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2026-01-07

「仕事のやり方を実際に見せる」教え方は、今なお3割が精一杯か

職場で何年か経験を積むと、自分なりに「この仕事を覚えた」という、いくらかの手ごたえを持つ。中堅ともなると「これが自分が発揮している仕事能力の中核かなぁ」というキーワードが、3つ4つ思い浮かぶようになる。業界の知識、職種の専門知識やスキル、業界も職種も問わない汎用的な仕事能力など。

そのキーワードを念頭において、では「その仕事能力をいっぱしに身につける」のに肝となった職場経験は何か?と過去を振り返ってみると、どんなことが思い浮かぶだろう。

というのは、全国1万人の労働者に訊いた「仕事を効果的に覚えるために、いまの職場で経験したことは?」という複数選択の回答結果を見て。

1位:「とにかく実践させてもらい、経験させられた」32.3%
2位:「仕事のやり方を実際に見せてもらった」31.5%
3位:「特にない」28.0%

仕事を効果的に覚えるために、いまの職場で経験したことは?(画像をクリックすると拡大表示する)

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上位3つを見てみると、1位は「とにかく実践させてもらい、経験させられた」。これは、さもありなん。「特にない」が堂々3位なのも注目に値する。が、私が一番引っかかったのは、2位だ。

「仕事のやり方を実際に見せてもらった」が上位なのはいいのだが、それにしたって3割にとどまっているのは、どうなのだろうかと。こんな、ある種、素朴でオーソドックスな手法が3割にとどまっているのは、改めて考えてみると、なかなかおかしくないかと。そこに引っかかってしまった。

ちなみに、これに丸をつけなかった7割の人たちには、「そもそも仕事のやり方を見せてもらっていない」という人と、「仕事のやり方は見せてもらったけれど、自分が仕事を覚えるのに役立ったとは思っていない」という人が入り混じっているのだろうが。

閑話休題。もちろん、いよいよ頭の中でやっている仕事というのが複雑化してきて、「見せてあげてどうにかなるもんじゃないのよ」という教える側の理屈は承知しているつもりだ。

その上で、もしかするとここらで教え方をアップデートできるんじゃないか?と思ったのだ。「仕事のやり方を見せてもらった」「やり方を見せてもらったのが仕事を覚えるのに効果的だった」と答える人を、3割からもう少し増やせるんじゃないか。教える側、育てる側に、もう少し工夫の余地、伸びしろがあるんじゃないかと。

もっとずっと昔、頭脳労働とかホワイトカラー職種といった言葉が聞かれ出した頃だったか、「仕事のやり方を教えるのが難しくなったよね」「背中をみて学んでもらうわけにはいかなくなってさ」「大事なところほど頭の中で暗黙裡にやっていることが多くて」「目の前でやって見せて、本筋を教えるってわけにはいかなくなった」なんて仕事人の話を、よく聞いた。

それから何十年か経て、そんな言い回しを聞くこともなくなった。それは、もはや「そんなことは当たり前」と認識され、それを意識的に「問題として俎上に載せる」こともなくなったからではないのか。あるいは私が隠居生活に片足突っ込んで、知らないだけかもしれないが。

あれから何十年か経った分、教える環境、育てる環境もアップデートされて然るべきで。気づけば当時より格段に、仕事ができる人の頭の中(思考プロセス)は、オンラインツールに乗っかって言語化され、可視化され、みんなに共有される情報として社内に流通する環境になっている。昔メールのCcに入っていたら読める、入っていなければ読めなかったやりとりが今は、Slackだの、プロジェクトマネジメントツールだのにアーカイブされて社内の共有頭脳になっている。

使える素材は、今やふんだんにあるのではないか。それが置きっぱなしになっていて、せわしなく流れ流れ、そのまま不可視の場所へと眠り落ちている気もする。

あるいは、研修や業務マニュアルの整備、ナレッジマネジメントシステムの導入・活性化など大仰なHR施策に絡み取られて、あるいはノウハウの行き先が生成AI活用に一足飛びして、「そっちでやってることだから」というので、現場で「仕事のやり方を実際にやってみせる」が減退していないか。

しかし、それとこれとは別物だ。現場仕事の泥くささや面白みがきれいにウォッシングされ、汎用性の高さと引き換えに脱文脈化されたフレームワークなりチェックリストなりに収斂され、現場の個々人の能力の発展や、仕事のやりがいの活路は行き先を見失っていないか。極端に走らず、組織活動に人も技術も活かした良い按配というのを見定めながら、現場の人材育成が健やかに発展する一年になったらいいなと思う。教える側・育てる側の効果的なやり方には、ずいぶんと伸びしろがあるのではと。

年末年始には、年賀メールをしたためながら、いっぱしにさせてもらったなぁと先輩がたへ感謝の念が募る。こういう恩恵って直接対面していた当時は意識が及ばなくて、もうすっかりその職場を離れ、その人と年に一度も会うことが叶わなくなってから、一緒に過ごした日々の貴重さが実感される。もう二度と会うことも、連絡をとることすら願うのをやめた人に、静かに感謝することも少なくない。自分がこういうものの見方ができるのは、あの人のおかげだな。私のあの習慣が今も続いているのは、あの人のおかげだと。その届かぬ感謝が、これからますます大勢を占めていくことも心得ている。私も今年は50歳になる。母は享年59歳。自分が母親と同じ十の位になるとは、不思議だ。

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