若者の「転職に対する考え方」を日米比較した顛末
13〜29歳の若者の「転職に対する考え方」を日米比較してみて驚いた。下のグラフ、一見して「どっちが日本で、どっちがアメリカ」だと思うだろうか(クリック or タップで拡大表示)。
私はなんとなく「上がアメリカで、下が日本」のように思えちゃうのだが、この印象って世代差あるのかな。若い人は逆に見えたりするのだろうか。
人によって日本観、米国観、日米比較観はそれぞれだろうけれど、私のようなアラフィフ世代だと「つらくても転職せず一生一つの職場で働き続けるべき」は日本のほうが比率高そう、「自分の才能を生かすため積極的に転職する方がよい」はアメリカのほうが比率高そうって思っちゃう人、けっこう多いんじゃあるまいか。
そして実際がどうかというと、2018年現在は逆。「上が日本で、下がアメリカ」なのだった。
出典たどると、2003年(ちょっと調査対象年齢が違うんだけど)から2018年にかけて、日韓アジア勢は転職に強気になっていく一方で、欧米諸国は「つらくても一生一つの職場で」の保守が伸びているのが興味深い。
グラフは、労働政策研究・研修機構「データブック国際労働比較2023」の第3-14表「青少年の転職に対する考え方」(PDFファイル)から、2018年の日本とアメリカだけ抽出したもの。可視化が下手ですみません。
欧米諸国が「つらくても一生一つの職場で…」に傾く背景に何があるんだろう。そもそもつらい職場にいない、つらい職場が減った?相対的に転職のほうがつらいものになっている?若者の職・仕事に対する期待感が低下している?自己効力感が低下している?とか、いろいろ当てもなく思いつきが巡る。そしてどこにも到達していないままだが…。
でも、こうやって一つの表から、どこかに着眼して、そこのデータを抽出してグラフ化してみて、ビジュアライズが下手っぴだなぁとか思いながら配色とか配置とか罫線とかいじりつつ情報とたわむれる中で、小さな気づきとか疑問とか仮説とかを拾い集めて私はものを考えていく。
なので、あんまり自分の生活に「自動でポン」というのを取り入れすぎると、自分は自分が大事にしたい時間を失ってしまうんだろうなぁと思う。
処理能力が高い人、処理できるまな板がとんでもなくだだっ広い人というのはいて、その人にはその人の高度な道具の使い方というのがあって当然なのだが、それが必ずしも自分にとって有用で豊かさをもたらす使い方かというと、そうではない。私は私なりの、自分を豊かにする道具の使い方を作り出していかないといかんのだ。
人は頭の中で目的地を仮置きして、その道中で次への手がかりを発見したり、寄り道を楽しんだり、よそに逸れたりしてきたわけだが、そこスキップして目的地に瞬間移動できる道具を手に入れたとき、その道中の楽しみを別に見出すのか、道具を使わない時間も確保し使い分けるようになるのか、人それぞれか。
そんな投稿をTwitter改めXに先月書き残していたが、なんかそれを思い出しちゃったな。などと全然あさっての方向に思索めぐらす。
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