ぶっきらぼうな会話の腹探り
週1-2回ペースで父に会っていると、交わされる会話はぶっきらぼうながら、心の通い合う確かさをおぼえることが、ままある。
ねぇ、これ冬物の帽子で蒸れるでしょう?そろそろ夏物の帽子に変えては?と、スーパーマーケットの食料品売り場なんかを歩きながら、それとなく言う私。
父は、関係ねぇやという感じで、そっけないそぶり。けれど次に外で待ち合わせて会った時には、ちゃっかり夏物の帽子をかぶっていたりする。
あ、夏物に変えたんだねぇ。冬物より涼しくていいでしょう?と訊くと、よくわかんないや。でも長女が夏物に変えろって言うんだよと返ってくる。
この間、週半ばに実家に帰った時は、台所洗剤がきれていて下収納に買い置きもなさそうだったので、ねぇ洗剤なくない?と声をかけると、そんなのいらねぇよと、つれない返事。
週末に一緒にスーパーマーケットに行くので、売り場で声かけたら買うかなと思い、台所洗剤の棚近くまで来た所で、台所洗剤は?と声をかけると、あぁあれはおまえに言われて翌日に買ったよと、さらっと返ってくる。
言った時はメモを取るふうでもなく聞き流したように思っていたのに…と内心驚くのだが、それ採用!と思ったことはちゃっちゃとやっているのに感心してしまう。
父が家を出かけ際に、そうだそうだと帽子を夏物に変えるさまを、スーパーでそうそう台所洗剤を買わなきゃと買い物かごに入れるさまを思うと、ちょっとほくほくして、記憶力達者だなぁと感心する。ちょっと褒めて、さらっと流して、前を向いてにこにこする。
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