« 2023年12月 | トップページ | 2024年2月 »

2024-01-29

いろんな仕事人の話を分かろうとする仕事

クライアント仕事の面白いところは、必要に迫られて過去一度も前に立ったことがない大型書店のコーナー前に仁王立ちし、みずからは決して手を伸ばすことがなかった本に興味を持って手を伸ばす気にさせてくれること。

実際買ってきて読んでも「なるほど」と興味をもって読め(なるほどと思って読めそうな入門書しか手を出していない…)、宿題を作って持っていくと、その道の専門家に直接話が聞けて新たな世界が広がり、一緒に宿題の精度を上げていけること。このプロセスが面白い。だけど、これってお客さんに恵まれているからこそだわと、はっとして改めて感謝した。

と思いながら週末パシャリしたInstagram写真。こういう他力本願というか、ある種流れに身を任せることによって活力を与えられ、知識欲をおぼえ、楽しく生きながらえている仕事人もいるというのが、私のようなタチの若者にも知れ渡ると、仕事観というのはもう少し豊かに映るのではないかと思ったりするのだが。バリバリ働くでも、仕方なく働くでもない、ぬるっと楽しく働く人も社会には生息しているのだ。

まぁ、この案件で言えば、たまたまの縁で得られたもので私もこのタイプを受注する再現性は乏しいのだが。本件は、私の仕事力の不透明ながらこの辺が核心だろうなと肌感覚でご存じの元上司だったから振ってもらえただけで、私は人事制度設計のコンサルタントとかでキャリア積んでいるわけじゃなし、そういう会社に所属したキャリアも持たないので、制度設計全体を預かれるわけでもなく、発注される見込みもない。この先、組織の人事制度づくりのプロジェクトに今回のようなプレイヤーとして組み込んでもられることは、まぁちょっと難しい。

そういう引いた見立てをしながら思うのは、一方で、これってこれまで自分がやってきた人材開発系、企業研修の分析・設計で使ってきた能力と丸かぶりだったよなぁということ。なので、組織のHR施策の要件定義であれば、この手の職人技は何にでも使えるんだなっていう発見機会でもあった。今後関われる全部に使っていこう、全部で使えるように継続して鍛え上げていこうと意識することができた。

あと、こういう組織活動の文脈でもそうだし、最近お能の入門書とかを本屋で物色しているときにも思ったのだけど、私は「業種」とか「文化」とかのカテゴリー切り口ではなくて、どの業種でもどの文化でも「そこで生きる人」がどんなふうに職能を発揮したり、どんなふうにその業界、その仕事、その専門性をとらえて現場で振る舞っているのか、現場で良い仕事をするために、どんな鍛錬を積んで、どんなところに目配せして、何を大事にしているのかみたいな話を聴くのが大好きで、それを分かろうと努め、その切り口で情報摂取のアンテナをはっているんだなということ。仕事なら、その理解・洞察の深さによって「要件定義から施策展開」の精度を上げていくのが、大好きなのだなというのを自覚した。

そういう意味で、やっぱり私は組織のHR施策を中心に仕えたいし、組織のHR施策と個人のキャリアデザインをどう止揚するかという役割を足場にして社会に関わっていけたら嬉しいなと思い新たにした。まぁこの先の仕事がどうあるかは独立1年目で不透明すぎるけれど。今の仕事を一つひとつ大事にやっていって、そこで自分が思うことを大事に、次につないでいったら幸せじゃないかとのんびり構えている。

2024-01-16

専門性を磨く/専門家を育成する「手順」の落とし穴

専門性を磨く、専門家を育てるニーズっていうのは、個人目線でも組織目線でも高いと思うのだけど、欠かしてはならない前提が、専門性を発揮したり専門家の役割を果たすには「深さ」も必要だが「広さ」も必要になってくるってことだと思うんだな。

で、これを入門する段階で一気に両方身につけるのは無理って考えると、身につける順序、教えたり教わったりするステップの踏み方に一考の余地があるってことになる。

そこで、あぁこういう落とし穴にはまりがちなのかもしれないと思ったのが、次のスライド(クリック or タップすると拡大する)。

20240116

左の図、右の図、ともに縦・横に線をひいて十字にきって、上下の線が「学ぶ領域の広さ・狭さ」、左右の線が「学ぶ領域の深さ・浅さ」と分けている。

左側の図が、こういう落とし穴に落ちがちなんじゃないかと思った3ステップ展開。学び始めに、左上の「浅くとも広い」領域を経験する・させることなく、左下の「浅く狭い」領域、言い換えれば「簡単な作業」から入っちゃう。そこから実務経験を積み始めて、専門家に求められるだろう右上の「広く深い」領域を目指した場合、そこに到達する手前でヘタっちゃうんじゃないかな、と思ったのだ。

