1996年の自分に会いに行く会
昨日は、私が(事実上)新卒入社して1996年から4年間お世話になったデジタルハリウッドへ。創業期の面々で集まって、古希のお祝いをかねて学長の杉山先生に会いに行こう!という会に参加させてもらった。
企画してくれたのは、デジタルハリウッド創業期の親会社ビジュアルサイエンス研究所の方々。当時はちっちゃい会社を淡路町界隈にぼこぼこ作っていて、雑居ビル間、会社間を分け隔てなく行き来していたので、子会社所属の私たちもお声がけくださった次第。
おおかた20〜30代だった人たちが、今やアラフィフ、アラ還になっているのだから、まったく驚いてしまう。けれど、1994年とかに3DCGで恐竜を作っていた人、そういう人らを集めて会社を経営しだした人らを筆頭に、とにかく全員「只者ではない」ので、皆さん2024年に集まっても老け込むことなくエネルギッシュなままに笑顔の再会。嬉しかったし、楽しかった。
私は昔の面々と集まったときに昔話ばかりになるのが苦手なのだけど、この人らと会うとほんと、昔話も今の話もあっちゃこっちゃ自在にとんでおしゃべりするのが快い。
ビジュアルサイエンス研究所は今ニンテンドーピクチャーズになっているのだとか、デジタルハリウッドの卒業生が今回アカデミー賞を受賞した視覚効果賞の「ゴジラ-1.0」、長編アニメーション賞の「君たちはどう生きるか」、ノミネートされた「ニモーナ」に参加していたのだとか、華々しい話も挙がって皆で湧く。
組織としてはさまざまな変化を遂げて諸行無常なのだが、90年代にあったこの組織体が直接・間接に影響し、この30年間にデジタルとクリエイティブを掛け合わせた世界で人材育成面で働いた功績は大きいと感じないではいられない。
私なんぞは、そのご相伴に預かったという感じだが、世の中的貢献の大きさはさておき、私個人が杉山先生を筆頭に皆さんから授かったもの、影響を受けたものは計り知れない。ここに以前書いたことの繰り返しになってしまうのだけれど。
この90年代の出会いと経験、この人たちと昼夜ともに働いた日々をなくして、その先の私の人生はなかったのだ。わいわいみんなとおしゃべりしながら、改めてそのことに感謝した。
杉山先生が私を見て、二十歳だった娘っ子の私を見るのと同じまなざしで、やわらかく笑いかけてくださったのも嬉しかったな。「あぁ、まりちゃん。ほんと、あなたは変わらないねぇ」という笑顔。中身はね、杉山先生の薫陶を受けて、私なりにせっせと成長しておるのです。
年末に公開された「Agend」のインタビュー記事でも触れたけれど、
長く一緒に仕事することでしか若手に継承できない尊い仕事も、各職場にたくさんあると思うんですよ。だから、悪しき慣習や不合理な指導法とは断絶しつつ、社内で大事に引き継いできた専門性、醍醐味の伝承がなおざりにならないといいなと思います。
を念頭に、自分の縁ある現場で人材育成に仕えていきたい。
今の社会は「若手に引き継がないで、ここで断絶すべき施策」に余念がないけれど、全部を引き継がずに断絶すればいいっていうんじゃない。
先輩たちが教えてくれたこと、巻き込んでくれた社会の営み、仕事の面白さ、人が創ることに向きあう気高さやひたむきさ。そういうものの尊さを、私は私で、若い世代の方々に共有する働きをできたら、何かを手渡しで丁寧につないでいく働きができたらと思う。
最終的に、それを断じるか受け継ぐかは本人らに任せたらいい。けれど、自分が良きもの美しきものとして受け継いだ先人の営みを、教えない、伝えない、はなから断絶して引き継ぐ試みを全部放棄するのは何か違う気がして。私が自分のささやかな人生の中で体感してきた良きものを、自分の言葉や行為を通して伝えていけたらいい。選ばない自由を伝え添えながら。
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