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2024-08-31

キャリア自律度を診断する4類型

「キャリア自律が大事」とはよく聞かれるフレーズだけれど、「キャリア自律」などという抽象的なコンセプトワードってなかなか「大事」から先の具体策は議論が進んでいなかったり、対策が一辺倒(上司の1on1任せ、キャリア研修を実施など)だったりが起こりがちと思ったりする。そんな中、富士通が実施しているという「キャリアオーナーシップ診断」の資料*が興味を引いた。

自社の社員のキャリアオーナーシップの浸透を図る目的で始めた診断。16の質問に答えることで、自らのオーナーシップ度合いが、次の4類型いずれかに分類される。

この16の質問が何かは開示されていないけれど、下の4タイプとにらめっこして、自分はどれだろうかと内省してみたり、自分の部下とキャリアについて話し合うときのツールとして活用してみることもできるかなぁと。

Careerownership4type

※図はクリック or タップすると拡大表示します。図中の「お天気マーク」、「〜フェーズ」の下線は私が添えました。

図は4象限に切ってあって、縦軸がアイデンティティ、横軸はアダプタビリティ。それぞれ、ざっくり説明すると。

1.未来創造フェーズ
アイデンティティも、アダプタビリティも高い。自分らしい「ありたい姿」を社会の中で実現するために、世の中の変化を捉えながら、努力と行動を持続している。

2.関心分散フェーズ
アダプタビリティは高いが、アイデンティティは低い。周囲の要望や求められる姿の実現のために研鑽を続けている一方で、自分の大切なことや主体的なキャリア形成が後回しになっているかも。

3.自己固執フェーズ
アイデンティティは高いが、アダプタビリティは低い。自身の興味や自らの強みを探究し、自己の充実を大切にしている一方で、社会の変化を受け止め、未来へ備える行動が不足しているかも。

4.現状停滞フェーズ
アイデンティティも、アダプタビリティも低い。キャリアについて受け身な様子。自己の充実や成長に向けて、自ら新たな一歩を踏み出すことに躊躇してしまっているよう。

縦軸の「アイデンティティ」というのは、自分の興味や価値観(仕事観)を深く理解・認識してキャリアデザインに活かそうという主体性を育んでいる度合いみたいなニュアンスでとらえるといいかも。

横軸の「アダプタビリティ」というのは環境適応、あるいは環境変化に適応する姿勢。キャリアをマネジメントしていく上では、職場が自分に期待していること、市場の動きや環境変化に自分が合わせて変化していくことも必要。その点がどうかという観点。

この2軸で、自分のキャリア自律度合いが、4象限のどこに位置するかを考えてみる図。シンプルにして、内省や話し合いのきっかけに使えたりするかもなぁと思った次第。

出典のレポート*によれば、富士通では、次の点を確認しているとある。

1.「未来創造」と「現状停滞」の社員間では、エンゲージメントスコアで一定の開きがある。

2.社員のエンゲージメント向上を、上司のマネジメント力ばかりによって求めるべきではない。本人のキャリアオーナーシップを高めることによる効果も大きい。

そうそう、部下の「エンゲージメントを上げる」だとか「キャリア自律を促進する」だとかを、直属上司のマネジメント力頼みにするのも違うよなぁと思っているのだけど、組織的に無策だと実質そうなってしまっている職場がけっこうあるのでは?という気もしていて。そういう現場で、部下との関わり方やキャリア支援に励んでいる熱心な上司の方々の一助になったりするといいかなぁと思って気にとまったのだな、たぶん。

*内閣官房、経済産業省、厚生労働省「ジョブ型人事指針」富士通レポート内(15ページ目)(2024/8/28)

2024-08-29

絵画音痴の絵画鑑賞

子どもの頃から、絵を描くのに苦手意識があった。中学時代の「美術」はいつも通知表に「3」がついていた。真面目に授業を受けているから「2」はつけないが、才能がないので「4」は絶対につけない、という先生の意思のようなものを毎回感じ取って眺めていた。

