2017-02-09

2回目の目の手術、その後

私は両目に翼状片(よくじょうへん)という病気を患って、2年半前に右目、2ヶ月前に左目の手術をして、それを切除した。

その体験記をブログに書き残してきたので(「目の手術(翼状片)」というカテゴリーにまとまっています)、私のブログには「目の手術 怖い」とか「翼状片 云々…」といった検索ワードで訪れる人がけっこういる。

のだけど、特別そういう人たちに向けて書いたのでもない個人的な吐露に終始してきたため、このことを気に病んで検索してきた人にとってバランスのとれた文章にはまったくなっていない。私のおぞましい体験記を読んだとすると、「よっしゃ、手術受けよう」とは、なかなかならないだろう。どちらかと言えば、手術を踏みとどまるほうに作用するに違いない。というのが、ずっと気になっていた。

なので遅ればせながら、ここに書き残しておきたい。終わってしまえば、やっておいて良かったと思っています、ということを。両目とも術後は順調にきているし、目には今まったくカケラが見当たらない。再発率が低い手術をしてもらったおかげもあってか、右目は2年半再発していない。運よく、腕のいい先生に執刀してもらえて、術後もしっかり診てもらえたというのは大きい。その環境あってこそと思うけれど、手術した決断に後悔は一切ない。

最近手術した左目のほうは、今ひと月おきに眼科に行って経過を診てもらっている。昨日は術後2ヶ月経ったところの診察、「今のところ順調ですね」と言われて安堵。ちなみに先生はいつも「今のところ」という言葉を欠かさない…のを私も聞き逃さない。あ、でも、右目はいつからか「今のところ」が消えた、そういえば。

この2ヶ月間は、冷蔵保存しなきゃいけない目薬(リンデロン)をさす必要があって、最初の1ヶ月は日に5回、そこから1ヶ月は日に4回、時間を守って点眼していた。保冷剤にはさんで目薬を持ち運び、家と会社では冷蔵庫に入れておくのが地味に大変だったけど、今回の診察でリンデロンとはおさらばだ。

この後は、リンデロンの1/3くらいの効きの目薬(フルメトロン)を日に4回さして、また1ヶ月後に診察に行く。たぶん、もう数ヶ月良好に進めば、通院は2ヶ月に1回ペースになり、目薬はドライアイを防ぐヒアレインというのに変わる見込み。それで1年かそこら、様子を見ていくことになる。

あとは再発防止策で、紫外線を避けた生活(ハット型の帽子、サングラスなど)はずっと続く。どこまでやるかは人それぞれだろうけど、私はもうあの手術は嫌なので、わりとこまめに装着している。日中に外で会うと、ずいぶんと野暮ったい人である。

これに今は防寒対策のニット帽とか、これからしばらくは風邪防止と花粉症対策のマスクが加わって、カバンにはいろんなものが入っている。さすがに帽子とサングラスとマスクの3つ装備だとだいぶ怪しいので、場所に合わせて2つまでに収まるようにしている。

屋内や地下鉄ではマスクのみ、表を走る電車や地下鉄でも外に出る区間はマスクとサングラス、外を歩くときは帽子とサングラスなど、なんやかんや小まめな入れ替えが必要になる。それでも、あの手術に比べたらなんてことはない。

もちろん人によって気になるポイントも環境も様々だから、これは一体験記に過ぎない。ただ、検索して訪れた人に、やっておいて良かったと思っていることは伝えないと、と思って書いた。わりに、関係ない話がだらだら続いてしまったけど。

これで、目の手術にまつわる話は終わりになるかな。ぜひとも、そうしたい。あとはプール通いを再開できたら、私的には通常モードに戻れる。リンデロンが終わったので、そろそろ再開だ。

2017/6/12の追記:その後の経過。手術から3-4ヶ月目はフルメトロンを日に4回、5ヶ月目は日に2回、6ヶ月目は日に1回になり、半年経ってフルメトロンの処方は終了。
ドライアイ症状もあるので、引き続きヒアレインはさしていくのだけど、次は3ヶ月後に見せに来ればよいとのこと。お若いのに(眼科患者的には…)再発の兆候もないし、たいへん良いですね!とのこと。良かった!

