2025-05-01

学習効果が高いフィードバックの仕方(ルース・バトラーの実験)

何かを誰かに教えようというとき、フィードバックは有効な策だ。一方的に「話を聞かせておしまい」ではなく、「課題に取り組ませて、本人の回答や作品に個別のフィードバックを与える」ことは学習に効果的(というか、それなしに完遂する学習なんて、そうそうない。その割りに前者どまりの教示活動が多いことを危惧している)。

ただ、フィードバックすれば、やり方はなんだっていいというものでも、もちろんない。フィードバックの仕方を誤れば、むしろ興味の維持、能力の向上を阻害することだって、ある。

「今この相手にとって、どのタイミングに何をフィードバックすれば学習に効果的か」の最適解を探る、文脈に応じたチューニングが肝。ということを腹落ちさせるのに、なかなか示唆的なルース・バトラーの実験(1988)が興味をひいた。

実験手順としては、こうだ。

1)学力が高い層と低い層を混ぜた3つの生徒グループを作り、3つの課題に取り組ませる。
2)課題に取り組んだ後、グループごとに異なる方法で、生徒にフィードバックを与えた。

Experiment

さて、3つのうち、どのフィードバックを受けた生徒グループの成績が向上したか。

Aタイプ)コメントのみを与える
Bタイプ)グレードのみを与える
Cタイプ)コメントとグレードを与える

Question

一見すると、コメントとグレードの両方を与えるフィードバックが、最もフィードバックが充実していて学習効果を高めそうなものだが、少し冷静になって考察してみると、いやいや…という気持ちがわいてくる。

そう、実験結果はこうなったのだ。

Answer1

Aタイプの「コメントのみを与える」だけ、成績が伸びた。他のグループと比べて約33%アップ。Bタイプ「グレードのみを与える」はもちろんのこと、Cタイプ「コメントとグレードを与える」フィードバックも、成績の向上はみられなかった。

BタイプとCタイプのフィードバックを受けたグループの生徒たちの変遷をみると、「学力が低い層」は、3つの課題を進めるごとに「課題への関心」が低くなっていった。学んでいるテーマそれ自体に興味を失っていったわけだ。これではフィードバックしている意味がない。

しかし、学習の道半ばで不用意に「E判定」(最下位)と突きつけられれば、やる気を削ぐのは想像に難くない。「自分には無理だ」と思わせるフィードバックは、育成上マイナスに作用する。

では、BタイプとCタイプのフィードバックを受けた「学力が高い層」の変遷はどうだったかというと、「課題への関心」は維持していた。が、3つの課題を進めるごとに、教師が与える「コメントへの関心」が低くなっていった。

A〜Eの5段階で「B判定」と通知されれば、まぁこれくらい取れていればいいかと、現在地に安住する気持ちもわいておかしくない。人は修正することを面倒くさがるもの。そこそこできているという判定を受け取って尚、コメントを読んで、修正を加えて、完成させようという気を起こすのは、なかなか至難である。

Answer2

この実験から得られる示唆は、むやみに「グレード」を付けてフィードバックすると、学習の質が落ちるということ。

「コメントのみ」にしぼったほうが、「他の人より自分は上か下か」といったことに意識を散らすことなく、自分のことに集中して「何を間違ったか」「何が(理解)できていないか」「間違いを直すにはどうしたらいいか」に意識を向けやすいということだ。

本人の回答、作品、パフォーマンスに評価してグレードを付けなきゃいけない状況、本人にフィードバックすべきシチュエーションというのは、確かにある。得点化してグレード判定し、選抜・採否を決める、等級を上げ下げする、報酬額を決める。本人は「判定と、判定根拠」を受け取ることによって、結論の透明性や妥当性を認めて納得できる。

だけれど、こと「育成」目的において、本人にグレードをつけてフィードバックすることが「常に」必要、妥当、有効ではないということ。そういう認識をもっておいたほうが、教えるという行為に思慮深く向き合える。何を今本人に伝えるべきなのか、伝えるべきではないか、取捨選択の意識が働いて良いのではないかなと思う。