なので通知表から解放され、20代になっても30代になっても、絵画鑑賞に行くという趣味をもたなかった。ただ、美術を嗜む友人知人との巡り合わせには恵まれた社会人生活で、人に誘ってもらって美術館や展覧会に足を運んだりすることはあった。私はたいてい、その機会に手ぶらでのった。

アートというより、デザイン展示に足を運ぶほうが多かったけれども、創り手としての技量も洞察力も持たない私は、作品そのものを観るというより、作品を観にいく人間への関心をはさんで、展示作品を鑑賞していた。

誘ってくれた友人は、何を思いながら、今この作品の前で足をとめたのだろうかとか。この作品の何に着目して、今の発言にはどういう関心が働いているのだろうかとか。なぜ、この作家のこの展示会に行きたいと思ったのだろうかとか。この会場にいる他の人たちは、どんな動機だろうかとか、何に着目して何を思っているんだろうかとか。その空間で発せられる人の発言とか挙動というものこそ、私の興味をひいた。

それが、ごく最近になって、美術館に、その絵画を観に行きたくて行くというのを、一人でもやるようになった。40代に入ってから、そんな変化が人間に起こるのは、おもしろいなぁと思う。

この、無性に「東山魁夷と日本の夏展」を観に行きたいぞ!という思いは、どこからわいてくるのだろうというのを、自分でも不思議に思って眺めているところがある。

それについて、さほど解釈は進んでいないまま訪ねたりしているのだけれども、ふいに思い浮かんだのが老子の「曲即全」だ、「きょくなれば、すなわち、まったし」である。

「曲がりくねった樹のように役立たずでおれば、身を全うできる」という次第で、多くをむさぼることなく万事をひかえめにして慎んでおれば、生まれ出てきた本源にその身を返せるという話なのだが。

この解説に目を通すと*「他人に対して控えめに慎んでおれば」と解されているふうでもあるが、まずは「自分に対して」だろうと私は解したようだ。「自分に対して控えめに慎んでおれば」こそ、「他人に対して」も実現しうる、ということだろうなと。

つまり、自分に対して多くの期待をむさぼることなく、「いっぱしに美術作品をたしなむ自分像」など抱くことなく、「なんもわからないけれども観たい!」という素朴な自身の心を、そのまま大事にするだけにして観に行ったらいい。そう開き直って無邪気に出向けば、自分の器でそれに親しむことができる。

そういう自分の変化は快く、おもしろい。相変わらず絵画のことはまったく分からないし、それを理解しようという勉学も全くしていないのだが、絵画を観て、わぁーっと気持ちが高まるのを自分のうちに感じては至福を味わっている。

気張って何かを読み取ろうとしていたときよりもずっと、絵から生命力を感じとっている。描かれた風景の中に、静けさや、木々に積もる雪の重量感や、人の気配や、緊張と和らぎの混じり合いのようなものを覚えて、それだけで十分に満足してしまえる、おめでたい自分がいる。そしてやっぱり、描いた人間の、真摯に自然に向き合うさまが胸を打つ。

「東山魁夷と日本の夏展」は、恵比寿にある山種美術館にて。「京洛四季」は、気持ちそのまま京都の春夏秋冬に持っていかれる風情。「白い嶺」は、樹氷林に積もる雪が赤子のほっぺのような張りと生命力をもって魅了する。若き東山魁夷に、結城素明先生が「平凡なものを緻密に見れば、非凡な発見がある」とかけた言葉にも出会えて至福だった(Instagramの写真)。

*金谷治「老子 無知無欲のすすめ」(講談社学術文庫)

2024-08-27

専門家キャリア道半ばの「罠」のようなもの

なんらかの職種や肩書をもった専門家になりたいと思い、専門知識・技能を磨き、それを現場で発揮していくうち、周囲の人に評価されたり、自分自身も手応えを覚えるようなことが出てくる。これは喜ばしいことだ。

