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2024-04-26

自分の時代、自分の環境を特殊化して見がち

今週はだいぶ余暇があったので、春の館めぐり週間と題して、いろんな館を訪ね歩いてみた。

月曜日は美術館へ。六本木にある国立新美術館の企画展「遠距離現在 Universal / Remote」(6月3日まで)。「マティス」展で人が多かったが、こちらはゆったり鑑賞。個人的には木浦奈津子さんの油絵が好きだった。抽象と具象の間のちょうどいい按配を表現していて身にしみた。

火曜日は文学館へ。横浜の港の見える丘公園内にある神奈川近代文学館の特別展「帰って来た橋本治展」(6月2日まで)。こちらも人少なく静かにゆったり。

彼を一躍有名にした第19回駒場祭の真っ赤なポスター「とめてくれるな、おっかさん。背中のいちょうが泣いている。男東大どこへ行く」の原画を観て、自分のおぼろげな記憶と、橋本治という人物が邂逅。私が人物を明確に認識したのは月刊誌「広告批評」の連載だったか。その後、人の薦めで「青空人生相談所」(ちくま文庫)を読んで強烈に印象づけられた。相談者に対して「さもしい」を連発する劇薬だった。

今回の会場で紹介されていた「'89」(河出書房新社)の一節に触れ、AI対比で人間像を模索する今の時代、橋本治の著作は読むのにちょうどいいタイミングかもしれないなぁと思う。

「自分が生きてる」という理由だけで、「自分の時代=現代」を、そんなに特殊化しない方がいいと思う。「自分達の時代」というのは、しょせん「相変わらず、おんなじ人間の作った歴史の延長線上にしかない」んだから。

自分の時代、自分の環境を、人は特殊化して見がちだという忠告を受け取る。「あなたはオンリーワンだ」「カスタマイズ・パーソナライズの時代だ」というメッセージが幅を利かせる時代には、「それほど特殊じゃないよ」というブレーキを自分の側でもっておかないとバランスを欠いてしまう。ブレーキをうまく利かせる必要があるかもなぁなどと思った。

水曜日は映画館へ。今や映画館は毎週父と通っているので久しぶりでも何でもないのだけど、一人でふらっと東京で観られるものということで「ブルックリンでオペラを」

チケットをとった後、近くの本屋をうろうろ、3冊ほど文庫本を買って、コーヒー屋で時間まで読み耽り、映画館へ戻る。夜遅い時間に一人で映画館に足を運ぶことってないのだけど、レイトショー手前の時間帯だったらありかもしれない。なかなか贅沢な過ごし方だった。

木曜日は写真館へ。恵比寿にある東京都写真美術館の「TOPコレクション 時間旅行 千二百箇月の過去とかんずる方角から」(7月7日まで)。百年前を始めとして5セクションに分けて37,000点超の写真・映像作品、資料を展示。とりわけ大正・昭和初期の写真や、彩り豊かな広告ポスターに見入った。

青空を背景に新緑が映えて、散歩も気持ちよかった。これから週末にかけては、手元の本を味わいたい。良い季節だ。

海も、樹木も、人の創作も、受け取るもの全部がぜんぶ、既成観念、言語的な分類、勝手に引いている境界線を溶かせ、解かせ、融かせと心のうちに響いてくる。こちらの都合か、あちらのメッセージか。

2024-04-22

SNSでこぼすより直接相手に働きかけること

今年に入ってまだ4ヶ月足らずだが、スマホを4台拾い、昨日は交通系ICカードのPASMOを拾って警察署に届けた。こんなハイペースで拾いものをしている年は、未だかつてない。

ものすごい勢いで、世にスマホやらなんやらが落としものされるようになっているのか。はたまた、私の落としもの発見率、遭遇率が急速に高まっているのか。いずれでもない気がするが、ともかく拾いものを届ける手続きに慣れをおぼえる今日この頃。

スマホの一つは最寄りの交番に届け、一つは店舗内で拾ったので店の人に引き渡した。電車内で拾ったのは本人に手渡しでき、駅のプラットフォームで拾ったのは音楽再生されていたので画面で停止ボタンを押したら、急にイヤホンから音が途絶えただろう落とし主がキャリーバッグをゴロゴロいわせながら焦った形相で引き返してきて、その場で手渡しができた。