2016-12-21

目の手術リターンズ、抜糸終了

先週火曜に目の手術を受けて、その後の水曜から日曜まで5日間は自宅療養。ほとんど何もできず、ラジオとともに寝続けた。週明けて月曜日、ここからは通常出勤するつもりで、人の往来が少ない早朝のうちに会社近くまで移動。朝9時に出勤して無事&現状を報告。午前中は、あれやこれやと数十分ごとに案件を切り替えては、人と話す系の仕事を中心に進めた。その2〜3時間で、もうギブアップだった。

人と話すのは、家で過ごすのとはまったく違って、ものすごく黒目を動かすようで、とにかく明らかなる「痛み」を感じだした。途中から涙がにじんで、なかば泣きながら仕事することに。こりゃ不毛だと思って、午後は休みにさせてもらった。今何をとるかといったら、無事&早期快復のためになすべきことに違いないのだ。

帰り道の都会歩きは人の往来が激しく、目の休憩がてら長めの瞬きをしていると、目を開いたときに目の前を人が斜めに横切っていたりして危険。赤信号になった車道から自転車が急に歩道に乗り上げてきたりするのにも注意して歩かないといけない。

それでまた、家に戻って多くは横になって、目を閉じて過ごした。結局、月曜の午後から、水曜の午後の抜糸をするまで、ずっと休みをもらって自宅療養。この件のために遅ればせながらBYODデビューして、私用スマホで会社のメールをチェックできるようにしたので、メールやらメッセンジャーやらで最低限の連絡をとり、日に1〜2時間だけ仕事を進めつつ、ほぼ寝て過ごした。

そして本日は抜糸の日。やっぱり抜糸は怖いのだけど、早くこの糸を取りたい、この痛みから解放されたいという気持ちのほうが強い。さすがに一週間もこの異物を抱えた状態だと、精神的にもぐったり。緊張で顔はこわばり、眉間にしわが寄りがち。意識してときどき「いーっ」という顔をしたりしていた。

時間どおり病院に行くと、早速中へ通される。ここまでは、とにかく早く取りたい気持ちでいっぱいだったが、まぁいざベッドに横になってみたら怖いのなんの。手術のとき以上に、視界鮮明過ぎ、痛怖すぎ。ひと針、ひと針、14針分をピンセットみたいなので取っていくんだけど、ちょ、丸見えなんですけどーーっという。

でも、ともかく全部取り終えて、「終わりました」と言われたときには、またボロボロ涙がこぼれてきた。1分ほどそのまま泣かせてもらって、起き上がる。

次は3週間後に経過を見せにくること。それまでは、引き続き日に5回の目薬。今のところ順調ですよっと先生。今回は、抜糸直後でボロボロになっていても、無事に終わったら先生にこれを言おうと決めてきたので、「先生じゃなかったら、絶対2回目の手術はやっていないです」と、まさしく涙ながらにお伝えして、深く頭をさげて「ありがとうございました」とお礼を言った。先生は、「あはは」と笑って私を送り出した。

はぁ、痛怖かったーーー。もう二度とごめんだー。と深呼吸して、心配をかけた身内に連絡。父が「本当は心配で昨日よく寝られなかった」と返信をくれて、うぐぐっと再び目頭が熱くなる。

とにかく今は、あの、ずっとあった異物痛がない!という解放感というのか、気分的には開放感。抜糸中に目薬の麻酔の追加投入をお願いしたためか、まだぼやぼやするのだけど、とにかくほっと、ほっとした。

この後は、仕事モードに切り替えて頑張りたいなぁ。手術を終えた週末にいただいた新しいお客さんからの引き合いも、お役に立てるといいなぁ。あと、1〜2ヶ月おいて調子を戻したら、プールでのんびり泳ぎたいなぁ。あとは引き続き、紫外線をさけて再発防止にしっかり努め続けよう。

直接や、Facebookなどを通じて、応援やお見舞いのメッセージをくださった方、本当にありがとうございました!心から感謝しています。

2016-12-16

目の手術リターンズ

目の手術を受けて、3日経った。「目の手術、再び」の話の続き。まだ痛みがあるけど、手術日やその翌日に比べれば余裕が出てきた。痛いけど。来週の(恐怖の)抜糸を終えるまで、この違和感と痛みの間のような感覚は残るだろうから、もうしばらくは辛抱、辛抱だ。

手術の内容は、翼状片の切除と、結膜の移植。簡単にいうと、目の中にできた翼状片(よくじょうへん)という欠片(かけら)を切除して、そこに健康なところの白目から膜を移植して、縫いあわせてなじませるというものっぽい。

翼状片は切除するだけだと再発率が高いのだけど、結膜の移植をすると、再発率を5%まで下げられる。医師によっては10%台もあるようだから、その辺は人によるようだけど、私はたまたま、とても腕のいい先生に巡り会えた。

