「させてみて」だけでなく「やってみせる」育成アプローチ
個人事業主になってから新しく経験した仕事の面白みというと、一つに人事制度設計の仕事、もう一つにプロジェクトマネジメントの個人トレーナー仕事が、ぱっと思い浮かぶ。
私は会社員時代に部下をもたなかったし、個人で出て行ってお客さん相手に仕事することが多かったので、社内で後輩を育成する役割も担っていなかった。
お客さん相手の仕事というのも「研修サービス」が中心だったので、ソリューションとしては特定の「集団」向けに育成施策を考えることが多かった。それに講師は、学習テーマに合わせてその道の実務家を招聘することが多く、私自身が教える役割を担うことは稀だった。私の役どころは「教え方」とか「学び方」とか「評価の仕方」とかを裏方で仕込むほうだった。
個々人のアウトプットに対して個別評価を行って返すことはあっても、とことん特定の「個人」の特徴、動向、克服課題などを掘り下げていって「◯◯さんに一定期間かかわり尽くして育成施策を講じる」という個別対応は、なかなか経験がなかったのだ。
それが個人事業主になって以来ずっと、縁あってプロジェクトマネジメントの個人トレーナーっぽい仕事を続けている。プロジェクトを終えると、別の対象者に育成相手は入れ替わるのだけど、同じ法人のお客さんから若手社員の方が選ばれては顔合わせして、その人が任されたプロジェクト(になる前の曖昧模糊とした組織が直面している事象)を前提に、案件がスタートする。
それを、どう組織的な問題として捉えて、課題設定をして、一定のスコープや期限といった枠組みを設定した上で、WBSやスケジュールに展開して、実行フェーズを取り回していくかと、その辺のところを伴走していく役どころを担っている。
これは、とても面白いし、やりがいがある。なにぶん、その人ひとり、特定プロジェクトに分け入って分け入って、その人がプロジェクトマネジメント力を備えていけるように、そのプロジェクト活動がうまく価値を生み出すように、集中して働けばいいのだ。
話を聞く相手は目の前にいて、どこでつまづいているか、どの辺に不透明さがあるかも、本人に聞けばいい。研修会場のように、集団の中で発言しなきゃならない緊張や億劫さもないので、相手も腹をわって率直に話してくれやすい。
私は全面的にその人の味方であるし、今ここで弱いところを見せなきゃ損という感じもある。なんだかんだプロジェクトが終われば会わなくなる相手なので、彼・彼女にとって私は見栄をはったり気張る対象にもならない。この明らかに何者でもなさそうな風貌も一役かっているであろう…。
いろいろ話を聞いたりして、ある程度の情報・状況が見えてくると、プロジェクト計画書に落とし込んでいく段に入るのだが、そこで私はその若手プロジェクトマネージャー氏に宿題を出す。
シンプルなドキュメントファイルに、プロジェクト計画に「必要な項目」と、項目ごとに「どういうことを記すことで、どう計画の骨格を形作っていくかのワンポイント解説」を入れてある計画書テンプレートを渡して、それを参考にしつつ、次回までにプロジェクト計画書を作ってきてもらう。
困ったら困ったで、どう困ったかをメモってきてもらえばOK。とにかく、自分が預かるプロジェクトで、これが問題だ、だからプロジェクト化して取り組む必要がある、何が目的で、何をゴールとし、いつまでの期限とすると、スコープをどこまでと範囲設定し、具体的には何をどのレベルで成果物として用意する算段かと。そういうことを一通り、自分のできるかぎりで言葉に、文章にしてきてもらう。
パワポとかのスライドにしないで、シンプルなドキュメントで上から下に項目立てて論理構造を眺められるようにする。
そして相手が宿題をやっている期間に、私も同じ宿題をやる。相手のほうがもちろん内部事情には詳しいわけだが、私は今ある情報からプロジェクトを骨格立てること、情報を秩序立てることを念頭において参考例を示せるように準備する。
それをこしらえておいて次回に、相手の宿題を見せてもらって説明してもらった後、私はこのプロジェクトをこういうふうに捉えて計画書をこう作ってみたという具体物を例示するようにしている。
同じ期間に同じ宿題をやっていると、相手がどういうところで苦悩しただろうかというのも、話を聞かせてもらいながら具体的にイメージすることができる。「この辺の事情が、まだ情報収集できていないから、この辺が曖昧にしか書きこめないんだなぁ」とか、そういうところもかなり具体的にイメージできるし、これからやらなきゃいけないタスクも、確認事項も、目配せする相手も、あれこれ網羅的に洗い出すことができるので、その先のサポートをするにも良い。
そして大方、これからプロマネ基礎力をつけていく人たちは、プロジェクト目的やゴール設定、達成基準、スコープ定義といった文章が曖昧だ。これだと関係者の間でイメージがずれること請け合いなのと、この曖昧さだとこの先駒を前に進めようにも、どこまで何をやっていいのか落とし込む根拠がない事態に直面する。計画書を仕上げることが目的になってしまって、次のフェーズに事を進めるための足場として計画書が機能しないことが多い。
その経験も、大事な学習ステップだと思っているので、その辺を具体的にツッコミ入れながら、計画をきちんと機能するものに一緒にブラッシュアップしていく。そういう過程で学びを得ていくのに、自分のと、自分じゃない人が作った計画書の例とを見比べながら取り込んでいけるのが学習上、能率いいんじゃないかなと思っているのだ。
そうしたことが、なかなか社内では実現しづらいかなぁと。上司も先輩も他の業務にかかっていて忙しく、部下が作るプロジェクト計画書を自分も同じように作って示すまでは、なかなか叶わないんじゃないかと。作ったものを見てあげて、不足・不備を指摘したり、どうしたらもっと良くなるかを助言するのが一般的ではないか。
けれど、一人の人間が一人前にプロジェクト計画を立てられるようになるまでの「基礎力」習得の道のりを考えると、それだけではいろんな抜け落ちが生じてしまって、いまいち一人前になりきれないということになる気がするのだ。
そこを私のようなのが、ぽそっと入ってやることには、市場の隅っこでいくらか意味があるんじゃないかと、そういうことを独立以降、思う機会がちょこまかあって、このお客さんにかぎらず、やってみたりしている。
私自身、こういう取り組みを継続していると、プロジェクトマネジメントの自己鍛錬になって良いし、面白いし、やりがいもある。私ができるプロジェクトのタイプはHR系に偏っているし、手元でとり回せる規模の小さいものに限定されるが、若い人たちが定常業務から外に出てプロジェクトを動かしていく一歩目を踏み出して、そういう仕事を面白がっていったり、自分ができることが膨らんでいくのを楽しむ笑顔に触れるのは、とても健やかだ。
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