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2025-12-04

「脱皮」というのは「自分が大きくなること」ではなくて

一つ前に書いた父娘の奈良旅行、2日目は父と別行動をとって私は京都へ移動し、お能の舞台を観に行ったわけなのだが。そこで自分が受け取ったものは、まだうまく言葉に表せない。それは私がお能について門外漢であるためというよりも、私が今の自分をうまく咀嚼できていないからという理由のほうが大きいかもしれない。

そんなときに急いて、せっかく自分が感じ取ったものに下手な言葉をあてがって解釈を歪めたり矮小化したくはない。何かに言葉を与えれば、良くも悪くも意味を規定してしまう。その恐ろしさを、ここひと月ほどはSNS画面ごし深々と思い耽ることが多く、途方に暮れていた。それも、うまく言葉にできなさと通じている。

前置きが長すぎるが、わからないものはわからないままに、軽率に言葉を与えてしまわないように気をつけながら、いくらか今回の観能の記録を言葉にして書きとめておきたい。

というのは、お能についてまったくど素人ながら、本番のさなかに二度ほど強烈に目頭が熱くなったからだ。

その身体反応を、まずは記述してみよう。大曲「道成寺」というのは「静と動」のメリハリが際立つドラマティックな曲だが、目頭を熱くした一度目は前場の「静」、二度目は後場の「動」たるシーンのさなかだった。

前場は、山場の「乱拍子」に入るところ。こちらは涙の理由に、一応自分なりのつかみどころがある。どう書いても軽薄のそしりをまぬがれないので言葉にするのがためらわれるのだが、ひとりの能楽師の人生、一生の営みに想いを馳せて、じーんと来たのである。

言い訳の糸口があるとすれば、私は人のキャリアを専門にしているので、能楽師という極めて特殊な勤めであれ、現代に生きるその個人が生涯をかけて研鑽し、勤めを果たし続け、後進を育てて、何百年という悠久の営みを背負って何十年と、伝承を担ってきた生きざまに心を寄せるぐあいが、自ずと深くなる。人に理解される期待もないが、嘘ではないのだから仕方ない。

「道成寺」のような大曲であると、能楽師お一人ひとりにとって、これまでこれを勤めた一つひとつの舞台経験が、ご自身の人生の節目としてしっかり刻まれているものだろうと察する。何かそれを思いながら、舞台その人の熱演に向き合っていると、自分も共鳴して心に覚えるものがあるのだった。

もう一つの極まりどころは、後場でシテが橋がかりに立って、真っ白い能面をやや上向きかげんに、上から注がれる光に照らされている横顔を観ていたとき。

こちらのほうは、途方に暮れるほど涙の理由につかみどころないまま終演し、能楽堂を後にして晩ごはんの時も、なぜ私の目頭はあのとき熱くなったのだろうかと考えていたが、キーワードの一つも思い浮かばなかった。当てる言葉がないのか、私が知らない言葉なのか、体験と言葉の間に私のなかで開通工事がなされていないのか。

それが翌日たまたま、又いとこ夫妻とお話ししているときに、そのすぐ後の場面のことが話題になって、言葉のほうからやってきた。シテが橋がかりのほうから左奥の柱へ巻きつくところ、あのシテの動きは蛇の「脱皮」を意味しているのだと教わった。涙の理由を解釈するためのヒントを、与えてもらえた気がした。

気がしただけ、まだそれだけだ。ただ数日おいて、ぽっかり思い浮かんだことで言えば、脱皮というのは「自分が大きくなること」ではなくて、「自分の小ささを認める」ことに起点があるのかもなぁということ。

私はここのところ、いよいよのSNSの病的ありように恐怖して、ひとりの著者が心して書き上げた厚ぼったい名著を読む時間に身を寄せていた。だけど、それにはそれの副作用もあって、そればかりしていても頭でっかちになって自分の身体がおいてけぼり、自分の人生もおいてけぼり。現実と思念が乖離しすぎて、思考ばかり肥大化していくというか、知らぬうち世捨て人化していくというか。まったく不健康なのだった。

