入門書を読み、こと始めるマイ黄金コース
12月に人生初、お能を観られる機会を得た。大元をたどると能楽師の家系ながら、うちは分家の分家な上、京都から遠く離れたところに居を構えたため、本家とはずっと疎遠だった。
そういえば私がまだ十歳にも満たない頃、お正月に「誰々さんが教育テレビに映るってよ」と京都の親戚から電話がかかってきて、がちゃがちゃ回すタイプのテレビでチャンネルを合わせたことがあったな。その程度の貧相な記憶しか、私はもたずに今日までやってきた。あとは本家と父親の間で一応、年賀状だけのやりとりを細々と続けてきた次第、父の年賀状作成は私の仕事だ。
それが今年7月、父の思い出探訪につきあって京都を旅した折り、本家を突撃訪問し、私のまたいとこ(はとこ)にあたる当代と初対面、そこから交流が始まった。
さて、そんなこんなで、お能の観劇である。能楽堂に足を踏み入れるのも初めてだし、なんら知識をもたないわけだが、そんなすっぽんぽんで伺うのは礼を欠くし、せっかくいただいた機会なので、いくらかでも基本を学んで伺おうと入門書を数冊読んでみることに。初めて踏み入る分野は多少でも知識を入れてから臨むと楽しめるぞ!というのは、これまでの人生経験で学んだ大事なことの一つ。
とりあえずAmazonを開き、「能と狂言」を扱っている本をリストアップ。検索枠で「能楽」と引っかけても手っ取り早いが、「本」からカテゴリーを分け入ると「アート・建築・デザイン>日本の伝統文化>歌舞伎・文楽・能」と下ったところに収まっている。検索結果の一覧ページから、上位に表示されているものから順に見ていって、めぼしいもの、星がついているものでざざっとピックアップ。
せっかくなので自分がまったく新しいものの入門書選びを、どんなふうに進めていくのかアンテナをはってみると、こんな感じであった。
1.上位表示されている「スポンサー」マークがついたものを(なんとなく)飛ばす
2.作品一つ、人物一人を取り上げて、じっくり掘り下げるタイプのタイトルをはずす(「世阿弥」「風姿花伝」など)
3.名作・名人を取り上げて紹介するタイプのタイトルもはずす(「名作選」「能楽集」「能楽手帖」「名人列伝」など)
4.「辞典」「ハンドブック」とかリファレンスっぽさ?が強いタイトルもはずす(網羅性が高すぎるのも違う、入門者用にコンセプトだてたシナリオが欲しい)
5.構成要素の一部にフォーカスをしぼったタイトルもはずす(「装束」「謡(うたい)編」「面(おもて)からたどる」など)
そんなこんなで、手元に8冊がリストアップされた。
1冊目に読む本は一択、「マンガでわかる」本である。これまでの失敗経験で「くれぐれも登山口を間違えるな」は肝に銘じている。1冊目はとにかく格好つけずに敷居が限りなく低い本を買って、読めるぞ、私にも読めるぞ!と調子をつける。
ちなみに電子書籍に対応していたので、これは速攻AmazonでKindle版を買って読み出す。iPadで読むと、カラーでさくさく読める。「1ページ」と「2ページ見開き」のサイズ違いを自在に操れるのも勝手が良い。
さて、ここは易々と突破し、次からの選書が思案しどころ。頭の中で構想したステップのたどり方は、こうだ。
2ステップ目は「初めての」「入門」「ことはじめ」あたりがタイトルにつく、入門知識の足場が作れる本。初心者に易しく、適切な言葉選びで、へたなメタファを用いて誤解を生まない良書を押さえたいところ。
3ステップ目に読みたいのが「能楽談義」など、能楽師が語る能楽の楽しみ。あるいは能楽師が登場する小説を読むのも、調子づけに効くかなぁなどと思う。一旦知識をおいて、作り手の熱量をあびて、自分の興味レベルをぐいっと上げ(てもらい)たいところ。
これを挟んで4ステップ目に読みたいのが「教養としての能楽史」「能楽の本質」「能 650年続いた仕掛けとは」みたいな、それの深み・真髄に迫らんとするもの。1968年に出ている三島由紀夫の「近代能楽集」というのもリストには挙げてみたが、ここまで自分をもっていけるかどうかは正直、あまり自信はない。まぁ楽観的な見通しとして一応リストアップ。
上で、1冊目の後を「何冊目」とせず「何ステップ目」としたのは、各ステップで何冊読むかは、その時々任せがよかろうという考えで、自分の乗り具合というのを都度はかって、自己観察しながら舵をとっていきたい。1冊読んで、次のステップに駒を進めることもあれば、一つのステップにとどまって何冊か読んでみたほうが調子づくところもあろうと。とにかく意識的に緩急をつけて自分をうまく誘っていくのが、気まぐれ入門者の心得。
で、結局どうたどっているかというと、2ステップ目を差し置いて、3ステップ目に書いた緩(お楽しみ)を前倒ししている自分の差配に気づく。私は私の調子の乗せ方(乗らなさ)をよく知っている。まずはがんがん、じっくり、自分の興味に調子をつけて、自分をドライブさせるのだ。自分に甘いというか、自分に期待が薄いというか。紀伊國屋書店に足を運んで、あれこれめくりながら選書していたら、こういう道筋になっていた。
それで今は、談義と小説のたぐいを読んでいるのだが、これがすこぶる良い。温故知新の恵みを与えてくれるというか。能に限らず、こうして気楽に、開放的に、純粋に、新しいものに触れていく健やかさ。そこに、自分のこれまでの記憶・体験と関連づいていくものがあって、立ち止まっては、いろいろ思う豊かさ。手繰り寄せているのか、手繰り寄せられているのか、不思議を味わう。
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