以上、スライドにもまとめてSpeakerDeckに置いたので、勝手が良ければ、こちらでご確認ください。

学習効果が高いフィードバックの仕方(ルース・バトラーの実験)┃SpeakerDeck

*ジェフ・ペティ「科学的エビデンスに基づく最適の教え方実践ガイドブック」(東京書籍)P275-276より

2025-02-15

国内ハラスメント事情のリアル2025

なんだか、働く上での問題ばかりが活発に情報流通していて、若い人たちに対して、社会に出てチームや組織で仕事するポジティブな面の情報流通量が少なすぎる気がしちゃっている今日この頃。私の偏見かもしれないが。

折りにふれてやきもきする代表格の一つが、ハラスメント問題。ということで「国内ハラスメント事情のリアル2025」の平和な一面を、4スライドこしらえてみた。ニュース性が乏しすぎるが...。

直接の被害経験をもつ方、強い問題意識をもって取り組んでおられる方には、こんな切り口の発信はひどく気に障るものかとも拝察する。けれど、昨今のハラスメント関連の予防・解決のための熱心な取り組みあってこその2025年現状レポートも、これから社会に出てこられる若い方々には届けられるべき有意義な情報とも思うのだ。

もし必要な若者に、機会に、どこかでめぐり逢いましたら、1枚目だけでもご活用ください(PDFファイルでご覧になりたい場合は、リンク先のSpeakerDeckから。下の画像はすべて、クリック or タップすると拡大表示)。

1枚目:過去3年間にハラスメントを受けた経験がある勤め人は、2割に満たない

H1

2枚目:勤務先に、今以上のハラスメント対策を求めていない人が最多、4割超

H2

3枚目:フリーランスも、トラブル経験「あり」「なし」は五分五分の比率

H3

4枚目:フリーランスのトラブル経験で、ハラスメント系は1割未満と少ない

H4

一見すると「マジョリティ」にくくられる若者の中にも、組織集団の中で上位2割でも下位2割でもない「一般6割」と扱われる私のような人間の中にも、一人ひとり個別の想いがあり、迷いや苦悩、直面する壁がある。一人ひとり個別に、自分しか体験できない人生の時間があって、社会との関わりがあって、ものの見方がある。個別の未来があって、個性化していく可能性を秘めている。

その機会提供や支援が注がれる社会に、私は豊かさをおぼえる。それは、若者にキャリア自律を説くのと両立して展開できる話だし、ハラスメント問題の予防・解決の取り組みとも並行できるはずだ。

私は自分が若いとき「一般6割」の人間として社会に受け入れてもらい、会社の先輩たちにいろんな機会を与えてもらい、仕事に親しみ、やりがいを覚え、自分のキャリアを歩んできたと思うので、自分ができることを考えても、やりたいことを考えても、一般6割のキャリア支援にこそ働きたい。地味で華はないけどもさ、それが私なりの個性だ。

出所

2025-02-10

がたがた昇る学習曲線をスライド10枚で

せっかく「おもしろそう」と何かに興味をもったのに、あるいは必要に迫られて「ちょっとやってみるか」と新しいことを学び始めたというのでも、なかなかものにならないと、やめたくなってしまう。

「なかなか」ならまだしも「早々に」やめたくなってしまうと、つらいし、悲しいし、もったいないし。それが繰り返されると自己嫌悪にも陥りかねない。

こうした状況を回避したり、渦中から救出する術として知っておきたい豆知識が、学習曲線である。

学習曲線とは何か(クリック or タップすると拡大表示)

LearningCurve

学び出して早々やめたくなる理由、その一つに「やったらやった分だけ、伸びるんじゃないの?」「なんで伸びないの?」「わからない」「つらい」「もう止める」という流れが透けてみえる。

これに飲み込まれないためには、そもそも一番最初の「やったらやった分だけ、伸びるんじゃないの?」に立ち入る前に踏みとどまれる知識が役立つのでは、そう考えた。

自分は大丈夫なんだけれど、後輩や部下に新しいことを覚えてもらうとき、なかなか成長がみられず困ることもある。本人もつらそうだし、自分もやきもき。といって気の利いた助言も思い浮かばない、テキトーな励ましの言葉もかけたくない。そんなときにも、この知識は使えるかもしれない。

