« 定数と見切るか、変数と見立てるか | トップページ | その壁に、それぞれが何を見ているのか »

2023-09-09

隠しごとを本人に持たせてしまう

最近、遠藤周作「深い河」の一章「磯辺の場合」を読んでいて再認識したのが、家族に末期がんが発覚したとき、余命宣告を本人に伝えるかどうかは家族によって分かれるんだよな、ということ。磯辺の場合、本人に伝えずに幕を閉じるので、あぁ、うちにはうちの家族の法があったなと思い返すこととなった。

うちの母が十数年前に余命宣告を受けたときは、まず父(と兄か妹)が医師から最初に宣告され、そのあと父(と兄か妹)が立ち合いのもとで、医師から母本人に余命宣告がなされた。入院先の病室でのことだ。

そのとき私たち家族に、母がそれを知らされないまま亡くなるという選択肢は、頭に浮かばなかったと言っていいのではないか。医師から、本人に伝えるか問われて判断する父に、いくらかの逡巡はあったのだろうか。逡巡の有無について父本人に尋ねたことはないが、当時の父の様子に、その気配はなかった。辛くて、辛くて、声を震わせていたのは記憶に深く刻まれているが、言う言わないで迷ったという様子は一切汲み取れなかった。私にとっても、本人に伝えないというのは、ありえない選択だった。

母本人が、自分の死期を知らされないで人生を終えるなんて、家族の判断でその情報を遮断されて知る権利が奪われるなんて、そんなことは考えられなかった。今振り返ると、そんなことがあっていいはずがないという暗黙の共通認識が、父にも私にもあったように思うし、おそらくは兄妹にもあったのではないかと。そして、もちろん母にも共通の意思を感じていたからこそ、私はそのように思っていたんだと再認識するのだ。

あるいは父と母の間で、そういうことはすでに話し合われていて、私はその空気に包まれていただけなのかもしれないが。

いずれにせよ、私からみるかぎり、母が「隠しておいてほしい」と望むとは到底思えないし、父が「言わずにおく」判断をするとも思えない。母は「私のことは私が承知しておきたい、私の人生なんだから」と考える人であり、父は「本人のことは本人が知るべきだ」と考える人であり、私はその二人の子である。

こういうものの一切は、私の思い込みに過ぎないのかもしれない。だけど、医師から父へ、医師から母へ、その日のうちに一通りの通達が手早く完了したのは確かな事実だ。本人には隠しておく、2〜3日検討してみるという選択肢は、私たち家族の間で発想されなかったように記憶している。

よその家族には、よその家族の法がある。あくまでこれは、うちの家族の法である。という前提で私の考えるところをつらつら書き記してみるのだが。

彼女がことの次第を知った上で、緩和治療を選ぶのか、数ヶ月であれ延命の可能性があれば延命治療を選ぶのか、それは可能なかぎり本人が選択すべきことだし、本人にしか最適解の出しようがない問いである。

家族のなすべきことは、その宣告をそばで一緒に聞き、支え、本人の意思を聞き、それを尊重し、最期までその思いを守りきること。これに尽きるという信念がある。私が父と母から受け継いだものの一つは、そういう価値観である。

そして、この遠藤周作の「深い河」を読みながら十数年越しに思ったのだ。母が、余命もって数ヶ月と自身で知って、だからこそ交わせた母と家族との会話があったなと。もし本人が知らずじまいだったら、交わせなかった会話、過ごせなかった時間があったなと。

たとえ隠しても、母は察知しただろう。しかし家族が隠していたら、母は自分がそれを察知していることを家族に言わずじまいだったかもしれない。その隠しごとを一人で抱えたまま、この世を去らねばならなかったかもしれない。私は、そういう思いをさせずに一緒に過ごせて良かったと思う。いずれをとっても乗り越えねばならない辛い局面は本人にも家族にもあるわけだが、一人にしなくて良かったなと、十数年ごしに改めて思った。

読書っていうのは、本当にいろんな味わいを時空を超越して与えてくれるものだなと感じる。もう何年も文庫本とKindleを行ったり来たりどっちつかずで来たのだけど、「深い河」を読んで、これから当面「文庫で出ている文学本は紙で読もう」という暫定的な結論に至った。なんだか、やっぱり、物語を味わうには紙のほうがいいみたいだ。これが私のぜいたくだ。

« 定数と見切るか、変数と見立てるか | トップページ | その壁に、それぞれが何を見ているのか »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 定数と見切るか、変数と見立てるか | トップページ | その壁に、それぞれが何を見ているのか »