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2024-08-19

組織の分業化、個人の専業化が招くリスク

宇田川元一さんの『企業変革のジレンマ 「構造的無能化」はなぜ起きるのか』にある図は見応えがあり、文字を追いながら自分でも書いてみた。

企業の環境適応と無能化のメカニズム(クリック or タップすると拡大表示)。

企業の環境適応と無能化のメカニズム

自社の事業が当たって軌道にのってくると、その組織活動を効率化して環境適応していく中で、悪循環に陥る図。

1)組織は分業化・ルーティン化していく
2)そうすると組織は断片化する
3)するとルーティンの慣性力が働いて膠着化する
4)部門間・階層間にも隔たりができ機能不全に陥る
5)組織の考える能力と実行力も低下していって
6)問題解決しようとしても表層的にしか問題が捉えられなくなる
7)「どこそこ部署が悪い、誰それの能力が低い」と問題設定が的を射ず
8)組織は構造的に無能化し、脱出が困難になる

三角の中央に「狭い認知枠組み」と置かれていて、組織のみんなしてこの病にかかる様子が描かれている。

組織理論研究者のカール・E・ワイク氏いわく「適応が適応可能性を排除する」というのは、言い得て妙である。今への適応は、先への適応を遠ざける。

先の本には、これにはまった企業の「現場あるある」描写がふんだんに詰まっていて、「おまえのことやで!」「おまえの、そういうとこやぞ!」とつきつけては読者を当事者と認識させる力がある。

企業改革が頓挫するのを「あなたは誰かのせいと思っているかもしれないが、それは思い違いじゃないか?」「あなたはやっているつもりかもしれないが、周縁をぐるぐるまわっているだけじゃないか?」という問いかけが詰まっている。そうして読者の心の中に介入し、問題の本質、解決の道筋を丁寧にほどいていく。

何が問題かがよくわからない状態の組織は、流行のソリューションを次々と取り入れようとしがち

とか。問題を表層的に捉えては、外部からそれらしいソリューションをあてがって、アリバイ作りのような施策展開に終始している。その既視感たるや。

あるいは「戦略」といって示されているものの多くが、実際には戦略になっておらず、「自社が行おうとしていることの概要とその数値目標の提示」にとどまっているなど。

戦略とは、経営戦略論の大家リチャード・ルメルト「戦略の要諦」によれば次のように定義されるらしいが。

戦略とは困難な課題を解決するために設計された方針や行動の組み合わせであり、戦略の策定とは、克服可能な最重要ポイントを見きわめ、それを解決する方法を見つける、または考案することにある

これを念頭におくと、「戦略」という見出しはつけて発表しているものの、「え、今、方法について何も言ってなかったよね?」という戦略は、けっこう巷にあるあるではないか。目的が曖昧、課題設定がない、方法がない、この3つの連関がない。

自分たちの優先順位は何で、自分たちが活用できるリソースは何で、何は一旦捨てて、何に集中するのかが示されていない。現場で考えようとしても、上の3つの連関が見えないと、掘り下げようにも難しい。

先の書籍は、後半に至ると解決の道筋。これは地道なところに行き着く感があるけれど、めちゃくちゃ頭のいい人にしか解せない方法論や、そんじょそこらにいない人格者にしか実行できない突飛な方法を示されるより、ずっと良い。

安易に単純化したり、わかったつもりで突破しようとせず、外にある型・ソリューションをあてがって対処したことにして済ませようとせず、上のせいにせず、下のせいにせず、自分が自分の立場でできることを自分の果たすべき役割として、腹を決めて、腰据えて、取り組めるかどうか。

中の人らで対話して、個別化して、自社ごととしてユニークな解を考えられるかどうか。うちの問題を、うちの課題を、うちの状況・条件下で、うちの打開策を掘り下げていって、その合理的な手順を企てて、行きつ戻りつ、手を打っていけるかどうか。そこに外部の人をサポーターやコンサルタントとして取り入れるのは有効な手立てであり続けるとは思うけれど、中にキーマンがいなければどうにもならない。

あと、企業改革という枠組みから、ちょっと外に文脈をはずしてみて思ったこと2つ。

界隈でよく見かける「仕組み化」「ガイドライン化」「マニュアル化」して安定運用を志向する組織活動の功罪。良きものとして絶対視するのは危ういし、ではやらないのがいいかというと、そういう曲解も愚か。どこまで、どういう按配で仕組み化して、運用フェーズ後にどうテコ入れしてまわしていくと健全に保てるかの按配デザイン&マネジメントに手腕が要るというか。

運用フェーズに乗せるまでを自分の役割とする「ゼロ→イチ」の立ち上げ屋はだいたい、安定運用に乗るや、そこを立ち去ってしまうものだが、それを引き継いで運用・改善をまわす現場で、何が起こりうるかに目配りしないと、上記のような組織の無能化を引き起こしかねない。

中長期的な組織活動で捉え直すと、分業化(専門化)やルーティン化(安定運用化)を推し進めるのとあわせて、複眼的に逆風をふかしていく目線も必要で。選択と集中も必要なら、そこで捨てたほうに何があって、いつまでにはそっちにも手をつけないと取り返しがつかないことになるかもみながら活動していく必要があるんだろうなぁと。だいぶ抽象的なことを書いているけれども。何事も一辺倒では、済まされない。

あと、もう一つ。先の図を眺めていると、個人のキャリアにも重なるところを覚えた。組織が分業化し、ジョブ型なんて推し進めるのと並行して、働く個人も専門家を志向し、職務の専門特化・専業化を望み、(今の自分が目する範囲の)成長につながる仕事しかやりたくない!という欲求を強くして、その先鋭化が過ぎると、その人の「仕事力」は断片化、不全化、表層化して、どんどん「つぶしが効かない」キャリアになっていく、そんなリスクも覚えた。

その仕事、特定の専門性が廃れたらジ・エンドなキャリアを積むのは超リスキーと思うのだが、けっこうそこに、はまりやすい時世のように思う。抽象的に言っていてもどうともならないので、自分の現場現場で、できる働きを具体化してやっていけたらと思う。

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