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2024-10-11

「企業文化をデザインする」仕組み化と余白確保の按配

冨田憲二さんの「企業文化をデザインする」を読んだ。人を採用するときにはスキルマッチだけでなくカルチャーフィットの具合をみるのも必須だとか。メンバーをマネージャーに昇格させる時には、持ち場の職能レベルの高さだけでなく、組織のカルチャー体現者でないとチームが回らなくなるとか。企業文化や組織カルチャーの重要性を説く発信に触れることは多い。

が、実際どこまでどう仕組みを作ってデザインし、どこは余白として遊ばせておいたほうがいいか。ダイバーシティも説かれる昨今、これとの両立にも整理をつけてかからないと、二枚舌の矛盾だらけで納得感のない組織運営になってしまう。

先の本は、実務家による実務家のための良書、基本が読みやすく分かりやすくまとめられている印象。が、テーマがテーマなだけに、この基本の上に立ってどうデザインしていくかは極めて個別的な話。著者も説くように、よそから良さげなものを持ってくるのではなく、自社の内省を起点にデザインすることが極めて重要となる。

AmazonやNetflixのをトレースして、うまくいく企業は早々ない。組織を形成している人間が違う。市場環境も違えば、事業フェーズも創業期なのか急成長期なのか安定期なのか変革期なのかで、取り組む課題設定も変わる。もちろん目指すビジョンもミッション定義も、各社オリジナルなわけだから全然違う。そこの個別デザインに、組織運営の創造的活動が立ち上がるとも言える。

本の中では、人の採用と評価が極めて重要として、「カルチャーフィットの観点から見たときに少しでも疑問符がつくならば、絶対に採用しない」という固い信念を説くけれども(p147)、人を選べる強者の企業でないと、なかなか…とか。

選考シーンだと、応募者が入社後に変わる余地をどう見極めるか、とか。その人が入社して感銘を受け、柔軟に変化してコアバリューの体現者になっていく可能性はゼロじゃない。選考シーンで、その可能性が70%なのか30%なのか判断するのは簡単じゃない。

また、今自社が掲げているコアバリューがどれほど絶対的なものか、明晰に言葉に言い表せているのか、ここも絶対がない。「この応募者の、自社とのカルチャーフィットはいかほどか」を測る指標は、どれほど洗練されて装備できているのか。本当に排除すべき異分子なのか、多様性を高めるポテンシャル人材ではないと言い切れるのか。

採用機会を逃して本当にいいのかは実際、判断の難しい局面も多い中で、「ビジョン、ミッション、コアバリュー」という抽象的記述から、企業文化として経営戦略、事業戦略、人事戦略・人事ポリシー、人事制度として具体的な仕組みに落とし込んでいくか、どこまで仕組みに落とし込んでいくか、このデザインの按配は極めて難しいと感じる。少なくとも、難しいという感覚を働かせ続けることが、膠着化や形骸化をさせないために大事な気がする。

さらに、自分が身近にして最も難しいと感じているのが、現場マネージャーらがどこまで若手に、仕事観や働き方、日々の行動・判断のあり方を指導・伝承し、どこから先は踏みとどまるべきか。

厳化する社会通念やコンプライアンス、ダイバーシティやらとの調和を取りながら、現場で部下にコアバリューに基づく行動選択を導いていくミドルマネージャー層の板挟み状態に思いを馳せることは多い。部下のワークライフバランスやメンタルケアの守備にまわりがちな現場の苦悩を見聞きする今日この頃。自分ができる現場のサポートに、こまやかな洞察をもって取り組んでいきたい。

*冨田憲二「企業文化をデザインする」(日本実業出版社)

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