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2024-05-09

構造を理解し、批評視点を養い、作品を味わう

ここひと月ほどは静かな読書時間をたしなんでいる。思うところあって、物語の作り手がどう物語を構造立てて作っているのか、それを批評家はどういう視点をもって批評しているのか、そうしたものの入門書をいくらか読んだ。

それと行ったり来たりしながら実際に作品そのものを味わってみると、作品上に表面化されていない作り手の創意工夫、物語構造の成り立ちに思いはせる領域が広がった感覚を覚えた。

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作家がはたして何をしてくれているのかというのが、(当社比だが)より深く理解できるのは至福だ。私には、そこのところを自分でより深く知覚して、作り手の手腕だとか思慮深さ、態度などに想像をめぐらせて頭を垂れたい欲求があるようで。この3つを行ったり来たり脳内で訪ね歩きながら、作品一つひとつを味わっていく時間の過ごし方が、とても好みのようだ。

作品というのは、もちろん小説に閉じたものではない。最近話題の映画「オッペンハイマー」と、19世紀初頭にメアリー・シェリーが著した小説「フランケンシュタイン」、二人の性格描写に共通性を見出して感嘆したりもした。

廣野由美子「批評理論入門:『フランケンシュタイン』解剖講義」で叙述されているフランケンシュタインの性格描写を引くと、次のようなのが挙げられるが、この辺を読んでいると、最近観た「オッペンハイマー」が、自然と脳裏に浮かんでくる。

興味・関心をもっぱら自然科学に向ける
その探求活動に集中投下する熱中癖がある
英雄的行為に憧れのぼせ上がりやすい気質をもつ
自分の能力に対する自信と野心が半端ない
激しやすく孤立しがちな傾向
ときに陰気になったり荒々しくなったり気性が激しい

こうした性格が結びついて破滅的な行動に走り、道を踏み外していくという物語は多いなぁなどと認識新たにする。

私は名作のたぐいを、ほんと若いときに読んでこなかったので、これから熱心に読み続けても(遅読もあいまって)ほんの一握りの作品しか読むこと叶わずに終わってしまうだろう。

これまで読んできた本、ふれてきた作品のあれこれも、薄っぺらいまま終えてしまっているものが多く、たくさんの発見を残したままになっていることは想像に難くない。

なので、数を追わず、読みきれないのは割り切った上で、縁ある作品を一つひとつ丁寧に、そして二度三度と繰り返し読んでは、手にとれた作品の作り手のなした創意工夫にふれて、そのテーマの本質に近づけるよう努めて、作り手に頭を垂れ、自分なりに味わいを深めながら過ごせたら幸せだなと思う。余生の弁はなはだしいやもしれぬが。

そこのところを深めずして、自分にとって良い仕事を果たすことも叶わないだろうし。歳をとると、何をわりきって、どこに焦点をあてて過ごしたいかがシンプルに考えやすくなってよいな。

廣野由美子「批評理論入門:『フランケンシュタイン』解剖講義」(中央公論新社)

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