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2025-12-31

役に立つことに、意味がある

今年の夏に公開したスライドが、Speaker Deckの「2025年最も視聴されたスピーカーデッキ・プレゼンテーション」に選ばれていた。わたしは自分が作ったスライドをネットで共有したいとき、ここ数年はSpeaker Deckというスライド共有サービスを使っている。そこが年末に公開したブログに、自分のスライドが紹介されていて驚いた。

Speaker Deckは英語を母語としたサービスだけど、上の一覧で取り上げられた他のスライドを見てもfreeeとかメルカリとかLINEヤフーとか日本語のものばかりなので、国別とか分野別とか、実はいい感じに出し分けていて各国に大勢の「最も」さんがいるのかも?とか、そもそも日本語が母語のユーザーが圧倒的に多いサービスなのかも?とか、何個のうちの「最も視聴」なのかもよくわからないのだが。

隠居生活に片足つっこんだような個人事業主のスライドを、こんなところで年末に取り上げてもらえるとは、お情けでもご褒美でもありがたい気持ちだ。

これをきっかけにX(旧Twitter)で話題にしてくださる方もあって、夏には届かなかった人たちが今、「40代以上に共有したい中年期のキャリア論」を見にきてくれている。ここ2日くらいでビュー数が1万以上も増えて、全部で6万ビューを超えた。インターネットすごい。

盆暮れ正月、すこし長い目で自分のキャリアを考えてみるのに、ちょうどいいかもしれない。何かに役立ててもらえたら、それこそが最も嬉しいことだ。

振り返ってみると、今年はキャリアカウンセラー的な研鑽を積む機会が多めだった。背景事情を明かせば、今年がMBTI認定ユーザーの、来年が国家資格キャリアコンサルタントの5年おき資格更新時期で、それぞれに何十時間と講習を受講して課題を修めねば資格剥奪というタイミング。どちらも何度目かの更新なので、1年くらい前から受講スケジュールを組んで取りかからないと、後がつらいことを承知していた。

こういうのは研鑽の契機ととらえて前向きに臨むが吉である。資格更新講習の他にも、興味を覚えたあれこれを本読んだり勉強しているうち、5年前とはまた異なる自分の関心事に気づいたり、自己洞察を深める機会にもなった。上のスライドに込めた生涯発達心理学も、そのうちの一つ。ミドルシニア層のキャリア支援というテーマに関心を深めたのは、ここ数年のことだ。

興味に任せてあちこち行き来していると、頭の中であれとこれがつながって、ぐんぐん理解が進むような、どんどんとっ散らかっていっていくような。今年は脳内でよく迷い道したなぁと振り返る。

インプット活動って、自分の身の丈やキャパシティにあわせてインプット量も内容も調節しないと、全然ものにできない。

自分なりに咀嚼する、自分なりの理解や考えを整理する、自分の持ち場でどう役立てられるのかを考える。考えたことを人に伝えてみる。考えたことをやってみる、自分のうちに編み込む作業がないと、何ともならないのだった。そんな当たり前のことを改めて身に染みて再確認したのも今年の収穫か。身の丈、身の丈。

終わりに、今年読んでよかった本の筆頭格、東畑開人さんの新書「カウンセリングとは何か」から一節を。

これは「ラポールについて」というミニコラムの中の文章。「ラポール」というのは、カウンセラーと相談者の間で結ばれる信頼関係のことで、カウンセリングに携わる人なら最初に教わる基本的な概念だ。

二人の信頼関係を築くことなしにカウンセリングは深まりようがない。まずは信頼関係を築くこと、それを基盤にしてカウンセリングは次の段階に進められるのだというふうに教わる。

最近だとビジネス文脈でも、上司の部下への関わり方、1on1のノウハウなどで「まずはラポール形成が大事」なんて文句を見聞きした方もあるかもしれない。

じゃあ、入り口でどうやって信頼関係を築くのだ?というくだりで、私はこの文章に大いに賛同した。

通常それはカウンセラーが受容的で、共感的な態度をとることで成立すると書かれているのですが、僕は違うと思っています。「役に立つ」「このカウンセラーは使える」、この感覚があってはじめて、ラポールは生まれてきます。そのためには実際に役に立つアセスメントをし、介入をする必要がある。信頼というのは、人柄とか、人徳とかから生まれるわけではないのが大事です。的確なアセスメントと具体的な対応から生まれる。

