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2026-05-19

セリフの主の男女を入れ替えてみる思考実験

小説を読んでいて、ちょっとした思考実験を思いついた。主人公が、以前つきあっていた彼(川名君)と別れた理由を訊かれて答えるシーン。彼女のセリフは、読者によっては「痛恨の一撃!」とも読めようか。

「最初の頃、川名君は楽しそうに見えた。それは私が川名君の詳しい話題に関心を持って大人しく聞いていたから。でも、多くの男性と同じで、彼は目の前の女が興味を持っている話題については考えようとしなかった。どんなことで傷ついて、どんなことで幸せを感じるのかも。優秀な男の人ほど、そんなことは知らなくても自分が魅力的でありさえすれば愛されると思い込んでるみたい。だけど私が求めていたのは、たった一人の言葉が通じる相手だったから、川名君とは別れた。彼は多少傷ついたみたいだけど、本当は自分のほうが惚れられていると思っていたからプライドが傷ついただけだと私は思っている」

どうだろうか。私は正直この手の「男女の構図」解釈が苦手で、「これって性別関係なくない?人間そういうタイプの人は男にも女にもいるし、そうじゃないタイプの人も男にも女にもいないか?」という読み方をしてしまうタチだ。

それはそれで、やかましいタイプの一例という自覚はあるので、あまり大きな声では言わないが(その手のことを知り合いの女性に話して、ダメな男をみる眼差しを浴びた経験が少なからずある。しかし、それもまた「男」がダメなのではなく「ダメな」がダメなのであってだなと思う面倒くさいやつなのだ)。

しかしまぁ、自分の手元で思考実験するぶんには人を不穏な気持ちにさせることもない。ちょっと気になって、上のセリフを「男性が彼女と別れた理由」に入れ替えてみたら、どういう印象をもつものだろうかと試してみた。

「最初の頃、加奈子は楽しそうに見えた。それは僕が加奈子の詳しい話題に関心を持って話を聞いていたから。でも、多くの女性と同じで、彼女は目の前の男が興味を持っている話題については考えようとしなかった。どんなことで傷ついて、どんなことで幸せを感じるのかも。モテる女の人ほど、そんなことは知らなくても自分が魅力的でありさえすれば愛されると思い込んでるみたいだ。だけど僕が求めていたのは、たった一人の言葉が通じる相手だったから、加奈子とは別れた。彼女は多少傷ついたみたいだけど、本当は自分のほうが惚れられていると思っていたからプライドが傷ついただけだと僕は思っている」

どうだろう。私的にはイケる気がする。つまり、別に性別とか関係なくない?という気がするんだけれども。もともとそう思っている私が思うだけでは、何の検証にもならないよな、と思って、終わった。

私は人の話を聴くのがめっぽう好きだし、女性なのだが、自分のほうに下手に関心もたれて気持ちを読もうとされると気疲れするほうなので、「伝えたいことは伝えるから変に詮索しないでくれ、そのほうが気が楽だ」というタイプである。「一貫してそういう人間だ」と言えるほど足腰しっかりもしていないが(人間だもの)、それはそれで自分の責任として請け負う腹づもりでもある。

もちろんだが、以上のことは主人公のセリフに考え巡らしたことであって、別に作品や作家に文句を言っている話ではない。この小説の中にも後半、「こちらから一方的に与えておいて、返って来ないと失望してしまう」のは無しよねって話がある。

自ら、気にしなくていい、という態度を取っておいて、今になって創にお金のことを持ち出すなら、最初の段階でもっと慎重に相談してはっきりさせておくべきだったのだ。

とあって、まさに「それな!」なのであった。作家の懐の深さに身をゆだねさせてもらえる、すごくいい小説だった。

上のネタは、いい感じに意見交換できる相手が身近にいらしたら、くれぐれもクローズドな空間で、話題にして読み比べてみて意見交換のネタにでも使ってみていただければと思うが、「ご利用は慎重に」である。一枚画像も置いておく。右のが元の文章で、左が私が男女入れ替えた版。

セリフの主を男女入れ替えても成立するか思考実験

セリフの主を男女入れ替えてみても成立するか

* 島本理生「ノスタルジア」(河出書房新社)

2026-05-17

村山由佳「DANGER」を読んで

村山由佳さんの「DANGER(デインジャー)」を読んだ。村山さんのお父上は、終戦後も4年間シベリアに抑留された。その抑留生活のことを、80歳を過ぎてから自叙伝に書き記した。その手記が、この小説の土台になっている*という。

主人公の一平(いっぺい)は25歳で、週刊誌の記者。同じ出版社で働く果耶(かや)先輩は27歳。今回ふたりがタッグを組んで取材する世界的バレエ振付家の久我(くが)氏は72歳。

そして読者の私は50歳、ちょうど真ん中に位置する。といっても、このお話は「今現在1992年」という設定なので、実年齢的には私のほうが主人公より1世代下にあたるが。

