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2024-11-07

親戚を訪ねて、再会と別れと再会の約束と

3連休明けの朝を迎えて世の中が気合いを入れ直しているさなか、通勤ラッシュが一段落した頃合いを見計らって父と私は東京駅に集合、新幹線に乗って京都・奈良旅行に出かけた。ちょっとした気晴らし旅行というふうをよそおって父を誘い、心のうちにはひそかな思いと、小さな企てがあった。

父のふるさとは京都だ。京都は本家に会いに、奈良は父の兄夫婦に会いに行く旅。きっかけは、最近足が弱くなって表に出歩けないと伝え聞いた父の兄(私の伯父)を励ましに行こうというもの。父も最近病院の世話になって、あれやこれや大変だったので、父に「兄を励ます」キャスティングをして舞台に上げれば、伯父を励ますだけでなく、父を元気づける作用もあろうかと期待したのはここだけの話。

やってみると一泊二日は強行軍で、父には申し訳ない気持ちもわいたけれど、誘って、行って、良かったと心から思える旅となった。それもこれも温かく迎えてもてなしてくださった親戚の皆さんのおかげで、濃縮度たっぷり満天の2日間を過ごした。

今回は、それぞれのお宅へ東京土産のほか、小さな写真アルバムをこさえていった。あまり大がかりなものを持っていっても、重いし、見る側にも無用の圧をかけてしまうので、良き時間があればさっと取り出して、ささっと見てもらえるようにしたい。

というわけで、L判(通常サイズ)の写真を24枚だけ入れられる手のひらサイズのアルバム(ナカバヤシのコット)を買って、そこに私の子どもの頃の分厚いアルバムから父方の親戚が写っている写真を24枚厳選、それをスマホで撮ってセブン-イレブンでカラー写真印刷して挟みこんで持っていった。

写真には40年前とかの、みんながよく知る懐かしい顔が並んでいるので、これが誰々ちゃんで、これが誰々さんで、これが誰それさんの家のお庭で、これが玄関前で…とページをめくる度に指さして説明を加えていく。すると、ほぅ、ははぁ、若いなぁ、パーマかけてるやん、これは誰や?などと声があがる。

私は見ても分からないけれど、皆さんであれば、ここがどこなのか分かるかもしれないと思い、背景に何が映りこんでいるかも気にかけて写真選びしたのだけど、このお店は、どこそこや。ここは今もほとんど変わっていないだとか、これはどこのお寺さんや?とか、しぜんと背景にも意識を向けて見てくださっている声を聞くことができて、幸せな気持ちに満たされた。

父は親戚と時間をともにしている間、ずーっとずーっとしゃべり続けていた。人の発言も制する勢いでずっとテンション高く、とってもごきげんで、皆さんにはずいぶんとご面倒をかけたけれど、これぞ我が父という感もあり、みんな寛容に、親切に、そんな父の奔放をにこにこと受け止めてくださった。

ここで「みんな」というのは、親戚の皆さんはもちろんのこと、晩にごちそうになった割烹料理屋の大将、お若い店員の皆さんがたに加え、カウンターに並ぶお客さんがた全員ひっくるめてだから、本当に「皆さんがた」がすぎるのだが。私が折を見て平謝りすると、皆さん柔らかく親密な笑顔を浮かべて、時にはそれも味わいとでもいうような寛容さをたたえて微笑み返してくださった。これが千年の都のふところか。

またいとこ夫妻にすっかりおんぶに抱っこでお世話になって、2日目は京都の旅館から、近鉄線に乗って奈良へ向かう。最寄り駅までは、父の兄の奥さん(私の伯母)が車で迎えに来てくれた。と思ったら、足を弱くしている父の兄(私の伯父)もわざわざ車の後部座席に乗って出迎えに来てくれていて、そわそわして家で待っていられなかったのだろう、父を心待ちにしてくださっていたことが伝わってきた。

奈良で過ごした時間は短く、お宅を訪問してお茶菓子をいただきながら、先のアルバムをめくったりして談笑した後、お寿司屋さんへ行ってごちそうになりつつおしゃべり。あっという間に帰りの時間を迎えてしまった。

もっと長居できるようにすべきだったのか。父が軽口をたたくように、長居すると喧嘩になるから、これくらいがちょうどいいというのが正解なのか。私には答えがない。

父が、足を弱らせて寡黙になった兄を見つめる眼差しには、深く複雑な思いが去来しているふうが感じられて、私にはどうにもほどきようがない。けれど、アラウンド・エイティーな兄弟を引き合わす機会を作ったことに、後悔はない。私にできることは、それくらいしかないし、それ以上に何か働こうとするのも違うだろうし。引き合わせたら、あとはただ隣に腰かけて、たわいもないおしゃべりを挟みつつ、兄弟の再会を邪魔せぬよう見守るばかりだ。

お寿司屋さんを出ると、もう一度一緒に家に戻ってゆっくりしていったら?ととめてくださるのを父は断って、駅へと頼む。最寄り駅まで車で送ってもらって、車道の脇に車をとめて降りると、伯母が数百メートル先の改札口まで案内してくれる。

伯父は車の助手席にかけたままだが、50メートル先で振り返っても、100メートル先まで歩いたところで振り返ってもなお、助手席からこちらに向かって大きく手をふってくれていて、その姿を思い出すと今でも、というか今だからこそ、涙がぽろぽろこぼれてきてしまう。その時は私が泣くわけにいかないし、気が張っていたのだけど。伯父の思いは、父の思いは、いかばかりかと、推しはかる力量もないのに思いが募ってしまって、私のどこにもそれを収められる器はなくって、ただあふれてしまう。

伯父は車から、伯母は駅の改札から、私たち二人が見えなくなるまで、大きく手をふってくれていた。間をおかずに再訪の機会を作って、ちょこまか再会できるのだと、父にも伯父と伯母にも思ってもらえるように働けたらなと思う。

親戚というのは、この歳にもなると妙に深みを帯びて、独特の親しみを覚えるところがある。私は生来人見知りで、若い頃はずいぶん遠い存在に感じていたのだけれど、人生も終わりが見えてくると、これほど深いご縁もないように思えてくる。顔を合わせると、すっと手をさしのべて、ふわと包みこみたくなるような気持ちがわいてくる。それと同時に、ふわと自分の身を包みこんでくれるような温もりも感じられる。

たぶんそれは、私が親戚として出会うお一人おひとりに恵まれているからなのだろう。親戚だからというコンセプトワードに丸呑みされてはいけない、この人だから、あなただから、ということを一人ひとり、一つひとつのことを大事にして、この世界を見つめていかなければもったいない。大事なことを、見誤ったり、見逃してしまう。

帰りの新幹線で東京に着く手前、父が「充実した旅だったなぁ」と口にした。私は、みんなに見せた小さなアルバムを、父にプレゼントした。

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