新人さんが基本的なことを学ぶときに限らず、一通りのことは一人でできるようになったが、そのあと足踏み状態に。いつもやることは同じで、スキルも停滞、ルーチン業務の繰り返しで仕事へのモチベーションも下がっていく日々。そんな界隈にも応用がきく知識の源だ。

ここで紹介するのは、エビングハウスが提唱した学習曲線(ラーニングカーブ)。学習時間が増すほど、経験的効果が上がり、習熟度が増すという右肩上がりの学習曲線を示したわけだが、ここからが本題。というか分解して10枚のスライドに展開してみたというか。あとはリンク先で。

学習曲線をスライド10枚で整理してみた┃SpeakerDeck

自分が打ち合わせの場なんかで、必要に応じて手っ取り早く見せられると話が早いかなぁと思ってこしらえたところ多分にあるスライドなので、時々のシチュエーション次第で言葉足らず or 言葉多すぎなスライドだと思うけれども。その辺は文脈に応じて、使い方や強調点を変えたり、加えたりはしょったりしながら。

なんというかな、最近は「誰々が提唱した、なんとか」がネット上に出回ってはいるのだけれど、そういうのをたくさん知っていることより、一つの意味を深く理解しておいて、自分の現場で使えるシーンに遭遇したら都度思いついて、実際に使いこなして役立てられる、そういう丁寧なつきあい方が大事だよなぁっていう思いがあって。

2024-12-11

ネット上に流れづらい多様で小粒な数多くの伝承ノウハウ

しっかり校正者が入っていそうな大手出版社の本でも、私はかなりの頻度で誤植を見つけるほうで、「良い本だなぁ!」と思った本は、感謝の念をもって&重版も見込んで、出版社に「誤植かも?報告」を入れるようにしているのだけど。

下のスライドは、直近で出版社サイトの問い合わせフォームから連絡を入れたとき、その問い合わせ文面を作成するに際して配慮したポイントを、ざざっと挙げたもの。

(画像をクリック or タップすると拡大表示)

Inquiryformtext

言われなくても、わかっている。実にちっぽけなノウハウの列挙だ。

なのだが、世の中は実はこうした小さなノウハウに溢れていて、日常的にそこここで発揮されているのに、各々が物静かに行っているから​、情報としてはカスタマーハラスメント事情ばかり大量生産・流通されて、そっちばかり目立ってしまっているのではないかと、そうした疑念を抱いている。

前者は「口にするのは粋じゃない」ってカルチャーがあるから、流通する情報のバランスが悪いんじゃないかなぁと。家庭で親が子に示したり、職場で上司や先輩が教えてくれたり、そういうところでしか、なかなか伝承されていないとなると、実態より社会が汚く見える人も生み出しちゃっているようで、ちょっともったいないなぁと。

ちなみに上の問い合わせをする前には、出版社サイトで「正誤表」がすでに公表されていないか確認し、「よくあるご質問」ページに誤植報告用の手順説明がないか確認の上、特になかったので「問い合わせフォーム」から送る手順を踏んでいる。「問い合わせフォーム」のページにも、たいてい案内や注意事項が添えられているので、そこは一通り目を通して、必要な指示に従って問い合わせるのを礼儀としている。

そういう一つひとつを、小粒ながら丁寧にやっていきたい。子も、教え子もいないけれど、いろんなところにお世話になっている1市民、1カスタマーとして。

2024-12-10

10年前20代だった人たちの、ここ10年の「職業観」経年変化

厚生労働省が12年続けている調査で、2012年当時に20代だった全国の男女を対象に、結婚・出産や就業実態・意識の経年変化を追っている「21世紀成年者縦断調査」というのがある。

その中に「職業観」という項目があって、10年前(2013年)と最新(2023年)のデータを取り出して比べてみると、こんなグラフになる。

(画像をクリック or タップすると拡大表示)

Occupationalview

2013年に22〜31歳だった人たちが、2023年では31〜40歳になっている。会社でいったら若手から中堅に。

何を読み取るか人それぞれと思うのだけれど、超個人的には「社会に貢献するため」「働くことが生きがい」に、「あと5パー!」と一声かけてしまいたくなる。

昔の価値観を押し付けたいわけじゃ毛頭ない。ただ、仕事、職場、職業経験を活かすことで、単体・個人では生きられなかった人生を謳歌できることも多分にあり、私は平凡な人間ながら、その恩恵を受けて人生で経験できることを拡張させてもらえたような、仕事に生かされてきた感覚があるので。

