方(ルース・バトラーの実験)
何かを誰かに教えようというとき、フィードバックは有効な策だ。一方的に「話を聞かせておしまい」ではなく、「課題に取り組ませて、本人の回答や作品に個別のフィードバックを与える」ことは学習に効果的(というか、それなしに完遂する学習なんて、そうそうない。その割りに前者どまりの教示活動が多いことを危惧している)。
ただ、フィードバックすれば、やり方はなんだっていいというものでも、もちろんない。フィードバックの仕方を誤れば、むしろ興味の維持、能力の向上を阻害することだって、ある。
「今この相手にとって、どのタイミングに何をフィードバックすれば学習に効果的か」の最適解を探る、文脈に応じたチューニングが肝。ということを腹落ちさせるのに、なかなか示唆的なルース・バトラーの実験(1988)が興味をひいた。
実験手順としては、こうだ。
1)学力が高い層と低い層を混ぜた3つの生徒グループを作り、3つの課題に取り組ませる。
2)課題に取り組んだ後、グループごとに異なる方法で、生徒にフィードバックを与えた。
さて、3つのうち、どのフィードバックを受けた生徒グループの成績が向上したか。
Aタイプ)コメントのみを与える
Bタイプ)グレードのみを与える
Cタイプ)コメントとグレードを与える
一見すると、コメントとグレードの両方を与えるフィードバックが、最もフィードバックが充実していて学習効果を高めそうなものだが、少し冷静になって考察してみると、いやいや…という気持ちがわいてくる。
そう、実験結果はこうなったのだ。
Aタイプの「コメントのみを与える」だけ、成績が伸びた。他のグループと比べて約33%アップ。Bタイプ「グレードのみを与える」はもちろんのこと、Cタイプ「コメントとグレードを与える」フィードバックも、成績の向上はみられなかった。
BタイプとCタイプのフィードバックを受けたグループの生徒たちの変遷をみると、「学力が低い層」は、3つの課題を進めるごとに「課題への関心」が低くなっていった。学んでいるテーマそれ自体に興味を失っていったわけだ。これではフィードバックしている意味がない。
しかし、学習の道半ばで不用意に「E判定」(最下位)と突きつけられれば、やる気を削ぐのは想像に難くない。「自分には無理だ」と思わせるフィードバックは、育成上マイナスに作用する。
では、BタイプとCタイプのフィードバックを受けた「学力が高い層」の変遷はどうだったかというと、「課題への関心」は維持していた。が、3つの課題を進めるごとに、教師が与える「コメントへの関心」が低くなっていった。
A〜Eの5段階で「B判定」と通知されれば、まぁこれくらい取れていればいいかと、現在地に安住する気持ちもわいておかしくない。人は修正することを面倒くさがるもの。そこそこできているという判定を受け取って尚、コメントを読んで、修正を加えて、完成させようという気を起こすのは、なかなか至難である。
この実験から得られる示唆は、むやみに「グレード」を付けてフィードバックすると、学習の質が落ちるということ。
「コメントのみ」にしぼったほうが、「他の人より自分は上か下か」といったことに意識を散らすことなく、自分のことに集中して「何を間違ったか」「何が(理解)できていないか」「間違いを直すにはどうしたらいいか」に意識を向けやすいということだ。
本人の回答、作品、パフォーマンスに評価してグレードを付けなきゃいけない状況、本人にフィードバックすべきシチュエーションというのは、確かにある。得点化してグレード判定し、選抜・採否を決める、等級を上げ下げする、報酬額を決める。本人は「判定と、判定根拠」を受け取ることによって、結論の透明性や妥当性を認めて納得できる。
だけれど、こと「育成」目的において、本人にグレードをつけてフィードバックすることが「常に」必要、妥当、有効ではないということ。そういう認識をもっておいたほうが、教えるという行為に思慮深く向き合える。何を今本人に伝えるべきなのか、伝えるべきではないか、取捨選択の意識が働いて良いのではないかなと思う。
以上、スライドにもまとめてSpeakerDeckに置いたので、勝手が良ければ、こちらでご確認ください。
学習効果が高いフィードバックの仕方(ルース・バトラーの実験)┃SpeakerDeck
*ジェフ・ペティ「科学的エビデンスに基づく最適の教え方実践ガイドブック」(東京書籍)P275-276より
最近のコメント