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2025-01-30

「不当ではない差別」はあるのかないのか問題

素人考えながら私は、「差別」って行為は「不当な差別」と「不当ではない差別」とに分けられるものだと認識して、これまでやってきた。

たぶん、ここ数十年いろんな公式文書で「不当な差別」という表記に数多く遭遇してきたから、「不当な」とつけるからには「不当ではない」差別もあるという前提で、みんな差別というワードを使っているのだろうと、たぶんそんな流れで、この解釈を定着させてきたのだろうと思う。

しかし、それにしてはどうも最近おかしな論争を見聞きすることが頻発しているので、今朝がた試しにググってみたのだ。すると検索結果のトップに「AIによる概要」として端的に示されたのが、これだった。

区別とは物事の客観的な違いを認識すること、差別とはその違いに合理性のない価値観を持ち込み、一方を不当に扱うことです。

これに私は、たじろいだ。お、おまえもか…。っていうか、おまえのそれは民の認識の結晶か?私は涙目だ。

まず足場づくりに「区別」を確認しよう。人間はいろんなものを区別する能力をもつ。あれと、これは、違うよねって、ものを分けられる能力だ。これが「差別」の下敷きにある。区別が働かなきゃ、差別はできない。

太陽と月は違うよね。夏と冬は違うよね。陸と海は違うよね。山と平地は違うよね。蒸し蒸しする空気と、空っからの空気は違うよね。

平らな道と、坂道は違うよね。平らな道を行くのは楽だけど、坂道を行くと疲れるし、スピードが遅くなるし、同じ距離を行くのでも時間がかかったりするよね。

人類は、分ける必要に駆られて、あれとこれを区別してきた。区別したものそれぞれに名前をつけ、呼び分けることで他の人ともその区別を共有できるようにしてきた。あれとこれの取り扱いに差をつけることで知性を発達させ、文明を発展させてきた。いろんな分野で知識を体系化してきた。分ける必要がなければ「菜っ葉」をそれ以上には分けないし、必要が生まれれば「根菜類の葉」「青菜」などと分け出すのだ。

この区別したものに対して「取り扱いに差をつけること」が、私にとっては「差別」という認識で、これまでやってきたわけだ。

「取り扱いに差をつけること」のすべてが一気に、「不当な差別」に解釈されるというのは、ちょっと雑すぎないか、手荒すぎないか?

不当でなく取り扱いに差をつけるなんて、これまで人類がいくらでもやってきたことじゃないか。うまく活用してきた能力じゃないのか。

春によく育つ野菜と、冬によく育つ野菜を区別して、育てる季節を分け、取り扱いに差をつけてきたのじゃないのか。

子どもと大人を区別して、「子どもは学ばせ、大人は子どもに教育を受けさせる義務をおう」としようって、憲法で取り扱いに差をつけて、それに皆合意して運用してきたのじゃないのか。

事故や災害の現場で、怪我していない人と怪我人を区別して、怪我人を先に救助するとかいう判断も、取り扱いに差をつける行為だろう。これは「不当に当たらない差別」というものじゃないのか。

どちらか一方を、優先的に扱う。もう一方を、後回しにする。どちらか一方に、優先的に何かを与える。もう一方には与えない。

合理性がある価値観を持ち込んで、取り扱いに差をつけるという「不当に当たらない差別」も、人間はこれまでやってきたでしょう?と思うのだけれどなぁ。

いや、これは言葉をどう定義して記述するかとかいう定義闘争ではなくて、AIがどうかという話でもなくて。現実社会の現場で、ちまたの言論空間で、どんどん、そういう真ん中の選択(「区別」と「不当な差別」の間にありうる「不当ではない差別」を認識すること)が許容されなくなっている言い争いに遭遇するたび、なんていうかな、悲しい気持ちになるというか、そらおそろしくなるというか。

いったいぜんたい、この世界はどうなってしまうのかなと。「2つに差をつけて取り扱う行為」のすべてが速攻で、卑劣な行為と糾弾される社会に後退していってしまうのだろうか。私の目には後退と映るのだけれど、そんな見方は不健全とみなされる合意形成が一般に定着していくのだろうか。

とりあえず私は、自分の日々の暮らしの中で、そこんとこの分別を丁寧に持ち続けて人の営みを解釈し、雑にならないよう、粗くならないように心がけて生涯を生き抜いていこうと思うのだ。それはそれで、小さな個人に許された自由空間はいくらでもあるから。