一方、そうした場面でも自分に「ちょっと待った!」をかけて、現場の見極め、あるいは自分のパフォーマンスのモニタリングを冷静に続行できるかどうか。それが、ここから先へ進んで真正な専門家になるか、ここに滞留したままになるかの分岐点になるようにも思う。

精神科医の中井久夫さんの著書「こんなとき私はどうしてきたか」の中に、こんな一節があった。

患者が進んで病的な内容を医者に語るとき、医者の一つの面が刺激されます。それは「よい医者である」「熱心な医者である」という本人や周囲の評価によって、また患者自身の感謝によってすら強化されます。つまり、それを止めるものはないのです。繰り返しますが、患者が医者に多くを与えた場合、その患者の予後はよくない。

患者が、医師に心を開いたように、いろんな話をたくさん聴かせてくれる。医師は、熱心に話を聴く。そのやりとりは、医師自身にとっても、周囲の患者家族や看護師からみても、一見すると望ましいことのように見える。事は順調、眉間に皺をよせて止めるべきことは何もないように思われる。

けれど「その患者の予後はよくない」。

これは精神科医の話だけれど、キャリアカウンセラーやコーチといった対人支援ワーカー、部下をもつマネージャー、もっと広くは何らかの専門家としてクライアントと直接関わる人にも、他人ごとではないように私には読めた。まるで、こうした立場に就いた者の駆け出し期に埋め込まれた罠だか試練のように。

上の文章の、「患者」のところを自分のクライアントや部下に置き換え、「病的な内容」を相談内容や悩みに置き換え、「医者」を専門家や上司としての自分自身に置き換えてみると、戒めとして響く。

著者は、自身の体験をもって、その狭小にはまる恐ろしさと、はまらないようにすることの難しさを説く。

すごく精密に病状を教えてくれると私はどうしてもそれをノートにしてしまうし、膝を乗り出して聴くのでしょう。患者のほうもそれに応えてくれる。しかしそういうことを中心にしてしまうと、患者の人生はだんだん病気中心になってしまいます。病的体験中心の人生になる。
医者も、患者すらそれを正しいことだと思ってしまうし、家族だってそう思うのですね。だからこれを修正するのはとてもむずかしいことです。むずかしいですけれども、ぜひとも直さなければいけません。

この文章は、精神的な病いの回復期にみられる揺り戻しのことを話しているのだけれども。

著者は、自分の患者さんが回復期の揺り戻しにあって、帰らぬ人になってしまった自身の体験を通して、切実に訴える。

このように回復期には揺り戻しがあるからこそ、「健康な生活面に注目する」ことが重要なのです。

患者が驚くべき病的体験を話したとしても、尚、

その彼が友達と映画を観に行ったり、ベースボールをしたり、喫茶店に行ったりしたことを、私は驚くべき病的体験の話よりも膝を乗り出して興味をもって聴けるか。

ぜひとも「聴けるようにならないといけない」と著者は続ける。しかし、これがとても難しいのだと。

医者には二手あって、「病理現象」に興味をもって医者になる人、「病人」に呼ばれて医者になる人とある。そして前者のほうが多く、後者のほうが少ない。前者には、ここにはまらないことがとても難しいし、後者にとっても、ちょっと危ないところがあるのだと。

これは医者に限らずではないかなと思うのだ。専門家としての野心や探究心、自己満足や自己肯定感を得たい一人の人間としての思い。こうしたものが、自身を視野狭窄にし、相手をも自分の専門分野の深みにいざなって視野狭窄に巻き込みかねない危うさを覚える。

「専門家としての己」にとらわれずに、その先を見据えて、臨床で、現場での働きを追求できるかどうか。意味ある仕事、役に立つという働きに照準を合わせて、自分を制御し、相手の人生全体、クライアントの事業全体に向き合い続けられるかどうか。そこに、真正な専門家としての己を築いていく道が拓けるようにも思われる。

