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2024-05-11

「教える」ことは手段であって

恩田陸の長編小説「蜜蜂と遠雷」を読んでいる。とても面白い。数年前に映画化されているらしいが、そうとは知らず、本屋でジャケ買いした。表紙も素敵なのだ。とある国際ピアノコンクールを舞台に物語が展開されるのだが、エンタメ性も高く、奥が深く、筆致が素晴らしい。

こちとら一般庶民からすると、登場人物の誰も彼もが神童という感じなのだが、なかでも風変わりなのが16歳の少年、風間塵(かざまじん)。彼の演奏は、審査員の評価を二分する。「アンビリーバブル、ファンタスティック、奇跡的だ」と絶賛する派と、「下品だ、いたずらに煽情的だ、サーカスだ」と批判する派。

少年の演奏に、なぜ拒絶感を覚えるのか。これを審査員の三枝子が分析するくだりが時間をおいて二度、三度と出てくるが、その深掘りと変化していく様は実に読み応えがある。

私の脳内では、音楽業界に限定しない、さまざまな産業に拡張しうる話として解釈された。それは私が、クリエイティブ職の人材開発まわりを生業にしているからだが。それを、いくつかつまんでみる。

この、いわば苦労や勉強のあとが全く見えないことも、審査員の拒絶を招いているのではないだろうか。

審査員を「若手を育成するエキスパート・年配者」に置き換えると、さまざまな仕事現場で、なくもない気がしてこないだろうか。たたき上げの玄人からすると、若手に「苦労や勉強のあとが全く見えない」ことには拒絶感をおぼえやすい。

そして、昨今の風潮のくだりに入る。

近年、演奏家は作曲者の思いをいかに正確に伝えるかということが最重要課題になった感があり、いかに譜面を読みこみ作曲当時の時代や個人的背景をイメージするか、ということに重きが置かれるようになっている。演奏家の自由な解釈、自由な演奏はあまり歓迎されない風潮があるのだ。

私の脳内では、演奏家が「実務家」に、作曲者が「研究者・理論家」に置き換えられた。

若手の実務家が、自分の業界で基本とされるセオリーに学び、セオリーに従って実践することを重視するあまり、あるいは自社より市場で評価されるキャリアを積むことに傾注するあまり、「目の前の案件で人の役に立つ」「今ここで自分が何をすべきか、自分で考えて動く」という当たり前の大前提が、二の次になっていく危うさ、そこに底流する世の風潮を覚えなくもない。

そんなふうに勝手解釈をくわえながら読んでいると、次の「音楽教育に携わる者」が「産業界で若手の人材育成に携わる者」的に読めて、ここらを言ったり来たりしてしまった次第。

だが、風間塵の演奏はそんな解釈からは自由なところにある。もしかすると、作曲者の名前すら知らないのではないかと思わせる、真の自由とオリジナリティに溢れているのだ。曲そのものと、一対一で生々しく対峙しているような印象を受ける。それなのに、演奏は完璧─確かにこれは、今の音楽教育に携わる者にとっては受け入れがたいに違いない。

分析を加える三枝子が、少年への評価を変えていく様は、読者にも学びを分け与えてくれているように読めた。

最初のオーディションのときは、三枝子も拒絶感を覚えて、高く評価する他の二人の審査員に抵抗を示していたのだ。その主張は、少年が師事した巨匠の音楽性を真っ向から否定するようなスタイルの演奏は許しがたいというものだった。

まるで、師匠の音楽性を冒涜し、師匠に喧嘩を売っているようなものではないか。それは音楽家の態度としていかがなものか。彼が音楽家として独り立ちして、改めて師匠のスタイルから離れていくというのなら分かる。だが、この段階で師匠の音楽を全く理解していないというのは問題だと思う。

これに対して、少年を高評価する他の二人は、彼女に理解を示しつつも、こう切り返す。

彼に頭抜けたテクニックとインパクトがあることは認めるね?ならば、彼の音楽を許すの許さないのというのは我々が決めるべきことではない。ある一定ラインに達していれば、機会を与える。それがこのオーディションの目的なのであって、候補者の音楽性が気に入るか気に入らないかは、現時点では問題ではない。

自分たちは「許すの許さないの」を決める立場にない。「機会を与える」のが我々の役割だ。我々が提供する場の目的は「機会を与える」ことである。というのは、多くの教え手が一度は吟味しておきたい着眼点で、核心をついているんじゃないかなぁと読んだ。

教えることが目的化してしまうと、許す・許さないもうっかり顔を出してきかねないんだけれど、あくまで教えることを手段としてとらまえておくと、うまく「教える」という行為とつきあっていける気もする。

教える者の役割も、教える場の目的も、機会を与えることにあるんじゃないか。学ぶ機会を与えること、活かす機会を与えること、伸びる機会を与えること。役割を果たす機会を与えて、それによる充実感を覚えたり、それが社会の豊かさにつながる支援をすること。そうやって若手に、社会的役割を継承していくこと。

「教える」というのは、そういうことの手段の一つ、みたいにとらえると、より健全につきあいやすくなるかもなぁなどと思い巡らせながら読んでいる。文学は、心の柔らかいところをすくい上げて読者の意識にのぼるよう独特の働きをしてくれて尊い。

*恩田陸「蜜蜂と遠雷」(幻冬舎)

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