役に立つこと。最初からきちんと「役に立つ」、使い終えたら潔く「過去の人になる」。公私を問わず、私はそういう潔さでやっていきたい。今年は今年、来年は来年の。そして今年ご縁があった方に、心からの感謝を胸にして年を越します。良いお年をお迎えください。

* 東畑開人「カウンセリングとは何か 変化するということ」(講談社現代新書)

2025-12-24

20年で激変、「心の病」の最も多い年齢層

企業の人事担当者に訊いた、あなたの社内で「心の病」の最も多い年齢層は何十代?という調査がある。日本生産性本部が報告しており、調査対象者は、新興市場を除く上場企業の人事担当者(有効回答数171社、回収率6.1%)と限定的なのだけれど、ここ20年の激しい経年変化を眺めると、これは...と注意が向く。先月に見たものだが、今年の気になり、今年のうちに。

社内で「心の病が最も多い年齢層」の経年変化(画像をクリックすると拡大表示する)

Agegroupwiththehighestincidenceofmentali

グラフの上に、角を丸くした四角い箱を3つおいて時期を分けてみた。ここ20年ほどの動きを俯瞰すると、下の3つに分けられそうなのである。

2002年〜2010年:30代が圧倒的な最多
2012年〜2019年:10〜40代が平準化する
2021年〜2025年:10〜20代が急進

今現在に注目すると、社内で心の病が最も多い年齢層は「10〜20代」が最多。前回の43.9%ほどではないが、37.6%と依然として高い。「10〜20代」と回答した企業の割合は、2014年調査と比較して、2倍の水準(18.4%→37.6%)だ。

10〜20代に不調者が多い理由として、レポートはこのように見解を述べている。

コロナ禍中に入社した若年層がテレワーク等で対人関係や仕事のスキルを十分に積み上げることができない中で、成長実感や達成感を持ちにくく、孤立感や孤独感を感じやすくなっている可能性

もともと高かった30代の不調者が多い理由としては、こんな記述。

仕事の責任は重くなるが管理職ではないという“責任と権限のアンバランス”

50代については、こんな記述。

50代との回答は10.0%と低水準だが、過去最高値となっているため注意が必要

自分が実際に、それぞれの年代でどういう接点をもって関わっているか、関わっていくか、地に足つけて考えたい。私はマスではなく、1対1か少数で人と関わって仕事をするので、何歳だからどうこうという見方を中心に置かないのを常としているけれども、わきまえておきたい情況ではある。

1対1で世代違いの若い人と話し込んでいると、やっぱり、自分が(相対的には)老輩なりの助言なり励ましを手渡して、それが彼・彼女の助けになっていることはあるっぽいなと思う。世代差がある人と、できるだけ関わりを断つこと、関与を差し控えることに努めるのではなくて、うまく関わっていくこと、関係を築いて手渡せるものを有意義にしていくことが肝要なのだろうなと思う。老害老害、言ってないでさ。

あと、われらミドルシニア層のキャリア支援活動は、自分ができることを研鑽して増やしていきたい。なんとなく、そんな年の瀬なのだった。

※上の画像のPDFファイルは、リンク先のSpeakerDeck(スライド共有サービス)にて。

※もとの調査レポートは、下のリンク先で。
第12回「メンタルヘルスの取り組み」に関する企業アンケート調査概要┃公益財団法人 日本生産性本部(2025年11月10日)

2025-12-21

人を支援する仕事の報酬に「あなたのおかげで」を期待するのは御法度

先日久しぶりに、山をくだっていってか谷をあがっていってか煌びやかな恵比寿の街へ出向いていって、同世代アラフィフの気の置けないおしゃべりに参加させてもらった。まぁとめどなくあれやこれやくっちゃべって帰ってきたのだが、ひとネタ後日まで考えいったことをここに記しておきたい。

仕事のやりがいでいうと、よく「自分がやった仕事が人の役に立って、ありがとうって言われると嬉しい」というのが挙がる。これは素朴にして絶大、ほんとうに多くの仕事に共通するやりがいだと思うし、そういうことを仕事のやりがいとして実感するところに人間の美しさも覚えるというものだ。

一方で、こと「人を支援する仕事」を生業にすると、これはまったく御法度となる。

30歳を過ぎた頃に出会った恩師に学んだのは、人を支援する仕事をする人間が「ありがとう」を期待して仕事しては、まともな仕事はできないということ。

「あなたのおかげで治った」とか「あなたに会えたから今の自分がある」なんて感謝を、内心でも相手に期待しだしたら基本姿勢が崩れる。

逆の立場にたったら、ぱっとわかるだろう。自分が弱っているときに、はなからそんなことを期待して自分に関わってくる人の世話になりたくない、信用ならん、と動物的に拒否反応が芽生えるだろう。何がまずいって、相談者に対する「カウンセラー側の依存心」が認められるからだ。