専門家といってもいろいろあるだろうし、そこで自分に求められる役割は職場によって案件によって千差万別だろうけれども、実践現場で、実践家として、その専門を究めようとするキャリアの道半ばで、職種も肩書も関係なく一人の人間としての自分、人格や器、人生観や倫理観が問われてくる。そういうことを、いろいろと読んだり考えたり取り組んだりしている今日この頃。

*中井久夫「こんなとき私はどうしてきたか」(医学書院)

2024-08-19

組織の分業化、個人の専業化が招くリスク

宇田川元一さんの『企業変革のジレンマ 「構造的無能化」はなぜ起きるのか』にある図は見応えがあり、文字を追いながら自分でも書いてみた。

企業の環境適応と無能化のメカニズム(クリック or タップすると拡大表示)。

企業の環境適応と無能化のメカニズム

自社の事業が当たって軌道にのってくると、その組織活動を効率化して環境適応していく中で、悪循環に陥る図。

1)組織は分業化・ルーティン化していく
2)そうすると組織は断片化する
3)するとルーティンの慣性力が働いて膠着化する
4)部門間・階層間にも隔たりができ機能不全に陥る
5)組織の考える能力と実行力も低下していって
6)問題解決しようとしても表層的にしか問題が捉えられなくなる
7)「どこそこ部署が悪い、誰それの能力が低い」と問題設定が的を射ず
8)組織は構造的に無能化し、脱出が困難になる

三角の中央に「狭い認知枠組み」と置かれていて、組織のみんなしてこの病にかかる様子が描かれている。

組織理論研究者のカール・E・ワイク氏いわく「適応が適応可能性を排除する」というのは、言い得て妙である。今への適応は、先への適応を遠ざける。

先の本には、これにはまった企業の「現場あるある」描写がふんだんに詰まっていて、「おまえのことやで!」「おまえの、そういうとこやぞ!」とつきつけては読者を当事者と認識させる力がある。

企業改革が頓挫するのを「あなたは誰かのせいと思っているかもしれないが、それは思い違いじゃないか?」「あなたはやっているつもりかもしれないが、周縁をぐるぐるまわっているだけじゃないか?」という問いかけが詰まっている。そうして読者の心の中に介入し、問題の本質、解決の道筋を丁寧にほどいていく。

何が問題かがよくわからない状態の組織は、流行のソリューションを次々と取り入れようとしがち

とか。問題を表層的に捉えては、外部からそれらしいソリューションをあてがって、アリバイ作りのような施策展開に終始している。その既視感たるや。

あるいは「戦略」といって示されているものの多くが、実際には戦略になっておらず、「自社が行おうとしていることの概要とその数値目標の提示」にとどまっているなど。

戦略とは、経営戦略論の大家リチャード・ルメルト「戦略の要諦」によれば次のように定義されるらしいが。

戦略とは困難な課題を解決するために設計された方針や行動の組み合わせであり、戦略の策定とは、克服可能な最重要ポイントを見きわめ、それを解決する方法を見つける、または考案することにある

これを念頭におくと、「戦略」という見出しはつけて発表しているものの、「え、今、方法について何も言ってなかったよね?」という戦略は、けっこう巷にあるあるではないか。目的が曖昧、課題設定がない、方法がない、この3つの連関がない。

自分たちの優先順位は何で、自分たちが活用できるリソースは何で、何は一旦捨てて、何に集中するのかが示されていない。現場で考えようとしても、上の3つの連関が見えないと、掘り下げようにも難しい。

先の書籍は、後半に至ると解決の道筋。これは地道なところに行き着く感があるけれど、めちゃくちゃ頭のいい人にしか解せない方法論や、そんじょそこらにいない人格者にしか実行できない突飛な方法を示されるより、ずっと良い。