私は同じ内容の手術を、右目で2年前にやっている(当時の記録はこちら)のだけど、今回は左目。右目はその後再発することなく、健康だ。もちろん、原因であるところの紫外線を浴びないように細心の注意をはらって日常生活を送っているのだけど、とにかく再発なくやってこられている。

左目は手術なしに逃げ切りたかったが、そうもいかない進行具合になってきて、やるならお世話になっている先生が現役のうちにやっておいたほうがいいというので、今回思い切って左目も手術することにした。

そんなわけで、どれだけおぞましい手術、術後が待っているかは重々承知して臨んだ。あれをまたやるのかぁーと、手術が決まってから、ずっと気が重かった。いや、手術を決めた秋口からしばらくは一旦忘れた。努めずとも本能的に忘れた。のだけど、1ヶ月前ともなると、12月の予定が話題にあがる度、頭をもたげた。いよいよ手術日が迫り、会社は手術当日の火曜日から週末の金曜日まで、4日間の有給休暇を取得した。

当日は、食事制限が手術6時間前から、水も手術2時間前からNGだったので、朝7時に食事を済ませ、習慣にしている朝プールに泳ぎに行った。しばらく泳げなくなるので、いつもより長く泳ごうかとも思ったけど、この後夕方まで食事なしだし、手術は緊張で全身硬直状態の1時間半コースと分かっていたので、体がもたないと思って、いつもどおり50分をゆったり泳いだ。この時間がしばらくもてなくなるのは、たいそう惜しい。が、仕方あるまい。

プールの後は、そのまま病院近くのカフェに移動。すでに飲めなくなっている紅茶を注文し、満杯のマグカップを見ながら11時まで水を飲む。11時以降は水も飲めないので、そのまま冷えた紅茶をおいて本を読みながら待機。

13時に病院に行くと、血圧を測ったり、同意書を提出したり。執刀医の先生と少し話をして、じゃあ早速と、手術室のフロアに案内される。

先生には、「前に一回やっているのと同じだから」と言われて、「いや、それが困るんだって」と思いつつ、案内くださる女性の後について手術室のほうへ移動。すると、いやいや、前ともどうも勝手が違う。案内くださった女性が「前回が2Fだったなら、4Fの中央手術室はいろいろ勝手が違うと思うけど…」というようなことをさらりと言っていて、そのときはよく意味がわからずきょとんとしていたのだけど、いやー、大いに違った。

まず、入り口の所で、手首に自分の氏名と番号が入った札を巻かれる。続いて、着替え。前は着替えなどせずに手術室にすたすた入っていった気がするんだけど、色の濃い薬剤を使うので、かかるといけないとかで、手術される人っぽい衣装に着替える。この時点ですでに、手術っぽすぎて腰がひけている。

着替えから出てくると、助手のような女性が快活に挨拶をくれ、緊張をほぐすように私に笑いかける。「髪がサラサラねー、うまく収まらないわ」など明るい声で私の心を包み込みつつ、お風呂のときに使うシャワーキャップのようなので私の髪の毛を包み込む。完全に「手術される人」に仕上がっている。

「じゃあついて来てください」と言われて、後についていくと、ぐいーんと自動ドアが開いた先は、な、、、なんじゃ、こりゃーーだった。ものすっごい立派な手術室が眼前に広がっている。宇宙船かと思った。スタートレックのエンタープライズ号の中にある、みんながおしゃべりする居間みたいな所(ブリッジと言うらしい)っぽい。

50平米mはあろうかという広さで、白を基調とした円形構造、壁面にモニタやら操作パネルやらが備え付けられ(これは幻覚かもしれない…)、その向こうには宇宙が広がっているんですか?という感じ。青白い照明に照らされ、中央には人体実験でも行われそうなベッドが一つ備わっている。その周囲に、医者というより科学者に見える先生方が4〜5人立ったり座ったりしている。

2年前の2Fのフロアのときは、一応手術室と書いてあるようなところにトコトコ入っていって、治療器具が所狭しと並んでいる薄暗い部屋の一角にちょこんと腰かけ、ちょっと背もたれを横にして、じゃあ始めましょうという感じだった。人も執刀医の先生のほかに1人助手の人がいるのが音でわかったというくらいだったのに、今回の4Fはずいぶんと大仰だ。

「そちらのベッドに横になってください」と言われて、指示通り横になると、頭上には、目玉が10コくらい付いている例の手術室のライト。寝るやいなや、右腕に血圧器が装着され、左の人差し指に脈拍をはかる?器具がつけられ、少し離れたところからピー、ピー、ピーと音が聞こえだす。体に何かかけられ、顔にもビニールのようなものが巻かれ、左目のところだけあいた状態に。極めつけに、人工呼吸器のマスクが口元に置かれた。それっぽすぎる…。

