« 2024年10月 | トップページ | 2024年12月 »

2024-11-24

ネガティブ感情とうまいことやるオーソドックスな方法

ネガティブな感情が湧きあがったとき、それとうまいことやる方法というのを、教わった覚えはあるだろうか。気をてらった方法でもなく、有名人の我流でもなく、基本的でオーソドックスな方法。私は、ないと思う。

昭和生まれで義務教育も今よりガサツだった時代に育ち、大手企業がやるような体系だった新人研修も、管理職が受けるアンガーマネジメント研修も受けたことがなく、記憶力もとぼしい私には、こう教わりましたと思い出せるものが、これといってない。

それが先日、とある本*の中で「あぁ、これならやってる、日常使いしてるぞ」と思う感情調整の理屈に遭遇した。普段の生活を送る中で、野良作業しながらスキル獲得していたというやつだろう。本を読みながら、うまいこと自分の感情とやってるもんだなぁと気づくところがあった。

その理屈というのを図示して、おいておきたい。困っている人がいたとき、ぱっとこれを見せながら説明すると話が早そうだ、という自分の説明用にこしらえた一枚なので、足場だけ組んである感じで人には物足りないと思うが。使えそうだと思う方は、困っている人に説明するときなんぞに使えたら使ってください…。

感情調整のプロセス、心の健康との関連性(画像をクリック or タップすると拡大表示する)。

ProcessOfEmotionalRegulation

ざっくり言うなら、同じ状況でも、その状況にはいろんな意味づけができるわけで、多様な解釈スキルを向上させることが感情調整力の肝、心の健康維持にも寄与するという話。

人に伝える場合、実際には、相手に合わせてお手製シチュエーションを具体例挙げて示したり、本人が直面している苦難シチュエーションをネタ提供してもらいながら理解をたどるキャッチボールしてやらないと、知的満足は得られても実用に到達しないと思うので、その伝え方こそが肝になるのだけれど。

以下、理屈メモ。あと、ちょっとしたシチュエーション例も添えておく。

私たちは、いろんな状況で日々、嬉しいとか楽しいとか、腹が立つとかイライラするとか、悲しいとか寂しいとか不安だとか、焦るとか落ち着かないとか退屈だとか、恥ずかしいとか情けないとか、罪悪感がわくとか嫌悪感を覚えるとか、闘争心が芽生えるとかしているわけだが、あれが「感情」である。

で、同じ状況でも、どんな感情を経験するかは人によって違うし、どう処理したり、どう表出するかも人によって違う。個々人の性質(タイプ)によって、何を楽しいと思い、何に退屈さを覚えるかに違いが出るわけだが、それはここで論点としない。

また同じ人であっても、その時々のコンディションや、ちょっとした状況の違いで変わってくる。ふだんなら気に障らないことが気に障ったり、その逆もある。が、それもここでは焦点化しない。つまり「状況同じ、人が違う」「人同じ、状況が違う」いずれによる感情の経験差でもなくて。

ここで焦点化したいのは、その人の「感情調整」の力量、言わば感情を扱うスキルによって、感情の経験の仕方に違いが出るという話題。

感情調整とは何か。

人が、いつ、どのような状況で、どのような感情を経験したり、表出したりするかに影響する一連の過程を捉える概念

「イライラする」「不安だ」という負の感情を抱いても、それを処理する方法は人によって異なり、調整する力量(スキル)次第で、ネガティブな感情に振り回される回数は減らせる。うまく活用できれば、ポジティブなエネルギーにも変えうるという話だ。

上の図は、日々ふつうにやっているプロセスを、くどくど図にしてある感じ。なのだけど、これを意識化して、脳で捕まえて、心で扱えるようになることが大事なので、あえてくどくど図の内容を言葉に起こすならば、

1.感情が4つのプロセス(状況、注意、評価、反応)を経て生起する中で、
2.5つの感情調整(状況選択、状況修正、注意配置、認知的変化、反応調整)が、それぞれ行われうる。
3.世界中に多数ある研究成果をメタ分析すると、5つの感情調整プロセスは「心の健康」と関連するもの、しないものに結果が分かれる。
4.「弱いか中程度の効果」が認められたのは唯一「認知的変化」のプロセスである。
5.「認知的変化」というのは、置かれた状況への評価や捉え方を変えること。

つまり、自分が置かれている状況に対して、それがたとえ自分の力では変え難いと思える状況や環境だったとしても、置かれた状況をどういうふうに解釈するかは、いくらでも発想のめぐらしようがあるということ。少なくとも、解釈が1つで終わる状況などない。そう思うなら、それはスキル不足による思い込みだ。