安易に単純化したり、わかったつもりで突破しようとせず、外にある型・ソリューションをあてがって対処したことにして済ませようとせず、上のせいにせず、下のせいにせず、自分が自分の立場でできることを自分の果たすべき役割として、腹を決めて、腰据えて、取り組めるかどうか。

中の人らで対話して、個別化して、自社ごととしてユニークな解を考えられるかどうか。うちの問題を、うちの課題を、うちの状況・条件下で、うちの打開策を掘り下げていって、その合理的な手順を企てて、行きつ戻りつ、手を打っていけるかどうか。そこに外部の人をサポーターやコンサルタントとして取り入れるのは有効な手立てであり続けるとは思うけれど、中にキーマンがいなければどうにもならない。

あと、企業改革という枠組みから、ちょっと外に文脈をはずしてみて思ったこと2つ。

界隈でよく見かける「仕組み化」「ガイドライン化」「マニュアル化」して安定運用を志向する組織活動の功罪。良きものとして絶対視するのは危ういし、ではやらないのがいいかというと、そういう曲解も愚か。どこまで、どういう按配で仕組み化して、運用フェーズ後にどうテコ入れしてまわしていくと健全に保てるかの按配デザイン&マネジメントに手腕が要るというか。

運用フェーズに乗せるまでを自分の役割とする「ゼロ→イチ」の立ち上げ屋はだいたい、安定運用に乗るや、そこを立ち去ってしまうものだが、それを引き継いで運用・改善をまわす現場で、何が起こりうるかに目配りしないと、上記のような組織の無能化を引き起こしかねない。

中長期的な組織活動で捉え直すと、分業化(専門化)やルーティン化(安定運用化)を推し進めるのとあわせて、複眼的に逆風をふかしていく目線も必要で。選択と集中も必要なら、そこで捨てたほうに何があって、いつまでにはそっちにも手をつけないと取り返しがつかないことになるかもみながら活動していく必要があるんだろうなぁと。だいぶ抽象的なことを書いているけれども。何事も一辺倒では、済まされない。

あと、もう一つ。先の図を眺めていると、個人のキャリアにも重なるところを覚えた。組織が分業化し、ジョブ型なんて推し進めるのと並行して、働く個人も専門家を志向し、職務の専門特化・専業化を望み、(今の自分が目する範囲の)成長につながる仕事しかやりたくない!という欲求を強くして、その先鋭化が過ぎると、その人の「仕事力」は断片化、不全化、表層化して、どんどん「つぶしが効かない」キャリアになっていく、そんなリスクも覚えた。

その仕事、特定の専門性が廃れたらジ・エンドなキャリアを積むのは超リスキーと思うのだが、けっこうそこに、はまりやすい時世のように思う。抽象的に言っていてもどうともならないので、自分の現場現場で、できる働きを具体化してやっていけたらと思う。

2024-08-08

言葉1割、行動9割

齢重ねてくると、ずっと支えにしてきた親を、子どものほうが支える立場逆転の時期が到来するけれども、なかでも絶対にタイミングを逃さず全身全霊で引っ張り上げなきゃいけない時というのがあって、それに即時その場で気づけるか、気づいたとき即動けるかで、その先のすべてが変わってしまう事案というのがある。

一日二日寝かせてしまうと、同じことをしても全く取り戻せなくなってしまう不可逆的な事態。そういうときは恥じらいや照れを放り出して、「今やる、すぐやる」に限る。それが後になって、かけがえなく強大な意味をもつ。

ちょうどひと月前に、「あ、これはまずいな」と思うことがあった。うちの父は自称認知症だが、実際のところかなり物覚えがよく、いろんなことをしっかり覚えている。もちろん「歳の割には、そう言う割には」ということではあるが、とはいえだ。

それがひと月前に突然、その日の午前中にどこそこに行ったことを全く覚えていないと言いだして焦った。冗談か、ちょっと投げやりに言ってみているだけかとも思ったが、どうもニュアンスが違う。「あ、これはまずいな」という直感が、私の心を動揺させた。

