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2025-08-20

誰かの何かになるかもしれない、ならないかもしれないことを共有すること

ふと、吉本ばななが足りないと思い浮かぶことがある。そういう合図にはきちんと応じて、後回しにせず読むのがいい。いつからかそう強く思うようになって、今回は新作短編集の「ヨシモトオノ」を手にとった。

岩手県の遠野地方に伝わる逸話や伝承を記した説話集、柳田國男の「遠野物語」から100年ちょい経った現代の、吉本ばななによる「遠野物語」ということ(だが、まだ「遠野物語」を読んでいない…)。

この“不思議”の短編集、中ほどに「光」という作品があって、書き出しが「この話だけは少しトーンが違う。それは、実話だから」と始まる。

私は、これを読んでおいて良かったなぁ、ぎりぎり間に合った、巡り合わせだなぁと読後に思った。

というのは先週、SpeakerDeckというスライド共有サービスに「40代以上に共有したい中年期のキャリア論」と題したスライドを公開したところ、想像をはるかに超える多くの方が見てくださって、驚き、恐縮し、びびってしまったからだ。

あげた初日に200ビューくらいの数字になったので、自分がSNSでシェアした友人、知人以外にも見てくださる方があったのだろうなぁ、ありがたいなぁなどと思っていたら、あれよあれよという間に呑気でいられない数にのぼり、一週間足らずで4万ビュー超えに。

百から千に単位が変わったあたりで、あぁ、これはもう、あとはボコボコに叩かれる覚悟を決めなきゃいけないやつだ。私のような普通の町の民が手ぶらでコメントを読みにいったら、ケガしてメンタルやられて立ち直れなくなる展開だ。と思い、しばらく、また別の小説を読みながらひっそりと暮らすことに。

そんな弱気なら最初から共有するなよ!と思うだろうけれども、ただの町の民といったって、そう心中は単純に作られていないのだ。ちっぽけな自分には「できないこと」だらけ。そういう自覚は深くありながらも、そんな私にも「共有したいこと」はあるし、「自分ができることをしたい」という思いもある。普通の人間とは、そういう生き物ではないか。

この事態に遭遇する本当にちょっとだけ手前で、私は「ヨシモトオノ」を読んだわけなのだった。とりわけ「光」は、私の動揺を抑える支えとなってくれた。

できないことはできない、どんなことがあってもできないからできることをするしかないんだ、なぜなら自分はちっぽけで弱い一人の人間に過ぎないのだから。だとしたら不完全で未熟な私にできるのは書くことしかない、書いて少しでも何かに触れて、それを人と共有することだけ。それを知ったことは大きなことだと思う。

不完全で、できないことだらけの自分。だからこそ自分ができることを丁寧に、それに集中してやる。まじめに、熱心に、やってみることだ。できないことを割り切るぶん、自分ができることを精一杯やることができれば健康だ。

そうして作ってみたそれを人と共有したとき、誰かの何かになるかもしれない。ならないかもしれないけれど、共有した先の、その人の力をもって、自分の想定や期待を超えて、何かに役立ててくれるかもしれない。

個人の世界の中では解決できない、もっと大きな因果の中で人は生きている。小説なら弱い私自身よりももう少しだけ大勢を、もう少しだけ励ませるかもしれない。あくまで気づくのはその人で、自分の命の力をよみがえらせるのはその人だけれど、きっかけになれる可能性はなくはない。だから、こつこつ書くしかない。

私には小説など書けないけれども、吉本ばななさんが「小説なら」とするところ、私は「インターネットなら」と読み替えて、そこに可能性をみてしまう。次の文章が「インターネットは広くて愛情深くて、小さな私のスライドを、遠くまで届けてくれる」というように脳内で変換される。

小説は広くて愛情深くて遠くまで行ってくれる。もしかしたらたんぽぽの綿毛のようにふわふわと自由に飛んで、誰かの心の闇に根づくかもしれない。知っている人にうまく届かなかったその種も、もしかしたら偶然の采配で全く知らない誰かに届くかもしれない。その種は私の顔をしていなくて、宇宙からふと飛んできたものであってほしい。

自分ができること、誰かを思いやること。小さくとも確かなそれを、自分の力の及ぶかぎり手元で丹念に形にして届けることをあきらめなければ、ただの町の人の力でも、自分を活かし、周囲の人に活かされ、「もしかしたら偶然の采配で全く知らない誰かに届くかもしれない」。

いろんな人がいるからそれぞれの持ち場で人類は世界を回していく。一番大切なのは自分の持ち場を正確に知ることだ。

私は私の持ち場で、できることを丁寧にやっていきたい。いやぁ、もうさ、吉本ばななさんが同時代に生きていてくれて、私の先を歩んでいてくれて、物語を何十年も作っては世に送り出し続けてくださって、感謝しかない。歳をとるほどに、小説家が自分に何をしてくれているのかがわかるようになってきて、そういうのを感じると、年をとることって本当に悪いことじゃないし、感慨深いものだなぁと思う。

* 吉本ばなな「ヨシモトオノ」(文藝春秋)

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