« 作品が描く年、作者が著した年、読者が読む年 | トップページ | 自分の時代、自分の環境を特殊化して見がち »

2024-04-22

SNSでこぼすより直接相手に働きかけること

今年に入ってまだ4ヶ月足らずだが、スマホを4台拾い、昨日は交通系ICカードのPASMOを拾って警察署に届けた。こんなハイペースで拾いものをしている年は、未だかつてない。

ものすごい勢いで、世にスマホやらなんやらが落としものされるようになっているのか。はたまた、私の落としもの発見率、遭遇率が急速に高まっているのか。いずれでもない気がするが、ともかく拾いものを届ける手続きに慣れをおぼえる今日この頃。

スマホの一つは最寄りの交番に届け、一つは店舗内で拾ったので店の人に引き渡した。電車内で拾ったのは本人に手渡しでき、駅のプラットフォームで拾ったのは音楽再生されていたので画面で停止ボタンを押したら、急にイヤホンから音が途絶えただろう落とし主がキャリーバッグをゴロゴロいわせながら焦った形相で引き返してきて、その場で手渡しができた。

店や駅で拾った場合、どの辺で拾ったかを申し伝えて近くの店員さん・駅員さんに渡すだけなので、1分とかからない。警察署や交番となると、場所によっては少し移動の手間がかかるが、中に入ってからは、ちょっとした書類にサインなどして、いつどこで拾ったかを伝えても所要時間5分とかからない。

拾ったときに、周囲をきょろきょろして「なんとか工務店の真ん前だな」と正確に場所を確認したり、時計をみて「16時15分だな」と時刻を確認するようにもなった。えらいもんだ。

それでスマホやICカードなど、財布と同等のたぐいが本人の手元に戻るのなら、お安い御用だ。そこらへんの人が道端のそれを発見しては届ける町に住みたいし、そういう町民の一人でありたい。

昨年の秋にいち町民の話を書いたが、それを自分が細々と実践できていると思うと、なんだかほっとする。やっていることより、発している言葉のほうが大きい人間になりたくない。

さて、この「町民しぐさ」って、ネット上でも変わらないよなって思うこの頃だ。

道端で落としものを見つけたら、さっと拾いあげる町民のように、Facebookとかで明らかな詐欺広告を見つけたら、さっと拾って報告を入れる。届くのか効くのかわからないSNSでこぼすより、Facebook本体で「広告を報告」をクリックして「この広告に関する問題をお知らせください」に返答するほうが、町もといプラットフォームの浄化活動としては実質効果が上がるんじゃないかなぁ、先なんじゃないかなぁと。

これは、私のような(いわゆる発信力強い人じゃない)一町民の所作としてはってことなのだが。

プラットフォーマーがすでに運用している仕組みにのっかって、そこに構えられたキャッチャーミットに向かってボール返したほうが即効性ありそうというか。そうすると、向こうが通常運用にのせてデータを処理し、あぁこれは良くない広告なんだなって1カウントされて、その仕組みのもとで低評価のアルゴリズムに組み込まれていく、みたいな。それが1件、100件、10000件とカウント数が増えていけば、自動的かAI的か知らんが、広告表示からはずされていく。

そこの活動にベットするほうが、一町民の所作としては賢明な気がして、これは明らかに詐欺広告だなっていうのに遭遇すると「この広告に関する問題をお知らせください」に対応する一町民を演じている。

ネットにおける一般ユーザー、社会における一般生活者が問題解消のためにやるべきは、SNSでこぼすより、まずは直接相手に働きかけることじゃないかなぁというもやもや感。SNSでさらすのは、自身の憂さ晴らしとしては一定効くのかもしれないけれど、サービスや社会の問題解消としては、そんな効き目がない気がしてしまう。

テック系の世界のこととかはよくわかっておらず、あくまで素人のイメージだけで言っているのだけども。

何かの製品に不具合があったとか、配送業者がどうだったとか、店員さんの対応がどうだったとかいうのも、SNSでこぼすより、まずは直接そこの大元に連絡して改善を求めるとか調整を図るとかいう所作を覚えたら、問題を一番小さくたためると思うんだよな。

その戦法が、SNSで言及するのに比して、あまり普及・一般化していないふうなのに、もったいなさを覚えるというか。単にそう見えるだけで実際にはそういうことがきちんと普及して世の中で行われているのかもしれないけれど、SNSでは顕在化しないから実際の普及ぐあいに心許なさを覚えちゃうというか。

まずは大元のメーカーなり業者さんなりに伝えてみて、改善を要望してみるなどしてみる。それでも当事者間では問題が解消されない、隠蔽されてしまったりして困っているときに、次の手で弱者側が何か他のところへ訴えるとかSNSで問題提起するのは、さもありなんと思うのだけど。

直接相手に働きかけてみるっていうのが、最初の一手の王道であってほしい。

そういうふうに市井の人のふるまいを整えていくことこそ難しい話なのかもしれないけれど。ネットリテラシー教育とか、善良な市民の当たり前として親のしつけとか、そういう話になるのかしら。

問題の要因て、たいてい複合的なものだから、一つのところが腰重たくても、別のところから問題を小さくする策は講じうるわけで、一町民としてできることをぽつぽつやっていきたい。まったく効き目ないかもしれないけれども。最後は、品の問題に帰するのかな。

« 作品が描く年、作者が著した年、読者が読む年 | トップページ | 自分の時代、自分の環境を特殊化して見がち »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 作品が描く年、作者が著した年、読者が読む年 | トップページ | 自分の時代、自分の環境を特殊化して見がち »