頭の中に、あるイメージが浮かんだ。なんだかんだ言いながらも、これまで自分の船の船長として、自分の手で舵を握り続けてきた父が、ふぅっと力を抜いて、今それを手放そうとしている、自暴自棄という言葉も脳裏に浮かんだ。

前日に一緒に出かけた先で、思い当たることがあったのだ。

私は実家の居間のじゅうたんに座りこんで、きわめて平静を装いながら一気にモードチェンジした。これは一刻を争う事態とみてかかったほうがいいと暫定的に結論し、念入りに思慮深く、父に言葉をかけた。

父は早々に、もう今日は寝るわと床につき、私は食卓に書き置きを残して自宅に帰った。

書き置きには、父が読んで、こいつは何を言ってるんだ?と疑問符を打つことも厭わず、自分の懸念も、父が抱え込んでいそうな不安も、率直な言葉に含めて、それに飲み込まれないよう注意を促した。そのために私は全力で応援する所存であることを表明して、短いメッセージにまとめた。

メッセージそのものは平易な物言いだ。不安も懸念も、的外れなら、それはそれでいい。的を射抜かれているのに、本人がその矢の存在に気づいていない事態が一番危険なのだ。

家路について歩いているときだったか電車に揺られているときだったか、「応援する」という言葉ではダメだったと反省した。翌朝、父から「昨日はありがとう」とメッセージが届いたので、それに返す形で、もっとしっかり「支える」という言葉を使って「大丈夫だよ」とLINEを送った。

父が気を張って、相当に頑張ってやってきたことを私は知っている。いや、知っているというのは言い過ぎと思うが、誰より察しているつもりだ。それはとても尊いことだから、これからもできるだけ、その手綱を自分の手で持ち続けて、のんびりやっていこう、子どもら3人ついているから大丈夫だと言葉を贈った。既読したので、あとは静かにした。

翌日に再び、父の所用につきあうために地元近くで会った。某手続きの待ち時間に、ファミレスに入って対面で腰かけた。騒がしい店内で、父はたくさんの自分の思いを、あふれだすままにしゃべりまくった。私は、全部を聴いた。こぼれおちてくるものを全部、聴いた。父が内にためこんでいた気持ちが、ぽろぽろと流れだした。

ここ一年は週1ペースで会っていたので、だいぶいろんな話を聴いているつもりだったが、それよりもっと心奥のほうで詰まっていたものが、体の外に出てきた感じだった。

私は、とめどなく流れてくるものを、受け流してほしそうなものは受け流して、大事に受け取ってほしそうなものは両手を差し出して受け取るようにして話を聴いた。

弱音を吐いたっていいし、こんがらがった気持ちをこんがらがったまましゃべったっていいし、さっきと今で矛盾したことを言ったっていいのだ。ここは安全地帯なのだから。人は矛盾する世の中を、矛盾する性質を抱え込んで生きているのだから。別になんら、おかしいことはない。

おかしくなってしまうのは、それを表に一切出さずに力んで力んで一人の体の中にためこんで、消化もせずいっぱいいっぱいになってしまうことなのだ。

といって、全部を他者に吐き出すことが、必ずしも良いことではない。ダメなカウンセラーがとにかく全部吐き出すのが良いとでもいうふうに、喉元に指つっこんで話をさせるようなのは、単なる自己満足で、本当にタチが悪いと思う。とにかくその辺りを思慮深く、大事に話を聴いた。

父は、日々の細々したやりとりの中で、少しずつ気持ちを上向かせていっているように見えた。私は上向いてきたなと思ったときに気を抜かず、安定して支え続けることに努めた。それが父にも静かに伝わり続けることに努め、揺り戻しに備えた。私は急場をしのいだらぱっといなくなる存在ではない。それを言葉ではなく、行動で示し続けた。

