絆創膏の陳列棚に3つの顔
先日、近所でずべべべべっとすっ転んでしまって、指に擦り傷と、脚に打ち身の軽傷を負った。子どもがよくやるやつだが、歳とると、すっかり青タンが消えるまでに下手すると一年かかるから恐ろしい。そういうすってんころりんを、最近は1年に一回ペースでやらかしているので、消えては作り、消えては作りである。
今回転んだときは、ちょうど通りかかった車が真横に止まって、運転手の男性が窓をあけるや「大丈夫ですかー?」と声をかけてくれた。How are you?と聞かれれば、Fine, thank you. と答えるよう条件づけられている私は、すかさず「大丈夫です」と答えていた。まぁ実際、一人で立ち上がれる程度だったのだが、車は私の返答を確認して、労りの笑みを浮かべ、颯爽と走り去っていった。
その声がけ一つで、転んだ私の心はどれだけ救われ、身を立て直す支えになったことか。道端で転ぶのって、ものすごく原始的なところで、心らしきものが傷つく、しょんぼりするのだ。これを立て直すのには、他者の力が効く。転んでいる人を見かけたら、声をかけよう、みんなで声を掛けあって労りあって生きていこう。そんな思いを新たにする。
足のほうの打ち身は、青タンが浮き出てくるまでに1.5日くらいかかった。1年くらい前に転んだときは、1.0日後だった気がするのだが、「ねぇ、延びてない?さらに反応遅くなってない?」と、わが肌に突っ込む。まぁ、年々そうなっていくものなのだろう、のんびりいくのだ。これから、すっかり消えるまでに一年がかりの長旅である。鷹揚に構えるのが吉。
指の擦り傷のほうはというと、これは分かりやすく転んだ直後から痛む。これはさすがに絆創膏が必要だなと、転んだその足でコンビニまで歩いて行って絆創膏を買い求めたのだが、レジを済ませて早速小箱をあけてみると、平面のそれではなく、チューブの形をした固体がぽとっと出てきた。
なんだ、これは。よくよく調べてみると今どきの絆創膏売り場には、スタンダードタイプのほか、湿潤療法タイプ、液体タイプの3種類が並んでいるらしい。チューブ型のそれは3つ目の液体タイプらしく、患部に塗ると、それが絆創膏の機能を果たしてくれるということのようだ。
なんとなく心許ない気もしながら、とりあえず買ってしまったのだからと使ってみた。消毒をした指に、オロナイン軟膏のようにして塗りこむ。しかし結局その日の夕方にはドラッグストアに出直し、スタンダードタイプの絆創膏を買い求めてしまった。
もう一つの湿潤療法タイプというのは前に試したことがあるが、これもやっぱり保守派の思考か嗜好か指向かがじゃまして、今回手が出せなかった。
湿潤療法(別称モイストヒーリング)タイプは絆創膏が治療してくれるようなもので、値段は張るが、治りが早いとか、傷跡が残らないとか、テクノロジーがのっかったもの。「これこそ人類の叡智だよ」と言われれば「立派なものですな」とは思うのだけど、いざ自分で使ってみると傷口のモイスト感に身震いしてしまって、無理無理、私はのんびり行きます、市道で行きます、各駅で行きます!と途中下車してしまう。
スタンダードタイプがいまだに店頭に幅をきかせて並び続けているのは、価格が安いというだけでなく、従来のスタンダードタイプで治したいという保守層がかなりの数でいるからこそだろう、きっとそうに違いないと、店頭の棚を眺めながら心強く思った。
ともかく、これから転倒に対しては一層構えていかないといけない。これの命取り度は増していく一方だ。週末、父に「その指、どうしたんだ」と問われて(めざとい)、「いやぁ、道端で転んじゃったんだよ。ずべべべべーってさ」と言ったら、うひゃひゃーと笑っていた。みんなで互いのすってんころりんを笑って労わって、あるよねぇってシェアして励ましあっていこう。
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