私のように、個人として特別優秀でない普通の人たちこそ、そういうテコの原理みたいなのを活用したら、楽しく人生時間を過ごせると思うし、その意味では特別な人たちだけが「社会に貢献するため」「働くことが生きがい」を思うのではなく、普通の人たちこそそういうことを職業観としてもっている社会のほうが、なんかいいんじゃないかなぁとか思っちゃうのだ。

多様性社会と言われる中、そういう人の歩き方を撲滅するのではなく、それはそれで何割か残って尊重されていいんじゃないかなぁと。おもてだって下手に発言すると叩かれるかもしれないけれども。

2024-10-14

1枚ペラの「入院のしおり」を作る心根と工夫

ここ数ヶ月、親の病院の付き添い、検査や手術のための短期入院の手伝いがちょこちょこありまして(ちょいと一段落)、病院で渡される書類やら説明資料やらは束となり、院内の各所からは大量の説明を浴び続け、自分が親の年齢になったら、こんなの一人でさばききれない…と、たじろぐこと度々でありました。

で、わが予行演習も兼ねて、親の背後に立っては、いろんな人らの説明を聞きまくり、メモにとりまくり、持ち帰っては情報を整理し、自分がやることと本人(親)がやることに仕分けし、折々に「検査のしおり」とか「入院のしおり」とかを作って、A4紙に印刷して本人に手渡してきました。

その「しおり作成で工夫したこと」、及び「しおりのサンプルファイル」を、インターネットの片隅で共有したい次第(庶民の元来のインターネットの使い方)。

まず、作成上の大前提。しおりは必ず、A4紙1枚ペラ(両面印刷は許容)に収めて、父が携行できるようにする。文字サイズは、老眼鏡がなくても本人が読める10ポイント以上を確保し、これで1枚に収めること。

文字数的にも、行間の確保・レイアウト的にも、もちろん書いてある内容的にも、父が過剰な圧迫感を覚えず、気が滅入りすぎないで、読む気になる、携行して役立てる気を持ち続けられることを重視しました。

むしろ、いくらかは、しおりによって心強さを覚えたり、先々の見通しの良さを覚えてもらうことが、しおり作成の狙いです。

さて、そうするためには、内容量を削ぎ落とすための工夫が必要です。それでも病院側に問題が生じず、本人も困らない、というより安心材料として意味をなすためには、どうするか。思案して実践したところを、ざざっとですが書き出してみます。

1)入院パンフなど、病院でもらった情報・資料から、父には該当しない・関係ない情報を削ぎ落としまくる(例えば、持参するものに「薬・お薬手帳」はいらないとか、本人が気にしない細かな注意点・院内の施設案内とか)。

2)細かいタスクは私のほうで巻き取って済ませ、しおりには載せないようにする。

3)入院前にやっておくことリストは、「入院の前月までに済ませておくこと」と「入院前日にやっておくこと」の2つに項目立てて、箇条書き。

4)一方、入院中の段取りは「入院初日(午前)」「入院初日(午後)」「入院中(標準スケジュール)」というふうに分けて、日ごとでなく意味的に期間を区切って項目立て、情報の詳細度を調整。

あとは、安心感や、良き見通しを持ち続けられるように、

5)「退院」の期間見通しは、ちょっと辛抱したらすぐ出られる感を強調すべく、あえて「入院中」とは分けて項目立てて示す。

6)万一地震など起きてスマホがバッテリー切れしても、父が院内の公衆電話を使って自分で家族に連絡をとれるように、家族の携帯電話の番号、院内の公衆電話の場所を書いておく。

下にざざっと、サンプルファイルに工夫ポイントを書き込んだイメージを置きました(クリック or タップすると拡大表示します)。

Sample_guideforhospitalization

しおりは、自分のために娘が作ってくれたというのも込みで、気丈に気持ちを保つ御守り効果を発揮したようで、折々にしおりを作ってもっていくと、「おぅ、これこれ!」と言って受け取り、ずっと大事に持って、きちんと中身を読んで、活用してくれていました。