店や駅で拾った場合、どの辺で拾ったかを申し伝えて近くの店員さん・駅員さんに渡すだけなので、1分とかからない。警察署や交番となると、場所によっては少し移動の手間がかかるが、中に入ってからは、ちょっとした書類にサインなどして、いつどこで拾ったかを伝えても所要時間5分とかからない。

拾ったときに、周囲をきょろきょろして「なんとか工務店の真ん前だな」と正確に場所を確認したり、時計をみて「16時15分だな」と時刻を確認するようにもなった。えらいもんだ。

それでスマホやICカードなど、財布と同等のたぐいが本人の手元に戻るのなら、お安い御用だ。そこらへんの人が道端のそれを発見しては届ける町に住みたいし、そういう町民の一人でありたい。

昨年の秋にいち町民の話を書いたが、それを自分が細々と実践できていると思うと、なんだかほっとする。やっていることより、発している言葉のほうが大きい人間になりたくない。

さて、この「町民しぐさ」って、ネット上でも変わらないよなって思うこの頃だ。

道端で落としものを見つけたら、さっと拾いあげる町民のように、Facebookとかで明らかな詐欺広告を見つけたら、さっと拾って報告を入れる。届くのか効くのかわからないSNSでこぼすより、Facebook本体で「広告を報告」をクリックして「この広告に関する問題をお知らせください」に返答するほうが、町もといプラットフォームの浄化活動としては実質効果が上がるんじゃないかなぁ、先なんじゃないかなぁと。

これは、私のような(いわゆる発信力強い人じゃない)一町民の所作としてはってことなのだが。

プラットフォーマーがすでに運用している仕組みにのっかって、そこに構えられたキャッチャーミットに向かってボール返したほうが即効性ありそうというか。そうすると、向こうが通常運用にのせてデータを処理し、あぁこれは良くない広告なんだなって1カウントされて、その仕組みのもとで低評価のアルゴリズムに組み込まれていく、みたいな。それが1件、100件、10000件とカウント数が増えていけば、自動的かAI的か知らんが、広告表示からはずされていく。

そこの活動にベットするほうが、一町民の所作としては賢明な気がして、これは明らかに詐欺広告だなっていうのに遭遇すると「この広告に関する問題をお知らせください」に対応する一町民を演じている。

ネットにおける一般ユーザー、社会における一般生活者が問題解消のためにやるべきは、SNSでこぼすより、まずは直接相手に働きかけることじゃないかなぁというもやもや感。SNSでさらすのは、自身の憂さ晴らしとしては一定効くのかもしれないけれど、サービスや社会の問題解消としては、そんな効き目がない気がしてしまう。

テック系の世界のこととかはよくわかっておらず、あくまで素人のイメージだけで言っているのだけども。

何かの製品に不具合があったとか、配送業者がどうだったとか、店員さんの対応がどうだったとかいうのも、SNSでこぼすより、まずは直接そこの大元に連絡して改善を求めるとか調整を図るとかいう所作を覚えたら、問題を一番小さくたためると思うんだよな。

その戦法が、SNSで言及するのに比して、あまり普及・一般化していないふうなのに、もったいなさを覚えるというか。単にそう見えるだけで実際にはそういうことがきちんと普及して世の中で行われているのかもしれないけれど、SNSでは顕在化しないから実際の普及ぐあいに心許なさを覚えちゃうというか。

まずは大元のメーカーなり業者さんなりに伝えてみて、改善を要望してみるなどしてみる。それでも当事者間では問題が解消されない、隠蔽されてしまったりして困っているときに、次の手で弱者側が何か他のところへ訴えるとかSNSで問題提起するのは、さもありなんと思うのだけど。

直接相手に働きかけてみるっていうのが、最初の一手の王道であってほしい。

そういうふうに市井の人のふるまいを整えていくことこそ難しい話なのかもしれないけれど。ネットリテラシー教育とか、善良な市民の当たり前として親のしつけとか、そういう話になるのかしら。

問題の要因て、たいてい複合的なものだから、一つのところが腰重たくても、別のところから問題を小さくする策は講じうるわけで、一町民としてできることをぽつぽつやっていきたい。まったく効き目ないかもしれないけれども。最後は、品の問題に帰するのかな。