例えば、ファミレスでパソコン持ち込んで一人仕事をしていたとして、家族連れが隣りの席に座った。子どもらがわいわい騒いで一気にうるさくなり、仕事に集中できなくなった。最初にイライラする感情がわいたとして、「でも、ここ、ファミリーのレストランだしな」とか「静かな空間で仕事に集中したいんだったら、それをサービス料に含んだ場所に行くなり、職場なり自宅なり自由がきく場所に行かなきゃいけないのは自分のほうだ」というように、自分の状況解釈に変更を加えるのが「認知的変化」だ。

こういうプロセスを加えると、最初にわいたイライラ感というのが、少なくともそれ単体で自分の心を占拠している不健康状態から解放されているだろう。

このファミレスのシチュエーションで、他のプロセスを例示するなら、

「状況選択」は、そもそもうるさい環境を予見してファミレスには行かないとか。
「状況修正」は、人気が少ないほうに席を移動させてもらうとか。
「注意配置」は、自分の注意をそらすべくイヤホンをするとか。
「反応」は、深く息を吐くとか、むっとした表情をするとか、睨むとか目を閉じるとか、だろうか。

この辺を解説する本のくだりを読んでいて、確かに「認知的変化」は、心の健康確保に日常使いしているなぁと思ったわけだ。

「自分自身」あるいは「話す相手」が直面している状況に合わせて、認知的変化を加えながらポジティブ感情を引き出すアプローチを考えていければ、日常かなり開放的に心の健康を維持・運用できる。その感情をエネルギーにして、「反応」後の具体的な行動選択、あるいは回避行動、人間関係づくりを展開していくこともできよう。

結局やっぱり、ちょっとお堅い文章になってしまったが、日々いろんな状況に直面する中で、いらっとすること、しょんぼりすること、ネガティブ感情を抱えることはままあることであり、むやみに周囲に変更を迫ったり、我慢して心を疲弊させたりせず、自分の「状況の評価の仕方、捉え方」を、うまいことチューニングして再解釈を与える。このオーソドックスな方法は、もっと日常使いされていいのではないかと素朴に思ったのだった。

いや、私以上にうまいこと使えている人もわんさかいるだろうことは承知の上だが。このスキルのたゆまぬ鍛錬は、感情の味わい方を豊かにするばかりでなく、人生の味わい方を豊かにするんじゃないかなぁって思うのだ。

*小塩真司 編著「非認知能力: 概念・測定と教育の可能性」(北大路書房)

2024-11-16

長編小説「ザリガニの鳴くところ」が与えてくれるもの

先月半ば、本屋で平積みされていた分厚い文庫本を2冊買って帰った。いずれも600ページある長編小説で、ひと月近くかけて1,200ページを読破したのだけど、終えてみると、なんだか2つの旅を終えて帰ってきたような心持ちに。長編小説を読むというのは、ひとり旅をする体験に近いなぁと思った。

どちらもハヤカワの文庫本で、「未必のマクベス」「ザリガニの鳴くところ」も、同じような夕焼け色の表紙をしている。その静けさに惹かれて手に取ったのだけれど、中身を開けばまったく違う世界が広がる。かたや2000年頃からの香港の大都会を舞台に、かたや1950〜60年代のノースカロライナ州の湿地を舞台に、1ページ目から全然違うところに連れて行かれる。見た感じ、ほとんど同じ物体なのに(というと装丁家に失礼だけど、買ったのは装丁のおかげだ)。

私が大型書店で目にとめてひょいと気分で買って帰る小説というのは、つまり、すでにめちゃめちゃ売れていて、読んだ人が世の中にわんさかいる作品ということだ。「ザリガニの鳴くところ」は、2019年、2020年にアメリカでいちばん売れた本とのふれこみで、映画化もされているのだとか(知らなかった)。

そういう長編小説を読んでいる最中よく思うのは、「私の前に、こうして同じようにページをめくり、一人でこの小説を読み耽って時間を過ごした人が、この世界にはたくさんいるのだ」ということ。この読書時間を尊く思い、この物語に心をおいて過ごした人たちが、この世の中にわんさかいるという心強さ。その人たちは今この時も、私がまだ知らない別の物語を、ひとり読み耽っているかもしれない。そうして、この不穏で不透明な世の中への信頼を回復しながら、小説の続きを読む。

「ザリガニの鳴くところ」は、動物学者が69歳にして初めて書いた小説だそう。人間そのものの野生や、人間をとりまく自然界の底知れなさを全景にした物語には、彼女の人生経験を総動員して作り上げた作品の力が宿っている。

社会を騒がすトラブルが浮上するたび、人間のクリーンでない側面、倫理的に許しがたい素行を、その場しのぎで覆い隠して、個人を消して罰して、底浅く善悪判定をつけて片づけようとしている世の中を糾弾しているようにも感じられた。