もちろん人によって、気にすること気にしないことが違うし、物の覚えとか、自分でどこまで入院準備をできるかとか、後期高齢者ともなると個人差も大きいので、わが父向けに情報構造化された形式がどれほど使えるかはわかりませんが、GoogleDocumentでサンプル化しましたので、たたきとして使えそう・使いたいというタイミングがあったら、ここからコピーしてカスタマイズして使ってください。

2024-07-26

「終身雇用制度を望む」率は21世紀もジグザクしている

一つ前に書いた「メンバーシップ型 vs ジョブ型」の違和感にも通じるところで、Z世代と呼ばれる本年度の「新入社員の会社生活調査」結果を産業能率大学総合研究所がレポート公開していたので、自分の興味あるところだけつまみ食いしてスライド5枚(実質4枚)にまとめてみた。自分用メモだけど、ネットの片隅でシェア。

※1枚目の「調査概要」はそのまま引用。以下の画像はいずれもクリックorタップすると拡大表示する。画像ではなく、スライドまとめてPDFで見たい方はSpeaker Deckにてどうぞ。

▼まずは調査データの特徴ざっくり
本年度の新入社員に、この春(ちょうど入社時期)にとったアンケート調査。有効回答は563人。男性6割強で、入社企業は従業員数千人以上が6割強、上場企業6割強、関東が6割強の偏りあり。

調査概要
▼長期間、安心して働けることを重視
53.8%が「長期間、安心して働けること」を重要視。76.0%が企業に「長期的な安定性」を求める。

長期間、安心して働けることを重視

▼68.2%が「終身雇用制度」を望む
84.7%が「同じ会社に長く勤めたい」、「終身雇用制度」を望む声は経年でジグザグしているのが見て取れて興味深い。制度の後退に比して、個人の希望は別に、どんどん減っていっているわけじゃない。

Lifetimeemploymentsystem

▼「年功序列 or 成果主義」「メンバーシップ型 or ジョブ型」は拮抗
48.5%が「年功序列」を望み、過去最高を記録。25.8%が「メンバーシップ型」を希望、昨対3.3ポイント増で「ジョブ型」から逆転した。

メンバーシップ型とジョブ型

▼52.9%が「管理職」を志向。最終的な目標地位は役員/部長あたり
将来キャリアに「管理職として部下を動かし、部門の業績向上の指揮を執る」を志向する人が、2000年度23.7%と比べて顕著に増えている。

ちなみに、この右側のグラフ、1990年度だけ皆「社長」になりたがりすぎているんだけど、誰に訊いてこうなったんだ…と気になっていたが、ど真ん中世代の先輩いわく、1990年度だけが特殊なのではなく、1989年以前も比較的その傾向にあったのが1990年バブル崩壊で一変したのではないかとの見解、すごく腑に落ちた。

Management

単発ものの調査レポートって、自分では解釈が難しいので訝しんでみる癖があるのだけど、この調査は第35回と回を重ねていて経年比較あれこれを提供してくれるところが好み、ありがたい。

大もとの調査レポート(PDFファイル)は、こちらで。2024年度(第35回)新入社員の会社生活調査┃学校法人産業能率大学 総合研究所

2023-12-26

『Agend』のインタビューで普通のことを力説

「将来いんたーねっつになりたい」と願ってやまない事業家のフジイユウジさんが、私との茶飲み話を記事にしてくれました。

「これからどうなりたい」を話すと、個人もチームも良いことがある。キャリアプランを活かすチームコミュニケーション。

「仕事でのチームコミュニケーション」をテーマにした情報を発信するメディア『Agend』(アジェンド)。経営層向けの組織論とかじゃなくて、もっと中間層のマネージャー向けに現場の実践に焦点をあてた記事を出したい、ということでメディア活動をされているのだとか。

お声がけいただいたときは、役立つことが一言でも言えるのか正直分かりませんでしたが、茶飲み話的に話してみて、つまめるところがあったら記事にするという感じでお受けして、わいわいおしゃべりしたのでした。その後、いただいた原稿をたたきにしてあーじゃこーじゃと書き直したりして記事が仕上がった次第。