2025-01-26

人生は短いか長いか、セネカの「人生の短さについて」

光文社の古典新訳文庫から出ている、セネカの「人生の短さについて」を読む。古典も古典で、セネカは紀元前1年の生まれ。今から2千年前を生きた古代ローマ帝国の哲学者なのだけれど、書かれていることの現代への通じっぷりが半端なくて、示唆に富んでいる。

人間がいまいち「時間」と上手くつきあえず「人生」を生きて死ぬ悪戦苦闘を、二千年続けてきた感をおぼえる。翻訳者の中澤務さんが、初心者にわかりやすく言葉を編んでくれていることも大きいのだろう。

人生は長いか、短いか。

「人生は長い」と聞くことはないが、「人生は短い」とはよく聞くフレーズだ。これは昔も今も変わらぬようで、セネカは冒頭「ひとの生は十分に長い」と始める。「人生は、使い方を知れば、長い」のだと説く。

われわれは、短い人生を授かったのではない。われわれが、人生を短くしているのだ。われわれは、人生に不足などしていない。われわれが、人生を浪費しているのだ。

どう浪費しているか。「人生」というと大きすぎるが、「時間」に置き換えてみるとわかりやすい。

だれもが、ほかのだれかのために、使いつぶされているのだ。

あの人のこと、この人のことばかり気にかけて、自分のことには気にかけないで時間を過ごしている。

自分の土地や金銭を、安易に人に譲ったりはしない。自分の財産を管理するときには倹約家なのに、自分の時間を使うとなると浪費家に変貌する。時間は目に見えないから、無頓着になる。そうして、いろんな人に自分の時間を明け渡して「多忙な人間」になっている。

私自身は今「多忙な人間」ではないが、そこそこは多忙に過ごした時期を経て今。多忙に過ごした時間も、今の静かな閑暇も好きだし、愛おしく思っている。

今は静かなので、自分の声がよく聞こえる。自分の時間を過ごしている感覚がある。仕事している時間も、自分のための時間を使っている感覚がある。それは私の中で両立する。私はもともとそういう感覚で仕事もしてきたのだが、いよいよシンプルに合一した。

自分の時間を過ごすというのは「怠惰に過ごす」こととは違う。

あなたの人生のうちのかなりの、そして間違いなく良質な部分は、国家に捧げられた。これからは、その時間を少しでも自分のために使いなさい。

わたしは、あなたに、怠惰で退屈な休息を勧めるつもりはない。あなたのうちにある生き生きとした活力を、惰眠や大衆好みの娯楽に浸せと言うつもりはない。(そもそも、そんなものは休息ではない。)そうではなく、あなたは、そこに大切な仕事を見いだすことになるのだ。それは、あなたがこれまで一生懸命に果たしてきたどの仕事よりも、大切な仕事だ。あなたは世間から離れ、心静かに、その仕事に取り組むことになるのだ。

へたな危険、へたな重責を背負わず、大切な仕事に戻ること。心静かに、大切な仕事に取り組んで暮らしていけたらなぁと思う。その仕事が何なのかは巡り合わせ次第で、未来は不確かなもの。そういうものと受け止め、今を大事に重ねていけたらいい。

巻末の年譜をみると、セネカが「人生の短さについて」を執筆したのは48歳頃。つまり2千年を超えて今の私と同世代、どうりで話が合うはずだわ。波乱万丈すぎる生涯を生きたセネカに共感をおぼえるのは軽薄な気がするけれど…、今の私の「時間」への向き合い方によく馴染んだ。

*セネカ(著)、中澤務(翻訳)「人生の短さについて 他2篇」(光文社)

2025-01-17

力量差あるメンバーにタスクを割り当てるアプローチ

山口周さんの「外資系コンサルが教えるプロジェクトマネジメント」を読んでいて、ほへぇと思った一つが、メンバーのアサインメントのアプローチについて。

プロジェクトメンバーに「優秀な人」「それほどでもない人」がいるとき、著者はパターンAを「やりがちなミス」だと評し、パターンBを選ぶべし!と勧めている(伝えたいことを分かりやすく示すために、そう書いたのかなと思うけれど)。

ともかく、実際にはパターンAが妥当なこともあろうかなぁと私は思ったので、なんでそう思うのかを考えてみたのが、赤い文字。

力量差あるメンバーにタスクを割り当てるアプローチ(クリック or タップすると拡大表示)

