自分の時代、自分の環境を特殊化して見がち
今週はだいぶ余暇があったので、春の館めぐり週間と題して、いろんな館を訪ね歩いてみた。
月曜日は美術館へ。六本木にある国立新美術館の企画展「遠距離現在 Universal / Remote」(6月3日まで)。「マティス」展で人が多かったが、こちらはゆったり鑑賞。個人的には木浦奈津子さんの油絵が好きだった。抽象と具象の間のちょうどいい按配を表現していて身にしみた。
火曜日は文学館へ。横浜の港の見える丘公園内にある神奈川近代文学館の特別展「帰って来た橋本治展」(6月2日まで)。こちらも人少なく静かにゆったり。
彼を一躍有名にした第19回駒場祭の真っ赤なポスター「とめてくれるな、おっかさん。背中のいちょうが泣いている。男東大どこへ行く」の原画を観て、自分のおぼろげな記憶と、橋本治という人物が邂逅。私が人物を明確に認識したのは月刊誌「広告批評」の連載だったか。その後、人の薦めで「青空人生相談所」(ちくま文庫)を読んで強烈に印象づけられた。相談者に対して「さもしい」を連発する劇薬だった。
今回の会場で紹介されていた「'89」(河出書房新社)の一節に触れ、AI対比で人間像を模索する今の時代、橋本治の著作は読むのにちょうどいいタイミングかもしれないなぁと思う。
「自分が生きてる」という理由だけで、「自分の時代=現代」を、そんなに特殊化しない方がいいと思う。「自分達の時代」というのは、しょせん「相変わらず、おんなじ人間の作った歴史の延長線上にしかない」んだから。
自分の時代、自分の環境を、人は特殊化して見がちだという忠告を受け取る。「あなたはオンリーワンだ」「カスタマイズ・パーソナライズの時代だ」というメッセージが幅を利かせる時代には、「それほど特殊じゃないよ」というブレーキを自分の側でもっておかないとバランスを欠いてしまう。ブレーキをうまく利かせる必要があるかもなぁなどと思った。
水曜日は映画館へ。今や映画館は毎週父と通っているので久しぶりでも何でもないのだけど、一人でふらっと東京で観られるものということで「ブルックリンでオペラを」。
チケットをとった後、近くの本屋をうろうろ、3冊ほど文庫本を買って、コーヒー屋で時間まで読み耽り、映画館へ戻る。夜遅い時間に一人で映画館に足を運ぶことってないのだけど、レイトショー手前の時間帯だったらありかもしれない。なかなか贅沢な過ごし方だった。
木曜日は写真館へ。恵比寿にある東京都写真美術館の「TOPコレクション 時間旅行 千二百箇月の過去とかんずる方角から」(7月7日まで)。百年前を始めとして5セクションに分けて37,000点超の写真・映像作品、資料を展示。とりわけ大正・昭和初期の写真や、彩り豊かな広告ポスターに見入った。
青空を背景に新緑が映えて、散歩も気持ちよかった。これから週末にかけては、手元の本を味わいたい。良い季節だ。
海も、樹木も、人の創作も、受け取るもの全部がぜんぶ、既成観念、言語的な分類、勝手に引いている境界線を溶かせ、解かせ、融かせと心のうちに響いてくる。こちらの都合か、あちらのメッセージか。
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