アレオレと言わなくてもいい心持ち
江戸時代に活躍した彫刻職人に左甚五郎(ひだりじんごろう)という人物がいて、「左甚五郎作」と伝えられる彫刻作品が全国各地に100近くある。その制作年代を調べてみたら安土桃山時代から江戸時代後期まで300年に及び、出身地も様々。そのすべてを「個人としての左甚五郎」がつくることは不可能だと言われている話を、興味深く読んだ。
江戸時代初期に活躍した伝説的な職人の名が、各地で腕をふるった工匠たちの代名詞として使われたのだろうとのこと。今でいう「栃木県の大谷翔平」みたいな言い回しに近いだろうか、遠いか…。
お能の世界でいうと「世阿弥作」と伝わる作品の中にも、明治時代に入って成立年代や作者性を評価してみたところ、世阿弥(ぜあみ)が作ったのでは辻褄が合わない作品があるのだとか。
逆に言うと、明治以前の日本人にとっては、それらを「左甚五郎作」「世阿弥作」としても問題が生じなかったということ。著作権がらみの裁判も起きず、アレオレ詐欺が横行することもなかった時代、「個人としての」という観念がなかったか薄かったか、そのような時代背景が浮かび上がってくる。
能楽師の安田登さんが著した「あわいの力 『心の時代』の次を生きる」*に、この辺のことが詳しく書かれていて面白く読んだ。
世阿弥が書いたとされる「風姿花伝」も、父の観阿弥の言葉を世阿弥が書き写したもので、どこまでが観阿弥の思想で、どこからが世阿弥の思想かは判別がつかないし、はっきり区別する必要もなかった
これをもって、今の時代と比べて「個人としての心が貧しかった」と言えるだろうか。今のほうが「個人としての心が豊かになった」と言えるだろうか。そう問い立ててみると「否」という感じがするんだな、なんとなく。
身分の差なんかで「個の意識」に違いはあったかもしれないが、一般の町民想定で妄想してみるに、個人として歴史に名を残すという意識より、綿々と続く歴史の中に組み込まれた自分というものを、無意識であれ自然と受け入れて生きていたイメージがわき立つ。
indivisualを「個人」と日本語訳したのは明治初期のこと、江戸時代までに日本の中でどれだけ「個人」という意識があったか思い巡らすと、なにか牧場の羊のような気持ちになる。牧場の羊になったことはないけれど。
「他者と自分の境界線」というのがうっすらとしていって、家族の中の自分とか、住む町の集合体に組み込まれた自分、綿々と続く時代の中に生きて死にゆく自分というものが、無意識であれ、生き物の自然な心の構えとして備わる(育まれる)土の匂いに、もっと包まれた空間だったかもしれない。
それでいうと今は複雑に頭で考えすぎて、意識で方向づけすぎて、不自然に心の構えを縛りつけて息苦しくなっているところがあるんじゃないかなと、そんなふうに思って、心をほどいていく気持ちになる。
今も伝統芸能の世界で見られる「襲名」という慣わしも、個人としての尊重とは、わりと対極の構えなのかも。歌舞伎役者とか落語家とか、個人の名を歴史に刻んで残したければ都度ユニークな名前をつけたほうが独立性高まるように思うけれど、「何代目の何某」を継ぐという襲名制を今も大事に続けている。
そこには、その名を引き受けることを尊しとする価値観が感じられる。綿々と続いてきた長い歴史のなかに自身を組み込み、これまでを引き継いで、次に受け継いでいく役割に尊い意味を見出している、そんな心の構えを感じるのだ。
「個人として尊重されるべき」はまったくその通りだと同意する。その一方で、もっと大きな流れの中に個人を位置づけて、それに自分を委ねてみるという見方も、そんな軽視せず、手放さずに、快しと感じられる心をもっておいたらいいんじゃないかなと思う。両視点を大事に育てて懐に持っておいて、時と場合でうまく使い分けられたほうが勝手が良く、心豊かに生きていける気がする。
「一度きりの人生」「自己実現」「どう生きるか」を眼前に突きつけられ、個人として何か背負っているのがつらい時期には、背景に長い歴史巻物を敷いて、その上にぽんと自分を置いてみるようにしたり、何かずっと大きなものに寄りかかって自分を見る選択肢ももっておいたほうが、充電したり立ち上がったりを柔軟に切り替えながら、健康的にやっていけるのじゃないかなと。
どうも世の中というのは、現在地(ここ)ではない対極地点(あっち)に向かうことに課題設定して移動に傾注するあまり、もともとあったものの見方を過剰に敵視して、手放しがちだなと思うのだ。
「画一的な見方を打破しよう」とスローガンを掲げているわりに、AからBの見方へと大移動を図ろうとする。それじゃ「Aの画一的な見方」から「Bの画一的な見方」に移動するだけじゃないか。「Aに加えて、Bも手にする」ことで初めて、画一性を打破して多様性に一歩踏みだせる、2つもてれば3、4に応用展開するのは、ずいぶんと楽になる。そんなふうに按配が考えられるといいなぁと思う。心は選択肢があるほど、自由に立ち回れるものだ。
*安田登「あわいの力 『心の時代』の次を生きる」(ミシマ社)
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