Memberassignmentapproach_projectmanageme

結論、「パターンA一択」ではなく、選択肢をもっておいて都度意識的に選べるのが健全というなら、おっしゃる通りと思うなど。

実際には、メンバーの「優秀」「それほどでもない」は単純に二分できるものじゃない。個々の経験値や力量差も、それをどの程度把握できているかも都度違うし。

必ずしも「PM」が最も優秀で、「優秀なメンバー」はその下に配するわけでもない。

タスクも単純に「難しい」「易しい」では二分できない複雑性をもつ。

「それほどでもないメンバー」の育成、「優秀なメンバー」のモチベーションをどの程度配慮すべきかでも採択すべきアプローチを変えるべきではないかなぁと。そんなことを考えた次第。

2025-01-05

小さな私を主語にして

例年どおり帰省するつもりで冷蔵庫の食材をすっかり空っぽにした小晦日(こつもごり)の夕方、体調が急降下しだした。朝起きたときは確かに平熱35度台だった体温が、その晩には38度を超えていた。万事休す。

2年前にも、年末ぎりぎりにコロナにかかって実家に帰れないことがあったが、そのときは症状が出たのが12月29日の朝。ぎりぎりその日の午前中までクリニックも薬局も開いていたので、コロナとも判定がついたし、薬局も一度は閉じたシャッターを半開きにして薬を処方してくれた。

今回は、具合を悪くしたのが12月30日の晩。夜があければ大晦日で、クリニックはやっていないだろうし、こちらにも移動する気力体力がない。インフルかコロナかただの風邪かもわからぬまま、体内ではたらく細胞に全乗っかりして寝正月を決め込むことと相なった。年末に映画「はたらく細胞」を観ていたのだ。

まず帰省は断念するほかない。大晦日の朝、家族に詫びを入れた。父、兄、妹それぞれに引き継ぎ事項をこさえて、あーしてくれ、これを頼むとベッドの中からLINEで送った。それだけでへとへとになり、あとはひたすら眠った。

しかし二晩眠り続けても、熱は38度を下回らない。さすがに、はたらく細胞だけになんとかしろというのは虫が良すぎるのではないかと思い至る。寝るたびに様々な不穏で不可解な世界に閉じ込められる夢をみるのにも疲れ果てた。

それで以前、歯の治療のときにもらったロキソニンのあまりが薬箱にあるのをがさごそ取り出して一錠飲んでみることに(遅い)。これが元日の午前3時頃だったろうか…。一眠りして熱を測ると、まぁ不思議、一気に37度台におちている。とりあえず一日(3錠)は続けてみようと思い、すると平熱35度台まで戻した。

ロキソニン、おまえいったい何者だ?と訝しむ。薬の効き目がきれれば熱はまた上がってしまうのか、それとも飲むのをやめても平熱は維持されるのだろうか。そこで1月1日夕飯後に3錠目を服用した後、翌朝までに10時間は経つので、そこで様子をみてみることに。

1月2日の朝に目覚めて熱を測ると、ロキソニンがきれた体温は38度超えに逆戻りしていた。熱を測るまでもなく絶不調ふたたびだった。起き上がって3歩移動するだけで気持ち悪くなり、3歩戻ってベットに倒れ込んだ。昨日からの落差が大きい。

しかし、それでは今日もロキソニンを服用しないことには仕方ないし、ロキソニンを服用すれば昨日レベルの安定は取り戻せるということだ。そうして時間をおきながら、どうにかしておかゆを数口腹にいれ、ロキソニンを飲み込んだ。どうにかこれで起き上がれる程度に戻し、また一日(3錠)続けてみたところ、1月3日朝には薬の効き目はきれているであろうに平熱を維持することに成功した。

とはいえ熱以外の、頭が何かに押さえ込まれているような感覚、喉の痛みと咳は残っていたので、3日も4日もほぼ寝て過ごした。そんなわけで、私のお正月は2年ぶり二度目の寝正月で過ぎ去ってしまったのだが。

とにかく妹も帰省してくれ、兄一家も元日に実家にやってきてくれて、例年どおりに父を囲んで実家の恒例行事が滞りなく行われたのが何よりだった。ここさえ守られれば私の心はずいぶんと穏やかだ。

世の中はとてもとても大きな問題を抱えていて、それは至る所であり、複雑に絡み合っていて、途方に暮れるばかりのことも多い。だけど、混迷の時代などと一言で表したところで事態を好転する策は立たない。メディアよろしく365日事態を追い続けて自分の営みをおそろかにしてしまっても、社会は停滞してしまう。小さな私を主語にして、私は私の述語を繰り出していこう。私が今年、縁をいただいた人たちの力になれることを丁寧にやっていきます。

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