しかし日を追うごと「普通すぎる」とか「凡庸すぎる」とかで終わっちゃうんじゃないかという気が充満してきて、私はこれが等身大だから仕方ないとしても、このメディアを傷つけることになるんじゃないかと悶々、とりあえず年内に出しておくのがいいんじゃないかと少々気が焦った年末…。

それが今朝の公開を見届けるに、フジイさんがSNSでシェアしたのを読んで、共感を示してくれたりする方の声に触れることができ、感涙するほど嬉しい気持ちになりました。あぁ、こういうふうに現場で有意義に仕事されている方の声が彰らかになる作用がはたらいたなら、媒介価値があったと自分を許してやっていいんじゃないかと、そういう安堵がありました。本当に、ありがたい。

また個人的には、この機に乗じてお話ししたり文章を書いたりする過程で、自分一人ではなかなか言葉がまとまらなかった考えに当たる時間をいただけて、これだけでも大変ありがたいことでした。

一方で、やはり「普通に大事なこと」を現場仕事ではなくメディア記事のような形で出力しようとすると、どうしてもエッセンスが抽象化されるわけで、「抽象化した普通のこと」の語りって、どうしても「凡庸」と紙一重になってしまう。そこを簡潔に巧く示せる人もいるとは思うんですが、私はその辺が力不足で、メタファとして地図っていっても、具体的にどういう地図よっていうようなのが下手だよなぁと思います。

「普通のことすぎる!」というお叱りの言葉もあろうかとは思いますが、普通を具現化する仕事こそ大事だし難しいし、現場の各人の腕次第だしという思いを詰め込んだということで堪忍して。おせち料理の中の「なます」みたいな感じで、年末年始のごちそうの合間につまんで味わっていただければ幸いです。

メディアを騒がす極論と極論のあいだに、最適な按配を見極めて自分たちの答えを作り出していく現場の創造力が、すごく尊いと思っていて。手法としては斬新ではないんだけど、丁寧に個別具体で当たらないと意味をなさないタイプの創造的な仕事ってあって、目立たないけれどそここそ頭数が必要で、自分はそこが持ち場だと思っている。なので私も、入らせてもらえる現場で「組織の人材マネジメント」と「個人のキャリアデザイン」を止揚する役割を果たせるよう、来年もせっせと働けたらなと思っております。

2023-11-21

メディア・リテラシー教材としてのミルクボーイ・フレームワーク(品評と創作のちがい)

電車に乗っている間にこれ考えていたら、あっという間に目的地に着いてしまった。ミルクボーイのM-1ネタ「コーンフレーク」を下敷きにして漫才ネタを考えてみようという勝手なアクティビティなのだが、あーでもないこーでもないと思考を巡らしているうちに東京から千葉までひとっとび。漫才師への敬意、創作の難しさと面白さを体感するのにお勧めのアクティビティだ。