父は父らしく、こちらに思いきり寄りかかることなく、自分の船の舵を握り直し、握力の数値を慎重にもとに戻していっているように思われた。

正気と生気を取り戻していく様子を肌で感じ、ひと月ほどして、ある日の別れ際のことだった。とってもさわやかな表情を浮かべて、父が「ありがとう」ってこちらに笑いかけたとき、私は「あぁ、戻った」と思った。自分でも、それが何をもってと尋ねられて答えられるだけの言葉を持ち合わせていないのだが、とにかく崖っぷちから安定した足場まで戻ってきたという感慨をおぼえた。

結局、ひどく「憶えていない」症状を私が認めたのは、ひと月前の数時間に限られる。私の杞憂に過ぎなかったかもしれない。それならそれでいい。

私はこの一件で、かなり意識的に、自分に悔いのないよう自分がやりたいこと、果たしたい役割をしっかりやることをして、ちょっと成長したかもしれないなと思う。

そして、やっぱり言葉1割、行動9割だという思いを新たにした。放った言葉を相手に信じさせるだけの行動がとれなければ、とり続けられなければ、意味はないどころか、人を傷つける実害を生む。肝に銘じたい。

2024-08-01

「させてみて」だけでなく「やってみせる」育成アプローチ

個人事業主になってから新しく経験した仕事の面白みというと、一つに人事制度設計の仕事、もう一つにプロジェクトマネジメントの個人トレーナー仕事が、ぱっと思い浮かぶ。

やってみせる育成アプローチ

私は会社員時代に部下をもたなかったし、個人で出て行ってお客さん相手に仕事することが多かったので、社内で後輩を育成する役割も担っていなかった。

お客さん相手の仕事というのも「研修サービス」が中心だったので、ソリューションとしては特定の「集団」向けに育成施策を考えることが多かった。それに講師は、学習テーマに合わせてその道の実務家を招聘することが多く、私自身が教える役割を担うことは稀だった。私の役どころは「教え方」とか「学び方」とか「評価の仕方」とかを裏方で仕込むほうだった。

個々人のアウトプットに対して個別評価を行って返すことはあっても、とことん特定の「個人」の特徴、動向、克服課題などを掘り下げていって「◯◯さんに一定期間かかわり尽くして育成施策を講じる」という個別対応は、なかなか経験がなかったのだ。

それが個人事業主になって以来ずっと、縁あってプロジェクトマネジメントの個人トレーナーっぽい仕事を続けている。プロジェクトを終えると、別の対象者に育成相手は入れ替わるのだけど、同じ法人のお客さんから若手社員の方が選ばれては顔合わせして、その人が任されたプロジェクト(になる前の曖昧模糊とした組織が直面している事象)を前提に、案件がスタートする。

それを、どう組織的な問題として捉えて、課題設定をして、一定のスコープや期限といった枠組みを設定した上で、WBSやスケジュールに展開して、実行フェーズを取り回していくかと、その辺のところを伴走していく役どころを担っている。

これは、とても面白いし、やりがいがある。なにぶん、その人ひとり、特定プロジェクトに分け入って分け入って、その人がプロジェクトマネジメント力を備えていけるように、そのプロジェクト活動がうまく価値を生み出すように、集中して働けばいいのだ。

話を聞く相手は目の前にいて、どこでつまづいているか、どの辺に不透明さがあるかも、本人に聞けばいい。研修会場のように、集団の中で発言しなきゃならない緊張や億劫さもないので、相手も腹をわって率直に話してくれやすい。

私は全面的にその人の味方であるし、今ここで弱いところを見せなきゃ損という感じもある。なんだかんだプロジェクトが終われば会わなくなる相手なので、彼・彼女にとって私は見栄をはったり気張る対象にもならない。この明らかに何者でもなさそうな風貌も一役かっているであろう…。

いろいろ話を聞いたりして、ある程度の情報・状況が見えてくると、プロジェクト計画書に落とし込んでいく段に入るのだが、そこで私はその若手プロジェクトマネージャー氏に宿題を出す。

