その壁に、それぞれが何を見ているのか
独立からこのかた、「とはいえ、おいそれと平日日中に東京を離れる気になれなかった」のだが、半年経て、ついにぶらり旅に出た。住まいが建物ごとネット不通になる時間ができて、家にいても仕事にならんしなというのに乗じただけなのだが。朝の通勤ラッシュが落ち着いた頃合いで、千葉の奥地(佐倉市)にあるDIC川村記念美術館へ出かけた。
目当ては、バウハウスで活躍し、1950年からはイェール大学のデザイン学科長も務めたジョセフ・アルバースの回顧展『ジョセフ・アルバースの授業 色と素材の実験室』(会期は2023年11月5日まで)。彼のデザイン教育方法に興味をもって。
そこに「斜接正方形」という展示があって、リンク先のPen Onlineの記事にある通り、壁に12枚並べられていたと思うのだけど。これを見て、みんな各々に何を読み取っているのかなぁというのが気になって、けっこうな時間、この前に長居してしまった。広い部屋に一人だったのだ。
これって、一枚一枚の配色組み合わせにも意味があるし、おそらくは12枚の配置の仕方・組み合わせ方にもデザイン的意味があるということなんだろうなぁとは、デザイン素人の私でも察するところなのだが。
一枚ずつの配色でいうと、3パターンあるってことなのかなぁとか思い、A、B、Cに分けてみた。1、2、3の数字は色の濃さレベル(下図をクリックかタップすると拡大表示する)。
でも、それにしてはABCの並びが左右対称じゃなくて、配置がいびつな気もする(下図をクリックかタップすると拡大表示する)。
上段の左から2番目をBパターンだったり、右から2番目をAパターンにしたほうが整然としていて収まりよくないかしら。いや、この配置も含めて「斜めっている」ほうがコンセプトに合うとか、そういうこと?
いや、そもそも、AパターンはAパターンでまとめて、BパターンはBパターンでまとめて4枚ずつ見せてくれたほうが、視覚的効果の違いが伝わりやすくない?ということは、あえて分かりにくくしている?応用編?錯乱させることに意味がある配置?などと、一人でぶつぶつと脳内迷路を散策する。
それを上から見ている私が、素人というのは、ものの見方の型を知らず、論評も足元が不安定で、型から自由でもありつつ、型ありきの型破りが成せるわけでもなし、結局はものの見方の広がりに欠けるものだったりするんだよなぁなどと、デザインではなく私を論評している。
「なぜそのように見えるのか?」に頭が先走ってしまって、「どう見えるのか?」という身体的な体験を疎かにしてきた反省が、帰り道になってからわきあがってくる。
でも、こんなに数を並べられると、一枚一枚が「こう見えます」と丁寧に見ることも叶わず、全体で「こう見えます」とも、なかなかもの言えぬ錯乱状態に巻き込まれる。そんなわけで、みんな、ここからどれだけのどんな情報を読み取っているのかなぁと。大部屋に一人で見ていたから余計に、人の目が気になってしまった。自分の知覚力、処理能力、咀嚼力の弱さを感じた作品として思い出ぶかい。
帰りは、ちょうど「しおさい」と巡り合わせたので、ひょいと乗ってみた(Instagram写真)。
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