なんでそんなことを思ったかというと、読みながら久我氏の「伝える側」の気持ち、一平の「教わる側」の気持ち、どちらにも多分に共鳴するところがあったからだ。

50歳というのは、世代違いの後輩に「伝える側」にも立つし、世代違いの先輩に「教わる側」にも立ち続けている年代。あらためて、そういう自分の現在位置をみとめる読書体験だった。

20代より30代、30代より40代と歳を重ねるほど、伝える相手・教わる相手どちら方面も、年齢射程が広がっていくように思われる。直接対面して関わる相手もそうだし、本の著者など間接的に関わる相手も含めて。

それは別に、私の活動領域が広がったり活発になってという話ではなく、じわじわ自分のキャパシティや関心領域が広がりを帯びていった結果、微細な自然現象のように体感される。

興味をもって手に取る本も、若い頃に比べれば(あくまで過去自分比だが)多分野に広がっているし、百年前の歴史、数百万年前の人類史に興味を持ちだしたのも歳をとってからだ。

主人公の一平がいう「日中戦争から太平洋戦争へと至る道筋で起こった出来事、すなわち満州事変、盧溝橋事件、南京大虐殺、ノモンハン事件などなどについて、一応知っている」にも及ばない知識で読みだした私だが、読みながら一平に追いつき(整理したり調べたりして)、一平と同様「別もの」に思えるまでの機会を授かった。

<久我一臣少年>という具体的な存在をそれらの中心に据えたうえで眺める戦争は、これまで知っているつもりになっていたそれとはまったく別ものに思えた

西暦何年に何があって、その事件の経緯はこうで、それがどう展開したのかといった歴史的事実と別に、そこに生きて暮らしていた一人ひとりがいて、その生身の声に耳を傾けることで初めて想像がおよぶこと、汲み取れること、引き継げることがある。

僕がこれまで漠然と<過去の歴史>だと思いこんできたことの多くはもしかして、同じ今を生きる誰かにとっての<ついこの間の出来事>なんじゃないか。

小説は「過去の歴史」を「ついこの間の出来事」に置き換えてくれる力を与えてくれる。我が意を得たりだった。

僕は、腹に力を入れて見つめ返した。いま怖じ気づいてこの川を渡る覚悟をしなかったら、おそらく久我氏は僕らのことを諦めてしまって、そのぶん、ものすごく手加減して付き合おうとするようになるんじゃないだろうか。僕らの想像力が、彼の人生にどれだけ追いつけるものかはわからない。彼の言うように<想像しろというほうが無茶>なのかもしれないけれども、試してもみないうちから、話してもどうせ無駄だと思われるのだけは嫌だ。

そう言って、一平は「すみません。本来、こんな乱暴な訊き方をしていいような話じゃないってことはよくわかってるんです。ただ…」と喰らいつく。

私たち50歳には、まだ多くの先輩がいてくれる。けれど、怖じ気づいたり、あきらめてしまったり、面倒くさがったりしてしまえば、ここでバトンの引き継ぎは途絶えてしまう。

喰らいつく、ということを、自分は「教わる側」としてどれくらいできているだろうかと省みる。自分なりの度胸と関心と力量でも、まだまだできることはあるな、と思う。

インタビューに応じる久我氏の「伝える側」の胸のうちに、励まされる。

自分ひとりだったら思い出したくないことでも、真剣に聴いてくれる相手が目の前にいるのであれば、一度はちゃんと言い遺しておこうかという気にもなる

「伝える側」に回ってみれば、相手に喰らいつかれることで奮い起こされる勇気、引き出される伝承行為というのも、あると思う。

伝承に値するようなものこそ「伝える側」に立てば、そんなに簡単に口を開く腹が決まらないことだったり、言葉にするのが困難だったりする。思いつきでしゃべっては、伝えたいことの真髄がうまく伝えられないのではないか、そういう恐れも湧いてきて一筋縄でいかない。

教わる側、伝える側が、ある種結託するようにして力を出し合って、刺激しあって、お互いへの期待を持ち寄ったり、相対しながら信頼関係を育てていかないと、なかなかうまく運ばない伝承について思い耽る。

作品を読み終えてしばらくしてから、村山由佳さんのインタビュー記事*を読んだ。

戦争の話を聞いて育ち、作家になり、若い読者もいる。ちょうど間に立つ自分が、戦争のことを書かないでいるのは「怠慢だ」という思いをずっと抱いている。「まるでその場にいるかのように物語に入り込む小説だからこそ、手渡せることってある気がするんです。小説の力を信じていきたい」

「ちょうど間に立つ自分が」と読んだ時、あっと思った。この小説を読みながら、「ちょうど真ん中に位置する」と思った自分とリンクした。彼女が手渡そうとしたものを、手を差し出して、今の自分なりに受け取れた気がした。