相談者本人が「自力で快復できた」「自力で問題を解決できた」と思い、場合によっては「カウンセラー、役に立ったかな?」と思えるくらいでちょうどいいことだって少なくない。その時「私がいたから!」とか、くどくど言い出したら、そりゃもはやコントである。言わないまでも、内心でそのことにもやもやが募り過ぎるのは自分の側のプロとしての至らなさなのだ。

これから、カウンセラーがいなくても自立的にやっていけそうだ。そう思う相談者を快く送り出せること。相談者に依存心をもつ自分を認めたら、それはそれで静かに発見して、認めて、自分自身でいさめられること。相手の船出を気持ちよく励まし送り出せること、その役割を全うできないといけない、自分を冷静にモニタリングしてマネジメントできないといけない。

これは人を支援する仕事に就く人が、陥りやすい落とし穴でもあるから、落とし穴、あるぞあるぞと肝に銘じて、自分も落ちる落ちるぞと声をかけながら、そこを突破する足腰を鍛えないことには始まらない。私は大丈夫とか思っているようでは、それこそ危ういし、いつもは大丈夫な足腰を鍛えても、常に自分が平常なわけではないから、そこへの目配せも必要だ。

人の仕事には、いろんなやりがいがある。自分の仕事の一切が「ありがとう」のフィードバックない仕事ではきつい気もするが、そういう仕事もあれば、そうではない仕事もあるバランスがとれれば、けっこううまくつきあっていけるのかもしれない。自分が今、どっちの仕事をやっているのか自覚的になれれば、自分の仕事に向き合うスタンスもコントロールしやすくなるかもしれない。

もともと現場のプレイヤーをしていたが、歳を経て経験を重ねて、チーム単位であれプロジェクト単位であれ現場のマネジメントをしていく段になり、部下や後輩を支援する仕事領域を預かるようになってきた人にも、この2つを分別して関わるような意識が、いくらか時々の振るまい方選び、ストレス軽減の助けになるかもしれない。すごく共有するのが難しいけれども、とりあえずメモ。

2025-12-20

20年前に50代だった人たちの今

正確に言うと19年前なのだけれど、ざっくり言うと20年前(2005年)から厚生労働省が毎年追っかけ調査している「中高年者の生活に関する継続調査」というのがある。その第20回レポート(2024年調査分)が、このほど公表された。そこから私がとりわけ注目した個人的トピックを取り出した(だけの)スライドを、下のリンク先にて共有。3枚だけなので、酒の肴、喫茶のお供にでもなれば幸いです。

20年前に50代だった人たちの今┃SpeakerDeck(スライド共有サービス)

2005年時点で50代(50〜59歳)だった全国の男女を対象に、毎年11月に郵送で調査票を送って、本人に回答を送り返してもらっているというもの。最新レポートは、昨年2024年11月の回答。調査対象者は、ざっくり70代(69~78歳)になっている。

「健康・就業・社会活動について、意識面・事実面の変化の過程」を訊いて、先輩の暮らしぶりに学ぼうというもので、我らアラフィフのための調査といっても過言ではない。第1回調査から第20回調査まで集計可能な14,980人の回答がまとめられている。

取り上げた3トピックのポイントをざっくり挙げると、


1枚目:中高年の「世帯構成の変化」
50代では「親なし子ありの世帯」が首位(39.7%)だったが、60代のうちに「夫婦のみの世帯」に首位が交代。70代では「夫婦のみの世帯」が半分近く(48.0%)に達している。

2枚目:中高年者の「就業状況の変化」
この19年間で「正規の職員・従業員」が激減(39.0%→2.1%)した一方、「仕事をしていない」が激増(17.9%→65.9%)の大転換

3枚目:中高年が「日頃から頼りにしている人」
1位「同居している親族」、2位「同居していない親族」、3位「友人」。10年前と今とを比較すると、「同居している親族」は減少傾向、「同居していない親族」が大幅アップ、「友人」は微減ながら大きな存在(女性で47.4%、男性で35.9%)。


感想を一言でいうと、友だちって大事だなぁ!です。

さらに詳しく見たい、他の調査結果も見たいという方は、下のリンクから原本レポートをPDFファイルで見られます。

第20回中高年者縦断調査(中高年者の生活に関する継続調査)┃厚生労働省(2025年12月17日)