「では始めましょう」と号令がかかって、4〜5人の返事が聞こえる。手術開始。この手術、何が辛いって、ずっと意識があることだ。先生の指示に従って、黒目を右上にやったり左下にやったりして固定しないといけない。白目を向いているわけにはいかないのだ。

しかも今回は、視界がわりと鮮明なままで、銀色の器具がこっちに近づいてくるのとか、糸を通しているのとか、何をしているのかがわりと目視できるという、前回以上におぞましい状況。

しかも、先生が若手に教えながらやっているので、「この血管をやっちゃうと出血がひどくなるから、ここを避けてこっちに通すんだ」とかいう解説付きで、すでに倒れているからいいものの、立って手術を受けていたら300回は卒倒しているだろうというくらい倒れどころ満載だった…。

けど、どうにもこうにも一旦始めたものは中断するわけにいかないし、弱音を吐いたところで長引くだけ。黙って、こらえるほかないのだ。全身が足先までかっちんかっちんに硬直しての1時間半。長い、長かった…。めちゃめちゃ怖かった。

14針縫い終えて、「終わりました」と言われたときには、もうほっとしてほっとして、右目から涙が流れた。ひょいと上半身を起こしてくれて、そのままシュタタタタ!と手術室を立ち去りたかったが、なかなか次の動作に移れない。寒さで指先は冷え冷えになり、足はガチガチの緊張から一気に弛緩して、女医さんに手伝ってもらって近くの椅子に移るのがやっと。

しばらく女医さんが私の背中をさすってくれ、どうにか立ち上がる気力を取り戻す。寒いので早く着替えをせねばと思い、もう大丈夫ですと言って席を立つ。先生方にお礼を言って手術室を後にし、着替えを済ませると、本当に心底ほっとして、また涙が出てきた。脱力。

その日は、会計を済ませて薬の処方を受けると、そのままタクシーで帰宅。もらった痛み止めと胃薬は、手術当日だけとりあえず飲んで、以降は飲まずに済ませている。膜が完全にかぶさるまでの3日ほどは痛みがあるが、じっと目を閉じているかぎりは、痛み止めを飲むほどではない。食事は、目を閉じたまま手探りで食べられるおにぎりかサンドウィッチ。娯楽はラジオ(これは平常どおりだが)。あとは、ひたすら寝るだけで過ごす。

手術の翌日から3日間は、午前中に通院して経過をみてもらう。これもタクシー移動。「順調です」という言葉にほっとして、軟膏をぬって眼帯を付け替えて帰る。後はとにかく、おとなしく目を閉じて過ごす。手術から3日後の今日の晩から、入浴、洗顔、洗髪を許され、目薬の点眼治療が始まる。あとは通院は無しで、来週半ばの抜糸を待つばかり。14針の抜糸が腰がくだける恐怖体験なのだけど、これが終われば爽快だ。あともう少しの辛抱、辛抱だ。

2016-09-27

目の手術、再び

ついに、目の手術の決断を下してしまった。前回7月の定期検診で、「次に来る時(2ヶ月後)には手術の決断をしてきて」と、お医者さんに言われていた。カルテには「オペ決心」と書かれて送り出された。

それでも私はこの2ヶ月、真剣にミラクルを期待していた。2ヶ月経過、目を覗き込んだ先生が言う。「あら、なんだか進行が止まってるね。これだったら手術しないで逃げ切りもありかもね」というミラクルを。

来い、ミラクル!そう願いながら昨日、眼科を訪ねた。恐る恐る腰かける私を見て、先生は「さーて」と、来週のサザエさんの予告でもするかのように軽快に、そしてニヤリと笑う。あごを台に乗せるよう指示すると、私の目を、右目、左目と覗き込み、「うーん、やっぱりこれは、手術したほうがいいねぇ」と。ミラクルは、起こらなかった…。

検査器具から目を離すと、先生が4ヶ月前と2ヶ月前に撮った左目の写真を見比べて言う。「ほらね、ここの白いのが広がって、黒目に近づいているでしょう。さらに広がっていくと、鼻側のこっちと、耳側のこっちがつながっちゃう可能性もある」と。さらに「手術を先延ばしにしていくと、進行すればするほど打ち手が少なくなってしまうんだよ」と。この一言に、そりゃそうだよなと納得。先生の手術の自由度を下げたくはない。

