感じる変化を言葉に表すのは、むずかしい
8月末から、風向きが変わったような?と、ふと思い浮かんだものの、いや向きが変わったかどうかはわからないなと踏みとどまる自分がいて、凪いでいた風が吹き始めたような?ふむ、それは、そうかもしれないなと思うも、このさき吹き続けるかわからないのに始めるという言葉を与えるのはおかしいなと踏みとどまる自分がいた。そんなこんなで、今はまだ言葉にすべきときじゃないのだろうと思い直す。
単発の出来事が、ちょっとまとまって見えて「変化」のように感じているだけなのかもしれないし、実際「変化のきざし」なのかもしれないし。はたまた、もっと本質的で全体的な「変容」と言葉をあてたほうがいい始まりに位置しているのかもしれない。
それは、いずれ思考を巡らせなくとも、ぽとりと言葉がおちてくることがあるのかもしれないが、少なくとも今ではない。渦中にいて、わかるものではないし、欲するものでもない。早計に得ようとすれば、むなしい決めつけになるばかりで、本当に大事なことのほうを取り逃がしてしまう。中身のない言葉は、むなしい。
今はただ、何かにまとめようとせず、言葉にすることを急がず、一つひとつ目の前の巡り合わせに大事に向き合うこと、丁寧にやっていくことだなぁと思い至る。こんな思考の散歩道をたどると、心はずいぶんと静かで穏やかなところに落ち着く。きっと先々に言葉にすることができなくっても、十分に満足だ。
« 誰かの何かになるかもしれない、ならないかもしれないことを共有すること | トップページ | 人の脳を使って「議事録を書く」学習観点の意味 »
« 誰かの何かになるかもしれない、ならないかもしれないことを共有すること | トップページ | 人の脳を使って「議事録を書く」学習観点の意味 »
コメント