2025-12-16

ちまたの野生な役割とフォーメーション考

昨日の昼下がり、東京は赤坂TBS近くのオフィスビル地下街でコーヒーを飲んでいると、隣りの二人席をおばさま2人が確保しに来た。うち一人が少し先へ向けて「そっち座る?」と声をかけた。雑然と混みいった店内だが、ちらと目線の先を見ると、別の二人組が離れたところで(ぎり)二人席を確保して着席したところ。

きっと4人で座りたいだろうと思い、私はテーブルの上の本やらノートやらを片づけて席を立ち、最初の声の主に「どうぞ」と声をかけた。「まぁ!いいの?」、「はい、そろそろ出ようと思っていたところなので」。

彼女は「ちょっとちょっと、こちらのお姉さんが席を譲ってくださるって!」と、向こうの二人組に声をかける。呼び寄せられる二人、見守るもう一人、もてはやされる私。できるだけ早く失礼しようとリュックに急いでものをしまい、コートは着ずに手にもって出ることにして、「どうぞどうぞ」と出口に向かおうとする。

すると去り際、最初の声の主がテーブルの上に置いた冊子のようなものを見せ、「ひるおび。私たちね、今これを見てきたの」と満面の笑顔で教えてくれた。さんぜんと輝くコミュ力、私の顔はほころぶ。

まぶしい光線。そう言えば、とびきりお洒落な装いにばっちりメイク。特別な一日なのだ。0.5秒で正気を取り戻し、その熱冷めやらぬうち、たくさん4人でおしゃべりしたいだろうと思い、「まぁ、そうですか。では、ごゆっくり」と席を促し、ささと失礼してきた。

「ひるおび」というのは、あれだろう。TBSでやっている平日お昼の帯番組というやつだろう。あれの観覧に行ってきた帰りということだろう。たまたま、その番組の冊子か何かを手に持っていたということももちろんあるだろうけれども、なんというかな、あそこで私に、うふふっと笑顔して「ひるおび。私たちね、今これを見てきたの」と一言はさめる愛らしさたるや。

私にはない、そういうの。深々頭を下げて、お礼を言って、きっと終わってしまうだろう。

でも4人集まると、ああいう人は自然ひとり入っているのが常ではないか?と思い立つ。そうして思い返してみると、中学、高校、短大時代、自分がよく行動をともにしていた4人〜8人のグループには、ああいう場面でああいうことを自然と言う子が、それぞれ確かに思い当たる。

また、それを踏まえて思い直すに。もし、ああいう場面に今の自分が4人グループ側の一員として遭遇した場合、誰もその役を果たさなかったら、私は「ひるおび」役を自分が買って出ているかもしれないなぁ、そうも思った。あれは役割なのだな、4人くらい集まったときに自然と組まれるフォーメーションのようなものなのだなぁと、なんかすごく学んだ気分になった。気分になっただけだが。

2025-12-08

人間は心の脆弱性に対して無防備で

話題の東畑開人さんの新書「カウンセリングとは何か」の中に、カウンセリングが求められる現代の像、社会の変化について言及するところがあった。

近代以前、お互いが名前を知っているような小さな村落で暮らしていた頃は、宗教の役割が大きかったし、治療においては霊的な治療、社会的支援といった「問題を外在化する」治療(というか介入)アプローチが機能しやすかった。

これが近代以降、科学が発展してくると、現代医学の身体的治療、カウンセリングといった「問題を内在化する」治療アプローチが、機能しやすくなってくる。

社会や他者、霊や神の差配といった「外側」に原因の所在や治療・介入策を求めるのではなく、当の本人、個人の皮膚の「内側」の身体や心に治療すべき箇所を見出す。

表に整理すると、下のような感じ。個人主義の現代社会では、カウンセリングを含む「問題を内在化する治療」が、打ち手として機能しやすい。

医療人類学者アラン・ヤングが対比した2つの治療アプローチ(画像をクリックすると拡大表示する)

Externalandinternaltherapy

個人主義がうたわれ、「自分の生活スタイルや人生行路を自分で選んで決めていく」個人の生き方が尊ばれて久しい。となれば、それと引き換えに「自分の答えの出し方、それに納得して生きていく孤独と自立」が個人課題として立ち上がってくるのは当然のなりゆき。

