トルストイ「アンナ・カレーニナ」の読み応え
ついに、トルストイの「アンナ・カレーニナ」を読了した。上中下巻あわせて2千ページに及ぶ大作で、のんたら読み進めていたら3ヶ月近く経ってしまった。ひと月に1冊ペースだ。しかし、なんだか豊かではないか。
解説によれば、この物語には150人にも及ぶ登場人物があるという。「社会的集団や階層の言語の特殊性に細かい注意が払われている」とあるが、まさしくだ。
伯爵婦人から百姓まで、老いも若きも幼きも、いろんな人がいろんな立場で、いろんな境遇を背負って出てくる。その一人ひとりが自分の言葉で自分の思考を語り、かつトルストイがそれぞれの置かれた境遇を見事に描写し、何を本人がうまく自己制御できていないかも書き暴いている。同情に寄るでもなく、突き放すでもなく、それぞれ個性ある人間の「性」をえぐるようにして書き尽くす筆致は、すこぶる鋭い。当時の貴族社会や暮らしぶり、農事経営、思想、政治と、あらゆる側面を取り込んで描きだす手腕もふるっている。
私はこれを要約する術も、評論する腕ももたないので、ここで解説にあったチェーホフの一節をはさむ。
「アンナ・カレーニナ」が今後とも全世界の人びとに永く愛読されていくであろう秘密を、チェーホフは次のように語っているという。
『アンナ・カレーニナ』には問題は一つとして解決されていませんが、すべての問題がそのなかに正確に述べられているために、読者を完全に満足させるのです。問題を正確に呈示するのが裁判官の役目であって、その解答は陪審員たちが、自分自身の光に照らして取出さなければならないのです
これまで「全世界の人びとに永く愛読されてきた」秘密は、まさしくこの通りなんだろう。時代を経ても、それぞれの時代を生きる読者一人ひとりが陪審員として、この本に向き合ってこそ成り立ってきた価値だ。
これが今後とも「全世界の人びとに永く愛読されていく」秘密として、あり続けるといいなと思う。こうした名作の読書文化が衰退せずに、私のような一般庶民が本屋で文庫本を手にとって、手軽に味わえる世の中が継承されていくといいなと。
「人が生きる」ということを考えるとき、また「自分が生きる」ということを考えるのに、整然と秩序化されたノウハウだけではやっていけないし、合理化だけでは納得できないし、満足だけでは続かないし、退屈ではやっていられないし。
そういうものからこぼれ落ちてしまうもの、人が生きていく上での糧みたいなものが、文学作品の中には詰まっているのだよな。そういうことを、こういう最高峰の名作を読むと実感させられる。
なんだい、その本には「人はなぜ生きるのか」の答えでも書かれているのかね?と問われれば、私はこんな返答をするかもしれない。なぜ人は生きるのかという理由も目的も使命もなくても、人は生きていけるという当たり前のことが書かれていると。まぁ、でも、それも、一読者の、読み終えた直後の、ぽっと出た解釈の一つにすぎない。どんなことを述べても、作品価値を矮小化してしまうようで、自分の内で育むにとどまってしまう。だからこそ、一般庶民にも読み継がれていく文化を尊く思う。
文学作品は、たくさんの彩り豊かな解釈の仕方を、自分のなかに編み込んでくれるようだ。落ち着いて見渡せば「無秩序すぎる世の中」と「何にも不完全な人間」と「矛盾を内包した自分」は、いつの時代も変わらない。それを受容し、解釈し、折り合いをつけながら健やかに生きていく力と意思を育むことは、ここに生まれ落ちてしまったからには一人ひとりにとって、とても大切な術だと思う。少なくとも、この先しばらく、人間が人間ではなくなる時までは。
人は、そもそも愚かで、不完全で、機械的な「ものさし」を当ててみれば狂っているとも言えるような性質を前提に生きている。世の中もまた、無秩序で、不条理やら理不尽やら人間が思うところ多分に含んで運行されている。少なくとも私は、人とも自分とも世の中とも、そういう前提でつきあっていかないと、どうにもならないと思っている。だからこそ人間は、皆で協力して暮らしているんじゃないのさとも思っている。
けれども最近は、それって一般社会で合意形成された常識でもないのだろうかなぁと思うこと、しばしばである。さも、秩序があるかのように、完全を目指せるかのように、矛盾を解消できるかのように見誤る、驕りやら愚かさやらは、むしろ現代のほうがひどくなっているのかもしれない。それもまた、世の中であり人なのだ。
* トルストイ「アンナ・カレーニナ」(新潮文庫)
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