遊びと研究と仕事がない交ぜになった、エキサイティングな場所としての会社組織
CG・映像の月刊誌「CGWORLD」が、今月号で「デジタルハリウッドの30年」を特集している。デジタルハリウッド株式会社は、私が社会人になって(ほぼ)最初に勤めた会社、1996年から2000年まで丸4年お世話になった。
ちょうど今、同大学の卒業生が「第51回学生アカデミー賞」のアニメーション部門で銀賞を受賞した快挙で話題になっている。が、私が所属していたのは時をぐるんぐるんと巻き戻して、今から20年以上前のことだ。
1990年代後半、世の中はインターネットが普及していく黎明期にあった。会社は設立2年足らず、創業期から急成長期へと移行する只中だったろうか。猫の手も借りたい時期に、猫の手としてなら役立つことを認められて転がりこんだかっこうだ。別に、コンピュータやインターネットに詳しかったわけでもないし、工学や建築、CGを専攻していたわけでもない。私は「とらばーゆ」で、たまたま引っかかっただけだ。
当時はまだ数十人のスタッフが、淡路町の雑居ビルに散らばって、ビル間を行ったり来たりしながら昼夜なく事業をしていた。生みの親会社であるVSL(研究所)も、そこから生まれた小会社も、同じように近所の雑居ビルに点在し、親も子もまるで同じ会社の部署違いのような緊密さでやりとりしていた。「システム関係は、VSLのTさん」みたいな感じで、私のような小僧の入社時の初期設定からマシントラブルまで親会社の人が親身に面倒をみてくれた。
特集では、はじめに「杉山知之学長の巻頭インタビュー」が展開される。杉山先生は、社会人なりたてほやほやの私に「会社」というものを具現化して見せてくれた人だった。それに気づいたのは会社を辞めた後、長い年月を経て振り返ったときのこと。会社も、仕事も、事業も、ビジネスも全部、有意義なものなのだという当たり前を、私にインストールしてくれたのは杉山先生だったなと。それが、私が社会人として仕事場に立ち続ける足場になっていた。
という話は以前ここにも書いたことがある(「みんなを生きるな。自分を生きよう。」に触れて)ので、これくらいにして、今回の特集である。
特集では、設立当初や、会社設立前の話を、とりわけ興味深く読んだ。
1987年からのMITメディア・ラボ客員研究員の任を終え、杉山先生はデジタルハリウッドの生みの親の研究所(VSL)の所長に就き、「日本大学理工学部の建物の空き部屋を占拠して、経済産業省や国土交通省からの委託でVRコンテンツを制作していた」、1992年のことだ。
杉山:やってみると困難の連続で、人が足りず、なんとかツテを頼ってCGがわかるプログラマーを雇用したのですが、会社組織の中では、はみ出していた人ばかりでした。とにかく働きたいように働いてもらい、やりたいことを追求して、開発できるように心がけていました。
数年経てVSLに入社した90年代中頃の職場環境を、インタビュアの広川さんが語る。
広川:当時のVSLは、遊びと研究と仕事がない交ぜになった、エキサイティングな場所でした。僕も含めて、普通の会社だと「社会人失格なんじゃない?」と言われるような人も多かったと思うのですが、自分の個性をなくすことなく、ちゃんと居場所がありました。それぞれが好き勝手なことをやっていながら、ひとつのコミュニティの中に収まっていて、理想的な環境だったと思います。
重ねて、当時のデジタルハリウッドの学校環境を杉山先生が語る。
杉山:学校の中はカオスそのもので、学生たちは徹夜で作品をつくり、廊下で仮眠をとっていました。朝になると、男女を問わず学校の洗面所で頭を洗い、会社に出かけたりしていました。VSLもデジタルハリウッドも、そこにながれるエネルギーは、まさにMITメディア・ラボと同じでしたね。よく「デジタルハリウッドって、ほかの学校と何がちがうのですか?」と聞かれるのですが、ちがいは受け継いでいる文化なのですよね。
「文化」という言葉が、心にとまる。「文化を受け継ぐ」という文化が、どのように伝承・継承していけるものかなと、最近立ち止まって思い耽ることが多い。文化を受け継いでいくことに、現代どれほど慎重に、軽視せずに取り組めているだろうか。
悪きを断ち切ろうキャンペーンは旺盛だが、そこで一切合切を分別つけず断絶して、良きをも断ち切っては、人間の営みとして、あまりに杜撰だろうと思う。人間は基本、伝承して、継承して、生きてきたのだ。その尊さが減じているわけじゃない。
閑話休題。たぶん上位のエリート層には、そこ独特に受け継がれていく文化、引き継がれていく価値観があるんじゃないかとも思う。あるいは、それと真逆の底辺意識をもったアンダーグラウンド層にも、それはあり続けるかもしれない。
けれど日本の個性は、そのどちらにも所属意識のない私のような凡庸な6割の層に「たまたま転がりこむ」チャンスが、ごろごろと転がっているところにあったように思えてならない。学歴エリートでも家柄エリートでもなく、IT強者でも情報強者でもない、意識高い系でも低い系でもない、ぼんやりと社会人になった人間が、社会に出てから遭遇する機会に乗じて「化ける」ような化学反応を起こすところに豊かな恵みがあった。
それを安易に手放してしまうと今度は、欧米社会が抱えている「ごく一部のエリートと、それ以外との格差問題」に飲まれてしまうだけなのではないか。日本には、日本人の文化にフィットする、もう少し別のアプローチがありそうで、それについて悶々と考えている。
もちろん、ワークとライフをライフ重視でバランスとりたい人が、それを叶える道を選択できる社会は豊かだと思う。一方で「遊びと研究と仕事がない交ぜになった、エキサイティングな場所」も、若者の選択肢としてあり続けるのが、本来目指す多様性社会じゃないのかなと。今は多様性多様性と謳いながら、「Aの画一性社会」から「Bの画一性社会」へと大移動しているだけのように感じることも多い。どちらも選べる、選び直せるというポジションどりが、社会の中の6割の民にも開かれていてほしい、そんなことを思うのだけれど。なかなか、うまく表現できなくって、毎回こんな文章にとどまってしまう。
*CGWORLD 2024年11月号 vol.315(ボーンデジタル)
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