内海「どうもー、マリコポーロですー。お願いしますー」
​​駒場「お願いしまーす」
(略)
​​駒場「いきなりですけどね うちのオトンがね 好きな言葉があるらしいんやけど」
​​内海「あっ そーなんや」
​​駒場「その言葉をちょっと忘れたらしくてね」
内海「好きな言葉忘れてもうて どうなってんねそれ」
​​駒場「そやねん」
内海「でもね オトンの好きな言葉なんか 初志貫徹か一気通貫ぐらいやろ そんなもん」
​​駒場「それが ちゃうらしいねんな」
内海「ちがうのん」
​​駒場「でまぁ いろいろ聞くんやけどな 全然わからへんねんな」
内海「わからへんの? いやほな俺がね オトンの好きな言葉 ちょっと一緒に考えてあげるから ちょっとどんな特徴ゆうてたかってのを教えてみてよ」
​​駒場「人が出てきて 馬が出てきて」
内海「ほほほほー」
​​駒場「で 辛いなぁゆうことも 時間経てば良いことに転じたりするもんやから そう動じなさんなっちゅう教えや言うねんな」
内海「おー 人間万事塞翁が馬やないかい その特徴は もう完全に人間万事塞翁が馬やがな」
​​駒場「人間万事塞翁が馬な」
​​内海「すぐわかったやん こんなんもー」
​​駒場「でもこれちょっとわからへんのやな」
内海「何がわからへんのよー」
​​駒場「いや俺も人間万事塞翁が馬と思うてんけどな」
​​内海「いや そうやろ?」
​​駒場「オトンが言うには 死ぬ前の最期の言葉もそれでいいって言うねんな」
​​内海「おー ほな人間万事塞翁が馬と違うかぁ 人生の最期が人間万事塞翁が馬でええわけないもんね」
​​駒場「そやねん」
内海「人間万事塞翁が馬はね まだ寿命に余裕があるから言うてられんのよあれ 時間経てば良きに転じるかもって もう時間ないねんから」
​​駒場「そやねんな」
内海「な?人間万事塞翁が馬側もね 最期の言葉に任命されたら そら荷が重いよ」
駒場「そやねん」
​​内海「人間万事塞翁が馬ってそういうもんやから」
​​駒場「おぉ」
内海「ほな人間万事塞翁が馬ちゃうがなこれ ほな もうちょっと詳しく教えてくれる?」
​​駒場「なんであんなにサラリーマンの座右の銘に選ばれてるのかわからんらしいねん」
内海「人間万事塞翁が馬やないかい どこもかしこもサラリーマンの座右の銘ちゅうたらあれやねんから でも俺はね あれはたいして由来も知らずに言うてんのが大半と睨んでんのよ」
駒場「おー」
​​内海「俺の目はだまされへんよ 俺だましたら大したもんや」
​​駒場「まぁねー」
内海「よー聞いたらね ググってコピペしてるだけで書けん 書けても読めんのよ 俺は何でもお見通しやねんから 人間万事塞翁が馬や そんなもんは」
​​駒場「わからへんねん でも」
内海「何がわからへんの これで」
​​駒場「俺も人間万事塞翁が馬と思うてんけどな」
​​内海「そうやろ」
​​駒場「オトンが言うには 社長が出てきて言うても全然いいって言うねんな」
​​内海「ほな人間万事塞翁が馬ちゃうやないかい 社長がメディア取材で好きな言葉は人間万事塞翁が馬ですー言うたら 社長それは他とかぶるんでなんか別のやつもらえますかって言うもんね」
​​駒場「そやねんそやねん」
内海「な?昇進していくうちにメディア露出増えてくやろ 座右の銘とか聞かれて他とかぶるとか格好つかへんねん なんかユニークなのに変えなきゃいけなくなってくんねん」
​​駒場「そやねんな」
内海「そういうカラクリやからあれ」
​​駒場「そやねんな」
​​内海「人間万事塞翁が馬ちゃうがな ほな もうちょっとなんか言ってなかったか?」
駒場「毎度思い出そうとする度 人が出てきて 馬が出てきて いい教えやってとこで止まってしまうらしいねん」
内海「人間万事塞翁が馬やないかい 若い時分にこれはいい言葉や これを自分の座右の銘にしようって思うのに毎度忘れてもうて 人が出てきて 馬が出てきて えぇ話やったなぁどまりや それで人と馬と中国の格言でぐぐって調べるの繰り返しや 人間万事塞翁が馬よ それは」
駒場「わからへんねんだから」
内海「わからへんことない オトンの好きな言葉は人間万事塞翁が馬 もぉ」
駒場「でもオトンが言うには 人間万事塞翁が馬ではないって言うねん」
内海「ほな人間万事塞翁が馬ちゃうやないかい オトンが人間万事塞翁が馬ではないと言うんやから 人間万事塞翁が馬ちゃうがな」
駒場「そやねん」
内海「先ゆえよ 俺がコピペサラリーマンdisってた時どう思っててんお前」
駒場「申し訳ないよだから」
内海「ホンマにわからへんがなこれ どうなってんねんもう」
駒場「んでオカンが言うにはな」
内海「オカン?」
駒場「馬子にも衣装ちゃうか?って言うねん」
内海「何の教えやねん もうええわー」
二人「ありがとうございましたー」