そのわりに、人間は心の脆弱性に対して極めて無防備なまま。最近いろいろ学び直していても、そのことに思いふけることが多い。

この本の最終章に、ふたたび第1章に書かれていた上の話題に帰ってきて、一冊の本を結んでいたのも印象的だった。

神がいなくなり、王も貴族もいなくなる。僕らは自由な個人になった。その分、世界はひどく不確実になり、流動的になった。だからこそ、人は身分でも、宗教でもなく、自分の物語によって自分を証明することになり、人生行路を決めていくことになる。これが個人です。こうして生まれた個人たちの集合体として社会を作っていく。

「これが個人です」という言葉が、「個人主義」の現代社会を背景にして、ずしんと脳内に響いた。

著者は最後の最後、こう締めくくっている。

カウンセリングとは、近代の根源的なさみしさの中で、人が可能な限り、正直に、率直に、ほんとうの話をすることを試み続ける場所である。

私は「カウンセリングとは」を外しても、こういう場所が社会のそこここに、広くも大きくもなくていいから一人ひとり個々人の身近にあることが大事だろう、と読んだ。著者も、想いをともにしているように読めた。

私たち昭和生まれの現役世代の中には、全員とは言わずとも、親世代、祖父母世代、あるいは自分より少し上の先輩たちから、こういう場所を与えてもらった人が少なくないと思う。可能な限り、正直に、率直に、ほんとうの話をすることを試み続けられる場所。

そうした人との関わり方を上世代が与えてくれた営みを大事に受け継いで、次の世代に引き継いでいかなきゃいけないのではないかって、最近よく思う。「若者に対して老害は働きたくないから」といって、あらゆる継承を無責任に自分世代で断ち切ってしまうことなく、自分が先代から与えてもらった(自分が)良い・素敵・楽しい・面白い・美しいと思うものを、ここで改めて振り返って、バトンを渡してみること。

先代より、もっと前から脈々と伝承してきた人の営みとか、場とか、人づきあいといったものを次の世代にも伝えていくことって、難しいからこそメディアにはできないことで、目の前で直接関わる人間にしか、腰をすえて長く関わっていく人間にしかバトンを手渡せないものじゃないかなと。それは、ある世代とある世代にはさまった世代の役目として中年が果たしてきた大事な務めではないかと。老害回避が全盛の世の中を前にして、あまのじゃくに思ってしまうのだった。

まずは伝えてみて、見せてみて、共有してみて。それから、それをどう取捨選択するか、どう応用したり断ち切るかは、若い世代が決めたり試行錯誤することであって、引き継ぎ元の自分たちが決めることではないのではないかなぁと。そんなことを思いながら、いくらか厚苦しく、自分なりに細々若い世代と関わっている。

* 東畑開人「カウンセリングとは何か 変化するということ」(講談社現代新書)

「生成AIに代替される仕事」という話題が苦手な理由

「生成AIに代替される仕事」という話題が苦手な理由について考えてみた。

職業という一般名詞単位で未来展望する粗さ

上図のようなのが10年前も今も、メディア記事やSNSで話題になる。見かけると、ねぇ、みんな、これ「営業」とか「人事」とかで仕分けしているけれど、これって職業名にせよ部署名にせよ、相当に大雑把な括りだし、相当に長い期間かけて意味解釈を漬けこんだ既成概念の固まりだし、こんな雑な枠組みで鷲づかみした「一般名詞」で未来像を展望しようだなんて取れ高ゼロじゃない?!と、見ず知らずの人に問いかけたくなる病を患って久しい。ここで列挙している「仕事」って、相当に一般化を遂げた、ほとんど何も特定できていないレベルの概念ワードだと思うのだが。

確かな収穫を得たいなら実直に帰納的アプローチで、まずは既成概念の固まりたる「職業」ラベルを解体して、営業でも人事でも、”自分とこ”の個別具体の現場で、これは生成AIに代替できる、これは部分的に代替できる、これは代替できない、これは代替できるけれど代わりにこういう仕事や役割が人間の仕事として必要になる、というふうに仕分けしていかないと始まらない。なのに、大雑把な括りの表層のところで5年10年とうろうろしていても不毛では、と思ってしまう。

広く世の中に共通の「職業」が再構成されて言葉が普及する道のりを考えると、まずは個別具体が各職場、各職業で既存の職業ラベルが解体されて、生成AI導入環境で段階的に再編成されて、試行錯誤の結果に、まぁこういう括りだよねという一般共通見解が社会全体にわたって束となって見えてきたときに、新しい職業分類が自ずと見えてくる、そういうものではないか。