シンプルなドキュメントファイルに、プロジェクト計画に「必要な項目」と、項目ごとに「どういうことを記すことで、どう計画の骨格を形作っていくかのワンポイント解説」を入れてある計画書テンプレートを渡して、それを参考にしつつ、次回までにプロジェクト計画書を作ってきてもらう。

困ったら困ったで、どう困ったかをメモってきてもらえばOK。とにかく、自分が預かるプロジェクトで、これが問題だ、だからプロジェクト化して取り組む必要がある、何が目的で、何をゴールとし、いつまでの期限とすると、スコープをどこまでと範囲設定し、具体的には何をどのレベルで成果物として用意する算段かと。そういうことを一通り、自分のできるかぎりで言葉に、文章にしてきてもらう。

パワポとかのスライドにしないで、シンプルなドキュメントで上から下に項目立てて論理構造を眺められるようにする。

そして相手が宿題をやっている期間に、私も同じ宿題をやる。相手のほうがもちろん内部事情には詳しいわけだが、私は今ある情報からプロジェクトを骨格立てること、情報を秩序立てることを念頭において参考例を示せるように準備する。

それをこしらえておいて次回に、相手の宿題を見せてもらって説明してもらった後、私はこのプロジェクトをこういうふうに捉えて計画書をこう作ってみたという具体物を例示するようにしている。

同じ期間に同じ宿題をやっていると、相手がどういうところで苦悩しただろうかというのも、話を聞かせてもらいながら具体的にイメージすることができる。「この辺の事情が、まだ情報収集できていないから、この辺が曖昧にしか書きこめないんだなぁ」とか、そういうところもかなり具体的にイメージできるし、これからやらなきゃいけないタスクも、確認事項も、目配せする相手も、あれこれ網羅的に洗い出すことができるので、その先のサポートをするにも良い。

そして大方、これからプロマネ基礎力をつけていく人たちは、プロジェクト目的やゴール設定、達成基準、スコープ定義といった文章が曖昧だ。これだと関係者の間でイメージがずれること請け合いなのと、この曖昧さだとこの先駒を前に進めようにも、どこまで何をやっていいのか落とし込む根拠がない事態に直面する。計画書を仕上げることが目的になってしまって、次のフェーズに事を進めるための足場として計画書が機能しないことが多い。

その経験も、大事な学習ステップだと思っているので、その辺を具体的にツッコミ入れながら、計画をきちんと機能するものに一緒にブラッシュアップしていく。そういう過程で学びを得ていくのに、自分のと、自分じゃない人が作った計画書の例とを見比べながら取り込んでいけるのが学習上、能率いいんじゃないかなと思っているのだ。

そうしたことが、なかなか社内では実現しづらいかなぁと。上司も先輩も他の業務にかかっていて忙しく、部下が作るプロジェクト計画書を自分も同じように作って示すまでは、なかなか叶わないんじゃないかと。作ったものを見てあげて、不足・不備を指摘したり、どうしたらもっと良くなるかを助言するのが一般的ではないか。

けれど、一人の人間が一人前にプロジェクト計画を立てられるようになるまでの「基礎力」習得の道のりを考えると、それだけではいろんな抜け落ちが生じてしまって、いまいち一人前になりきれないということになる気がするのだ。

そこを私のようなのが、ぽそっと入ってやることには、市場の隅っこでいくらか意味があるんじゃないかと、そういうことを独立以降、思う機会がちょこまかあって、このお客さんにかぎらず、やってみたりしている。

私自身、こういう取り組みを継続していると、プロジェクトマネジメントの自己鍛錬になって良いし、面白いし、やりがいもある。私ができるプロジェクトのタイプはHR系に偏っているし、手元でとり回せる規模の小さいものに限定されるが、若い人たちが定常業務から外に出てプロジェクトを動かしていく一歩目を踏み出して、そういう仕事を面白がっていったり、自分ができることが膨らんでいくのを楽しむ笑顔に触れるのは、とても健やかだ。

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