2024-04-20

作品が描く年、作者が著した年、読者が読む年

今読んでいる小説に、こんな一節がある。ある読者には補足説明的に読まれただろうそれが、時を経て手にした読者に、重層的な意味合いをもたらす。そのことに作家は、著した当時どれくらい意識があったのだろうかと思いめぐらせる。

主人公は、事務所兼自宅の建物から一度表に出てきて、少し気持ちを回復させた後に、また玄関に戻る。しかし建物の中に「入るのは、出るより面倒だ」とあって始まる一節だ。なぜ、面倒なのか。

玄関のドアの脇の壁面にある鍵穴に部屋の鍵を入れて回さなければならない。すると、ドアのロックが二十秒ほど切れるのである。その間に入るという仕掛けだった。ついでにいえば、部屋に誰かいる時は鍵なしでもいい。インターフォンと並んでプッシュボタンがあり、部屋のナンバーを押すと、その部屋に声が届いた。誰であるかを名乗ると部屋の中で玄関のロックを切ることが出来る。それもやはり二十秒ぐらいで、その間にドアを押してロビーへ入るのである。

私は途中から、んん?と眉間に皺を寄せて慎重に読む。区切りのよいところまで読み終えると「玄関のドアの脇の」の辺りまで戻って、再び読み返した。

これって、オートロックのことだよな。オートロックのことを単に説明しているってことでOKかな?なにか「オートロック未満」であるとか「オートロックプラスアルファの機能を搭載している」とかじゃなくて、いわゆるオートロックの説明ってことでOKだろうか。

それを検品するのに時間を要したのだ。改めて、この作品の初出を調べもした。1987年だった。

つまり1987年当時はオートロックが今ほど普及していなかったから、オートロックについてこれだけの紙幅(全角211文字)を割いて説明する必要があったということでOKだよな、きっとOKだろう、というのに、2024年読者の私は立ち止まったのだ。

発刊早々に読んだ1987年の読者にとって、この一節は「ははぁ、都会にはそういう仕組みがあるのだな」という読まれ方をしたのかもしれないし、2024年読者の中でも「1987年の作品であることを念頭において読んでいる読者」には、時代背景を織り込み済みで立ち止まるところない一節として読んだ読者がいくらでもいるだろう。

が、私のようにいくらか訝しむようにして「これは、いわゆるオートロックでOKか?」と二度三度読み直してしまう人もあれば(そんな不器用はいないかもしれないが)、オートロックに説明が必要な時代もあったなぁと郷愁をおぼえつつ読む人もあろうなと思いを馳せる。

著者は当時、ここにどれくらいの意識を注いで書いたのだろう。全体からすると、かなりさりげない一節ではあるのだけれど。今、書き直すとしたら、ここはオートロックの一言に書き改められるのか、実際どのように書き直すのだろうな。そんなことで、けっこうな時間を過ごしてしまうから一層、私が一冊を読み終える時間は長くなる。

先日、今更ながらジョージ・オーウェル「一九八四年」を初読している旨Xにポストしたら、この作品を初めて読んだのが1984年より前だったという御仁の声に触れることができた。当時それは未来にあったわけで、それは今遠い過去になっている。作品世界を未来として味わい、今として味わい、過去としても味わえる人生というのは、なんとも豊かだ。

山田太一さんは昨年逝去されたが、先に引いた一節の「異人たちとの夏」は、今ここにも読まれている。それを原作とする「異人たち」が、このほどイギリスで映画化され、今週末に日本で公開される。ある人が完成させた作品が、変化する世の中に投じられて、時代を超え、変化に反応して、いろんな人のもとで咀嚼されて広がる波紋の行方に、心を揺さぶられている。

*山田太一「異人たちとの夏」(新潮社)

2024-04-18

絆創膏の陳列棚に3つの顔

先日、近所でずべべべべっとすっ転んでしまって、指に擦り傷と、脚に打ち身の軽傷を負った。子どもがよくやるやつだが、歳とると、すっかり青タンが消えるまでに下手すると一年かかるから恐ろしい。そういうすってんころりんを、最近は1年に一回ペースでやらかしているので、消えては作り、消えては作りである。

