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2024-02-22

母の命日、父娘の旅路

2月は、母の命日がある。今年は土曜日だったので、父と二人でその日にお墓参りへ行った。空は晴れ渡り、風もなく穏やかな日和、柑橘の匂いでも香ってきそうな大輪の菊の花を供えて(Instagram写真)、陽光が射すお墓に手を合わせた。

母が他界して13年になる。母の歳に13歳も近づいてしまった。私は写真の中で笑う59歳の母よりよぼよぼするまで生きながらえるだろうか。あと一回りすると、母と同い年になる。

父と毎週末、地元の映画館へ行くようになって一年が経つ。この一年で48本の映画を一緒に観た。前後にランチや買い物もするので、父とはその間にいろんなおしゃべりをするのだが、いつだったか、母親がいなくなっておまえはさびしくないのかと、父に尋ねられたことがあった。

おまえは彼女との死別を、どう乗り越えているんだ?と、そんな問いかけのように聞こえて私は「同化した、取りこんだ、お母さんを吸収合併したんだ」と笑って応じた。父は「なるほどな」と笑った。親子というのは、そういうのが成り立つものかもな、そういうのが健全であろうなとでもいうように、私の返事に頬をゆるめた。夫婦はそうはいかんのよと、苦笑いしているふうでもあった。

先週は、父を誘って熱海旅行に出かけた。父娘の旅は、昨年7月の「京都思い出探訪」以来か。ふだん乗らない特急列車に乗って、海か山、温泉があるところに宿をとって出かければ旅行に成る。私にはそういう思い込みがあり、今回は「踊り子」「熱海」「温泉宿」をそろえたところで準備万端、勝手にコンプリート感。

熱海は移動疲れもしないし、「さくっと海」にはちょうどいい旅先だった。お天気にも恵まれて、2月とは思えない穏やかな陽気のなかで海風を浴び、青い海と青い空しかない水平線をのんびり眺め、ふぃぃぃーと息をはいて、はぁぁぁーと息を吸った。沈んでゆく太陽を静かな部屋から、昇ってくる太陽を朝風呂に浸かって見届けた。

広大な海を目の前にして、心の中に何を思い描くか。昔の自分とは全然違うものを今、海の視界に覚え、思い耽る自分に気づく旅だった。父がこの海を前に何を思っていたか、私にはわからないし尋ねもしないけれど、この先も穏やかに、海を目の前にする時間をプレゼントし続けられたらなぁと思いながら背中を見ていた(Instagram写真)。

*昨年が13回忌だったので、今年は14年としばらく思い込んでいたが、今年は14年目の丸13年だった…ので後から訂正しました。

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