ぐぬぬ。これはもう、仕方ないのか、待ったなしか…。と打ちひしがれていると、先生が「じゃあ、また1ヶ月後にいらっしゃい。そのときに決断しておいで」と口にした。そこで、私の中の漢(おとこ)が目覚めた。え、そんなの意味なくない?1ヶ月後に決めるんだったら今日でも同じ。っていうか今日のほうがいいでしょ。ずるずる先延ばしする意味ないでしょ。

気づいたときには、漢が口を出していた。「いや、だったら今決めます」と。あぁ、言っちゃったよ。言っちゃったもんはしょうがない。やるっきゃない。俺も男だ!決めたものは決めた。女だけど。男に二言はない!男は黙ってオペ決心。女だけど。ほろり。

というわけで、手術することが決まり、また幼子に戻って恐る恐る質問。私「今は、前に手術した右目と同じくらいの進行具合ってことですかね。あれよりひどいってことは?」、先生「今は、右目を手術したときに近づいてきているくらい」。ということは、あれと同等であって、あれを上回る恐怖&痛みではないということか。いや、あれよりものすごい体験なんてありえないんだけど。

振り返ると、私はこの翼状片(よくじょうへん)の手術を、ちょうど2年前にやっている。右目の翼状片を切除したのだ。両目にあったんだけど、右のほうが進行していてよろしくなかったから取ることになった。大変な思いをしたので、左目は逃げ切りたかったが、目薬を指していてもやっぱり進行はしているというので、今回左目の手術も決断することに相なった。

翼状片とは、欠片が白目にあって、それが広がってきて黒目に覆いかぶさると、視力に影響が出るというもの。紫外線が原因なので、テニスプレイヤーとか漁師とかがなりやすい病気らしいけど、インドアな私は単純に紫外線に弱くてなったっぽい(あと極度のドライアイ)。

左目の手術を回避したいのと、術後の再発率が高い病気なので右目も紫外線を避け続ける必要があって、この2年間はだいぶ気をつかって朝から日が暮れるまで、表を歩くときはちょっとした距離でも、ごっついサングラスに帽子、日傘をかかさず、「自意識過剰な一般人」ふぜいを甘んじて受け入れてきたのに、努力の甲斐もむなしく…。いや、それはそれでやっていなければもっと大変なことになっていたに違いなく、この先もずっと続けていく覚悟はあるのだけど。

ともかく、手術を逃げ切れないとあらば、打ち手の選択肢が多く先生の自由度が高いうちに、信頼のおける先生が執刀してくれるうちに。先生は、ちょうど私の右目の手術を2年前にやった直後、60歳か65歳か迎えられて大きな病院を勇退された。今は都内の小さな眼科医院で院長をされている。手術となると、その大きな病院を使っているようだけど。先生が現役のうちに、良い環境でやってもらうのが良いんだろう。もはや、あの手術を他の先生にやってもらう気にもなれないし。

しかし、右目の手術経験があるだけに、何をされるか、どれだけ恐ろしい目にあって、どれだけ痛んでもがき苦しむか、一部始終を知っている。目の中を切ったり縫ったり抜糸したり。ご興味のある方は、今やGoogleで「目の手術 怖い」って検索すると第2位に掲載されるヒット?コンテンツがこちらにあるので、お楽しみください…。

2014/9/5「目の手術を受けた」

はぁ、あとは、その日まで、忘れよう。

2016-02-25

健康にまつわる賭け

「目の手術を受けた」という話を書いてから1年半ほど経った。あれは壮絶な体験であった…。今でもちょっと思い出しただけで足腰の力が抜けて崩れ落ちてしまいそうになる。眼球を14針縫うとか、それを抜糸するとか、今思い返しても信じがたい。

しかし先生には感謝している。手術したほうの目は、数か月後にはすっかり健康になって、今も見た目・視力ともまったく問題がない。たぶん、ものすごく腕のいい先生なのだ。先生の安定した執刀でなければ、私は手術の途中で気絶していたんじゃないかと思う。気絶したら手術は続けられないのだが。

手術を終えた後は、少しずつ期間をあけながら検診に通っている。今は3か月おき。手術したほうの目は順調なのだけど、一応それの経過観察と、もう一方の目、これが問題なのだ。

実はもう一方の目にも、翼状片がある。もう5、6年だか両眼にあったのを、右目のほうが進行していて良くなかったので、昨秋に手術して切除したのだった。左目は、残っている。なので今も目薬をさして、進行を抑えているのだ。