今回転んだときは、ちょうど通りかかった車が真横に止まって、運転手の男性が窓をあけるや「大丈夫ですかー?」と声をかけてくれた。How are you?と聞かれれば、Fine, thank you. と答えるよう条件づけられている私は、すかさず「大丈夫です」と答えていた。まぁ実際、一人で立ち上がれる程度だったのだが、車は私の返答を確認して、労りの笑みを浮かべ、颯爽と走り去っていった。

その声がけ一つで、転んだ私の心はどれだけ救われ、身を立て直す支えになったことか。道端で転ぶのって、ものすごく原始的なところで、心らしきものが傷つく、しょんぼりするのだ。これを立て直すのには、他者の力が効く。転んでいる人を見かけたら、声をかけよう、みんなで声を掛けあって労りあって生きていこう。そんな思いを新たにする。

足のほうの打ち身は、青タンが浮き出てくるまでに1.5日くらいかかった。1年くらい前に転んだときは、1.0日後だった気がするのだが、「ねぇ、延びてない?さらに反応遅くなってない?」と、わが肌に突っ込む。まぁ、年々そうなっていくものなのだろう、のんびりいくのだ。これから、すっかり消えるまでに一年がかりの長旅である。鷹揚に構えるのが吉。

指の擦り傷のほうはというと、これは分かりやすく転んだ直後から痛む。これはさすがに絆創膏が必要だなと、転んだその足でコンビニまで歩いて行って絆創膏を買い求めたのだが、レジを済ませて早速小箱をあけてみると、平面のそれではなく、チューブの形をした固体がぽとっと出てきた。

なんだ、これは。よくよく調べてみると今どきの絆創膏売り場には、スタンダードタイプのほか、湿潤療法タイプ、液体タイプの3種類が並んでいるらしい。チューブ型のそれは3つ目の液体タイプらしく、患部に塗ると、それが絆創膏の機能を果たしてくれるということのようだ。

なんとなく心許ない気もしながら、とりあえず買ってしまったのだからと使ってみた。消毒をした指に、オロナイン軟膏のようにして塗りこむ。しかし結局その日の夕方にはドラッグストアに出直し、スタンダードタイプの絆創膏を買い求めてしまった。

もう一つの湿潤療法タイプというのは前に試したことがあるが、これもやっぱり保守派の思考か嗜好か指向かがじゃまして、今回手が出せなかった。

湿潤療法(別称モイストヒーリング)タイプは絆創膏が治療してくれるようなもので、値段は張るが、治りが早いとか、傷跡が残らないとか、テクノロジーがのっかったもの。「これこそ人類の叡智だよ」と言われれば「立派なものですな」とは思うのだけど、いざ自分で使ってみると傷口のモイスト感に身震いしてしまって、無理無理、私はのんびり行きます、市道で行きます、各駅で行きます!と途中下車してしまう。

スタンダードタイプがいまだに店頭に幅をきかせて並び続けているのは、価格が安いというだけでなく、従来のスタンダードタイプで治したいという保守層がかなりの数でいるからこそだろう、きっとそうに違いないと、店頭の棚を眺めながら心強く思った。

ともかく、これから転倒に対しては一層構えていかないといけない。これの命取り度は増していく一方だ。週末、父に「その指、どうしたんだ」と問われて(めざとい)、「いやぁ、道端で転んじゃったんだよ。ずべべべべーってさ」と言ったら、うひゃひゃーと笑っていた。みんなで互いのすってんころりんを笑って労わって、あるよねぇってシェアして励ましあっていこう。

2024-04-16

春、2日だけ教壇に立つ

ひょんなことから大学で2日だけ授業を受け持つことになり、これの準備で水面下のじたばたを続けているうち、4月前半が過ぎていった。昨日、今日で90分×2回の本番を終えて、ようやっと一息ついたところ。

自分がとても「大事なことだ」「若人たちに伝えたいことだ」と思っていることが授業テーマであっただけに、「それを、おまえが伝えられると思っているのか」という自分ツッコミが速攻で返ってくる。一人芝居が続いた。

