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2025-03-17

父と映画館で観た作品が100本を超えた

週末に父と映画館に通うようになって早2年、一緒に観た映画が100本を超えた。いつまでも続くことなんて一つもないと思い知りながら、穏やかに続く習慣に感謝と尊さをおぼえる。101日目を無事に進み出してから記念するところが、私の堅実で臆病なところ…。Instagramでぱしゃり。

習慣的に父と観た映画だけ登録しているアプリがあって、先週アプリ画面上に100って表示されているのを見て、ほぅっ!となった。

途中、父の短期入院が入ったのと、一緒に旅行に出かけたのと、2、3日行かなかった週を挟むけれど、基本的に2年間、毎週末。すると必然100作品に達する。

「毎週末、父と映画館に行っている」なんて言うと、「すばらしい、素敵だ、終わった後に映画の感想を話し合ったりして?」なんて期待されるのだけれど、とんでもない。観終えたそばから、今日は豆腐を買うだのなんだのと買い物の話をはじめる始末。ときどき双方のぼやきは交換されども、高尚な感想戦などまったく展開されない。

この習慣は、何より習慣として続くことが大事なのだ。もちろん私は毎回、映画を楽しんで選び、楽しんで観ているのだが極論、映画がおもしろくなくても、主たる問題ではない。映画の前に、顔を見て、視線を合わせて、一緒に食事をすることが大事なのだ。

そこで、その週にあったこと、最近気がかりなこと、ふと思いついたことなどを思いつくままに、あれこれおしゃべりしたりして父のもやもやが晴れること。なにか大ごとになる前に、問題の芽が摘まれて解消すること。

娘が、あるときは軽口をたたき、あるときはけらけらと笑い、あるときは気にするなかれと嗜め、あるときは発破をかけ、あるときは励まし、ときに小競り合いをしても、再びたわいのないおしゃべりに戻ること。

父の子どもの頃の話、大学時代のこと、社会人になってからの仕事のこと、社会をどう見ていたのか、どうつきあってきたのか、友人のこと、上司のこと、同僚のこと、取引先のこと、両親のこと、兄姉弟のこと、親戚のこと、自分のことをどう見てきて、今どういうふうに考えているのか。暮らした町、故郷のこと。そういう話をゆったりと聴くこと、引き出すこと、引き継ぐこと。

映画の後には連れ立って、豆腐やら魚やらネギやら、ときに靴やら帽子やら塗り薬やら、必要なモノを買いものして歩くこと。ただ、ただ、庶民の家族のコミュニケーションが繰り返されることに尊さをおぼえる。

別れ際には私が「お疲れさまでしたー」と言い、父はいつも「ありがとう」と言う。そう挨拶を交わす度、なんだかんだ言ってやっぱり父のほうが、うわてだと思う。

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