1)今使われている既成概念の固まりたる「営業」だとか「人事」だとかの一般名詞を解体して、
2)「職業」を構成する要素(タスクや作業単位、果たす役割、発揮される能力など)に分解し、
3)分解されたものの、どれが生成AIに代替されるのか?完全にか、部分的にか整理をつけて、
4)そうしたとき見えてくる「人間が続ける仕事」、その変化から生まれる「人間の新たな仕事」は何か抽出し、
5)職場でも職業でもいいが個別具体の、“自分とこ”で「一人の仕事の預かり方」というのが、いろいろと実現されていった事例が千、万を超えた時に初めて
6)全国的にかグローバルにかで束ねた「職業」としての再編成、一般名詞化を試みられるというものであって、

などと、こういうのにぶち当たっては云々考えこんでしまう。えぇ、わかっているのです、そんな話はしていないんだと。わかっているので、はぁまたやってしまったと落ち込むのを、かれこれ何十回も繰り返しているのです。ようやく、ここから抜け出して先に行けそうなので、この駄文を残していくのです。何ヶ月ぐるぐるしていたのだか...。これも脱皮の一環か。

* 話題の一例(Xのポスト)

2025-12-04

「脱皮」というのは「自分が大きくなること」ではなくて

一つ前に書いた父娘の奈良旅行、2日目は父と別行動をとって私は京都へ移動し、お能の舞台を観に行ったわけなのだが。そこで自分が受け取ったものは、まだうまく言葉に表せない。それは私がお能について門外漢であるためというよりも、私が今の自分をうまく咀嚼できていないからという理由のほうが大きいかもしれない。

そんなときに急いて、せっかく自分が感じ取ったものに下手な言葉をあてがって解釈を歪めたり矮小化したくはない。何かに言葉を与えれば、良くも悪くも意味を規定してしまう。その恐ろしさを、ここひと月ほどはSNS画面ごし深々と思い耽ることが多く、途方に暮れていた。それも、うまく言葉にできなさと通じている。

前置きが長すぎるが、わからないものはわからないままに、軽率に言葉を与えてしまわないように気をつけながら、いくらか今回の観能の記録を言葉にして書きとめておきたい。

というのは、お能についてまったくど素人ながら、本番のさなかに二度ほど強烈に目頭が熱くなったからだ。

その身体反応を、まずは記述してみよう。大曲「道成寺」というのは「静と動」のメリハリが際立つドラマティックな曲だが、目頭を熱くした一度目は前場の「静」、二度目は後場の「動」たるシーンのさなかだった。

前場は、山場の「乱拍子」に入るところ。こちらは涙の理由に、一応自分なりのつかみどころがある。どう書いても軽薄のそしりをまぬがれないので言葉にするのがためらわれるのだが、ひとりの能楽師の人生、一生の営みに想いを馳せて、じーんと来たのである。

言い訳の糸口があるとすれば、私は人のキャリアを専門にしているので、能楽師という極めて特殊な勤めであれ、現代に生きるその個人が生涯をかけて研鑽し、勤めを果たし続け、後進を育てて、何百年という悠久の営みを背負って何十年と、伝承を担ってきた生きざまに心を寄せるぐあいが、自ずと深くなる。人に理解される期待もないが、嘘ではないのだから仕方ない。

「道成寺」のような大曲であると、能楽師お一人ひとりにとって、これまでこれを勤めた一つひとつの舞台経験が、ご自身の人生の節目としてしっかり刻まれているものだろうと察する。何かそれを思いながら、舞台その人の熱演に向き合っていると、自分も共鳴して心に覚えるものがあるのだった。

もう一つの極まりどころは、後場でシテが橋がかりに立って、真っ白い能面をやや上向きかげんに、上から注がれる光に照らされている横顔を観ていたとき。

こちらのほうは、途方に暮れるほど涙の理由につかみどころないまま終演し、能楽堂を後にして晩ごはんの時も、なぜ私の目頭はあのとき熱くなったのだろうかと考えていたが、キーワードの一つも思い浮かばなかった。当てる言葉がないのか、私が知らない言葉なのか、体験と言葉の間に私のなかで開通工事がなされていないのか。

それが翌日たまたま、又いとこ夫妻とお話ししているときに、そのすぐ後の場面のことが話題になって、言葉のほうからやってきた。シテが橋がかりのほうから左奥の柱へ巻きつくところ、あのシテの動きは蛇の「脱皮」を意味しているのだと教わった。涙の理由を解釈するためのヒントを、与えてもらえた気がした。