「いや、その器でないことは重々承知の上ですよ。そこを、自分という等身大をわきまえた上で、この演者をして、どう伝えたら届くか」を組み上げて、脚本も演出も事前に考え抜いて臨むということですよ。作、演出、監督も、ぜんぶ自分でやるチャレンジということです」、そう食い下がる自分Aに対し、「ふむー、そこをわきまえての挑戦ということなら、じゃあ、やってみぃ。途中で根を上げるなよ」と自分B。一人やんややんやして、本番までの準備に明け暮れたのだった。

一つの教室に150人入るから、同じ授業を2日に分けて300人に行うということになったのだが、300人に90分でものを伝えるというのは、大変なことである。

少なくとも私のような人間には大役すぎる話なのだったが、依頼くださった教務の方と話す中で「誰が適任か、より適任の教え手がいるのではないか」という問いはついてまわるけれど、この柔いテーマについて言えば、敏腕のクリエイターを連れてくれば一番うまくいくというのじゃない。それはそれで、そうなのだった。

ここは暫定的でも、これってものすごく大事なことなんだと、それをみんなに知っておいてほしい、こんなふうにわかっておいてほしいのだと、言葉を尽くし、趣向を凝らし、心を込めて届けられる人が、壇上にあがって一所懸命伝えるというゼロ→イチを立ち上げることが大事なんじゃないかと。それができる人が、暫定的に適任者なんじゃないかと。

そんな話をして、そうだなって励まされたのだった。その思いを汲めば、私は暫定的な適任者という役割を担って、務めを果たしたかったのだ。

それにしたって先生というのは、作、演出、監督、俳優、ぜんぶ自分。改めて脱帽した。

脚本をどこまで用意するか、スライドをどう機能させるために何を入れ込んで何は書き込まないか。演者としてどう立ちふるまい、どう学生と関わるか、どこでは一人しゃべりして、どこで相手の表情をうかがい、どこでどんな質問を投げて、どこでは問いかけにとどまらず相手の意見を発してもらうか。それを90分という枠組みの中で時間配分して、メリハリつけて、大事なところがきちんと伝わるよう差配していかねばならない。

私は裏方業として、授業設計はあれこれしてきたけれど、壇上に上がってのパフォーマー経験は乏しい。ふだんから先生をしている方は、上のようなごにゃごにゃしたことを現場決着させながら差配できるところも多分にあろうけれど、私のような単発&演者経験が浅い講師のばあい、舞台作りのように事前の作り込みをどうやっておくかが、ものを言う。

とりわけ、時間感覚が乏しいのが難点だ。どう話したら延長せず、早く終わることもなく、90分ちょうどの時間におさまるかがわからない。なので、これはもう脚本を書くしかないと、一通り書き出してみる。この話に3分、これに1分かかるのかと、しゃべってみれば具体的な数字が見えてくる。ありゃ、これにこんな時間かけている場合ではない。もっとあっちのほうに時間を使うべきところだ。調整、調整。

さて、ここで個々人に考えてもらうのに3分、もうちょっと考えたいという人がいたら、もう2分追加できるようにして5分とっておこう。その後、数人で見せ合いっこしながら意見交換してもらうのに、このケースだと10分ほど確保したい。自分の話、みんなの時間、積み重ねていくと、ふむ、これで全部が85分くらいで着地する。

そこの目処がついてからも、今一度全体を見渡してみる。何度読んでも、自分の台本の粗が目につく。何度読んでもだ。この言い回しでは伝わりづらい。こう説明したほうがいいのではないか。これは、さっきの話と重複している、取ろう。構成をこう入れ替えたほうが流れがいいよな。

何度見ても「修正するところなし」に至らない。90分のセリフを覚えられるわけでもなければ、覚えてその通りしゃべりたいわけでもない。しかし、自分が当日できるだけ自由にふるまえるようにするためには、この右往左往プロセスを踏むほか手段がない気がしたのだ。

そんなこんなで2日間終わるまで落ち着かず。それが今日をもって一段落した次第。ともかく、悔いは残すことなく終えることができた。みんな熱心に話を聞き、参加してくれて、ありがたかった。今は、自分で自分を褒めてあげたい小者感をじわじわ味わっている。一息いれて、今年度もちょこまか人様のお役に立てるように頑張ろうと思う。

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