それで今日久しぶりに検診に行ったら、思いがけず左目の手術の希望時期を訊かれた。びっくりして「え、いや、逃げ切りたいです!! 死ぬまでいいです!!」と即答した。とにかく強い意思を伝えた。

先生は苦笑して「今は薬で進行を抑えているけど、うーん、ずっと薬を続けないといけないけど」と。いやいやいやいや、手術するくらいだったら全然それでいいですよ…。

ただ、目薬を続けたとしても進行しないとはかぎらない。目薬をさし続けなければ進行は免れないだろうけど、目薬をさし続けたとして、どう進行するかはわからぬ、という感じ。

とにかく私としては、サングラスと帽子で紫外線を避ける生活を続け、進行しないように!と気を引き締めた次第。

ただ、万が一進行してしまったとき、先生が引退しているときついなぁというのが頭をもたげている。あの壮絶な手術(2時間近く意識を保って先生に協力し、眼球を右上、左下へと指示通り動かし続けないといけない)と1週間後の14針の抜糸を、他の先生にやってもらうとか耐え難い…。先生は60代、あと数年しか現場に立たないとすると、引退した後に手術しないとダメなんてことになったら…。

四十も間近になると、こうした健康上の判断が「賭け」の様相を呈してくる。自分が何歳まで生きるかわからないし、先生が何歳まで面倒みてくれるかわからない、病気がどんなふうに進行するかもわからない。病気の進行、先生の労働寿命、私の寿命、どれがどう来るかなぁというのをよんで、ベットしないといけない。むずかしい。医療技術がどう発展するかにも期待したいところではあるけど、「恐怖の軽減」って領域はなかなか進まないからなぁ。個人的には長生き策より重要事項に思えるが…。

とにかく今日は、また3か月後に経過観察ってことで帰ってきた。帰りのエレベーターで膝ががくがくした。お世話になっている眼医者さん(60代)と美容師さん(40代)には、私より長生きして現役でがんばってほしい。

2014-09-05

目の手術を受けた

「翼状片」という目の病気の切除手術を月曜日に受けた。めちゃくちゃ怖かった。手術中は恐怖で全身がこわばっていた。落ちつけ、落ちつけ、身体の力を抜けーと思うのだけど、気がつくとすぐまた全身硬直。そのせいで血圧が高まり、出血量も増え、縫う針数も確実に増えたと思う。手術中、執刀医の「出血が多いな」「血圧が高そうだ」「もう1針縫うか」という声を何度か聞いた。

目の手術というのは、目薬で麻酔してから始めるんだけど、ぼやけつつも目は見えるし、どこを触っているかもわかる状態。「はい、次は右を向いて」とか「次は左上を向いて」とか、先生の指示に応じて自分で目の位置を変えないといけないので、白目をむいているわけにもいかない。正気で目の前の動きを視界にとらえ、どこをいじっているか知覚し続けなくてはならないという、なんともおぞましいものだ。

さらに私は麻酔が効きにくいらしく、ちょいちょい痛みを感じた。先生が「君は酒が強いのか」と訊くけれど、頭が働かないので「いや、それほどでも」と、よくわからない打ち返ししかできない。麻酔が効きにくい割に(上に?)感覚機能が鈍いので、違和感やら異物感と痛みの感覚が、恐怖も相まってごっちゃに知覚され、とにかく痛い、怖い、がくがくぶるぶるのし通しだった。

結局、止血が大変でもう1針もう1針と増えていき、右目の中を14針縫ったっぽい。それを思うだけで、くらーっとする。1時間と予定されていた手術も、1時間半かそれ以上にかかり、ふらふらになって出てきた(徒歩で出てくる)。手術室を出たとたん、年甲斐もなく恐怖で泣き崩れたが、そこはアラフォー、いつまでも泣いているわけにはいかないので、5秒くらいで持ち直した。しかし、あの5秒は必要不可欠だったと今振り返っても思う。あそこで、ぼろぼろと泣かずには次に進めなかった。もうめちゃくちゃ怖かったのだ。くどいようだけど。

「付き添いの方がいると安心です」と書かれていたけど、痛くて両目開けないので、付き添いがいないとはっきりいって帰れない。これは個人差があるのかもしれないが。私は黒目の右側と左側2カ所に翼状片があり、後から聞くと結構な大手術だったのこと。そして、私はこの手のことが人一倍ダメである。

術後も痛みが長引き、初日は夜中までもがき苦しんだ。我慢ならんーという痛みを10として、手術後の初日が9、2日目が8、3日目が5、4日目が3、5日目が異物感程度という感じに落ちついていった。3日目までは始終痛くて両目が開けず。毎日通院して経過をみてもらう必要があったのだけど、付き添いをお願いしてタクシーで行き来した。