気がしただけ、まだそれだけだ。ただ数日おいて、ぽっかり思い浮かんだことで言えば、脱皮というのは「自分が大きくなること」ではなくて、「自分の小ささを認める」ことに起点があるのかもなぁということ。

私はここのところ、いよいよのSNSの病的ありように恐怖して、ひとりの著者が心して書き上げた厚ぼったい名著を読む時間に身を寄せていた。だけど、それにはそれの副作用もあって、そればかりしていても頭でっかちになって自分の身体がおいてけぼり、自分の人生もおいてけぼり。現実と思念が乖離しすぎて、思考ばかり肥大化していくというか、知らぬうち世捨て人化していくというか。まったく不健康なのだった。

自分の身の丈を心得て、自分の許容量でインプットし、今ここに生きる自分ができること、やるべきと思うことをせっせとやっていくこと。その後にインプットして、またやることをやってみてって生きていかないと、何もしないで終わってしまう。自分の毎日が、自分の人生になっていく。行ったり来たりする中に「脱皮」の機会が巡ってくる。

そんなすっきり感を覚えて、自分の足場に健やかな現実感覚を取り戻せたのは、私にとって顕なる旅の収穫になった。そのことを、ひとまず書き残しておく。

2025-12-03

父は奈良へ、私は京都への2泊3日父娘旅行

秋の暮れ、父と2泊3日の奈良旅行へ出かけた。といっても今回の旅は2泊目を別行動にして、父は奈良に住む伯父(父の兄)夫婦の家でもう1泊、私は奈良から京都に移動して又いとこの能楽を観賞(で京都泊)、3日目には父に京都まで一人で戻ってきてもらって(向こうでうまく送り出してもらえれば、乗り換えなし1本で着く)近鉄京都駅で落ち合い、一緒に新幹線に乗って東京に戻ってくるという旅程だ。

能楽師の又いとこから大曲「道成寺」を勤めるので、京都だけど良かったらとお誘いいただいたとき、ぜひこの舞台は拝能したいと思うのと同時に、「いいこと思いついた!」とひらめいたのだ。

ちょうど1年前に父娘で訪ねたときは、京都奈良旅行ながらメインは京都滞在だった。奈良の伯父夫婦のところにも足をのばしたのだけど、旅の最終日の時間的な都合で、伯父宅で1時間ほど、ランチに出て1時間ほどかで慌ただしく失礼してしまった。伯父夫婦にも父にもわるいことをしたなという心残りがあり、今回はそのリベンジ企画である。

​​伯父と父は年子で、兄弟が多い中ではわりあい身近な関係だったようだ。社会人になってからも、現役時代は関西出張の折によく奈良のお宅に泊めてもらったそうで、奥さんとも仲良し。伯父夫婦と父なら水いらずと見当をつけた。

よわい八十を超え、遠方への一人旅はなかなか難しい。とはいえ、せっかく自分の足で歩けるのだ、ややこしい手配ごととターミナル駅の喧騒さえ突破できれば、後はどうにかなりそうでもある。ならば、厄介ごとだけこっちでささと片付けて、突破した先の旅を自分のペースで楽しんだらいい。「なにも東海道五十三次を歩いて行けって言ってるわけじゃないんだし、新幹線に乗れば目的地近くまですいーっと連れて行ってくれるわけだし」と屁理屈こねて親子旅に誘うと、父もまんざらでもない様子で首肯する。

さて、今回は東京駅で待ち合わせ。早速、もともと伝えておいた待ち合わせ場所を無視して「今、新幹線乗り場に着いたよ」と電話してくる父。はいー、5分で行くから、そこで待っててください。先へ、先へと行けるところまで行っちゃうのは想定範囲内すぎて驚かない。ウォーリーを探すのは苦手だが、東京駅でも新宿駅でも僅かなヒントを頼りに父を見つけるのは得意だ。

無事に東京駅構内の新幹線乗り場で見つけて、一緒に切符を買って、父は駅弁と缶ビールを買って、新幹線に乗りこんで旅の始まり。ごきげんにお弁当をたいらげ、故郷の京都駅で下車すると、今度は近鉄線に乗り換えて奈良へと向かう。平城京跡のそばにあるホテルにチェックインすると早速、温泉とサウナへ出かけていった。私は近所の散策に出る。この日は気兼ねない親子旅。

