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2026-04-30

プチ講義「前回のメタ振り返り」のススメ

議論がどうも決着しない。決して意見が出ないわけではないのだが、みんなの発言をうまく秩序立てて整理し、次に展開させたり、決着をつけたりすることが難しい。そういう現場に入ってサポート役を果たすに際して、これはやって良かったなという介入策をシェアしたい。ちょっとしたことなのだが、どこかの現場の一助になれば。

私がしたのは、まず、その現場の話し合いに入って、ファシリテーター的にあれこれ質問を投げては話を聞きこむ(もちろん下準備して臨んでいる)。なるほど、そういうところで話が詰まってしまうのだなというのを感じ取りつつ、「それはこう考えてみたらどうか」「おぉ、それでいけそう?」というので、じゃんじゃか壁を突破していって、とにかく議論を前に進めていく(という壁突破の体験を皆さんにしてもらう)。

だいたい落としどころが見えたところで、「じゃあ今日の皆さんの話を踏まえて、こちらでプロジェクト計画書のたたき台を作って、翌週のミーティング前にファイルを共有するので、それをもって次のミーティングで計画書のフィードバックをください」といって解散する。

翌週、事前に共有したプロジェクト計画書のたたき台をベースに、「先週の皆さんの話を踏まえて、こういうプロジェクトとして動かしてみたらどうかと考えてみたのだけど、どうでしょうか」と、一通りのプランと、そう落としこんだ意図を丁寧に説明する。みんなから意見や不安、懸念点などじゃんじゃん挙げてもらってチューニングをかける。

「おぉ、なんか、いい感じにプロジェクトを始動できそうじゃない?」となって次の展開が定まったところで、解散する前に一つ「前回の振り返り」コーナーを設ける。時間にして3分もないプチ講義。1週前にみんなで話したのが、今日ここまで落とし込めた。その前進できた感覚と、議論が着地した足場の安定感をもって、前回のことも快く振り返りやすい。

前ふりが長くなったが、ここからが本題である。

前回の会議では、まずみんなの「気がかりなこと」をいろいろ挙げてもらった。そう言って、まず最初のシーンをスライドを見せて振り返る。1週前のことなので、あれは誰々さんが挙げた件、あれは自分の発言だと、みんなの記憶も鮮明で「超自分ごと」で入ってくる。

(以下スライド画像は、クリックすると拡大表示)

Lecture01

ここで、私なりの(前回の会議の観察を踏まえた)仮説を述べる。「たぶん、これまで議論が平行線に終わってしまったり堂々巡りになってしまって、その自覚はあるのに脱出方法がわからないで困っていたというのは、この1つ目のところで話が終わってしまっていたからじゃないか?と。

だから、ここでダメだと思わずに、「じゃあ、どうしたら?」という問いを立ててみるのを意識的にやると、突破できるのでは?そうやって皆が現場にいた「前回の会議」をネタにして、実務スキル的な側面にフォーカスして、何が壁になっていて、どう突破したらいいかを提案する。

Lecture02

「なるほど」と腑に落ちた様子を示したら、前回みんなで体験した「その先、どう話が展開していったか」を構造だてて振り返っていく。前回の話し合いでは、みんなから挙がった気がかりに対して「こうしたらできるんじゃないか」って現実的な結論を、一つひとつ出していった。それを「挙がった気がかり」と「出した現実的結論」を対応づけて確認していく。

Lecture03

その後、それを実際にやっていくには?って考えると、「全部を一気にやるのは無理」「直近のプロジェクトでは、こういうことを重視したい」「この順でやったほうが能率的、これは後」って、必然的にプロジェクトの焦点や範囲、ちょうどいいサイズ感、手をつける順序が見えてくる。そうすると、今回落とし込んだようなプロジェクト計画の骨子というのが、自ずと立ち上がってくる。

Lecture05

こんな感じで、前回の会議が、時系列でみて、どう展開し、構造的に枠組みすると、どういう展開だったかを1枚スライドで見せる。

つまり、ファシリテーター(私)の脳内でどう観察され、秩序立てられ、会議時間が進行され、今日のプロジェクト計画書に落とし込まれたかを、大きな流れとして見直し、掴み直してもらう。このメタ的おさらい時間を仕込むのは、なかなか学習に効果的ではないかと思った。

私は別に、ファシリテーションのプロでもないし、マネージャーやプロジェクトリーダーとして敏腕なわけでもない。だから「手本を示す」というより「サンプルを示して参照させる」「自分の視点と対照化させるための材料を提供する」くらいしかできないけれど、これでも反応が良かったので、もっと敏腕の主が、こういう「前回のメタ振り返り」をプチ講義すれば、もっと効果的な学習機会になるのではないかと夢みる。

演繹的に学ぶ教材に取り囲まれた現代において、現場で帰納的に学ぶ教材・学習機会が相対的に乏しく、頭でっかちになって足踏みしている若者に触れ合うことが少なくない。ここを突破する手を差し伸べられるのは、個別具体の文脈を共有する、われら名もなき現場の先輩たちじゃないかと思う。上のは一例にすぎないけれど、現場の「効く」人材育成施策を発想する一助なり手がかりになれば幸いなのだった。

2026-04-26

クローズドな空間で、伝えたいことがあるんだ

ちょっと前の話になるが、4月に入って早々、大学生向けに授業をさせてもらった。授業のタイトルは「作品批評のリテラシー」、相手は入学して間もない1年生300人ほど、単発授業90分の一本勝負だ。