自分の身の丈を心得て、自分の許容量でインプットし、今ここに生きる自分ができること、やるべきと思うことをせっせとやっていくこと。その後にインプットして、またやることをやってみてって生きていかないと、何もしないで終わってしまう。自分の毎日が、自分の人生になっていく。行ったり来たりする中に「脱皮」の機会が巡ってくる。

そんなすっきり感を覚えて、自分の足場に健やかな現実感覚を取り戻せたのは、私にとって顕なる旅の収穫になった。そのことを、ひとまず書き残しておく。

2025-12-03

父は奈良へ、私は京都への2泊3日父娘旅行

秋の暮れ、父と2泊3日の奈良旅行へ出かけた。といっても今回の旅は2泊目を別行動にして、父は奈良に住む伯父(父の兄)夫婦の家でもう1泊、私は奈良から京都に移動して又いとこの能楽を観賞(で京都泊)、3日目には父に京都まで一人で戻ってきてもらって(向こうでうまく送り出してもらえれば、乗り換えなし1本で着く)近鉄京都駅で落ち合い、一緒に新幹線に乗って東京に戻ってくるという旅程だ。

能楽師の又いとこから大曲「道成寺」を勤めるので、京都だけど良かったらとお誘いいただいたとき、ぜひこの舞台は拝能したいと思うのと同時に、「いいこと思いついた!」とひらめいたのだ。

ちょうど1年前に父娘で訪ねたときは、京都奈良旅行ながらメインは京都滞在だった。奈良の伯父夫婦のところにも足をのばしたのだけど、旅の最終日の時間的な都合で、伯父宅で1時間ほど、ランチに出て1時間ほどかで慌ただしく失礼してしまった。伯父夫婦にも父にもわるいことをしたなという心残りがあり、今回はそのリベンジ企画である。

​​伯父と父は年子で、兄弟が多い中ではわりあい身近な関係だったようだ。社会人になってからも、現役時代は関西出張の折によく奈良のお宅に泊めてもらったそうで、奥さんとも仲良し。伯父夫婦と父なら水いらずと見当をつけた。

よわい八十を超え、遠方への一人旅はなかなか難しい。とはいえ、せっかく自分の足で歩けるのだ、ややこしい手配ごととターミナル駅の喧騒さえ突破できれば、後はどうにかなりそうでもある。ならば、厄介ごとだけこっちでささと片付けて、突破した先の旅を自分のペースで楽しんだらいい。「なにも東海道五十三次を歩いて行けって言ってるわけじゃないんだし、新幹線に乗れば目的地近くまですいーっと連れて行ってくれるわけだし」と屁理屈こねて親子旅に誘うと、父もまんざらでもない様子で首肯する。

さて、今回は東京駅で待ち合わせ。早速、もともと伝えておいた待ち合わせ場所を無視して「今、新幹線乗り場に着いたよ」と電話してくる父。はいー、5分で行くから、そこで待っててください。先へ、先へと行けるところまで行っちゃうのは想定範囲内すぎて驚かない。ウォーリーを探すのは苦手だが、東京駅でも新宿駅でも僅かなヒントを頼りに父を見つけるのは得意だ。

無事に東京駅構内の新幹線乗り場で見つけて、一緒に切符を買って、父は駅弁と缶ビールを買って、新幹線に乗りこんで旅の始まり。ごきげんにお弁当をたいらげ、故郷の京都駅で下車すると、今度は近鉄線に乗り換えて奈良へと向かう。平城京跡のそばにあるホテルにチェックインすると早速、温泉とサウナへ出かけていった。私は近所の散策に出る。この日は気兼ねない親子旅。

2日目は朝の早いうち、私が「京都へ発つ前に東大寺に行きたい」と申し出て、早々に宿をチェックアウトして出発。奈良公園の前でタクシーを降りると、鹿にまみれて時折アタックされながら(手土産が入ったお菓子の紙袋にかぶりつかれた)東大寺の大仏殿まで徒歩でのんびり向かう。

