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2024-03-20

几帳面な人にシェアしたい、ものさしの着脱発想

人間の習性には「自分のものさしを人にあてて、他人のふるまいを断罪しがち」というのがあると思っていて、それを無自覚にやっちゃっているところから脱すると人間社会生活はぐっと楽しく、おもしろくなるという持論がある。

例えば几帳面な人からみたら、自分より几帳面じゃない人なんて世の中うじゃうじゃいるわけだけど、その人たちに「几帳面のものさし」をあてて、足りない足りないと嘆いていても一向に得るものはない。

遅刻する人は、おもしろいほどずっと遅刻し続けるし。自分が「ふつう連絡をよこすだろう?」というやりとりを中断して連絡よこさずじまいになってしまう人は、注意を促したところで、そのさきふるまいを改めるミラクルを早々起こさない。

そこで相手を蔑んだりストレスためるより、もしかしてそれ以外の、自分が持っていないし知りもしない「別のものさし」を持って、この人らは生きているのかもしれないって発想したほうが断然、人間社会に生きることはおもしろくなる。チームを組んで人と何かすることも楽しくなる。

こう発想の転換を図りながら人とふれあったり協働作業をしたりしていると、自分自身が何のものさしを持ってこれまでスキルを磨いてきたか、自分が何を発揮してチームに貢献できるかも、つかめてくる。

几帳面な人同士が集まることでストレスなく進む作業もあるだろうが、さして几帳面でない人たちが集まっている中に自分をおいてチームを組み、自分の強みも他の人の別の強みも活かせて、みんなハッピーという作業もある。

自分の持っているものさしというのは、自分には当たり前すぎて意識化するのが難しいので、こうやって他の人とのふれあう中でこそ自覚できるという側面がある。

他の人が、これまで自分が頓着してこなかったどういう価値基準や美意識を磨いて生きてきたのか、いま何に意識を向けて、自分と同じ社会に生きていたり、自分と同じ協働作業に関わっているのかに意識を向けてみるのも、おもしろいものだ。それは新たな社会の見方、人の活動の可能性を教えてくれる。

自分の特長にも、周りの人の魅力にも気づきやすくなる発想の転換。これができるのは、そこそこ大きくなってからだけど、大人になってきたなぁという頃合いで、ぜひおすすめしたい。

もちろんビジネス社会などは、一定の「ふつう、こうするだろう」という社会通念や規範あってこそ成り立っているわけだけど、それはそれとして。絶対普遍の掟というのはそうそうないわけで、3000年後もそうか?3000年前もそうか?と自問してみてイエスと即答できない事柄に関しては、そんなに普遍性高くないなという鷹揚な構えで、自分のものさしを当てたり外したり自在にしておくことが、自分を楽にする。

以上、なんとなく数日前にスマホのメモアプリに書きとめたメモに過ぎないのだが、このさき他で披露することもなかろうから、ここに書き残しておく。

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