いやぁ、ぜいぜいしたわ。ミルクボーイのネタよりだいぶ短く締めに入ってしまっているけれども、笑えるかどうかなんてそっちのけ、辻褄あわせてこの辺まで話を運んでくるだけで息切れする。

プロの作り手のすごさを体感するぶんには十分であった。ミルクボーイが築いた生垣によじのぼらせてもらって、穴埋めするかたちで漫才師の創作のなんたるかを堪能した。

誰かが作ったものを「品評する」スキルと、品評される何かを「創作する」スキルというのは、まったく別物だ。この「品評」と「創作」の似て非なるスキルのちがいを体感的に分かっておくことって、現代人が養うべきメディア・リテラシーの一つじゃないかと思っていて、とりわけ「品評する側の、創作者に対する敬意」を育むことは、とても尊いことだと思うのだ。

そういうわけで、この違いを体感できる教材を作りたくて試作してみたのが、ミルクボーイ・フレームワークである。

1)まず、ミルクボーイの漫才ネタ「コーンフレーク」をテキストで読み込む。ネタを知らない人や、知らない人と一緒にネタ作りをしたい場合は、YouTubeにあがっている動画*を通して見てもらえば、わりとすっと参加できるんじゃないかと思うが、どうだろう。

Photo_20231121132701

2)これを手本として、ミルクボーイのネタのフレームワークをそのままに、下のかっこ内を埋めるようにして、ネタを自分たちで作ってみる。

Photo_20231121133001

シートの右下に記しているように、下の3つを押さえて「ミルクボーイの漫才フレームでネタを作ってみよう」というわけだ。

1.『      』と(     )内には同じ言葉を入れてください。
2.【      】にはコンビ名を入れてください。
3.下線部は自由記述です。また下線部以外も自由に変えてOKです。

カッコ内を埋めればいいんだなと思うと手を出しやすい。が、実際うまいことやってやろうと思うと、すごく難しくて、それが面白くもある。

その過程でどれくらい「あぁ、品評と創作は全然別物だ」と思い知れるかが、この教材の価値を決めるわけだが、試しうちしてみた感じ私にとってはしみじみ「ミルクボーイってすごい」「漫才作るって難しいんだなぁ、奥が深いんだなぁ」「実際作るにはこんなことをあれこれ考えるのかぁ」と体感できるものであった。

くどいようだが、これは私の作例の上手い下手、笑える笑えないは関係なくて。漫才ネタとしてではなく、メディア・リテラシー教材としての出来不出来が問われるものなのだが、伝わるだろうか(下手の言い訳っぽいが)。

なにか、どこかで使えそうな場があったら、カスタマイズしてでもお役立ていただければ幸い。授業での有効活用は無理でも、会社の忘年会の出し物とか、個人的な電車移動の時間つぶしとか(弱気)。品評と創作の違いを体感するにとどまらず、創作って難しいけど面白いなぁってところまで味わってもらえたら、この上ない幸いである。

*【完全版】ミルクボーイ、M-1ネタ「コーンフレーク」のノーカット版を披露「#Twitterトレンド大賞 2019」(マイナビニュース【エンタメ・ホビー】)

2023-03-23

「Web系キャリア探訪」最終回、いろんな人の生きざまに触れて

インタビュアを担当しているWeb担当者Forumの連載「Web系キャリア探訪」は、今回が最終回。今朝公開された総括編では、インタビュア2人でキャリアや人材育成について話しこみました。よろしければ、ぜひ読んでみてくださいませ。

「みんな違って、みんないい」総勢49人のキャリア探訪を通して見えたもの

気づけば月1連載を始めて、まる5年。いろんな人の仕事ぶり、キャリアの歩み方、仕事を通じて出会う人たちとの関わり方を垣間見せてもらえる貴重な機会でした。

やっぱり、あれですよ、キャリアというのは抽象化されたモデルを掲げて頭でっかちに己のキャリア観を固定化させてしまわずに、いろんな人の具体的な生きざまに触れて、惹かれて、それを自分に取り入れていって我が道を生きる。人が生きるって、そういうことですよって、そう思うですよ。

登場してくださった方、一度でも記事を読んでくださった方、インタビュアの森田雄さんはじめ記事作りに関わってくださった/私を関わらせ続けてくださった皆さまに、心から感謝です。

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