定数と見切るか、変数と見立てるか
MBS毎日放送のバラエティ番組「林先生の初耳学!」で、インタビューする林修さんと、ゲストの森岡毅さんとが意気投合している動画をチラ見した。動画というか、動画のキャプチャ画像をつまみ食いしただけなのだが、世の中のことを数学的にとらえて「変数」か「定数」か見極めることが大事だという話で盛り上がっていた。
つまり、定数にあたる「変えられないもの」に向かって変えようと努力しても仕方ないわけで、変数にあたる「変えられるもの」に向き合って変える策を講じる頭の使い方をせよという話で、「なるほど、納得」と人を惹きつける話を提示している。
私も「なるほど、そういう整理の付け方は分かりやすいかもなぁ」と脳内でもぐもぐ味わいながらキャプチャ画像や周辺のセリフを読んだり見たりしたのだが、そのうちに思い至ったのは、自分が直面する実際問題でいうと、これを知った先こそが険しい道なんだよなぁという話だ。
いざ、世の中のこと、自分の身近な問題に当たろうとすると、「これは変数にあたり、これは定数にあたる」という唯一無二の正解がない。そこを決めるのは結局、自分ということになる。最終的には「決めつける」といっても差し支えないかもしれない。決めつけて、決めつけた責任を自分で負って、腹くくってやってみないことには「どうなるかわからん」ことばかり、というか。
例えば、よく言う「靴を履く習慣がない国に2人のセールスマンが派遣されて、一方は靴を履く習慣がないので一足も売れないと見切ったが、もう一方は全国民が潜在顧客だ、ここなら靴が大量に売れるぞ!と見立てた」という話がある。
これなど前者は、その国の習慣を「定数」とみて見切りをつけたのに対し、後者は「変数」と見立てたという話。両者の見極めに、唯一無二の正解など現場にはなくて、「定数と見切るか、変数と見立てるか」は自分の決めの問題であることを示す好例じゃないかと思うが、どうだろうか。
世の中のこと、自分の身近なことに対して、「変数か定数かを見極めよ」というのは、まったく明快な示唆深い助言として、そこが「わかる」ところから、それが「できる」ところまでには、ガンジス川とは言わぬまでも、太平洋に出る手前の利根川級の川幅があってだな(一キロ近くある)ということを思い耽った。
自分が何ごとを「定数」と見切って、何ごとを「変数」と見立てて事に仕えていくか。それが自分の仕事となり生業になるって話かもしれないなぁとも思ったりした。それが、人それぞれ違って、社会の役割分担になっていく。それぞれに「自分が」何を当てはめるかは、数学じゃなくて、例えば文学とか別の分野が力になってくれるかもしれない。そういう話も、番組の中でしているかもしらんけれども。
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