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2023-10-22

ぬいぐるみを手放した日

家の中のぬいぐるみをリサイクルセンターに引き渡しに行った。ぬいぐるみって、自分で買い求めたことはないのだけど、もともと実家の自分の部屋にあって一人暮らしを始めるとき連れてきた子と、どこからともなくやってきた子らとあった。黄金の中クマ、青い微小クマ、白い小イヌ、白と黒の謎な小動物の5体。

実家から連れてきた中クマは背丈が30センチくらいあろうか、他のこまごましたのに比べて、だいぶ存在感があって、引っ越しても引っ越しても、ずっと本棚の一番上の段にあった。ともに過ごした時間は、他の比でなく長い。

小学生の低学年の頃だったか家族で、ららぽーとだったか大きなショッピングモールに出かけて、そこの催しでビンゴ大会をやっていたのに参加して、かなり良いほうの賞として、ぬいぐるみをもらった。子供の体には、これがまたずいぶんとビッグなプレゼントで、ホクホクして連れて帰った。

私と妹が小学生の頃、我が家にはぬいぐるみがたくさんあった。お人形さんごっこというのは、うちではぬいぐるみごっこだった。バービーちゃんとかリカちゃんとかシルバニアファミリーとかの言わばブランドものは一つもなかったが、どこの出身かわからない雑種の動物たちが、20か30か大中小わんさかといた。

私と妹は二人して何時間も、ぬいぐるみごっこして遊んだ。そういう数年間がある。

その日々を、あれはあれで何か情操教育的な意味とか、物語展開力を養うような効果もあったのかもなぁと思いついたのは、それから四半世紀くらい経ってからのことだった。

遊びだす(物語の)入り口をどう作って始めていたのかとか、何体ものぬいぐるみを一人何役も掛け持ちして、何時間も二人だけでどう物語世界を展開させ続けていたのかとか、今となっては何も思い出せないのだが。

相手の言葉を受けて返すとか、こういうと相手が怒るとか泣くとか笑うとか黙るんだとかをたくさん知った気がするし。一つのキャラクターで、さっき言ったことと今言うことの辻褄を合わせてしゃべるとか、キャラごとに性格を変えるとか、論理破綻を起こさないで筋を通してふるまうとか。即興で発想して、新しい展開をシナリオだてるとか。

まぁどれだけそれがまともに成し遂げられていたかは別として、何年にも渡ってやっていたので、けっこうな場数を踏んで、今に通じる心根を養ってくれていたんだろうなぁと思う。そういうことにしておこう。

とはいえ、実家を出て東京に連れてきてからは、いくつかの家を連れ回したものの、さして面倒みるでもなく本棚の最上段で埃をかぶらせている状態だったので、もっとしっかりかわいがってもらえる子の腕の中に行けるなら、そのほうがずっと良い。

そう思い立つと、埃を拭きとって水洗いして黄金色の輝きを取り戻したクマのぬいぐるみと、あと数体をかばんに入れて、センターに連れて行った。

センターでリサイクル品を受け付けてくれるのは月に一度、13-15時の2時間しかないので盛況だった。年配の方が多く、大きなビニール袋に服やらカバンやら詰め込んで、2つ3つと家族で協力して担ぎ込んでいる感じだった。

ぬいぐるみだけの私はさくっと渡して、さくっと受け付けてもらい、さくっと終わった。10秒もないくらいだった。感傷に浸る間もなく、さようならした。

素敵な「こんにちは」に、どうか巡り会えますように。手放した後に、電車に乗っていくらか感傷に浸った。まぁ何事も感傷に浸るのは手放した後なのが常である。

使っていない電化製品や食器なども、そろそろ手放して、たくさん使ってもらえるところへ引き渡さないともったいないな。部屋も狭いんだし、物は少ないほうがいいし。と言いながら紙の本は相変わらず買い続けているのだが、それはそれ。だってまだ40代だもの。

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