人間の野生や、自然界がもつ野蛮さをさらしてみせ。人間のもろさ、不完全で、いびつで、偏ったものの見方・考え方から決して逃れられない性質を突きつけてみせ。その一方、人の、個人のもつ並はずれた環境適応のポテンシャルにも光を当ててみせる。

誰にも覚えがあるだろう「人から拒絶される」体験、誰とも分かち合えず抱え込んでしまう孤独感を、とことん掘り下げていく。

もし、もっと人間社会が成熟した先に、誰も「人から拒絶される」という体験を覚えることなく、孤独感に苛まれることなく、理不尽も不条理も経験することなく生きていけるようになったら、こうした小説の読書体験価値は衰えてゆくのかもしれない。けれど今の10代が経験した苦悩話を聞くかぎり、私にはまだ当面そうなる見通しをもてないし、それこそが人間の追求すべき未来展望かと問われて、安易に首肯もできない。

何十年と生きていけば、たいていの人が、むごたらしい現実に直面させられる。たとえ助け合ったり慰め合ったりできる仲間がいても、それだけでは根本解決ならず、本人が個として対峙しなきゃならない難局というのが、特別な人にだけではなく、たいていの人にやってくるものじゃないかと、私はそのように人の生を見立てている。

もちろん、おかれる境遇は千差万別で、人と比べて自分の境遇が軽く見えたり重く見えたりもする。けれど共通するのは、それぞれに自分のそれを抱え込むということ。だから、ノースカロライナの湿地に生まれて親にも兄弟にも置き去りにされ、たった一人で生きてきた少女の極限の嘆きにふれて、彼女と境遇は大いに異なるのに、読者はその痛みに共鳴する。だから、これほど読まれているのではないか。そこに私は、心強さと励ましを得ているように思う。

自分だけじゃない、他の多くの人たちも、人は代々、自分と同じかそれ以上の難局を個人で体験してきていて、それを歯を食いしばったり、やり過ごしたり、時間かけて乗り越えたり、それと共生する覚悟を決めたりして、どうにかこうにか生きているんだと発想が及ぶ。それを支えに、自分も自力で立ち上がって、自家発電で自走を再開する脳内展開力が働く。

人ひとりが普通に人生を全うするのは、なかなか難儀なもので、こうしたものを備えていかないと、なかなかどうして、やりきれないんじゃないかと。古い人間と言われればそれまでの話、20世紀人間の杞憂かもしれない。あとはもう、それぞれの世代が、それぞれの時代を生きてみて、その次の世代が振り返ってみるほかないけれど。

ともかく今を生きる私は「これを読んでいる人が、世界中にたくさんいるのかー。これを読んで、素晴らしいと評する人たちがたくさんいる世の中というのは心強いなぁ」と感嘆しながら、長編小説に力をもらって、のらりくらりやっていくのだ。

2024-11-07

親戚を訪ねて、再会と別れと再会の約束と

3連休明けの朝を迎えて世の中が気合いを入れ直しているさなか、通勤ラッシュが一段落した頃合いを見計らって父と私は東京駅に集合、新幹線に乗って京都・奈良旅行に出かけた。ちょっとした気晴らし旅行というふうをよそおって父を誘い、心のうちにはひそかな思いと、小さな企てがあった。

父のふるさとは京都だ。京都は本家に会いに、奈良は父の兄夫婦に会いに行く旅。きっかけは、最近足が弱くなって表に出歩けないと伝え聞いた父の兄(私の伯父)を励ましに行こうというもの。父も最近病院の世話になって、あれやこれや大変だったので、父に「兄を励ます」キャスティングをして舞台に上げれば、伯父を励ますだけでなく、父を元気づける作用もあろうかと期待したのはここだけの話。

やってみると一泊二日は強行軍で、父には申し訳ない気持ちもわいたけれど、誘って、行って、良かったと心から思える旅となった。それもこれも温かく迎えてもてなしてくださった親戚の皆さんのおかげで、濃縮度たっぷり満天の2日間を過ごした。

今回は、それぞれのお宅へ東京土産のほか、小さな写真アルバムをこさえていった。あまり大がかりなものを持っていっても、重いし、見る側にも無用の圧をかけてしまうので、良き時間があればさっと取り出して、ささっと見てもらえるようにしたい。

というわけで、L判(通常サイズ)の写真を24枚だけ入れられる手のひらサイズのアルバム(ナカバヤシのコット)を買って、そこに私の子どもの頃の分厚いアルバムから父方の親戚が写っている写真を24枚厳選、それをスマホで撮ってセブン-イレブンでカラー写真印刷して挟みこんで持っていった。

写真には40年前とかの、みんながよく知る懐かしい顔が並んでいるので、これが誰々ちゃんで、これが誰々さんで、これが誰それさんの家のお庭で、これが玄関前で…とページをめくる度に指さして説明を加えていく。すると、ほぅ、ははぁ、若いなぁ、パーマかけてるやん、これは誰や?などと声があがる。