通院後コンビニで食料を調達して家に戻ってからは、食事のとき以外、ひたすら横になって目を閉じていた。少しでも動かすと目が痛むのだ。手術したのは右だけだけど、左を動かすと連動して右も動いちゃうので、とにかく安静にして、ラジオを聴いているか(こういうときは娯楽に限る)、音楽を流しているか(懐メロに限る)、眠っているか。食事は食べやすいおにぎりを主食に、ヨーグルトと野菜ジュースと水でしのいでいる。

昨日の診察までで痛み止めの錠剤を飲むのは終了。洗顔と洗髪の許可もおり、今は目薬を日に5回さしている。来週が抜糸だ。はぁ。これを終えられると、余裕をもって9月の予定も立てられそう。とにかく養生、養生だ。という割に、文章を書き過ぎた。後はまた休む。

ちなみに看護師さんいわく、眼科というのは80、90代も多いようで、「あなたぐらいのお嬢さんはまだまだ青いのよ」と笑ってらした。そう、眼科にいると「まだお若いから」と医師にも看護師にも都度言われる。アラフォーがお嬢さんになれる、それが眼科だ。

2014-02-03

目とおでこ

数年前から翼状片(よくじょうへん)という目の病気もちである。目が紫外線に弱かったり、漁師のように陽を浴び続けているとなる病気らしい。私はかなりインドアな人間なんだけど、両目ともかかって、白目にかけらのようなのが肉眼でしっかり見える。これが黒目のほうに侵入してくると視力に影響が出るので、手術で取ることになる。だけど、取っても再発率が高いので、延ばせるかぎりは取らずに様子をみる、というものらしい。

ということで、目の手術なんて、想像するだけで卒倒しそうな私は、病名を与えられてから数年寝かせてしまっていたのだけど、昨年の晩秋あたり、仕事で目を酷使したためか充血がひどい日が続き、いよいよまずいかと思って、重たい腰をあげた。会社近くの眼科クリニックで紹介状を書いてもらい、大きな病院へ。

12月に診てもらったところ、両目に翼状片、加えてひどいドライアイ。なんでも「あなた、普通の人の5分の1しか涙の量がないよ」とのこと。ドライすぎる。それによってか、目の中に傷もできているとの診断。とりあえず、すぐ手術するのも難しい(荒れている)というので、しばらく目薬をさして事態の沈静化を図ることになった。

それにしても、涙量を測る検査というのが、「目のなかに乾いた紙を入れて数分置いて湿り具合を測る」という、そのまんまじゃないですかっ!という検査法。直前に麻酔の目薬はさすものの、手に汗びっしょり、心はぐったり、紙はしっとり。

病院で使う器具とか検査ツールの類って、「もう!そのまんまじゃないですかっ」みたいなのばっかりな気がするのだけど、医師だけじゃなくて、その先にいる幼気な患者の気持ちに寄り添った製品開発したら億万長者になれるんじゃないかしら。コストあがって病院に採用されるまでが大変なのか。その辺頑張ってくれる方がいたら、ぜひ「採血」からなんとかしていただけると有りがたい…。

それはそれとして、目薬さしながらしばらく様子をみた2月の本日、病院を再訪。涙量を測る検査はなかったけど、眼圧の検査、これも怖い。か弱い目めがけて風を飛ばしてくるって、そんな横暴な…。「はい、おでこを器具から離さないでくださーい」って、危険が訪れることをわかっていて、よけない人間がどこにいるというのだ。

「は、はい」と答えながらも、何回やり直しても器具からおでこが離れる。途中で笑ってしまったが、おでこが逃げるのを私には止められないのだった。おでこに同情しながら、よしよし、おまえは悪くないよ、と胸のうちで慰める。

こういうとき、思う。私は、「私」という統合された概念の意志によって動いているのではないのだよなぁと。ある時はおでこによって、ある時は目によって、私は動かされているのだ。結果が私である。私という概念の意志が、どんなにおでこをたしなめたところで、おでこは私の言うことを聞いたりしない。よけるものはよけるのだ。私というよくわからない概念より、おでこという存在明らかなる細胞。むちゃくちゃだけど、あながちむちゃくちゃでもない。

それで、ともかく診察は「前に比べると落ちつきましたね」ということで、もう3ヶ月目薬をさしながら沈静化を図る。5月の様子をみて、右目の手術を考えましょうとのこと。がびーん、手術…。とりあえず、そのことは5月まで思い出さないことにする。目薬をさしながら、紫外線をさけながら、穏やかに3ヶ月過ごそう。