それにしても天気がいい。風もなく穏やかな陽気。いちょうの黄色と、もみじの紅色が快晴の青空に映えて、遠くに山々が連なる景色はこの上なく開放的だ。

本堂に向かう道中には石段がつきものだが、たいてい一段ごとの段差が大きい。西友のエスカレーター一段ぶんの2.5倍はありそうな縦幅。手すりのない所はさすがに身の危険を感じて、昇る時は父の一段後ろ、降りる時は父の一段前につけ、腕を横にのばし、肩でも腕でも手すり代わりにいつでも使えるようにして一段ずつ慎重に行く。しかし実際に父が体勢をくずして全体重がのっかってきたとき、もつか、もたないよなぁ、共倒れか、よくて衝撃の負荷分散かと思いながら無事に目的地へ。

大仏殿では、前と変わらず壮大な大仏さまを見上げて拝んだ。私が生まれる前からずっとそこに在って、私が去った後にもずっとそこに在るのだろう存在を眺めるのが私は好きだ。ふだんから樹齢何百年という大木の下を、習慣的に往来しながら暮らしているのは、そういう理由である。

東大寺を後にすると、伯父の家の最寄り駅まで移動。伯母(父の兄の奥さん)が車で迎えにきてくれて、父がお世話になりますと深々ご挨拶。数点の「父がやることなんですけれども、忘れていたら声をかけてやってください」メモを伯母に手渡して一つずつ説明すると、快く引き受けてくださった。あとは丸一日、足が不自由なので家で待っている伯父と、3人で水いらずだ。

車に向かう伯母と父の後ろ姿を駅の改札で見届けると、私は再び近鉄線に乗りこんで京都に向かった。私の旅の話は、また別に、いくらかでも言葉にして書き表せたらいいな。

あけて3日目は、父にも伯母にも、13時半までを目安にして京都駅に戻ってきてほしいと伝えておいた(東京に戻ってから父が帰宅ラッシュに巻き込まれないための時刻)。加えて、京都に向かう電車に乗り込んだ時に、どこそこを今出たでも、京都駅に何時に着くでもいいから、LINEなり電話なりで一報入れてくれと頼んでおいたが、13時をまわっても一切電話が鳴ることなく、LINEの通知もなく過ぎた。

行きの東京駅と同じく、連絡ないまま「今、京都駅着いたよ」と電話が鳴るのは想定範囲内、困っていなければいいのだが。で結局、本当に「今、京都駅着いたよ」と、着いたときに初めて連絡が入って、笑ってしまった。ともかく無事に帰ってきて時間通り落ち合えれば、こちとらノーストレスである。不慣れな近鉄京都駅でも、半径数十メートルくらいに目線をビーッと投げて、父を見つけた。なんだろうな、あの人混みの中でも親を発見できる能力というのは、人が持つ野性の力なのだろうか。

柱に寄りかかっている父に声をかけると、父もほっとした表情を見せた。兄弟げんかしなかった?電車は座れた?何食べてきたの?ゆっくりおしゃべりできた?と、お姉ちゃんみたいな、お母さんみたいな心持ちでいくつか簡単な質問をふってみると、まずまず好ましいひと時を過ごせたようで、ほっとした。何を話したのか聞き出すような無粋な働きはしなかったが、遠方訪ねてきた甲斐はどうやらあったようだ。

京都駅には、昨日大曲の熱演を終えたばかりの又いとこが見送りに来てくれて、父とも再会。新幹線ホームまで上がって見送りくださっただけでなく、富士山側のグリーン券をさりげなくプレゼントしてくれたのに気づいたのは、乗車してから。粋が過ぎる!と心から平伏して、車窓越しにジェスチャーでお礼を伝えた。

新幹線が発車し、荷物を片づけ、おしゃべりして一息つくと、父が「みんな、よくしてくれてありがたいなぁ」と口にした。父「兄貴は足悪くしてるからなぁ」、私「だから歩けるお父さんが会いに行くんだよ」、父「そうだ、だから会いにいったんだ、金かけて。兄弟の義理やな」、私「そういうの、義理って言わないよ」、父「そうか、なんや、愛か」、私「そうだ、愛だ」と会話した。良い旅だった。

*Instagramの写真

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