« 防潮堤がないから、とにかく逃げる | トップページ | 絆創膏の陳列棚に3つの顔 »

2024-04-16

春、2日だけ教壇に立つ

ひょんなことから大学で2日だけ授業を受け持つことになり、これの準備で水面下のじたばたを続けているうち、4月前半が過ぎていった。昨日、今日で90分×2回の本番を終えて、ようやっと一息ついたところ。

自分がとても「大事なことだ」「若人たちに伝えたいことだ」と思っていることが授業テーマであっただけに、「それを、おまえが伝えられると思っているのか」という自分ツッコミが速攻で返ってくる。一人芝居が続いた。

「いや、その器でないことは重々承知の上ですよ。そこを、自分という等身大をわきまえた上で、この演者をして、どう伝えたら届くか」を組み上げて、脚本も演出も事前に考え抜いて臨むということですよ。作、演出、監督も、ぜんぶ自分でやるチャレンジということです」、そう食い下がる自分Aに対し、「ふむー、そこをわきまえての挑戦ということなら、じゃあ、やってみぃ。途中で根を上げるなよ」と自分B。一人やんややんやして、本番までの準備に明け暮れたのだった。

一つの教室に150人入るから、同じ授業を2日に分けて300人に行うということになったのだが、300人に90分でものを伝えるというのは、大変なことである。

少なくとも私のような人間には大役すぎる話なのだったが、依頼くださった教務の方と話す中で「誰が適任か、より適任の教え手がいるのではないか」という問いはついてまわるけれど、この柔いテーマについて言えば、敏腕のクリエイターを連れてくれば一番うまくいくというのじゃない。それはそれで、そうなのだった。

ここは暫定的でも、これってものすごく大事なことなんだと、それをみんなに知っておいてほしい、こんなふうにわかっておいてほしいのだと、言葉を尽くし、趣向を凝らし、心を込めて届けられる人が、壇上にあがって一所懸命伝えるというゼロ→イチを立ち上げることが大事なんじゃないかと。それができる人が、暫定的に適任者なんじゃないかと。

そんな話をして、そうだなって励まされたのだった。その思いを汲めば、私は暫定的な適任者という役割を担って、務めを果たしたかったのだ。

それにしたって先生というのは、作、演出、監督、俳優、ぜんぶ自分。改めて脱帽した。

脚本をどこまで用意するか、スライドをどう機能させるために何を入れ込んで何は書き込まないか。演者としてどう立ちふるまい、どう学生と関わるか、どこでは一人しゃべりして、どこで相手の表情をうかがい、どこでどんな質問を投げて、どこでは問いかけにとどまらず相手の意見を発してもらうか。それを90分という枠組みの中で時間配分して、メリハリつけて、大事なところがきちんと伝わるよう差配していかねばならない。

私は裏方業として、授業設計はあれこれしてきたけれど、壇上に上がってのパフォーマー経験は乏しい。ふだんから先生をしている方は、上のようなごにゃごにゃしたことを現場決着させながら差配できるところも多分にあろうけれど、私のような単発&演者経験が浅い講師のばあい、舞台作りのように事前の作り込みをどうやっておくかが、ものを言う。

とりわけ、時間感覚が乏しいのが難点だ。どう話したら延長せず、早く終わることもなく、90分ちょうどの時間におさまるかがわからない。なので、これはもう脚本を書くしかないと、一通り書き出してみる。この話に3分、これに1分かかるのかと、しゃべってみれば具体的な数字が見えてくる。ありゃ、これにこんな時間かけている場合ではない。もっとあっちのほうに時間を使うべきところだ。調整、調整。

さて、ここで個々人に考えてもらうのに3分、もうちょっと考えたいという人がいたら、もう2分追加できるようにして5分とっておこう。その後、数人で見せ合いっこしながら意見交換してもらうのに、このケースだと10分ほど確保したい。自分の話、みんなの時間、積み重ねていくと、ふむ、これで全部が85分くらいで着地する。

そこの目処がついてからも、今一度全体を見渡してみる。何度読んでも、自分の台本の粗が目につく。何度読んでもだ。この言い回しでは伝わりづらい。こう説明したほうがいいのではないか。これは、さっきの話と重複している、取ろう。構成をこう入れ替えたほうが流れがいいよな。

何度見ても「修正するところなし」に至らない。90分のセリフを覚えられるわけでもなければ、覚えてその通りしゃべりたいわけでもない。しかし、自分が当日できるだけ自由にふるまえるようにするためには、この右往左往プロセスを踏むほか手段がない気がしたのだ。

そんなこんなで2日間終わるまで落ち着かず。それが今日をもって一段落した次第。ともかく、悔いは残すことなく終えることができた。みんな熱心に話を聞き、参加してくれて、ありがたかった。今は、自分で自分を褒めてあげたい小者感をじわじわ味わっている。一息いれて、今年度もちょこまか人様のお役に立てるように頑張ろうと思う。

« 防潮堤がないから、とにかく逃げる | トップページ | 絆創膏の陳列棚に3つの顔 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 防潮堤がないから、とにかく逃げる | トップページ | 絆創膏の陳列棚に3つの顔 »