全然関係ないけど、診察中に「あなたは、あれだね、作家と同姓同名だよねぇ」「えぇ、そうなんですよ」という、よくやる会話があったんだけど、その後に先生「親戚とか、何か関係あるの?」、私「いや、まったく…」、先生「(後ろの看護師さんに向かって)彼女は山梨だっけ?」、看護師「えぇ、山梨です(断定かつ即答)」というやりとりがあった。彼女は出身地まで一般常識なのか、と感心した。

2008-08-12

目と健康と私

昨日の話で少し触れましたが、昨日は眼科で目を診ていただいてきました。私は3年くらい前から右目に翼状片というのを抱えていまして、なんかちょっとかぶさっている感じのがあるんです。これをとるには手術する必要があって、だけど別に黒目にかかってこなければ視力に影響もないし、そのままでもいいってことで、もちろん手術なんてしたくないのでそのままにしていました。

が、このところ目の疲れからかこの部分に充血が頻発し、これは一度診てもらったほうがいいかなぁ、長い目でみたら今意を決してとってしまったほうがいいのかなぁと思い至ったわけです。友人の紹介で、とても素晴らしい先生に診察していただけることになり、これはもう(昭和的に言うと)「やるっきゃない!」ということになり、診ていただいたのが昨夕でした。

視力検査の後、眼圧検査(目にばしゃってやられるやつ)の時点ですでにびくついていたのですが、その後の「検査のための目薬」が一番参りました。行く前から説明は受けていたんですが、その目薬をさすと眩しく見えたり霞んで見えたりするということで、その後の車の運転は控えてください、徒歩でももし危なそうだったら少し休んでから帰るようにって話で、一気に緊迫状態に。

目薬は両目に落ちてきて、その後「薬が効くまで20~30分はかかると思うので、しばらく待合室でお待ちください」と促された後の20~30分とか、本当に不安で不安で、誰かと一緒に行っていたらそのまま恋に落ちていたのではないかとすら思います(映画「スピード」病院版)。いい迷惑ですな…。

私は幸いなことにこれまで両目とも1.5で生活してきたので、これから10分、20分のうちに自分の視界がどんどんぼやけていくのかと思うと、本当に恐ろ しくてなりませんでした。目を閉じてしばらくして目を開いたら世界が全部ぼやけていたりして…なんて想像したら、目を閉じて待つこともできず、ただただひたすら自分の視覚を確かめ続けるように目の前を眺めながら待ちました。

結局私が過剰に反応していただけでそれほど強烈な変化はなかったのですが、ただその待機中、目というのはなんて尊いものなんだろう、健康ってなんてありがたいものなんだろうと、当たり前のことを本当に心から思いました。世の中個々にいろんな選択肢があっていいと思うけれど、やっぱり今手中に健康があるのに、それを自ら失うようなことしちゃいけない、かけがえのないものだよって思いました。

幸い手術するという話にはならず、先生も本当に素晴らしい方で、充血用の目薬だけいただいて穏やかな気持ちで帰ってこられました。感謝の気持ち。

2005-02-15

大学病院で手術…手術…手術…

「こりゃ大学病院で手術することになるね」と今朝町医者から殴られた、いや投げられた言葉が、一日中頭の中でこだましていました。精神的ダメージが大きすぎて私にはうまく受け止めきれません。「注射」と聞くだけで幼児化する私に「手術」を受けろだなんて、5歳児一気に通り越して3歳児に戻ります。いっそ町医者の目の前でヤダーヤダーと泣き叫んで足をバタバタしてしまおうかと思いました。そこで踏みとどまれた私はオトナ。でも、やっぱり泣きたい。

数週間前からだと思うのですが、目の中にどなたか住み始めてしまって、まぁ放っておけばいつか出ていかれるかしらなんて居候させていたら、今週頭に一気に占拠されてしまいました。というわけで、今日の午前中に眼科を訪ねたら、町医者から冒頭の一言。ざっくり、ぐっさり、どすっとやられました。

また木曜に再検査を受けてきますが、しばらくは目を真っ赤にしてかなり落ち込んで…、いや怯えて暮らしていくことになります。どうかどうか、優しくしてやってください。くれぐれも後ろからいきなり「わっ!」とか声かけないように。本当に泣き叫びます。

ちなみに病名は翼状片(よくじょうへん)といって、漁師や農家の人がよくかかる病気なんだそうです…。