この授業を始めて、実は今年で3年目なのだが、大学側にこれの著作権まわりを譲りおさめたものと思いこんでいたので、これまで具体的なことは一切口外しないでいた。そのことを察した大学側が声をかけてくれ、それが私の勘違いと発覚したので、今さらながらちょっと書いてみている。

といっても何か一言触れようとすると、あれもこれもと脳内で絡みついてきて端的に書くのが難しいので、結局ちょっとしか書けないのだが。それだけ思い入れがあり、作りこんでいるコンテンツであり、終えた後の充実感とかは、私の中でけっこう、相当なもの。その熱の帯びぐあいが「いつもの林さんとちょっと違う」らしく、大学の依頼主がにこにこして私の顔をみている。お恥ずかしい。

もともとのご相談は、これから学生が自分の作品を世に出していくときのメンタル面の足場作りだった。そういう機会を、入学早々に学生に対して一つ授業として設けられないだろうかと。それを受けて私が提案したのが、「メンタルケア」の枠にとどめず、「メディアリテラシー獲得」の一環として授業を立たせたほうがいいのでは、というコンセプトの置き換えだった。

「あぁ、入学オリエンテーションとして、メンタル云々のお話ね…」と聞き流されてしまうことなく、「え、批評っておもしろいし、批評されるって自分の作品やスキルを伸ばすことになるし、ただ玉石混交の反響を防御して、手厳しい指摘を巧くかわせるようになればいいってことじゃなくない?そんなことしてたら損するわ」って気づきを入学時に埋め込むことを、きちんとした授業の体裁をもってやってはどうかと。

それに大学側も乗ってくれて、意気投合して作り上げて、3年前に初回を行った。

「授業」というのは、つまるところ仮説に基づいて作り上げて、やってみるしかない。授業後に「やってみてどうだったか?」検証することになるわけだが。

大学側のフィードバック、そして授業に参加してくれた大学一年生の授業後アンケート数百人の声を聴くと、自分の仮説がどんぴしゃはまっていて、しかもきちんと届いて、それぞれに受け取ってくれているのがわかって、泣けたさー。自分の経験と今回の授業がどうつながったか書いてくれていたり、授業のここのところで自分のこういう思いこみに気づいた、大学生活でこういうふうに自分を変えたいと思ったなど、かなり丁寧に書いてくれる人がたくさんいる。

本当に一通一通が、自分宛てのお手紙のように読めて、涙が出るほど嬉しく、ありがたかった。なんて尊い経験をさせてもらっているのだろう。

自分が仮説をもって「こういう思い込みがあるかもしれない」「けど、そうではなくて、こう」と、石をどかすようなシナリオを組んで、演出を凝らして、うまくはまるケーススタディや演習課題をこしらえて「どうぞ」と提示したものを、こんなによく噛んで食べてくれるなんて。

とりわけ「知っている・わかっている=できている」と混同していた、思い込んでいたことに気づいたという声は、自分の授業設計の総合力を注ぎ込んでいるので嬉しい。

授業は、相手にわかりやすく順序立てて構成すればいいのではなく、ここぞというところに落とし穴を掘っておいて、しれっと導いて落ちてもらって、そこから腕を伸ばして引き上げて、と一緒に歩いてもらって進めないと、本人に「できていない」状態への気づきを与えることはできない。趣向のこらしどころだ。

あと今年の授業で、これまでより明確に伝えるようアップデートしたのが、「第一印象をもつことと、その後リテラシー能力を発揮することとは別物」という話。前者は自分のコントロール下にない。そこを下手に「私はこんなことを思う人間じゃないわ」とかいって思うこと自体を否定したり、見て見ぬふりして無意識下に押しとどめるようとすると健康に良くないのでお勧めしないと伝えた。

誰だって第一印象で、自分でもぞっとするようなことを思ったりはするものだ。最初にどんなことが思い浮かぶかは、自分にはどうしようもないことだ。そこをコントロールしようとするのではなく、その後が大事。「でもな、こういう見方もあるかな、ここはどうなっているんだろうな」と、解釈を広げられたり、疑問をもって調べられたり、自分の見方をアップデートできるリテラシー能力を発動できるか。そこに能力開発の頑張りどころがある。そこを、取り違えちゃいけないと話した。

これにアンケートで反応してくれている声もいろいろあって、すごく嬉しかった。ややっこしい話だからアンケートに書くのも骨が折れたろう。

自分が作ったものに対するフィードバックを受けたとき、作品批判と人格否定の分別が難しいという話も、よく反応がある。ここを分別するのは、けっこう訓練がいることだという話は、知識として知っておいていい。ここへの反応を読むと、あぁ、やっぱり伝えて良かったなと思う。

自分はこれまで、友だちが作ったものに対してネガティブなことを言うのはひどいことだと思って、やらないのがいいことと思っていたけれど、ネガティブなことでも率直に伝えてみることで広がる発想、改善の糸口が見つけられること、そうやって世の中の製品やサービスが良くなっていることを感じ取ってもらえた声もあって、それもまた嬉しく、趣向を凝らしてやった甲斐があったと思う。

この4年間でいろんなフィードバックをしあう関係が築かれ、経験に裏づけられた基礎体力(メディアリテラシー)がそなわって、そうやって社会に出ていってもらえたらなって思う。きっと手厳しい先輩のフィードバックの受け身を、今よりずっととれるようになっている。

クローズドな空間で、あなたになら、こんなことを伝えたい。私は、そんなふうに駆動するんだなぁと思ったりする今日この頃。結局だらだら長くなってしまった。

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