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2024-05-17

新しいこと探しより、ありふれていること始め

今朝がた「スタートアップの成功モデル」について書かれたFacebookの投稿に触れて、勝手に「個人のキャリア論」と重ね合わせて読んでいた。最近自分が考えていたことと通ずるところを覚えたのだ。

クラシックな市場・ビジネス領域で、高い組織ケイパビリティを発揮してどんどん規模化していく

というスタートアップの成功モデルを提示してあるのに触れ、自分の頭の中で勝手に、個人のキャリアについても「まだ誰もやっていないことを」とか「他の人がたやすく手を出せない専門性を」と最初から気張らずに、「世の中にありふれたことを、自分でやってみること」で、「高い能力・パフォーマンスを発揮」して、「どんどんキャリアを育んでいく」というのが手堅い王道なんじゃないかなぁと読みかえた。もちろん私の勝手解釈だ。

キャリアを論じるところ「自分らしさ」とか「オリジナリティ」といった言葉の呪縛が花ざかりだけど、それは結果的な到達点であって、最初からそこを目指そうとすると、多くの人間は入り口で詰んでしまうと思うのだ。どこから登り始めたらいいか、そもそも登山口を定められず足踏み状態になってしまう。

まだ、誰も立ち入ったことがない登山口をあっちこっち探しまわっているうちに、山を登り始めることなく時間は何年でも何十年でも経過してしまう。時間は止まってくれない、そのまま人の一生は暮れていってしまう。これってタイパ悪いんじゃないのか。

経験的にみても、私を含む多くの一般人を見回してみて、「登山口はここだ」というひらめきやら神の啓示やらが、社会に出る前ある日突然ふってくることはない。すごい人から「君はこれをやるべきだ、君にはとてつもない才能がある」と導かれることも、そうそう起きない。

それで先の話に戻るのだけれど、たぶん職業キャリアを歩みだす登山口は「世の中にありふれていることを、自分でやってみる」ことだと思うのだな。「何をやるか」で奇をてらおうとするのではなくて、「自分がやる」ことによって自ずと、自分なりのものが出てくるのに任せたほうが自分にも無理がかからないし、自然の摂理にかなっている感じがする。

ありふれたことを始めるときは、マラソン大会のスタート地点のように、うじゃうじゃ人がいるように感じるだろうし、スタートを切ってからもしばらくは、わんさかと人がいて芋洗いの芋になった気分を味わうかもしれない。けれど長距離マラソンにおいて、芋洗いのままゴールまでみんなが固まって走り続けるなんてことは、ない。だいたい徐々にばらばらになって、ほどけていく。その見通しをもっていったん芋感も受け入れてみる。

山の中腹まで登った頃には、つまり「ありふれたことを、しばらくやってみた」頃に振り返ってみると、ありふれたことを他の人と同じようにやってきたようであっても、違いが出ていることに気づく。そこには、そんなに難しい観察眼は求められない。現実的な中腹時点での人と自分との違いを観察して、自分にはこういう特徴があるんだと観察結果から自分を知って、それを材料に自分のキャリア戦略を立てればいい。

中腹まで待てなかったら、もう少し手前で振り返ってもいいし、もっと先までがむしゃらに登り続けてみても、その振り返りタイミングの加減は自分で決めたらいい。いずれにせよ、そうやっていったん登山を始めてみて、都度振り返って道を選び直していったほうが、キャリアを歩む上ではずっと能率がいい。

同じ業界、同じ職種で、似たような案件を手がけてきた同世代の一人と比べてみる。その人と自分とでは、好みも違えば、得意と不得意にも違いがある。人との違い、自分の特徴というのは、中腹まで登ってこそ鮮明に見えてくる。

見える景色だって、登山口より中腹のほうが開けてくる。あっちにもこっちにも道筋が見えるし、あそこには他の山に300円で渡れるロープウェイがあるのかーと、山脈を見渡すこともできる。

そうした材料をもとでに戦略を立てられれば、無理がなく自然だし、現実的で建設的だし、道を誤っているんじゃないかという極端な不安感情からも解放される。

こんなことをだらだら書いていると、結局はごくごく王道のキャリア論に帰結するだけなのだけど、登っては振り返り、登っては振り返りで補正していくのが現実的だよなぁと改めて思う。

登ってみることで、見えてくる景色があるんだ、進む道の具体的な選択肢をもてるんだというのは、多くの人が自分のキャリアを考えるときに大事なメンタルモデルって気がしている。

人は、下から見上げて行く先の世界を見通せたり、自分の行く先を見定められたりするほどの力量はもたないし、だからこそ可能性に開かれた世界観で冒険心をもって生をたのしんでいくことができるのかなぁとも思うのだ。はぁ、勢いごにょごにょ書いてしまった。

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