2日目は朝の早いうち、私が「京都へ発つ前に東大寺に行きたい」と申し出て、早々に宿をチェックアウトして出発。奈良公園の前でタクシーを降りると、鹿にまみれて時折アタックされながら(手土産が入ったお菓子の紙袋にかぶりつかれた)東大寺の大仏殿まで徒歩でのんびり向かう。

それにしても天気がいい。風もなく穏やかな陽気。いちょうの黄色と、もみじの紅色が快晴の青空に映えて、遠くに山々が連なる景色はこの上なく開放的だ。

本堂に向かう道中には石段がつきものだが、たいてい一段ごとの段差が大きい。西友のエスカレーター一段ぶんの2.5倍はありそうな縦幅。手すりのない所はさすがに身の危険を感じて、昇る時は父の一段後ろ、降りる時は父の一段前につけ、腕を横にのばし、肩でも腕でも手すり代わりにいつでも使えるようにして一段ずつ慎重に行く。しかし実際に父が体勢をくずして全体重がのっかってきたとき、もつか、もたないよなぁ、共倒れか、よくて衝撃の負荷分散かと思いながら無事に目的地へ。

大仏殿では、前と変わらず壮大な大仏さまを見上げて拝んだ。私が生まれる前からずっとそこに在って、私が去った後にもずっとそこに在るのだろう存在を眺めるのが私は好きだ。ふだんから樹齢何百年という大木の下を、習慣的に往来しながら暮らしているのは、そういう理由である。

東大寺を後にすると、伯父の家の最寄り駅まで移動。伯母(父の兄の奥さん)が車で迎えにきてくれて、父がお世話になりますと深々ご挨拶。数点の「父がやることなんですけれども、忘れていたら声をかけてやってください」メモを伯母に手渡して一つずつ説明すると、快く引き受けてくださった。あとは丸一日、足が不自由なので家で待っている伯父と、3人で水いらずだ。

車に向かう伯母と父の後ろ姿を駅の改札で見届けると、私は再び近鉄線に乗りこんで京都に向かった。私の旅の話は、また別に、いくらかでも言葉にして書き表せたらいいな。

あけて3日目は、父にも伯母にも、13時半までを目安にして京都駅に戻ってきてほしいと伝えておいた(東京に戻ってから父が帰宅ラッシュに巻き込まれないための時刻)。加えて、京都に向かう電車に乗り込んだ時に、どこそこを今出たでも、京都駅に何時に着くでもいいから、LINEなり電話なりで一報入れてくれと頼んでおいたが、13時をまわっても一切電話が鳴ることなく、LINEの通知もなく過ぎた。

行きの東京駅と同じく、連絡ないまま「今、京都駅着いたよ」と電話が鳴るのは想定範囲内、困っていなければいいのだが。で結局、本当に「今、京都駅着いたよ」と、着いたときに初めて連絡が入って、笑ってしまった。ともかく無事に帰ってきて時間通り落ち合えれば、こちとらノーストレスである。不慣れな近鉄京都駅でも、半径数十メートルくらいに目線をビーッと投げて、父を見つけた。なんだろうな、あの人混みの中でも親を発見できる能力というのは、人が持つ野性の力なのだろうか。

柱に寄りかかっている父に声をかけると、父もほっとした表情を見せた。兄弟げんかしなかった?電車は座れた?何食べてきたの?ゆっくりおしゃべりできた?と、お姉ちゃんみたいな、お母さんみたいな心持ちでいくつか簡単な質問をふってみると、まずまず好ましいひと時を過ごせたようで、ほっとした。何を話したのか聞き出すような無粋な働きはしなかったが、遠方訪ねてきた甲斐はどうやらあったようだ。

京都駅には、昨日大曲の熱演を終えたばかりの又いとこが見送りに来てくれて、父とも再会。新幹線ホームまで上がって見送りくださっただけでなく、富士山側のグリーン券をさりげなくプレゼントしてくれたのに気づいたのは、乗車してから。粋が過ぎる!と心から平伏して、車窓越しにジェスチャーでお礼を伝えた。

新幹線が発車し、荷物を片づけ、おしゃべりして一息つくと、父が「みんな、よくしてくれてありがたいなぁ」と口にした。父「兄貴は足悪くしてるからなぁ」、私「だから歩けるお父さんが会いに行くんだよ」、父「そうだ、だから会いにいったんだ、金かけて。兄弟の義理やな」、私「そういうの、義理って言わないよ」、父「そうか、なんや、愛か」、私「そうだ、愛だ」と会話した。良い旅だった。

*Instagramの写真

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