十何年越しかで、母の言葉を聞く
大晦日に帰省した。妹も帰ってきて、兄一家が元旦にやってきて、父を囲んで実家で新年会を開いた。午後には、母のお墓参りに行った。快晴だった。昨年はコロナにかかって寝込んでいたので、今年は家族で新年を迎えられてよかった。
おせちをつまみながら、義姉とおしゃべりしている時。甥っ子らの子育てについて話す流れで義姉が、生前の母(彼女にとっては姑)が私について話していた印象(というのか認識というのか)を聞かせてくれた。
そのときもきっと母と義姉のあいだで、子育てを話題にしていたのだろう。母は、私について「あの子は大丈夫。しっかりしてるから」と言っていたそうだ。
そんなこと、初めて聞いた。まぁ、当たり前か。母が(私のいないところで)人に話す私の印象、そんなの聞く機会ないものな。でも、これまで一度も、そんなことが在るなんて想像すらしたことがなかったのだ。
落ち着いて考えれば、母が義姉と子育てについて話すなら、私なり兄なり妹なりの話をするのは自然のこと。母が手短に人に話せる息子・娘の印象というのをそれぞれ持っているのも、そりゃあそうかと思う。よそ様に尋ねられてさくっと答える機会もあっただろう。なのだけど今回聞かせてもらうまで、まったく想像もしなかった。
義姉とのおしゃべりを終え、ひとり台所でお皿を洗っているときに思い出し、「あなたは大丈夫。しっかりしてるから」と、母が十何年越しかで言葉をかけてくれて、励ましてくれているような気持ちがした。嬉しかったなぁ。あったかい気持ちがした。もう二度と直接言葉をかけてもらえることなどないと思っていた人から、十何年越しかで言葉を贈ってもらえたような気がした。
実家の台所は母の背丈に合わせて作ってあるから、皿洗いをしていると腰が疲れてくるのだけど、なんかそれも入り混じって、じんわりしてしまった。今年も健やかに自分のつとめをコツコツやっていく。本年も、どうぞよろしくお願いします。
* 写真は2024年元旦、母のお墓参り
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