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2025-07-30

アーチ状に「人間の生涯」を描くとき、頂上の年齢は?

アーチ状に「人間の生涯」を描くとしたら、人生が終わる年齢を何歳に設定するだろうか、アーチ(橋)の真ん中、頂上のところに何歳をもってくるだろうか。

17〜19世紀にかけて、人間の生涯をアーチ状に描いた類似の絵図が、フランスでも日本でも残されているという。遠く離れたフランスと日本の絵を比較してみると、なかなか面白い。

フランスと日本の絵、1点ずつ挙げてみる(いずれも画像をクリック or タップすると拡大表示する)。

一つ目は、1817年頃に制作されたフランスの木版画(仏画)。

Lestempsdelavie

フレデリック・マゲ「人間の生涯」 | Histoire par l'image

次の日本画は、おそらく18世紀に制作された(1760年に修理を行なった銘があるため、それ以前)。熊野信仰を広めるために描かれた絵解き用の宗教絵画で、戦国時代から近世にかけて流行したそう。

Kumanokanjinjikkaimandara

熊野観心十界曼荼羅 | 西大寺

いずれも、人間の「誕生から死まで」を含んで描いてある。仏画は左から右へ、日本画は右から左へ、進む向きは逆なのだが、アーチ状に描かれた人生航路にそって歳を重ねていく構図は一緒。年齢段階ごとに男女を配していって、誕生から死までの人間の生涯、それをとりまく世界観を描写している。

これを教えてくださったやまだようこ先生が著作*で強調するのは、日仏の絵ともに、アーチ状の頂点を「中年期」に据えていること。アーチ状だから必然的に、それより前が上昇方向になり、それより後が下降方向に描かれることになる。

これを現代と比較して著者は、こう指摘する。

高齢化社会といわれる現代のほうが、人生を眺める時間軸が狭く、若さを過度に強調し人生後半を軽視している

仏画のほうは明確に「10歳刻み」、左から昇っていって一番高いところが「50歳」。各年齢に応じた態度、容姿、衣装の男女ペアが登場し、右下へ下っていくと最後は、段を降りたところ臨終間近とおぼしき100歳が、ベッドに横になっている。徹底して男女ペアなのも仏画に特徴的だ。

日本画には、これは何歳といった表記はない。男女の描き分けについては、やまだようこ先生の日本画の読み解きに、なるほどと思う。

子ども時代の性は明瞭でないが、青年期から中年期では男女が交互に描かれ、後半は再びモノセックスになり、老年期には孫らしき子の手を引く像がある

仏画の、規格化されたような男女ペアの描きようと比べると、日本画の、この性別のほわっとした扱い(ながら絶妙に意味があって、そうしていそうな感じ)が、私には「でも、なんか、わかる」と思うところあって興味ぶかかった。

この山なり、何が高いことを意味するのかでいうと、「能力の高さ」というより「社会への関与度の高さ」と解釈したほうが良さそうである。中年期が、一生の中で最も社会に高関与。

現代知識をもちこめば、能力の高さは、青年期なり中年期なりを境に下降していくものもあれば、80歳くらいまで一定レベルを維持し続ける知能もあることがわかっている。

そもそも、分かりやすく得点化できる能力の高さだけを指標にして、上だの下だの相対的な位置をつけたり、上昇だの下降だのの角度に心中穏やかざるものを抱え込むのは、あまりに貧相だ。

多様化、多様性社会と騒ぐわりに、ずいぶん偏った指標で人の人生を論評し、解釈し、判定を下すふるまいをみては嘆きたくなることままある昨今だが、高齢化社会といったら、そんな思考枠組みから一刻も早く脱したほうが生涯豊かに暮らせるの一択だ。私なりの庶民の心得である。

絵のほうに話を戻して、じゃあ高いほうが「社会への関与度が高い」ってことなら、低いほうは何なのさって、社会への関与度が低くなる一方で「現実社会と一線を画す、超自然的なもの」が色濃くなる。

仏画の下半分をみてみると、中央にある半円形の中では「最後の審判」が行われている。その前景では「がい骨」が砂時計と鎌をもっている。画面の右側には、死にゆく者の枕元に「天使」が立っている。

日本画でも、上のアーチを右から半周していって左の「鳥居」を出たところで、「閻魔(えんま)大王の審判」が行われている。

一生を生き終えた、その人の心や行いによって死後の世界が決まることを暗示している。人間だけではなく、神仏と結びついて絵の世界が成り立っている、これも日仏共通だ。裏返せば、人間の生涯を描くのに、人間だけ描くのでは成り立たせ得なかったということか。

他方、仏画と比べて日本画の特徴的なのは、四季が豊かに描き出されているところ。仏画のほうは、とにかく人間が存在感をもって主役をはっている感じだが、対する日本画は自然描写が明らかに多い。

右の鳥居から入って道すじをたどっていくと、アーチの外側に梅の木、柳の木、桜の木、松の木、杉の木、頂点を過ぎて下りに入ると紅葉、枯れた老木というように、四季の移ろいと重ね合わせて人間の生涯が描かれている。

吉田松陰も「春種し、夏苗し、秋刈り、 冬蔵す」として、四季と人生を結びつける言葉を遺している。

それぞれの季節に優劣の序列はなく、それぞれの季節に固有の価値を見出せるのが人の豊かさ、尊さだ。年齢段階においても、若きにも老いにもユニークな価値を見出せるのが人間だ。単一にしぼらず、多様で多次元的で複眼的な意味解釈の力を、ここで退化させてはもったいない。最近はそんなことを思っては歴史に学ぶところ、尊く感じている。

歴史・文化的文脈を視野に入れると、現代の私たちが当たり前だと信じている発達観を相対化することができる。

やまだようこ先生の著作集を再読しているのだが、いやぁ本当に、人生でこんな本に出会えてよかったなぁと有難く思う。本は庶民にも優しい。

「老害を働きたくないから」と言って、人類が連綿と続けてきた「継承・伝承」の大きな役割の一切合切を放棄して、尊いものを次世代に引き継がず根絶やしにするのも極端すぎるだろう。そこの分別をきかせて若い世代に関われる構えを大切にして働きたい。

* やまだようこ「人生心理学ー生涯発達のモデル」(新曜社)

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