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2024-01-16

専門性を磨く/専門家を育成する「手順」の落とし穴

専門性を磨く、専門家を育てるニーズっていうのは、個人目線でも組織目線でも高いと思うのだけど、欠かしてはならない前提が、専門性を発揮したり専門家の役割を果たすには「深さ」も必要だが「広さ」も必要になってくるってことだと思うんだな。

で、これを入門する段階で一気に両方身につけるのは無理って考えると、身につける順序、教えたり教わったりするステップの踏み方に一考の余地があるってことになる。

そこで、あぁこういう落とし穴にはまりがちなのかもしれないと思ったのが、次のスライド(クリック or タップすると拡大する)。

20240116

左の図、右の図、ともに縦・横に線をひいて十字にきって、上下の線が「学ぶ領域の広さ・狭さ」、左右の線が「学ぶ領域の深さ・浅さ」と分けている。

左側の図が、こういう落とし穴に落ちがちなんじゃないかと思った3ステップ展開。学び始めに、左上の「浅くとも広い」領域を経験する・させることなく、左下の「浅く狭い」領域、言い換えれば「簡単な作業」から入っちゃう。そこから実務経験を積み始めて、専門家に求められるだろう右上の「広く深い」領域を目指した場合、そこに到達する手前でヘタっちゃうんじゃないかな、と思ったのだ。

実務未経験の新卒社員が入ってきて、その若手を専門家として育てあげて戦力化したい。そのとき、手っ取り早く「実務経験を積ませる」ということでいうと、手元にある実務をふって、部分でも、とにかくこれをやってみろと、左下の浅く狭い仕事(簡単な作業)をふっていく。これの寄せ集めをこなすだけで「実務経験3年以上」の経歴保持者になることも、大いにありうる話だ。

しかし本当の意味で「専門性を身につける」ということは、一朝一夕で済まないのが前提の話。長い期間さまざまな困難を克服して壁を突破できるかというのを念頭におくと、右側の図のように、学び始めに「浅くとも広い」領域を経験する、ここの足場があるかないかが、長旅を続けて右上の「広く深い」領域に到達する可能性に効いてくるんじゃないかなぁと思う。

この4ステップ展開って、意識的に仕組まないことには、なしのまま左側の3ステップ進行するのが常だろうなと思い、対比的に図にしてみた次第。

高いレベルは求めない、組織が「浅く低い」領域を任せられる作業者を量産したい施策なら、左側の3ステップで事足りるのかもしれない。が、本人のキャリア戦略であれ、組織の人材戦略であれ、高い専門性を育みたいなら、右側の4ステップで「浅くとも広い」経験を最初手にどう組み込むか、どう許容するかが、けっこう大事な気がしたのだった。

これは実務貢献度とのトレードオフにもなるから、自分・自社環境で現実的に許容できる按配をはかって設定する必要があるんじゃないかな。というのもあって、すごく抽象的な描き方にとどまるけれども。

そんなことを考えさせてくれたのは、観世銕之亟「ようこそ能の世界へ―観世銕之亟 能がたり」*だったりするのが、人の世の趣きあることだなぁと味わっている。

能役者は、子どものとき稽古するのに、だいたい神さまの能から始めるのです。それからしだいに人間のドラマへと入っていく、そうしないと戯曲がだんだん細ってしまうのです。つまり、神の偉大さということを体現していないと、どうしても演技に膨らみがでてこないのです。

平易に言えば、まず仕事の醍醐味から味わう、その活動の大義に触れること、魅力に接触すること、というのかな。それなしに、ぐいっと跳躍が必要なスケールの成長の軌跡って、なかなか見込めないんじゃないかな、などと思ったりするのだった。

*観世銕之亟「ようこそ能の世界へ―観世銕之亟 能がたり」(暮しの手帖社)

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