限定公開と一般公開のはざまにある文章
14年近く前、母の末期がんが発覚して、いきなり余命何ヶ月かということになったときには、日ごとに揺れる自分の胸のうちを、かなりこまめにブログに書きつづっていた。文章にすることで、どうにかこうにか乗り切っていたのだと、遠い目で振り返る。
そうして14年ほど経過、ずいぶんと自分なり身内なりの機微情報にふれそうなところをネット上に記述することは、その一切が憚られるようになったなぁと肌で感じる。共有するメリットより、開示するリスクが圧倒的に前景化して見える。そこに、時間の経過を感じている。
でも、なのだ。これも、その昔という話だが。私は「翼状片」という目の病気を患って、両目とも手術をした。その顛末をグロテスクにブログに書きつけていたのだが(ちなみに先月で術後10周年を迎えた)、あれには今なお断続的にアクセスがあり、また患者本人や、親御さんなどから私に質問も入る。
「翼状片」や「目の手術」などで、患者本人の声、手術の体験記を読みたい人らがやってきては、読んで励みにしてくれたり、情報を活用してくれている。エントリーにコメントをつける形、あるいはメールを使って質問を寄せる方も、これまでに一人や二人ではない。つい最近もあった。
私にとっては、インターネットの価値実感って、ここに原体験がある。エンジニアでもデザイナーでもない私は、ごく普通の社会人として七六世代を生きてきたので、インターネットを一市民として使ってきた感覚が強く、ただの人である自分がブログを書いて、それが、「誰それのブログ」として価値をもつのではなく、「見知らぬ人のブログだが、その中の1エントリー」が誰かにとって意味をもつことの実現を、体感してきた。
生活地域が異なっても、共通する悩みや課題、希望や興味をもっている市井の人らがネットを介してつながり、情報や意見やノウハウが有意義に交換される。そういう野良作業に魅了されたわけだが。
ここ10年だけ振り返っても、ずいぶんと風向きは変わってしまった。そういう野良に価値を求め続ける指向にしがみつかず、さらりと別のものにアップデートしなくてはならないのかもしれない。できれば、その別のものと共存して、ココログの片隅とかに残り続けないものかなと、そんなことも思わないではないが。まぁ、世の流れに身を任せるほかないか。
そんなわけで、これの一つ前のブログエントリーは、前日にはひとまずFacebookに友人限定で公開した文章を、いくらか手直ししてのっけた次第。これにあたって、こんな長い文章を書いてしまう自分は、なんだか、おじいさんの気分である。
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