*村山由佳さん「DANGER」 父のシベリア抑留経験が土台に「小説の力を信じ」戦争を書く┃好書好日

2026-05-16

河鍋暁斎の作品展を観てきた

六本木のミッドタウン内にあるサントリー美術館で、河鍋暁斎(かわなべきょうさい)の作品展を観てきた。絵画鑑賞などド素人なのに、物語世界を楽しむような鑑賞体験で、とても楽しかった。幕末・明治期の絵師で、当時の風俗がユーモラスに描かれていて、風刺がきいていてコミカル味たっぷり。

当時流行したイベント「書画会」に来て、美術品と知識をひけらかしている文化人気取りの人々の鼻を全部天狗にしている「天狗たちの書画展観会」だとか。鬼が、湯気あがる徳利を背にして真剣に鰹をさばいている「酒のツマミに鰹を準備する鬼」だとか。

掛け軸「五聖奏楽図(ごせいそうがくず)」の異色コラボも目をひいた。十字架の上に、扇と神楽鈴を手に持った「キリスト」。その真下に「釈迦」がいて三味線を、その左横では「老子」が笛を吹き、いちばん手前で「孔子」が鼓をうっている。こういう一枚絵が成立できるんだなぁと、しばし掛け軸を見つめていた。

絵の種類もいろいろで、じっくり描きこんだ掛軸、巻物、屏風から、イベント会場で即興的に描かれたらしい扇まで様々。即興上手だったので、たいそう人気者だったらしい。
酒飲みで、調子に乗って描いた絵が見咎められて逮捕、投獄されたりしている...。翌年放免後も活躍。

一枚の絵の中に、何十人もの登場人物(蛙や猫、鬼や神様のものも)を描きこんだ作品も楽しく、一人として同じ感じの人がいない、誰に注目しても個性や性格が透けて見えるのがすごい。

それを通じて、暁斎が筆をもって描いていた時間へワープするような引力がはたらく。あぁ、こんなふうに人物をみて、こんなふうに激変の時代を観て、こんなふうに皆でわいわいやりながら暮らしていたんだと。素人にもそんな作用を及ぼすなんて、おもしろいなぁと思った。

構図で物語が浮かび上がり、登場キャラクターで個性と愛嬌が湧き出て、描線や色彩によって世界が確かなものとして観る側の脳内に受け取られる感じ。

圧倒的な画力をもってこそ、自由自在に描くことを楽しんでいる感じがうらやましくもあった。文章でも絵でもいい、そういう表現力を「自分はこれだな」と何かしらがっちり基礎力で持っているのって、やっぱりなぁ、いいよなぁ、やっぱり訓練かーと思う。

* ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界(サントリー美術館)

2026-05-04

善いことをした後の用意はできていない

中身のたっぷり詰まった大きなゴミ袋が2つ、都会のど真ん中の、大通りのど真ん中に落ちていた。少し前に走り去ったゴミ収集車か何かの落とし物だろうか。それにしても2つとも丸々と大きく、落下地点も車道のど真ん中すぎる。

片道3車線だかの幹線道路とはいえ休日の朝方だったので車の往来は少なかったが、それだけに今まさに通らんとしている信号待ちの大型トラックが2台、その後ろにつく普通車1台の存在が際立って見えた。

私はそちらに向かってジョギングしている最中だった。赤信号をはさんで手前側に私、信号の向こう側に車が3台。人通りはなく、私たちの世界に他に動くものは何も存在しなかった。これは、やるっきゃない。

私は、車道の赤信号が青になるまで、もう数十秒はあると見当をつけて、前後きょろきょろしながら車道に走り出た。ど真ん中に転がるゴミ袋を2つ、右手と左手につかむと、思いのほか重たくないのにほっとしながら一気に歩道の端っこへ運んで事なきを得た。歩道にあがって数秒後、車道の信号が青に変わった。

ここまでは良かったのだが、この後の用意がなかった。急にどぎまぎしてきた。恥ずかしくなった。この「ジョギングのねえちゃん、窮地を救う」のドラマは、車高の高い大型トラックの運転席から真正面で鑑賞されたはず、二人の目に入っていないことはありえない。もしかしたらそれぞれの車内に感動増し増しのBGMすら流れていた可能性がある。

しかし、歩道から二人を見上げて「私、いいことしたでしょ」と問いかけるような笑みを見せるなど、昭和かたぎの私にはできない。ジェスチャーではどうか。さっと親指を上にあげて見送る、いや、欧米すぎる。自然な表情でにこっと笑ってバイバイと手を振る。バイバイ手を振るジェスチャーは昭和時代からあったろう?いや「自然な表情で」と心中で思っている時点で、ひきつり笑いになる公算が大きすぎる。

打つ手なし。と、これは秒にして3秒くらいの逡巡だが、結局寡黙に3メートル先の地面を向いて歩道をタッタと走り去った。

今思い出しても、これが最適解とは思われない。きっと、あそこでいくらかのノンバーバルコミュニケーションというのが成立させられれば、世の中に生まれる幸福の総量は微増したはずなのだ。しかし私には手立てがなかった。この不器用は、なかなか後をひきずった。せっかくいいことしたのになぁ。

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