底と先知れぬ「VRモチーフのアナログ小説」
「友人」と呼んでは相手に失礼だが、「知人」と呼んではちょっとさびしくなってしまう間柄の池谷さんが、小説で新人賞を受賞した。私は文学界にまったく明るくないが、選考委員に江國香織の名前をみとめて目が飛び出た。ほか滝口悠生、豊﨑由美、山下澄人、佐々木敦の各氏が選考委員を務めたという「第5回ことばと新人賞」、これに選ばれたという。
受賞作「フルトラッキング・プリンセサイザ」は、今月初めに文芸誌「ことばと vol.7」に掲載され、2024年春頃には単行本が刊行されることになっているそう。自分と同世代にして、大学の事業部執行役員を務めながらの快挙。どんな時間の使い方をして暮らし、どんな人生観をもって生きているのか、皆目見当がつかない人だ。
「バーチャルリアリティ技術やメタバースに関するモチーフが多く使われている」「デジタルネイティブ世代のテクノロジーカルチャーを描写しているという側面もある」とは、ご本人の弁。人によっては「フルトラッキング・プリンセサイザ」という題名から、そのことに察しがつく方もあるだろうということなのだが、私はまったくもって関連づく前提知識をもっていない。
そうでありながら、物語世界をぐいぐい展開していく説明のなさが潔くて、これをして成り立たせるだけの丁寧な筆力を、存分に味わいながら読んだ。
「携帯電話」という命名が、ふと思い出された。携帯電話が世に出てきた当時、誰もが知っている「電話」を足場にしながら「携帯」という新しい言葉を乗っけて、受け取る側が過剰に怯えたり無視したりしない程度の実態性と、向く先の方角と高い将来性に見当がつく程度の可能性を言葉で示してみせた、あの感じ。過剰な説明なしに新しいコンセプトを世に定着させ、それの底知れなさを漸次的に世の中に展開してみせた、あの感じ。
バーチャルリアリティ全開の世界どっぷりで物語を展開されては、私なんぞすぐに放り出されてしまうのだけど、夏の手すりに感じる熱さ、黒Tシャツに映し出される汗の色、日曜の朝の駅の風景、アイフォンの手触り、そうしたものの丁寧な描写によって、今こことあちらをつなぎ、アナログ世界とデジタル世界を分ける線を曖昧にぼかし、一つの物語世界に居着く足場が私の頭の中で確かになっていく感覚をおぼえた。
私たちの認識する世界は、拡張しているのか、それとも狭窄しているのかわからなくなる空恐ろしさみたいなものが読後に残った感覚の一番だ。逆にいえば、先にふれた丹念な日常描写なしに、この空恐ろしさを抱えながらの読書は持ち堪えられなかったのかもな、とも思った。
それと、この小説の読書体験は、今この世に生きる、たかだか数十歳差の世代間で、受け取るものや脳内にイメージする世界に大いなる違いが出るだろうという想像がめぐった。同世代であっても、今すでにVR世界に馴染んでいる友人と、馴染んでいない私の間では大いに差が出るだろう。読者一人ひとりイメージするものは違う、それが小説というものだと言ってしまえば、その通りなのだが、それにしたって。
言葉では表しきれないコンセプトを、言葉による丁寧な造形描写によって積み重ねていった先に、人の頭のなかに新しい世界の像を立ち上げる言葉の底力みたいなものを感じる。文学ってすごいなぁ、こんなものを作る人の創作行為ってすごいなぁと、雑すぎる余韻。私は作り手のサポーターをするばかりだが、作り手と人の創作行為への真なる敬意を新たに、サポーターを生涯つとめあげたいなぁと改めて深く思った。
それにしても「自分は何者なのか」という人の認識は、どんどん捉えどころがなくなり、一般化しては何も物言えなくなってくるのかもしれない。どんなに引いて引いてみても「多様である」としか言えない枠組みの崩壊みたいなものが起こったとして、人間一人ひとりは、その自由さにどれくらい持ち堪えられるのだろうか。それへの適応を、人類の進化の一過程として振り返る時代がくるのかな。
*文学ムック ことばと vol.7(書肆侃侃房)
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