実務未経験の新卒社員が入ってきて、その若手を専門家として育てあげて戦力化したい。そのとき、手っ取り早く「実務経験を積ませる」ということでいうと、手元にある実務をふって、部分でも、とにかくこれをやってみろと、左下の浅く狭い仕事(簡単な作業)をふっていく。これの寄せ集めをこなすだけで「実務経験3年以上」の経歴保持者になることも、大いにありうる話だ。

しかし本当の意味で「専門性を身につける」ということは、一朝一夕で済まないのが前提の話。長い期間さまざまな困難を克服して壁を突破できるかというのを念頭におくと、右側の図のように、学び始めに「浅くとも広い」領域を経験する、ここの足場があるかないかが、長旅を続けて右上の「広く深い」領域に到達する可能性に効いてくるんじゃないかなぁと思う。

この4ステップ展開って、意識的に仕組まないことには、なしのまま左側の3ステップ進行するのが常だろうなと思い、対比的に図にしてみた次第。

高いレベルは求めない、組織が「浅く低い」領域を任せられる作業者を量産したい施策なら、左側の3ステップで事足りるのかもしれない。が、本人のキャリア戦略であれ、組織の人材戦略であれ、高い専門性を育みたいなら、右側の4ステップで「浅くとも広い」経験を最初手にどう組み込むか、どう許容するかが、けっこう大事な気がしたのだった。

これは実務貢献度とのトレードオフにもなるから、自分・自社環境で現実的に許容できる按配をはかって設定する必要があるんじゃないかな。というのもあって、すごく抽象的な描き方にとどまるけれども。

そんなことを考えさせてくれたのは、観世銕之亟「ようこそ能の世界へ―観世銕之亟 能がたり」*だったりするのが、人の世の趣きあることだなぁと味わっている。

能役者は、子どものとき稽古するのに、だいたい神さまの能から始めるのです。それからしだいに人間のドラマへと入っていく、そうしないと戯曲がだんだん細ってしまうのです。つまり、神の偉大さということを体現していないと、どうしても演技に膨らみがでてこないのです。

平易に言えば、まず仕事の醍醐味から味わう、その活動の大義に触れること、魅力に接触すること、というのかな。それなしに、ぐいっと跳躍が必要なスケールの成長の軌跡って、なかなか見込めないんじゃないかな、などと思ったりするのだった。

*観世銕之亟「ようこそ能の世界へ―観世銕之亟 能がたり」(暮しの手帖社)

2024-01-02

十何年越しかで、母の言葉を聞く

大晦日に帰省した。妹も帰ってきて、兄一家が元旦にやってきて、父を囲んで実家で新年会を開いた。午後には、母のお墓参りに行った。快晴だった。昨年はコロナにかかって寝込んでいたので、今年は家族で新年を迎えられてよかった。

おせちをつまみながら、義姉とおしゃべりしている時。甥っ子らの子育てについて話す流れで義姉が、生前の母(彼女にとっては姑)が私について話していた印象(というのか認識というのか)を聞かせてくれた。

そのときもきっと母と義姉のあいだで、子育てを話題にしていたのだろう。母は、私について「あの子は大丈夫。しっかりしてるから」と言っていたそうだ。

そんなこと、初めて聞いた。まぁ、当たり前か。母が(私のいないところで)人に話す私の印象、そんなの聞く機会ないものな。でも、これまで一度も、そんなことが在るなんて想像すらしたことがなかったのだ。

落ち着いて考えれば、母が義姉と子育てについて話すなら、私なり兄なり妹なりの話をするのは自然のこと。母が手短に人に話せる息子・娘の印象というのをそれぞれ持っているのも、そりゃあそうかと思う。よそ様に尋ねられてさくっと答える機会もあっただろう。なのだけど今回聞かせてもらうまで、まったく想像もしなかった。

義姉とのおしゃべりを終え、ひとり台所でお皿を洗っているときに思い出し、「あなたは大丈夫。しっかりしてるから」と、母が十何年越しかで言葉をかけてくれて、励ましてくれているような気持ちがした。嬉しかったなぁ。あったかい気持ちがした。もう二度と直接言葉をかけてもらえることなどないと思っていた人から、十何年越しかで言葉を贈ってもらえたような気がした。

実家の台所は母の背丈に合わせて作ってあるから、皿洗いをしていると腰が疲れてくるのだけど、なんかそれも入り混じって、じんわりしてしまった。今年も健やかに自分のつとめをコツコツやっていく。本年も、どうぞよろしくお願いします。

* 写真は2024年元旦、母のお墓参り

« 2023年12月 | トップページ | 2024年2月 »