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2024-03-09

心還る京都旅、人と街と山と鐘

3月初め、観光&親戚に会いに京都を訪ねた。昨夏、父との思い出探訪で京都を旅した際に突撃訪問し、そこで初めてお目にかかった親戚が、またゆっくり遊びにいらっしゃいというのを真に受けて、今回は単身でさくっと一泊旅行。と思いきや、「さくっと」とは程遠い濃密な旅となった。

父と一緒だと先方も気を遣うだろうと思って単身で訪ねることにしたのだが、小娘一人でも身に余りまくる心配りで旅のほとんどすべてを面倒みてくださり、「これが生粋の京都人か」と旅に出る前からひれ伏したのだった。

どこまでが「ありがとうございます」と素直に甘えてよいもので、どこから先は「いやいや、そこまでは」と遠慮しないと非礼にあたるのか、生粋の千葉っ子には境かい目がよく分からない。

途中から、ええいままよと「郷に入りては郷に従え」を念頭に様々のもてなしに全乗っかりし、先方のご厚意に甘えまくって帰ってきた。お茶漬けは出されなかったが、大丈夫だったのか判断はつかない。

比叡山延暦寺、大原三千院、京都御所、二条城と、いろいろな観光地にも車で連れて行ってもらって京都を堪能したのだが、お墓参りや能楽堂巡り、食事処や車中でのおしゃべり、街歩きや土地の人との交流と、ならではの時間をともにできたのは、とりわけ格別の思い出となった。

昨年初めて会ったというのに、親戚というのは不思議な親しみがわくもので、おもしろいなぁと思う。これは、この歳になってこそ感じられていることでもあろうな。

もう、ただ、シンプルに、等身大で、ご縁を大事にして、自分が大切にしたいと思うことを大事にして、やっていけたらいいなと思う誕生日。嬉しいなって思うことに喜んで、ご厚意には素直に甘えさせてもらって、自分なりの心をもって身の丈で相手に返していく。常識より自分の思いをもって、人と親しむこと、人とふれあうこと。そうやって自分を生きていけたらいい。

リンク先の写真(Instagram)は、山道ドライブして訪れた比叡山延暦寺の鐘撞き。京都の底冷えに身を震わせつつも、雨上がりで観光客が少なく、西塔の鐘楼は他に誰もいない中で落ち着いて鐘を打てて、音が鳴り止むまで、ごーんという響きを耳澄ませて味わった。思いきりよく、いきましょう。

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