専門家キャリア道半ばの「罠」のようなもの
なんらかの職種や肩書をもった専門家になりたいと思い、専門知識・技能を磨き、それを現場で発揮していくうち、周囲の人に評価されたり、自分自身も手応えを覚えるようなことが出てくる。これは喜ばしいことだ。
一方、そうした場面でも自分に「ちょっと待った!」をかけて、現場の見極め、あるいは自分のパフォーマンスのモニタリングを冷静に続行できるかどうか。それが、ここから先へ進んで真正な専門家になるか、ここに滞留したままになるかの分岐点になるようにも思う。
精神科医の中井久夫さんの著書「こんなとき私はどうしてきたか」の中に、こんな一節があった。
患者が進んで病的な内容を医者に語るとき、医者の一つの面が刺激されます。それは「よい医者である」「熱心な医者である」という本人や周囲の評価によって、また患者自身の感謝によってすら強化されます。つまり、それを止めるものはないのです。繰り返しますが、患者が医者に多くを与えた場合、その患者の予後はよくない。
患者が、医師に心を開いたように、いろんな話をたくさん聴かせてくれる。医師は、熱心に話を聴く。そのやりとりは、医師自身にとっても、周囲の患者家族や看護師からみても、一見すると望ましいことのように見える。事は順調、眉間に皺をよせて止めるべきことは何もないように思われる。
けれど「その患者の予後はよくない」。
これは精神科医の話だけれど、キャリアカウンセラーやコーチといった対人支援ワーカー、部下をもつマネージャー、もっと広くは何らかの専門家としてクライアントと直接関わる人にも、他人ごとではないように私には読めた。まるで、こうした立場に就いた者の駆け出し期に埋め込まれた罠だか試練のように。
上の文章の、「患者」のところを自分のクライアントや部下に置き換え、「病的な内容」を相談内容や悩みに置き換え、「医者」を専門家や上司としての自分自身に置き換えてみると、戒めとして響く。
著者は、自身の体験をもって、その狭小にはまる恐ろしさと、はまらないようにすることの難しさを説く。
すごく精密に病状を教えてくれると私はどうしてもそれをノートにしてしまうし、膝を乗り出して聴くのでしょう。患者のほうもそれに応えてくれる。しかしそういうことを中心にしてしまうと、患者の人生はだんだん病気中心になってしまいます。病的体験中心の人生になる。
医者も、患者すらそれを正しいことだと思ってしまうし、家族だってそう思うのですね。だからこれを修正するのはとてもむずかしいことです。むずかしいですけれども、ぜひとも直さなければいけません。
この文章は、精神的な病いの回復期にみられる揺り戻しのことを話しているのだけれども。
著者は、自分の患者さんが回復期の揺り戻しにあって、帰らぬ人になってしまった自身の体験を通して、切実に訴える。
このように回復期には揺り戻しがあるからこそ、「健康な生活面に注目する」ことが重要なのです。
患者が驚くべき病的体験を話したとしても、尚、
その彼が友達と映画を観に行ったり、ベースボールをしたり、喫茶店に行ったりしたことを、私は驚くべき病的体験の話よりも膝を乗り出して興味をもって聴けるか。
ぜひとも「聴けるようにならないといけない」と著者は続ける。しかし、これがとても難しいのだと。
医者には二手あって、「病理現象」に興味をもって医者になる人、「病人」に呼ばれて医者になる人とある。そして前者のほうが多く、後者のほうが少ない。前者には、ここにはまらないことがとても難しいし、後者にとっても、ちょっと危ないところがあるのだと。
これは医者に限らずではないかなと思うのだ。専門家としての野心や探究心、自己満足や自己肯定感を得たい一人の人間としての思い。こうしたものが、自身を視野狭窄にし、相手をも自分の専門分野の深みにいざなって視野狭窄に巻き込みかねない危うさを覚える。
「専門家としての己」にとらわれずに、その先を見据えて、臨床で、現場での働きを追求できるかどうか。意味ある仕事、役に立つという働きに照準を合わせて、自分を制御し、相手の人生全体、クライアントの事業全体に向き合い続けられるかどうか。そこに、真正な専門家としての己を築いていく道が拓けるようにも思われる。
専門家といってもいろいろあるだろうし、そこで自分に求められる役割は職場によって案件によって千差万別だろうけれども、実践現場で、実践家として、その専門を究めようとするキャリアの道半ばで、職種も肩書も関係なく一人の人間としての自分、人格や器、人生観や倫理観が問われてくる。そういうことを、いろいろと読んだり考えたり取り組んだりしている今日この頃。
*中井久夫「こんなとき私はどうしてきたか」(医学書院)
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