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2025-12-16

ちまたの野生な役割とフォーメーション考

昨日の昼下がり、東京は赤坂TBS近くのオフィスビル地下街でコーヒーを飲んでいると、隣りの二人席をおばさま2人が確保しに来た。うち一人が少し先へ向けて「そっち座る?」と声をかけた。雑然と混みいった店内だが、ちらと目線の先を見ると、別の二人組が離れたところで(ぎり)二人席を確保して着席したところ。

きっと4人で座りたいだろうと思い、私はテーブルの上の本やらノートやらを片づけて席を立ち、最初の声の主に「どうぞ」と声をかけた。「まぁ!いいの?」、「はい、そろそろ出ようと思っていたところなので」。

彼女は「ちょっとちょっと、こちらのお姉さんが席を譲ってくださるって!」と、向こうの二人組に声をかける。呼び寄せられる二人、見守るもう一人、もてはやされる私。できるだけ早く失礼しようとリュックに急いでものをしまい、コートは着ずに手にもって出ることにして、「どうぞどうぞ」と出口に向かおうとする。

すると去り際、最初の声の主がテーブルの上に置いた冊子のようなものを見せ、「ひるおび。私たちね、今これを見てきたの」と満面の笑顔で教えてくれた。さんぜんと輝くコミュ力、私の顔はほころぶ。

まぶしい光線。そう言えば、とびきりお洒落な装いにばっちりメイク。特別な一日なのだ。0.5秒で正気を取り戻し、その熱冷めやらぬうち、たくさん4人でおしゃべりしたいだろうと思い、「まぁ、そうですか。では、ごゆっくり」と席を促し、ささと失礼してきた。

「ひるおび」というのは、あれだろう。TBSでやっている平日お昼の帯番組というやつだろう。あれの観覧に行ってきた帰りということだろう。たまたま、その番組の冊子か何かを手に持っていたということももちろんあるだろうけれども、なんというかな、あそこで私に、うふふっと笑顔して「ひるおび。私たちね、今これを見てきたの」と一言はさめる愛らしさたるや。

私にはない、そういうの。深々頭を下げて、お礼を言って、きっと終わってしまうだろう。

でも4人集まると、ああいう人は自然ひとり入っているのが常ではないか?と思い立つ。そうして思い返してみると、中学、高校、短大時代、自分がよく行動をともにしていた4人〜8人のグループには、ああいう場面でああいうことを自然と言う子が、それぞれ確かに思い当たる。

また、それを踏まえて思い直すに。もし、ああいう場面に今の自分が4人グループ側の一員として遭遇した場合、誰もその役を果たさなかったら、私は「ひるおび」役を自分が買って出ているかもしれないなぁ、そうも思った。あれは役割なのだな、4人くらい集まったときに自然と組まれるフォーメーションのようなものなのだなぁと、なんかすごく学んだ気分になった。気分になっただけだが。

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