私は見ても分からないけれど、皆さんであれば、ここがどこなのか分かるかもしれないと思い、背景に何が映りこんでいるかも気にかけて写真選びしたのだけど、このお店は、どこそこや。ここは今もほとんど変わっていないだとか、これはどこのお寺さんや?とか、しぜんと背景にも意識を向けて見てくださっている声を聞くことができて、幸せな気持ちに満たされた。

父は親戚と時間をともにしている間、ずーっとずーっとしゃべり続けていた。人の発言も制する勢いでずっとテンション高く、とってもごきげんで、皆さんにはずいぶんとご面倒をかけたけれど、これぞ我が父という感もあり、みんな寛容に、親切に、そんな父の奔放をにこにこと受け止めてくださった。

ここで「みんな」というのは、親戚の皆さんはもちろんのこと、晩にごちそうになった割烹料理屋の大将、お若い店員の皆さんがたに加え、カウンターに並ぶお客さんがた全員ひっくるめてだから、本当に「皆さんがた」がすぎるのだが。私が折を見て平謝りすると、皆さん柔らかく親密な笑顔を浮かべて、時にはそれも味わいとでもいうような寛容さをたたえて微笑み返してくださった。これが千年の都のふところか。

またいとこ夫妻にすっかりおんぶに抱っこでお世話になって、2日目は京都の旅館から、近鉄線に乗って奈良へ向かう。最寄り駅までは、父の兄の奥さん(私の伯母)が車で迎えに来てくれた。と思ったら、足を弱くしている父の兄(私の伯父)もわざわざ車の後部座席に乗って出迎えに来てくれていて、そわそわして家で待っていられなかったのだろう、父を心待ちにしてくださっていたことが伝わってきた。

奈良で過ごした時間は短く、お宅を訪問してお茶菓子をいただきながら、先のアルバムをめくったりして談笑した後、お寿司屋さんへ行ってごちそうになりつつおしゃべり。あっという間に帰りの時間を迎えてしまった。

もっと長居できるようにすべきだったのか。父が軽口をたたくように、長居すると喧嘩になるから、これくらいがちょうどいいというのが正解なのか。私には答えがない。

父が、足を弱らせて寡黙になった兄を見つめる眼差しには、深く複雑な思いが去来しているふうが感じられて、私にはどうにもほどきようがない。けれど、アラウンド・エイティーな兄弟を引き合わす機会を作ったことに、後悔はない。私にできることは、それくらいしかないし、それ以上に何か働こうとするのも違うだろうし。引き合わせたら、あとはただ隣に腰かけて、たわいもないおしゃべりを挟みつつ、兄弟の再会を邪魔せぬよう見守るばかりだ。

お寿司屋さんを出ると、もう一度一緒に家に戻ってゆっくりしていったら?ととめてくださるのを父は断って、駅へと頼む。最寄り駅まで車で送ってもらって、車道の脇に車をとめて降りると、伯母が数百メートル先の改札口まで案内してくれる。

伯父は車の助手席にかけたままだが、50メートル先で振り返っても、100メートル先まで歩いたところで振り返ってもなお、助手席からこちらに向かって大きく手をふってくれていて、その姿を思い出すと今でも、というか今だからこそ、涙がぽろぽろこぼれてきてしまう。その時は私が泣くわけにいかないし、気が張っていたのだけど。伯父の思いは、父の思いは、いかばかりかと、推しはかる力量もないのに思いが募ってしまって、私のどこにもそれを収められる器はなくって、ただあふれてしまう。

伯父は車から、伯母は駅の改札から、私たち二人が見えなくなるまで、大きく手をふってくれていた。間をおかずに再訪の機会を作って、ちょこまか再会できるのだと、父にも伯父と伯母にも思ってもらえるように働けたらなと思う。

親戚というのは、この歳にもなると妙に深みを帯びて、独特の親しみを覚えるところがある。私は生来人見知りで、若い頃はずいぶん遠い存在に感じていたのだけれど、人生も終わりが見えてくると、これほど深いご縁もないように思えてくる。顔を合わせると、すっと手をさしのべて、ふわと包みこみたくなるような気持ちがわいてくる。それと同時に、ふわと自分の身を包みこんでくれるような温もりも感じられる。

たぶんそれは、私が親戚として出会うお一人おひとりに恵まれているからなのだろう。親戚だからというコンセプトワードに丸呑みされてはいけない、この人だから、あなただから、ということを一人ひとり、一つひとつのことを大事にして、この世界を見つめていかなければもったいない。大事なことを、見誤ったり、見逃してしまう。

帰りの新幹線で東京に着く手前、父が「充実した旅だったなぁ」と口にした。私は、みんなに見せた小さなアルバムを、父にプレゼントした。

« 2024年10月 | トップページ | 2024年12月 »