大きな病院の奥のほうの30分間
大きな病院の正面入り口から入って、ずんずんと奥まで進んでいった先、難しい検査室が廊下沿いに並ぶ一画がある。私はその一室の前に腰かけて、父が出てくるのを待っていた。
こちらは事前予約していた検査を予定通り受けるためやってきたので、父が検査室に入っていくのを見送ると、あとは静かに廊下で待つばかり。その廊下がちょうど救急で運ばれてきた患者さんの通り道らしく、静かな廊下ががらりと様相を変えて緊張が走るのを、30分間に2度ほど目の当たりにした。
足元にキャスターがついたベッドに横たわって最初に現れた女性は、病院スタッフに「脳梗塞かどうか、これから確認しますからね」と言われながら、さらに奥のほうの右手の検査室に消えていった。
私の目の前をガラガラと通り過ぎた年配の女性、トップスは真っ赤で、赤茶に染めたパーマヘアは毛量が多く、お化粧もバッチリ、それが妙にリアルに感じられた。突然のこと…だったのかなと。
付き添いの家族なく、一人でいたところ急に不調におそわれて自分で救急車を呼んだのかなと思うと、心細かろうなと目頭が熱くなった。今朝の寝覚めには、ごく普通に笑い声を立てて日常を送っていたのかもしれない。
程なく、今度は心電図モニターのピ、ピ、ピという音とともに、ベッドの足元のキャスター音が角向こうから迫ってきた。次は年配の男性。病院スタッフが私の前を通り過ぎるとき、心筋梗塞という言葉を発していた。ベッドが過ぎるや、同じ方向からパタパタという足音が近づいてきて、奥さまと娘さんらしき女性二人が後を追っていった。
男性が廊下の奥の、今度は左手の一室に入って、辺りに静けさが戻ると、女性二人が長椅子に腰かけ、娘さんらしきほうが「なんだかドラマみたいだよね」と、ぽつり言葉をかけるのが聞こえた。
今の今まで、とにかく一息つく間もなく、混乱しながらも一刻も早く事を前に進めねばと集中に努めて、今ようやく、とりあえず、一息ついたという感じかもしれない。大変だったろうな。そして、これから先も、いろいろある。再び目頭が熱くなり、心がぎゅっとなる。
また少しすると、先ほどの真っ赤なトップスの女性が検査室から出てきて、ベッドに横になったまま、再び私の目の前を通り過ぎていった。先ほどついていた病院スタッフの女性が「今日これから入院って、聞いていますか?」と、曲がり角で本人に尋ねる声が聞こえた。そうして、入ってきたときと逆のほうへと、角を曲がっていった。
また廊下が静かになった。父が目の前の検査室から出てきて、ニッと笑った。私もニッと笑い返した。お疲れさまでしたーと頭を下げて立ち上がった。みんな、生きているのだ。一緒に、生きているのだ。
病院に勤める人たちにとっては、これが日常の職場なのだよな。本当に頭が下がる思いだ。みんなで、一緒に生きているのだ。
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