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2024-12-08

長篇でなければ実現不可能だった

先月半ばに分厚い長編小説を2冊読み終え、次はいくらか小ぶりな中編小説に手をのばすのかなぁと見立てて本屋を訪れたのだが、文庫コーナーの前に立つと、あいも変わらず600ページ級の長編小説になびく自分がいた。遅読のわりに果敢だなぁと感心しつつ、なびく理由はわからぬまま、自分のそれに従ってレイモンド・チャンドラー「長い別れ」*1を買って帰ってきた。

初めてのレイモンド・チャンドラー作品だ。この作品から入るの?と言われそうだけど、タイトルに惹かれて。原書「The Long Good-bye」は、1958年に清水俊二訳「長いお別れ」、2007年に村上春樹訳「ロング・グッドバイ」が出ているが、今回私が手にとったのは2022年に出た田口俊樹の新訳「長い別れ」。

とても好かった。他の訳者と比べた評は何も言えないけれど、すごく自然に脳内描写を誘う文章で読みやすかった。「訳者あとがき」からも、真摯な翻訳への向き合い方が伝わってきて職人魂を感じる。「解説」の591ページに、同じ箇所を3者がどう訳したか読み比べられるところがあるので、比較してみたい人は書店でそっと開いてみるとよいかも。とりわけ村上訳は個性的に感じた。

肝心の中身は、というと、読んでいる最中しばしば「小説を読むのに理由なんていらないんだわ、私はおもしろいから読んでいるんだな」と実感させられるおもしろさだった。それと相反するようだが「私が小説を読んで成し遂げたいことは、長篇でなければ実現不可能」なのだとも、読後に思い耽った。

というのは、「解説」で書評家の杉江松恋さんが書いていた、これの裏返しなのだけど。

彼が小説を書いて成し遂げたいことは、長篇でなければ実現不可能だった

まぁ、書き手のそれと、読み手のそれじゃあ、全然違う。読み手としての私は、長篇でなくとも様々に小説から恩恵を受けられているのが実際なのだが。それでも600ページ級の長編小説をこそ、いま自分が渇望していることに間違いはない。

そのことについて、最近いろいろと考えていた。うまく言葉にできなくて、自分の文章表現力にやきもきもしていた。同じところをぐるぐる思考巡らしているようで途方に暮れていた。

まだその只中にいるのだけど、とりあえず、最近のSNSにぐったりしてしまったことが一因にあっただろう。人を、出来事を、一面的、表層的に捉えて、何かを早々と結論づけてしまう。いったん結論つけたら、その結論ありきで単純なロジックを組み立てて、見立てを柔軟に変容させていくことをやめてしまう。どう見立てたら、より明るい光を先に見出せるかを思案し続けることをやめてしまう。その不健全で怠惰な流れが、きつかった。これは一方で人間の性でもあって、この先どんどんひどくなって、自分も知らぬ間にそれに飲み込まれていってしまうんじゃないか。いや今すでに、無自覚にその流れの中に浸かっているのじゃないかという恐れがあった。

端的に言えば、大江健三郎さんの本*2の中にあったチェコスロヴァキアの作家ミラン・クンデラが遺した言葉(「笑いと忘却の本」King Penguin版、1979)そのままなのかもしれない。

とにかく世界じゅうの人びとが、いまや理解するよりは判定することを好み、問うことより答えることを大切だとするように感じられます。そこで、人間の様ざまな確信の愚かしい騒がしさのなかで、小説の声はなかなか聞きとられがたいのです。

これは1970年代の言葉だけれど、今にも通じている。当時より増しているのか減じているのか、私にはよくわからない。けれど私個人として「小説の声が聞きとられがたい」時代を背景に、切実に、この流れに抗いたがっている。「小説の声を聞きとりたがっている」自分の渇望に応えて、長編小説に手を伸ばしている感じがする。

自分の終わる日まで、たおやかに育んでいきたいものがある。それが何なのかは、書き出すといつまでも止まらないで、だらだらとしたものになってしまって仕方ない。自分の中ではこれと分かるのに、なかなか言葉にまとまらない。でも、これと自分では分かるから、それを大事に育て続けようと思う。伸ばし続け、発揮し続け、縁ある人に役立てて、今の社会に還元して、終われれば良い。いよいよ砂嵐の中に立っているような風景に呆然としてしまうことが増える一方だけど、それもきっと一面的な見方にすぎないのだろう。

*1:レイモンド・チャンドラー著、田口俊樹訳「長い別れ」(東京創元社)
*2:大江健三郎「新しい文学のために」(岩波新書)

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